来世ファイナンス
作家でコメンテーターの椚街子《くぬぎまちこ》は、総合病院の特別室のベッドで死の床にあった。
病名肝臓がん。
彼女の全身はビリルビンによって黒ずみ、呼気から毛穴から放たれるアンモニア臭で付き添いをしていた大学生の長男はあからさまに顔をしかめる。
証券ディーラーの夫もぎりぎりで臨終に間に合い、
「さあ、奥さんの手を取ってあげてください」と医師に言われて夫はしぶしぶ手を取った。
ごー、んごー、とクスマウル大呼吸による大きな鼾を10数回かいてから街子の呼吸はそのまま止まった。
担当の野上医師が聴診器を患者の胸に当て心停止、呼吸停止、瞳孔散大を確認すると、
「午後3時36分、ご臨終です」
と、一秒の狂いも無いように気を付けて調整している腕時計を見つめてからたったいま泉下の人となった街子に目礼した。
夫はぱっと握っていた手を離してハンカチで拭いた。
あちゃー、この家族相当仲悪かったな…
と野上医師は看護師にエンゼルケア(死後の処置)を指示し、
「ご主人、壁際にウェルパス(手指消毒剤)がありますけど?」
と内心の腹立たしさが出ないようにつとめて無表情で言った。
息子も着替えを置いたら私が買ってやった車でさっさと帰って友達と遊んでたし、現実に向き合いたくない夫は「わざと」仕事を入れていた。
自分が癌になったら周りの人間は本性を隠せなくなる。ってほんっとだったわねー。
「結局、私の56年間の人生の最後に親身にしてくれたのは担当の野上先生と看護師さん達だけでした…何とも寂しい死ですよね」
と、面接官の前で街子は自分の孤独を哀れんで泣いた。
「ええ、57分間のあなたのご意見はここでちゃんと録音させていただいてちゃんと『上』にご報告いたしますから」
と瑠璃色の髪をした面接官は感じの良い微笑みを浮かべて街子から賄賂として受け取った貴金属類を鑑定してから、
「半分はイミテーションでしね、
鑑定総額69万8千円なーり。まあ初回サービスで70万円分の『猶予』をお付けしましぃ」
と鑑定書と審問の書類を傍らの天使に渡し、
「椚街子を審問室へとお通しするように」
とさっきとは違った事務的な口調で命じた。
面接官の胸の名札に刻印された、
アズライル。
という名、何処かで聞いたような…と審問室の待合のソファに腰掛けながら街子は思ったが、結局「椚さん、椚街子さん」とスピーカーで呼ばれるまで思いだせなかった。
藪雨社《やぶさめしゃ》の権藤社長がくれた装飾品は全てイミテーションだった…というショックで落ち込んでいたのだ。
なによ!あんだけ売り上げに貢献してやったのに。祟ってやる。
あさって夜七時にすべらない漢詩の宴だから、予定空けてくれだお。
と、生前の上司から来たlineをおのっちは既読スルーしようとしたが、
何々今審問中?でもスマホいじってんのー?ふーん。
…宴はおのっちいないと締まらないんだよねー。
と立て続けに格闘漫画「バキ」スタンプで攻めて来る「さがちゃん」に抗えず…
出席します。
と返信してしまってからちっ!と審問室にいる全員に聞こえる位大きく舌打ちした。
「なになに?まーたエンペラー嵯峨のすべらない漢詩のお誘いでしたかー?」
と古代中国の文官の恰好をしたモーちゃんがやすりで爪のお手入れをしながらチャラい口調で聞いてきた。
おのっちの机の正面1メートル前、ちょうど審問室の中央にはビーチボール大の水晶玉の形をした「真実の鏡」こと浄玻璃の鏡が置かれ、
その向こうに先輩モーちゃんの机があり、マニキュアの瓶と自らアレンジメントした生花が飾られている。
「その通りでしたよ…やれ『管弦なう』だの『月見なう』だのあいつのインスタのリア充感ハンパないっすよ。死んでも人生満喫かい!なんだかムカつくわ!」
とおのっちは両の手のひらをばん!と机に打ち付けた。同時に手の付け根から脳天にかけて痛みが走り抜ける。
「…いって~」
と手に息を吹きかけるおのっちに
「痛いのは生きている証拠。って、君は1200年前に死んでたね~」
とおのっちの机のちょうど右斜め前、全身に絹のサリーを纏った審問長、エンたんが自分のギャグに体を折り曲げて笑い、冠から垂れ下がる宝石がじゃらじゃら鳴った。
「エンたんは笑いのハードル低すぎー。自分のギャグで笑う?ふつー」
と爪の手入れを終えたモーちゃんは長年の上司を呆れた目で見て、
この人、2000年前から変わってねーわ、と今更ながらに苦笑した。
「そういやモーちゃん、去年の流行語大賞の『忖度《そんたく》』、何で自分に賞くれなかったんだ!?ってブチ切れまくってたよね」
「当たり前ですよ、私が作った言葉なんですから。何で商標登録した饅頭屋のおっさんが受賞なのよっ」とエンたんに向かって苦い顔をした。
ぴんぽんぱんぽーん♪
間もなく午後の審問の開始です。
とスピーカーが昼休憩の終わりを告げたので、
おのっちこと閻魔大王秘書の小野篁《おののたかむら》と、
モーちゃんこと閻魔庁事務次官の孟子《もうし》と、
エンたんこと閻魔庁長官閻魔大王は身なりを正して「仕事用」の顔になった。
「被告・椚街子、本名工藤スミ子は閻魔庁の下した裁定に不服を申し立てる、ということじゃな?」
「…はい、あんまりです!私は生前原稿料と印税とテレビ出演とタレント業で7憶5千万円稼いでその内の1億を慈善事業に寄付しています。
他にも自ら講演とチャリティ活動を行って徳を積んだ自分が地獄生きだなんてあんまりですっ!」
「受苦無有数量処《じゅくむうすうりょうしょ》は嘘つきが落ちる地獄で比較的責め苦が軽い所なんだがなー」
と閻魔大王は不服申し立て書を流し読みしながら笏でぼりぼりとこめかみを掻いた。
死者の生前の行いを全て見通し、「公平な裁断」で死者を往くべき所へ往かせる閻魔大王が…20代半ばの褐色の肌したインド人イケメンだっただなんて!
それに、事務次官孟子は甘いマスクしたオネエ系で、秘書の小野篁が長身ワイルド美丈夫平安貴族。って、
現世の腐った女子だったら裁かれたい~。って思うじゃないの!
ああ、死んでなかったら十代から五十代までの腐った女子をターゲットにした小説書いて売りまくってやるのに…
「あんた、ほんっとーに欲深な怪物だね」
と街子の思考を全てを読んでいた孟子は唾でも吐きたそうな面で街子を睨んだ。
「けものへんに、貧しいって書いて『とん』って伝説の怪物がいる。
巨大で欲深く、なんでも、鉄も石も山も、すべて喰らって闇、無だけを残すという。
果ては自分自身すらも食べてしまうという…あんた、そーやって薄っぺらなウソと悪口雑言だらけの本書いて金稼いで鯨飲美食しまくって自業自得で死んだんでしょ?
トン邪鬼のなれの果てでちょーどいいじゃん」
「トンって何なの?」と街子が尋ねると、
「あんた物書きなのに孔子も知らないんだーふーん」と孟子はそっぽを向いた。
「それにね、椚センセイあんた、テレビでの攻撃的なコメントと雑誌での弱者たたきで人生狂わされた一般人が合計134人いる訳さ。
職を失った人、いじめで転校、退学させられた若者、辛口評論で店潰された料理店…これは立派な罪業だよ」
と篁が3次元スクリーンに映し出された街子の生前の罪業を声に出して読み上げる。
「ええと、息子さんに『最近の若い子はバカばっかり』と罵声を浴びせ続けた精神的虐待、
旦那さんに隠れて出版各社のお偉いさんに枕営業、
若い女性作家をデビューさせない為に出版社にかけた圧力…あんた悪徳政治家?」
目の前にある浄玻璃の鏡に映る自分の行いを次々と見せつけられて、
街子は白い装束の下で全身に脂汗をかいた。
「それに、中学時代にあなたは同級生一人殺している。これはこれは最下層の地獄、阿鼻叫喚行きに等しいが」
と閻魔大王が手元のリモコンで浄玻璃の鏡の映像を街子の中学時代まで巻き戻しした。
じりりーん、じりりーん、と黒電話が鳴る。色白で小柄の、気弱そうな少女がおそるおそる受話器を取る。
「…返してよ」と少女は訴えるが、電話の相手は5分近く黙り、
「死ねよ」
と一言言ってから電話は切れる。少女はひとり、自室の、ベッドで泣き伏す。
少女が住む団地を見上げ、近くの公衆電話から楽しそうに見上げる工藤スミ子。
デビュー前の椚街子、14歳の頃である。
「この少女は自分の書いた小説のプロットを書いたノートを誰かに盗まれ、163回の嫌がらせ電話を受けた後、団地の非常階段から飛び降り自殺しました。
そして6年後、あなたは自殺した少女から盗んだ小説にちょこっと手を加えて出版社に売り込み、女子大生作家として華々しくデビューした…つまり、最初っから盗人で嘘つきで、人殺しだった訳だ」
と映し出された真実を感情を淡々と見つめて閻魔は笏を掲げた。
「あんた、最悪だな」と篁が軽蔑し切った目で街子を見て毒づいた。
「三回くらい膾《なます》にしても足りないんじゃない?」と孟子が冷笑を浮かべた。
「膾って…千切りにする気!?」と街子が孟子に向き直ると「おや膾の意味は知ってたんだ~」と完全に馬鹿にした口調で言った。
「あーあ、再審請求しなければ責め苦は軽くて済んだろうに。冥界のトップ3が罪業全部見たんだから、な~。大王、それに見合うお裁きを」
と両脇で孟子と篁が笏を持ち、恭しく閻魔大王に一礼した。
「判決、その方性邪なりて悪口雑言を以て人様を貶め、人生を狂わせた罪。
低俗な流行小説を書いて世間の人間の文化レベルを貶めた罪。
そして取材料と称した出版社からのぼったくりと架空の慈善団体に寄付をしたと偽った脱税、同級生を自殺に追いやった殺人の重罪で、現世に転生し、罪業の精算までそれを繰り返すものなり」
「え?転生?」
再び現世に生まれることが出来るの?地獄行きよりはマシじゃない!やっぱり70万の賄賂が効いたわね。
地獄の沙汰も金次第。ちょろいもんよ。
とほくそえむ街子の頭上に
「考えが甘いぞ」と閻魔大王の厳格な声が降りかかる。
「本当はな、現世で生きる方が地獄より辛いのだ。
輪廻転生システムとは転生先で犯した罪に相応しい苦難の運命を与えられて誕生し、決められた試練と苦痛を味わう仕組み。
己の愚かさに気づいてまことの善行を積む事によって罪業の浄化、つまり借金の返済が行われる。
街子よ、お前の次の生は嘘つきの二枚舌に相応しい『あさり貝』だ。一万回茹でられて味噌汁になって死ぬ死に方オプションも付けておいた。
一万回の死を経て次はロブスターに転生して五千回茹でられ死ぬ。
あ、オーストラリアでは調理前に甲殻類を安楽死させるのでその近海には生まれないようにするから。えーと、甲殻類を喰うのはなんだったかな~」
「シャチです、大王」
と篁が言うと「あ、いきなり哺乳類に格上げはまずいな、えーと次はカツオになって二千五百回は釣られてタタキにされ…やっぱりぽん酢だな」
「大王、仕事帰りにタタキで一杯やらない?」と孟子。
「私の好きなどぶろく出す店がいいな」と篁。二人の頭は完全にアフター5に飛んでいる。
「ふ、ふざけんじゃないわよ…そんないい加減な思い付きで輪廻転生の全てをコントロールしてんの!?何様よっ!」
「閻魔ですけど、何か?」
とあーもううるさい。と言った口調で大王が木槌を打ち鳴らすと、街子の床の足元が開き、叫び声を上げながら街子の魂は闇の向こうの「次の生」へと堕ちて行った。
あ、アズライルって「告死天使」って意味だった。
それが椚街子のヒトとしての最後の思考だった。
ああああぁ…!!!と地獄全フロアのスピーカーから「より過酷な生」へと堕ちて行く魂の叫びを聞くにつけ、責め苦を受けている亡者たちは、
ああ、転生を免れて本当に良かった…ここで我慢していれば年季が明けて解放されるんだもの。と束の間安堵するのだった。
「えー閻魔です。日夜、地獄での罪業の精算にいそしんでいる皆さん、さっきの悲鳴を忘れず粛々と責め苦を受けるように。なんたって輪廻転生による罪業浄化の超長期ローンの金利は、
闇金より重いのですから。以上、閻魔でしたー」
マイクのスイッチをOFFにすると閻魔大王は、時計を見ておやつタイムに入ったのを確認すると、
「さっきの落とし方、愛川欽也師匠みたいにはいかなかったな…やっぱりカツオには辛子醤油が合わね?」
と普段の軽薄な口調で部下たちに話しかけた。
「そーですね」