電波戦隊スイハンジャー#49
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘
デルフィニウム2
むかし むかし その昔
ちいさな川の ほとりに
大きな花と 小さな花が
並んで咲いていた
ん…歌?
2013年5月2日午前。野上聡介は幽霊を見た。
半分開いた窓から、庭で満開になっている薔薇の香りが流れ込み、鼻腔を心地よくくすぐる。
熊本市新屋敷町。閑静な高級住宅街の一角に、聡介が住む家がある。
二度寝から目覚めた聡介は、Tシャツの上半身だけベッドに起こしくわあっ、と天井に向けて大きなあくびをした。
風でふわあっとカーテンがまくれあがると、そこに一匹の、灰色の猫がいる。
「ブライアン?」
聡介の呼びかけに、猫は耳だけを向けた。聞いてるよ、という合図である。
猫は窓の桟に前脚をかけて息をひそめるように庭の一点を見つめている。
野上家の飼い猫ブライアンは、ビロードの手触りの毛並みを持つロシアンブルーの雌猫である。
年齢は9歳、人間でいうと50代前半であろうか。
ロシアンブルーは独特な性格をしていて、気に入った人間以外に絶対懐かない。「犬のような猫」とも呼ばれる。
ブライアンが野上家に来てから5年、聡介にはべたべたに甘え、姉の沙智には餌と猫じゃらしの時だけ懐き、
「猫?んー、楽器に傷がつかない?」とブライアンを飼うのに反対してた叔母の祥子には、餌だけ大人しく貰って後は完ムシ。
彼女はそういう猫であった。
そして辛抱強く、滅多なことでは鳴かない。そのブライアンが、
「んなっ!」と、まるで「見ろ!」とでも言うように聡介に向いて鋭く鳴いた。
え?こいつが前に鳴いたのは去年の大晦日だったよな。
聡介は窓を開け放ち、ちょうど先月姉が苗木を植えたブルーローズのあたりに、1人の少女の後ろ姿を見つけた。
大きな花は 美しい
いつも楽しく 唄う花
だけど小さな花は たった一人ぼっち…
なかなかきれいなソプラノじゃん。でもなんて歌だっけ?
聡介は愛猫を撫でながら、少女を注意深く見た。
腰まで届く長い髪に、空色のワンピース。背丈から中学生くらいか。
地面に中腰になり彼女は初咲きのブルーローズに聴かせるように歌っている。
叔母さんの音楽教室の生徒か?連休中は休みのはず、な、の、に。…?
本能が理性より先に反応した。両の前腕が粟立った。
違う!あの娘の髪は何だ!?
彼女の白と緑のストライプの長い髪が逆立ち、海中に漂う海藻のように波打っている。
そして少女は今の季節に咲き誇る薔薇の香りを吸い尽くすかのように、ひとつ深呼吸して、空を見上げた時に、聡介と目が合ったのだ。
瞳が、ルビーのように紅い。
両目に狼狽を浮かべた少女はそのまま消えた。
「…まぼろし?」聡介は軽く混乱した。
え、え。今のが幻覚ってやつ?えー?
「最近働き過ぎかなあー」
現実主義者の聡介は基本幽霊霊感占いの類を一切信じない。
占い好きの女の子には即ドン引きし、「ばっかじゃねーの?」と言って泣かせた事が何度かある。
5年も前から大天使どもと同居しているにもかかわらず、にである。
この男は、自分の人格の矛盾に気づいていない。
俺もとーとー心療内科の上田先輩に相談する時が来たのだろーか?
と眼頭を押さえて聡介が考えてると、階段から聡ちゃん、聡ちゃーん、と姉の呼ぶ声がした。
「また、なのよ」
2歳上の姉、沙智がちょっと聞いてよ奥さん、とおばちゃんがするような手招きで聡介を呼んだ。
「またって?」
台所のダイニングテーブルでは叔母の祥子が食後の紅茶を飲んでいる。聡介と同じ灰色の髪と瞳。相変わらず端麗な横顔である。
この美しい初老の女性は、10年前までハーフのヴァイオリニストとして人気を博し、日本のクラシック界を牽引してきた。
現在は、実家であるこの家でコンクール狙いや、音大志望の学生たちを対象に音楽教室を開いている。
「朝ごはん抜きで新幹線で来るなんて無茶しちゃって…しっかり食べなさいよ」
向かい合って、聡介と同じ灰色の髪と瞳をした女の子が、美少女であるが今はふてくされた顔でトーストにかじりついていた。
彼女は野上菜緒。京都に住む10歳上の兄、啓一のひとり娘で、聡介にとっては姪っ子である。
まったくもう。寝ぐせのついた髪をがしゅがしゅと聡介は掻きむしった。
「またっていうより姉ちゃん、ありゃ年中行事だよ」
この姪っ子が、10歳過ぎた頃から早すぎる反抗期に入っちまったのだ。
「はい、はい、義姉さん…休み明けに間に合うように帰しますんで…」
「聡ちゃんいつも済まんなあ、啓一さんが連休に仕事入れてもうて旅行の予定がポシャッたから拗ねてんのや。菜緒ちゃんに替わって下さい」
兄嫁で菜緒の母の菜摘子が、柔らかい京なまりで言った。聡介がほれ、と受話器を菜緒に示すと菜緒は一瞬苦い顔をしたが、諦めたように叔父から受話器をひったくった。
「もしもしぃ?」
母親の語尾が跳ね上がっている。うわあ、めっちゃキレてる…
「はい、お母ちゃん…」
「もう何回プチ家出すれば気が済むん?」
「…」
「今回で16回や!小4の頃から数えてな。ええ加減お父ちゃん困らせるん卒業せんか!」
「そやかてお母ちゃん、連休に仕事入れて約束破ったんはお父ちゃんや」
「黙り」
「…」
今度の沈黙は、受話器ごしに迫力負けしたからである。
「そのお父ちゃんの稼ぎで私立中学に行かせてもらってんのや。あんたもう中一やで。親が構ってくれへんからっていちいちプチ家出するんか?しょーもな。
連休、夏休み、冬休みに家出するなんてもはや確信犯や。あんたJRにいくら投資してますのー?」
「なんぼかなあー」
「だアホ!」
菜緒の肩がびくっ、と跳ねた。母親って娘に容赦しねえよなあ。この母娘のやり取りを聞いていて聡介は思った。
「ええか?ちゃっちゃと宿題やってあさってには帰っておいで。叔父さん叔母さんも忙しいんだから迷惑かけるんやないで。ほな」
菜摘子は早口で言いたい事をまとめ電話を切った。
毎回の事だが、母親に叱られた後の菜緒は元気がない。
しょうがないよなあ、両親が建築家夫婦で忙しいんだもん。まだ甘えたい年頃だよなあ。
聡介の兄の啓一は、一級建築士で工業デザイナー。その妻の菜摘子も一級建築士で、夫婦で建築事務所をやっている。
啓一の仕事が忙しくなったのは「とあるリフォーム番組」に出演したせいだった。
和モダンを生かしたクラシックなデザインと、宮大工の所で修行した伝統建築の手法を取り入れた技法で「京町屋の魔術師」だの「イケメン建築士」だのマスコミに取り上げられて、日本各地のみならず、外国からも依頼が来るようになったのだ。
菜緒のプチ家出が始まったのは、その頃からだった。
「菜緒ー」
聡介は姪っ子の頭にぽん、と手を置いた。
「家出じゃなくて親戚の家に遊びに来たと思えばいいじゃねーか。お茶淹れてやるからさー。夕飯はみんなで外で食おうぜ、な?」
「うん!」と菜緒は、えくぼを浮かべてうなずいた。
「嬉しそうな時の顔は聡介そっくりだよね。あんたたちは特に似てると思ってたのよ」
祥子の指摘に、菜緒はえーっ?て顔をした。
「祥子おばちゃんやめてよー。それ言われんの気にしてるんや」
え、俺に似てんのが気に入ってないってこと?
お小遣いあげてんのにあんまりだ、と聡介が思ってると、あ、そや、と菜緒は家を飛び出して、家屋敷周辺と庭を一回りしたのち、ちょっ、と舌打ちした。
「あいつ、さっさと帰ったんか…」
「あいつ?おい、友達巻き込んだ訳じゃないよなー」
ちゃうちゃう、と菜緒はぶんぶん!と首を振った。
「い、いや…途中で可愛い三毛猫拾ってな…」
明らかに怪しい。
「うちに動物はダメです」
ぴしゃりと祥子は言った。動物の爪が、高価なピアノやバイオリンを傷つけるからだ。
ブライアンは決して2階から下りないから祥子は飼うのを許したのだ。
「菜緒ちゃん、モロゾフのチーズケーキあるからおいでー」
台所から沙智が呼ぶと、はあい!と弾けるように菜緒はスニーカーを玄関の三和土に脱ぎ捨てて台所に入って行った。
「もー靴並べろよー」
「でも菜緒ちゃんは、聡介に一番懐いてるわよね」
実にしみじみと祥子叔母は言った。
「あれは懐かれてるんじゃなくて、甘えられてるんですよ、叔母さん」
それとも、逃げ場にされてるのかもしれない。
両親、甘える場所、逃げ場。
俺にはあっただろうか?
3歳でバイオリニストだった親父は膵臓からの転移癌で死に、ぼんやりとしか記憶がない。
間もなく、ピアニストであるお袋はこの家から出て行った。
最愛の男の死に耐えられなかったのだろう。スランプに陥ったのだろう。と狭い音楽会の連中は噂したらしいが、
たぶん、原因は俺だ。
息子の俺が「普通」じゃないから、お袋は持て余したのだ。
両親の代わりに愛情を注いでくれたのは、祥子叔母と鉄太郎じいちゃんだった。
じいちゃんはこれからの俺の人生を考え、困難に負けない強い男に育てようとしてくれたのは解ってる。
3つの頃から合気柔術をはじめ、いろんな武術を俺の体に叩き込んだ。
72から孫育てを始め、10年前、俺の成人を見届けると92歳で静かに逝った。
体術だけじゃなく知識、人生哲学などなど、生きるために必要なすべてを、俺に与えてくれた。
最大限の感謝をしてるけど、時々、意味もなく寂しくなるんだよ。
寂しい?あんた、甘えてるんやないか?
誰だ。
母親の腹にいる時から、人生押しつけられた子供だっているんやで。
聡ちゃんは甘えとるだけや!
甘えてる?
こいつ、なんて事いいやがる。
「冷静さを保て」とじいちゃんの言い付けを忘れ、俺は思わずカーッとなって、蓮ちゃんの上に馬乗りになった。
そうやって力に逃げる奴が、ほんとの弱虫なんやで。
男の子なのに、女みたいな綺麗な顔した奴だ。
俺に組み敷かれながら、蓮ちゃんは減らず口をたたき続ける。
殴る気か?僕はいじめられんのは慣れてる。
だけど顔だけはやめてな。商売道具なんやから。
10歳なのに、生意気な奴。
考えなしに蓮ちゃんに手を挙げようとした俺も、10歳だった。
「やめんか!」
女の人の声がして、俺の手を止めた。
白い着物姿の、美しい艶っぽい女性だった。ここは京都だから、プライベートの芸妓さんだったのかもしれない。
いや、神社の境内だったから、もしかしたら神さんの化身だったのかもしれない。
10歳の俺を止められる人間なんて、じいちゃん以外にいないのだから。
「蓮ちゃん…いや、隆文?」
ようやく聡介は夢から醒めた。なんで隆文が、俺に被さっている?
何度か「その手」のお兄さん達からナンパされた事はあるが、俺はいたってノンケだぞ。
「の、野上先生…っ!早く降りてけれっ」
降りる?ああ、俺が隆文に馬乗りになってんのか。
ここは、東京?
ああ、ゆうべ学会の後、根津が近かったからこの宿に泊まったんだっけ。
「残念だけど、空いてる部屋はないよ」
と勝沼にス○夫のような断り方をされ、
「じゃあスタッフルームは?」つって隆文と相部屋で眠ったんだ…
俺って奴は、寝ぼけて隆文に馬乗り?
まずい。他人から見て、この状況はひじょーにヤバい誤解をされる!
「す、すまん、何だかすまん!」
ようやく全てを理解した聡介は直ちににマウントポジションを解いて隆文の体から降り、平謝りに謝った。
「な、何が済まないんだべ?おらが先生を振ったからか~?」
初めて男に襲われたと勘違いした隆文は、パニック状態になっていた。
「だから違うって!」
いきなりばん!と激しい音を立てて、悟が肩で息をしながら半裸の二人を指さして言った。
「た、隆文くん。君は美代子さんという恋人がいながら…野上先生と浮気なんてよくもよくもっ!」
悟は数分かけて混乱から立ち直り、目撃した光景を分析した後、「従業員を助けよう」と判断した。
でもやっぱり、なんか誤解している。
「だからちがーう!」
スイハンジャーの拠点したまち@バッカーズは、今日も朝から騒がしい。