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嵯峨野の月#141 椙山にて

最終章 檀林5

椙山にて


それは承和十年の夏の終わり。

都の郊外にある山荘の一室でゆっくりと筆を動かし、詩の一篇を唐紙からかみに書きつけた貴婦人が

これでいいわね。

と何かを決したようにうなずいた直後、御簾をめくり上げるほどの突風が室内になだれ込んだ。彼女はそれを合図に文机から立ち上がり、青々と草木が茂る外へ降り立った。

全く、残暑でうだる洛中とは違ってここは涼しい場所だなあ…

とこの日は嵯峨離宮の巡回に来ていた志留辺は眼前に広がる大沢池の、青い夏空を映した湖面を渡る風の心地よさに目を細めていると、

「もし、そこの武人」
と白い垂髪を腰まで垂らした老いた巫女に声をかけられた。

巫女の後ろには面長の顔に薄く化粧をし、黒く豊かな髪を結い上げた背の高い貴婦人が一重瞼の目を細めて微笑みながらこちらを見ている。

「西荘の斎院さまがあなたと話をしたいと仰せです」

巫女のそのひと言で彼女が初代賀茂斎院、有智子内親王だと解った志留辺はすぐさまその場で拝跪し、嵯峨帝皇女でしかも神の代理を務めた御方を前に

「わ、私のような下々の者にお声をかけていただくなど…」と緊張と畏れ多さで舌をもつれさせる。

いかにも無骨な彼の態度を好ましいと思った有智子は

「そんな畏まらずに顔を見せて」と頼み言われるままに顔を上げた青年の日焼けした顔に整った鼻梁をした顔立ちを見つめ…

ああ、やはりこの青い目。斎院退下の時に輿の護衛をしていたのは彼だ!と確信した有智子は「きれいな青い目をしているのね…名は?」と問うた。

賀茂志留辺かものしるべと申します。母は胡人、父は東国の男です」

「シルベ、変わった名ね。どんな意味?」

「エミシの言葉で風、という意味です」

そう志留辺が答えた途端、ざあっ!と突風が吹いて湖面が大きく揺れ、有智子が掛けている領巾を天女みたいにたなびかせる。

悲鳴を上げる巫女たちなど気にせず有智子は志留辺の両頬に手を触れ、

「シルベ。今風が吹いています…風は西から東へ渡るものなのですよ」

ほどける髪もめくれ上がる裳裾も気にせず有智子は何かの託宣のようにそう告げた。

「あなたとお話できて良かったわ、では」

と先程書きつけた文を相手に渡してから踵を返し、巫女二人を連れてそのまま西院の方へ戻って行く斎院さまを見送り、伽羅の香りがする唐紙に書きつけられた詩の一篇、

棲林孤鳥識春沢
隠澗寒花見日光

林に棲む孤独な鳥は春の恩沢がわかる
澗に隠れて咲く冬の花は日光がわかる

を斎王さまはどんなつもりで我にこの言葉を?と首を傾げる志留辺であった。

滅多にしない外出で疲れた有智子は自室に戻ると彼女にしか視えない存在である巨大な角を持った鹿の影が帳帳の内側に揺らめいている。

(ヤマトの巫女よ、礼を言うぞ…)と低く深い声で彼女の想念に語り掛け、そして消えて行った。

大和朝廷開闢以前の原始の荒神に三度も出会ってしまったのこの身、そう長くは持つまい。

これで巫女としての私の役目は終わったのね…

と安堵した途端体にのしかかる疲労感で脇息に突っ伏し、水底に引かれるような眠りに落ちた。

有智子はそれ以来病がちになり、五年後の
承和十四年十月二十六日(847年12月7日)に世を去った。享年四十一才。

彼女は最期に
「それにしても、お父様が居なくなった現世のなんとつまらないこと」
と素っ気なく言うと目を閉じ、そのまま息を引き取った。

優れた女流漢詩人であり若い貴族の文章力の低下を嘆いておられた内親王さまは、同じく天才漢詩人である父嵯峨帝に会いに泉下に旅立ったのだろう…と宮中の貴族たちはしばらく噂した。

すっかり残暑も和らいだ昼下がり、

騒速シリン夫妻は西市の織物商人である胡人(ソグド人)秦羂索はたのけんさくの家を訪ね、そこで娘夫婦と孫たちと語らうことを半月に一度の楽しみにしていた。

娘の実奈は十年前に羂索の一人息子、奈留背《なるせ》と結婚し子を二人生んだ。十才の長男、絹空けんくうは店の手伝いをするしっかり者で、五才の長女、更紗さらさは何でも知りたがり聞きたがる聡い子。

二人とも父親の褐色の肌と母親の目鼻立ちを受け継いだ美しい兄妹である。

板の間で遊ぶ孫たちを眺めながら羂索は、

「いやあ、道士による異教徒弾圧で大陸から逃げてきた時は生きた心地がしなかったのですが…

海を越えたこの国で姓と居場所を貰い、同じ拝火教徒であるあなた方夫婦と出会って子同士が結ばれ、互いの孫たちと過ごせるとは…幸せな事ですなあ」

と騒速夫妻にしみじみと語った。

この羂索、貴族相手の商いで富を得ても

正しく稼いで正しく使う。

という拝火教の教えを遵守して貧しい人々に分け与えたので賊たちも決して彼らを狙う事はなかった。

さて、
阿保親王亡き後、妻と共に一年近く都に滞在している騒速は我が人生も晩年と見定めた彼の、子孫を訪ねる最後の旅と周りには思われているが、

彼の真の目的は別の所にあった。

騒速と志留辺は親子共に帝の叔父である葛井親王ふじいしんのうの邸に呼び出され、

「これから河内に向けて数日旅をするゆえ護衛してくれ。衛門府(検非違使を管理する官庁)には話をつけてあるゆえ」

と命じられた。既に二人のための馬と旅装、食糧まで用意されていたので即日出発と相成った。

「妻が心配するので今日中に任務の事を知らせて頂きたいのですが」

と使者を遣わしてもらうよう親子が同時に頼んだ時親王は、
「引けを取らない武人親子でも妻は怖いのだな。あいわかった」と笑いながら二人の言う通りにした。

現在の大阪府の東部と南西部にあたる河内国へは馬でなら日帰り、

徒歩でなら二時半(5時間半)で到着出来る程の近場なのだが親王一行は秋へと移り変わろうとする風の涼しさや高くなった空、野の草花などを馬上からゆっくりと眺めて楽しみ、

途中投宿した寺で僧侶と談笑したりの旅で目的地を決して明かさない親王を訝しんでいた志留辺だが、元服以来こうして父と旅するのは初めてだし日頃の務めを忘れるの程ゆるゆるした行程にまあいいか、と思った。

出立して三日後、

「ここから先を椙山すぎやまという」と言ったきり馬から降りた親王は黙りこみ、

三人は周りに集落もないなだらかな丘の上の、鬱蒼とした木々に囲まれた広場の中央に幅二尺、高さ四尺の盛り土が二つ並んでいる前に辿り着いた。

きっと誰かの墓所なのだろう。だが通常より三倍もの大きさのその盛り土の下に葬られているのは相当訳ありな人物だ。と志留辺は思った。

二つの塚の前に親王が拝跪し、供物を捧げると

「アテルイ殿、モレ殿、我は坂上田村麻呂の孫、葛井親王。遅くなりましたが祖父との約束通りアテルイ殿の子孫を連れて参りました」

と言って同行の親子、騒速と志留辺を振り返った。

我ら親子が…何だって⁉︎

意を決した騒速は困惑した表情の息子に向かって

「親王さまの仰る通り我はエミシの王、アテルイの末子で父の意向でヤマトの子として育った。そうだ、この塚に眠ってらっしゃるのはお前の実の祖父と副将のモレ様なのだよ」

初めて聞く父の出生の秘密に志留辺は幼い頃から自覚していた荒ぶる魂の正体が実は、

土地を奪われ、信仰も生き方も変えさせられヤマトに無理矢理従わされて生きているエミシの民の為に戦い、負けて処刑された祖父アテルイの血を受け継いたからなのだ。と気付いてしまった。

「父上、それでは我は祖父を殺してエミシを踏み躙っている仇に仕えている事になる…これからどう生きればいいのでしょう?」

と我が胸をかき抱いて細かく震えるする息子の肩に手を置いた騒速は、

「別に、今のままでいいと思う」

と答えた。呆気に取られた顔をする息子に騒速は、

「お前の中に制御出来ない衝動があるのは父も気付いていた。だがお前はその力を弱い民を守るために使おうと自分で決めて武官になったのではないのか?」

確かに父の言う通りだ。
拝火教徒の両親の元に生まれて我は務めの上で殺生するかもしれないから。と自ら親子の縁を切って巨勢清野さまの養子になり武官の道を選んだから。

「その上一回りも若い妻を娶って民や上司に頼られているお前は幸せ者だと父は思う。自分の胸に聞いてみろ、お前、幸せなんだろ?だったら今ここですべきことは何だ?」

志留辺は父と頷きあうと並んで塚に向かって拝跪し、

祖父アテルイよ、そしてモレ様。我ら親子をここまで導いて下さってありがとうございます…

大きな戦が無くなってから四十年余。生きたいように生き、果たすべき務めを果たして生きている事に心から感謝した。


しばらくして親子は立ち上がり、親王に預けていた細長い布包みを騒速が受け取って息子の前に差し出した。

「父が生きている内にこれだけはやっておかなければと思ってここまで連れてきて貰った」

受け取った志留辺が包みを開くと表れたのは黒漆の鞘に包まれた長刀。

「抜いて見てくれ」と父に言われるまま引き抜いた刀身は細長く反り、ちょうど差し込んで来た正午の日差しを受けて輝いている。

「この刀は坂上神剣、騒速の真打。東国の鉄を打って作られた田村麻呂殿の不戦の願いが込められた刀だ。これで殺生しないと誓うなら今お前に受け渡す」

「誓います。この志留辺、弱き民のために働き続けます」

騒速がそう言った途端、塚の後方から一陣の風が吹いた。それは息子と孫の墓参と本当の願いが受け継がれた喜びを表すかのように心地よい風だった。


その様子を見ていた親王は祖父田村麻呂の遺言をやっと果たせた事に安堵し、

それにしても、と敵将だった人物の墓参が出来るまでここまで年月がかかってしまった事に四十四才になった彼は戦の傷の根深さを痛感した。


この日は承和十年八月十三日(846年9月7日)。

ちょうど四十一年前この地で斬首されたアテルイとモレの命日であった。

奇しくもこの日は橘逸勢の一周忌法要がひっそりと行われ、数珠を手に掛け合掌する逸勢の従姉妹で皇太后橘嘉智子は、

逸勢どの。
我が息子の行いで貴方を死なせた罪をどう償えばよろしいのでしょうか。

と一年間自責の念で苦しみ続けてこの日を迎え、無心で拝んでいる最中に、

ほら!貴女はいつもそうやって仏の方ばかり見て逃げている。

今すべきなのはうつつに向かい合うことではないのですか?

と頭の中に声が飛び込んで来たのでもしや、逸勢どの?と思った嘉智子は法事が終わると真っ先に内裏に戻り、一年ぶりに息子仁明帝への面会を願い出ると政務もそこそこに会いに来た息子の肩を抱いて、

「老い先短い身ですけれどあなたが犯した罪と現世に生きる地獄を母も共に生きます」

と宣言し、それを聞いた仁明帝は両眼からぽろぽろと涙を流し、母上、母上…と童のように母に縋りついて泣きじゃくる。

嘉智子はそんな息子を正面から優しく抱きとめ、よしよしと背中を撫でさすった。


「一年前、我の夢枕に二人のエミシの戦士が現れました。ひとりは両目の上下に刺青をした逞しい男で、もう一人は銀に近い灰色の目と髪をした秀麗な顔立ちをした男。
二人とも『おい、お前伝えるべきことを忘れてるだろ?』寝ている我の頭を小突きながら、仕舞ってある神剣を指し示してくれました。

朝目を覚まし、神剣を取り出した途端、使者の僧侶が都に帰参なさる高岳親王の護衛をするように、と依頼を告げに来たのです。

何かの計らいのような出来事が立て続けに起こり、息子に伝えるべきものを伝えることが出来た…

そんな気がします」

と父の墓参りを終え旅から帰った騒速は葛井親王の杯を受けながら事のあらましを告げると杯の酒を飲み干し、これで我の使命が終わった。と全身の力を抜いた。

「お前の夢枕に立ったのはまさしくアテルイ殿とモレ殿だろう。祖父から聞いたお二人の特徴と一致している。しかし、子を小突き回すとはいささか乱暴な」

と親王は苦笑し、急に真顔になって、

「で、お前これからどうする?すべき事を終えて天野の里に帰るか」

と尋ねると騒速はしばらく考え込み、

「あの子がこの先どうなるのか、もう少し留まって見届けていきたいと思います」

と告げると親王は「私も何か面白くなりそうな気がする。解った、お前の気の済むまで我が邸に逗留すると良い」と快諾した。

「ありがたきしあわせ」

とここいらで翁として落ち着いてよいものを。五十過ぎてから血がたぎる己に呆れつつも畏って親王に頭を下げる騒速であった。

その夜、九条にある半分土間で半分床の部屋という構造の二土間の一般庶民の家に帰った志留辺は結婚一年になる妻、河鹿の手料理を平らげてごろりと横になった後、

縮れた髪をまとめて頭巾を被り、単衣の帯がわりに着物を巻き付けたこの時代の主婦の格好が板に付いた妻の姿に、

女人とはかように変化していくものなのか、と日々驚きを禁じ得ない。

阿保親王薨去から一年、既に自立した親王の子供たちは広大すぎる親王邸を手放し、志留辺と河鹿夫妻も自分の身の丈に合ったこの家に移り住み、二人きりの新婚生活を満喫していた。


「殿」と急に強い口調になって畏った河鹿は反射的に起き上がった夫に、

「私、子を身籠りましたの」

と元々切れ込んだ二重瞼の目を輝かせてそう告げた。

それは隠された血脈を知ったばかりの武官が次代に血を繋いだ瞬間だった。

後記
アテルイ、ソハヤ、シルベ。とエミシの武人親子三代の伏線が収束。この物語も後五話。


























































































































































































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