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電波戦隊スイハンジャー#152
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
観音4
店内に一歩入ると、ふわっとした絨毯の感触が心地よく靴底に触れた。
「これって劇場に使うような上質の絨毯じゃないの!?」
と驚いた蓮太郎と聡介は、背後から泰範に押されるようにバーのカウンター席に座らされた。
店の中はすべて間接照明で、わざと眩しさを抑えた落ち着いた雰囲気。
L字型のカウンター席の他に、壁際に黒革のソファとテーブルが2つずつ。
ソファ席では白い顎ひげをたくわえた初老の男性客と、30代後半くらいのビジネスマン風の男がウイスキーを飲みながら会話している。
二人の背広の上等さを見て、なるほど、これが「銀座」か。
と銀座のクラブ初体験の聡介は席料いくらなんだろ?と内心ビビっていた。
テレビの取材でよく見るこじんまりとした銀座の高級バーといった感じだが、備品の全てに高級素材が使われているのが聡介にも分かった。
「このカウンターはアンティーク?」と焦げ茶色のカウンターの表面を撫でながら、聡介がマスターらしき色白の男に聞いた。
「当たりだよ。マホガニー材で1930年代のイギリスのものだ。よく分かったねえ…リバーくん」
くん、の語尾を跳ね上げる様に言ってマスターはにっこりと唇の両端を上げて、実にチャーミングな笑みを見せたのだ。
有線で洋楽のトランペット演奏が流れているのが心地よかった…
「兄貴が建築の仕事やってるから多少は詳しいんだ…誰がリバーくんだって?」
夭折の美形俳優リバー・フェニックスは知ってるけどさ、確かホアキン・フェニックスの兄ちゃんだったっけ?
でもよ、生前のリバー知ってる奴は明らかに40代だ!
「もちろんグレーの髪のキミだよ、リバーくん」
「リバーじゃなくて野上聡介といいます」
「僕の独断でリバーくんと呼ばせていただく、これは運命の出会いだ」ときっぱりとマスターは言った。
マスターは一重まぶたの、すっきりとした顔立ちをしたいい男であった。
白シャツに黒ベスト、腰にはロングエプロンとバーテンダーの衣装がよく似合っている。
長めの前髪を垂らして若作りをしているが、結構年がいっているのかもしれない。と聡介は思った。
「タイちゃーん、久しぶりじゃないか。この薄情者」とマスターがわざと拗ねた口調で泰範をおちょくる様子から、泰範がこの店の馴染みなのだと察する事が出来る。
「仕事忙しくてね。ウーロン茶」と泰範が蓮太郎の隣の席に腰掛けると、メニュー表をマスターから受け取って蓮太郎たちに渡した。
蓮太郎はブルームーンカクテル、酒が飲めない聡介はコーラを注文した。
「相談内容は電話で大体把握したよ」
とマスターがシェーカーを振りながら意味深な目で蓮太郎と聡介を見た。
「ま。そーいうことだから、試してやってよマスター」
試す?泰範とマスターの間でどんな密約が成立したんだろうか?見張り番みたく入り口に立っている美少年のボーイくんといい…
「ねえ泰範さん、まさかこの店」
と蓮太郎が十中八九は当たっているだろう予想を口にしようとした時、
「君は紺野蓮太郎じゃないの!?」
とカウンター席の一番奥で飲んでいた男性客から驚きの声が上がった。
ペットボトルのお茶「右衛門之佑」のCMで大奥取締役の女装で出演してブレイクした蓮太郎は、今や俳優とタレント業もこなす売れっ子なのである。
え、え、蓮さま!?とソファ席の客二人も蓮太郎に気づいてこっちに顔を向けた。
「驚いたなあ…君が『こっち』だったなんて。がっつり女好きって噂だったから…隣の外人くんがパートナー?」
と最初に蓮太郎に気づいた50代くらいの男性客が、よろしくね、と蓮太郎に握手を求めた。
やっぱり。と握手を受けた蓮太郎が「こちらの泰範さんの紹介で来たんです」と言うと、ブランドもののジャケットを羽織ったその男性客はははは、と笑い
「この店の超人気者、タイちゃんの紹介なら安心だ。ようこそ、隠れゲイの癒しの場、Jack Lemmonへ」
「僕のセリフ取っちゃ駄目ですよー」とマスターが出来上がったカクテルをカウンターに置いてから間に入る。
「ちなみにこの人はCM制作会社の社長」とマスターがジャケットの客を指さした。よろしくー!と明らかに業界人風の男はひらひらと手を振った。
成程、芸能界の情報に精通している訳だ。
「僕は経済官僚」
とソファ席の若い方の男性客が、
「私は病院の理事」
と顎ひげの初老の男性客が聞いてもいないのに勝手に自己紹介をした。
「もう説明せずとも解りますな。ここは、社会的地位もあって妻子もいる隠れゲイ専門の会員制バーです」
と泰範がウーロン茶をカッコつけて一口飲んでから、言った。
「そして、マスターは伝説のホスト『清盛』だった平良保憲さん、43才」
実年齢をバラすな!とマスターは泰範の頭を軽く小突いた。
「若い!てっきり30過ぎくらいだと思った」と蓮太郎は正直な感想を述べた。
「今はホスト引退してるけどな、僕もゲイだよ。長く水商売やってて思ったんだ…こういう店が必要なんじゃないかってさ」
煙草一本いい?と聡介に了解を得てからマスターはフィリップモリスの箱から一本取り出し、火を付けた。
もう聡介が医師であることもマスターの頭の中に入っているらしい。
「はっきし言って日本はセクシュアルマイノリティにとっては後進国だ。
最近法律のほうで色々社会権は得てきてるけどさ…現実はカミングアウトもままならないし、
お堅い仕事してるといつまでも結婚しないのはどうだ?なんて言われるし、で、仕方なく妻子を持って社会生活を営んでいるゲイって
案外大勢いるわけよ…僕も自分に嘘ついて証券マンやるのが嫌んなって水商売の世界に入ったんだけどさ」
「清盛さんって証券マンだったの!?」
と聡介と蓮太郎が驚きの声を上げると、(この店来てから驚きの連続なんだが)
「この人、慶応の政経出てます。実家はタイラ海運って沖縄ででっかいフェリーの会社やってはる」
「資産家のおぼっちゃんじゃねーか…」
聡介がつぶやくとリバーくんご明察!と芝居がかった動作でマスターはウインクした。
「ま、この業界人は独身だけどさ、ソファ席の二人は両方とも家庭持ちなんでこうしてウチで仲間同士語らってます。
ここで同性のパートナー見つけたお客さんもいるしね」
こっちの外人の子、可愛いね。と顎ひげの客が明らかにタイプ!という目で聡介の顔をじっと見ている。
「あー、リバーくんはノンケだからモーションかけないでくれる?今夜は蓮太郎くんをテストするんだ」
あはは、清盛くんのテストか!と業界人は悪戯っぽく笑った。
「まあ、本当の自分に気づく夜になるよ」と常連客たちにグラスを掲げられた蓮太郎は、いきなり泰範に羽交い絞めにされて先にマスターが待つスタッフルームに押し込められれてしまった。
無情にもドアが閉まって内側から鍵がかかる。
「ちょっと蓮ちゃん!?手荒なことする気か?」
マブダチを手籠めにしよーたぁ許さねえぜ!
と立ち上がる聡介の肩を泰範が抑えた。麗しい外見に似合わず結構力が強い。
「大丈夫、マスターは決して食ったりはしません。大体こうなったのも、蓮太郎はんを惑わすあんたが悪いんやで」
野上聡介、君が好きだ。
と八坂神社の境内の壁際で、蓮太郎に告白されてからもう3か月近くになる。
俺、あとで土下座して謝ったよね?あれで諦めてくれたと思ったんだが…
さては、目覚めてしまうのか!?蓮太郎ぉー…!
後記
蓮太郎、新境地を開いてしまうのか?