電波戦隊スイハンジャー#98
第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行
ケール畑でつかまえて1
「見て下さいサトルさま、こーんなに大きなケールが採れましたよ」
西園寺真理子は青々とした巨大なケールを両腕で抱えて汗ばんだ顔に溌剌とした笑みを広げた。
「ああ、僕がブレンドした土はミネラル豊富だから、通常のケールよりは苦味もえぐみも少ない」
8月19日の午後3時。悟と真理子は勝沼家が所有する広大な家庭菜園、
通称「サトルおぼっちゃまの実験農場」の一角でケールの収穫作業をしていた。
二人とも日除け帽に長袖のポロシャツ。悟はジャージのズボンに長靴、真理子は紺色のもんぺ姿とIt,sアグリカルチャー(農業)スタイルである。
ここは山梨県勝沼町にある勝沼酒造山梨本社南西にある農園。
一応勝沼酒造開発部長である悟は自社製品「凄の青汁」の改良のために使うケールを品種別に実験栽培している。
本社ビルに隣接する邸宅には創業者一族兼株主である「華麗なる一族」こと勝沼家の人々が住まう。
現社長で悟の父、弘と系列企業の健康食品メーカー勝沼ヘルスフーズ社長で悟の兄、基は東京に拠点を置いているため、山梨の実家に帰って来るのは月に1度か2度くらい。
妹の幸は海外事業部に所属し、世界各地を飛び回っていて盆と正月くらいしか帰って来ない。
従って…勝沼邸に現在住んでいるのは社長夫人で悟の母衿子と社長の次男悟、癌で自宅療養中の祖父の徳次郎会長、そして5月から居候になった薬師如来ルリオと…
「サトルさま、初摘みは青汁にいたしましょうか?」
共同経営者西園寺一族の令嬢で悟の「婚約者」、西園寺真理子27才も先月から悟の隣の部屋に住んでいるのだ。
そもそも悟自身、真理子と婚約しているのを知ったのは5月のゴールデンウイーク直後に農業青年隆文が本社を来訪したのがきっかけだった。
(実は悟がおびき寄せたのだが)そして自宅温室の中でわざとササニシキブルーに変身して隆文が変身したコシヒカリレッドに戦闘を仕掛けた。
それは全部古木の葡萄樹に隠れていたルリオを引きずり出し捕獲し使役契約をするためであった。ここまではよかったのだが…
実弾を使ってまでの狂言騒ぎの結果
(悟の行為は明らかに銃刀法違反なのですがこれはフィクションです)
「勝沼家のご令息を危険作業のヒーロー戦隊にするのは如何なものか」
という議題で本社会議室で家族会議が始まってしまい、大反対する父のせいで喧々囂々の騒ぎ。
同席する破目になった他人の隆文くんだけが「お、おら席を外した方がいーんだべか…」と気を遣う始末。
うっわあ純朴な青年!いーなー、自然いっぱいの所で毒気の無い両親に育てられたんだろうなー、羨ましいと悟は思った。
父さんを説得するのは面倒だなあーと困っていた所に高齢と癌で入院してたはずの祖父、徳次郎がその場に登場し
「薬師如来さまと小人の松五郎さまのおかげで勝沼酒造の隆盛はあるのじゃ、悟、御恩を返す時じゃ!」
と快諾してくださった。
ああやはり、祖父は小さい頃から自分の味方だったんだ…ヒーロースーツのマスクの下で悟は感涙しそーになった。
が、次の一言で崖っぷちに追い詰められた。
「ただし条件がある。お役目が終わったら西園寺真理子さんと結婚して会社を継ぐこと」
「え?」
「サトルさま…お慕い申しておりました」
祖父の後ろからもじもじと出て来た真理子から不意打ちの「告白」を受けた。
勝沼悟29才。人生初の「詰み」を喰らった瞬間である。次期社長?結婚?聞いてないよ…
あれから3か月以上経つが…悟は真理子の告白にちゃんとした返事をしていない。
そりゃ養育係だった君枝さんの娘さんで、兄妹のように育ってきたけどさ…
憎からずは思っているけどさ。確固とした「好き」を自覚してから返事をしなきゃいけないんじゃないかなー…
実はまだ悟は、初恋すらも知らない。村下孝蔵の唄じゃないけれど、愛という字書いて震えるって、何それ?って感じなのである。
真理子の方も相手が断れない状況下でごり押しみたいな告白をしたという自覚があるので焦らずに待ってくれている。
今時の女性にしては慎ましい、思いやりある子なのだ…このまま結婚しても幸せにはなれるのだろうな、とは思う、が。真理子さんをちゃんと好きになる為に、どうすればいいのだろうか?とふと悩む時間が最近増えた。
「そうだね真理子さん、初摘みケールの青汁は最高にうまい。バッテリーとジューサーと…アイスボックスに氷もあるし、軽トラの荷台から取って来る」
むにゅ、こりっ。
ポロシャツごしの背中になにかとっても柔らかい感触がした。同時に女性の汗の匂い…
「サトルさま…」真理子が、悟の背中に抱き付いて腰に手を回している。
なんかいい感触した…いい感触したー!!!
悟の頭は一転してパニック状態になった。
ばくばくばくばく…と心臓が口から飛び出しそうである。
ま、真理子さん?落ち着けサトル…落ち着くんだ。
今現在の真理子さんの行為は一見人間の雌の求愛行動とも取れる。と、いうことは…
真理子さんは今ここで「交尾」を求めてるのかー!?
でも、でも。ここはお外でしょ?真理子さんそんな開放的な人じゃないよね?よね?
「やっと、二人きりになれましたわね…」
自分の言葉に酔っているような真理子の甘い囁きが聞こえた。
やはり、迫られている。山梨の8月の戸外なのに悟の服は冷や汗でびっしょりだ。
むにゅ、は乳房の感触。こりっ。は、ち、乳首ぃ!?真理子さん、ブラ付けてないの?わざとこの状況を狙ってた、ってかあ!?
こ、ここは、男として答えてあげるべきなんだろうか?「ここではなんですから」と軽トラでラブホテルという密室へ移動し、ABCと手順を踏むべきなんだろうか?
やり方は知っているけど…今ここで告白しよう、僕はまだ童貞なんだ!
事の後で「なーんだ、がっかり」な反応されたら、どうしよう…
ああ、そんなほっぺたをすりすりされたら、体が意に反して「反応」してしまうではないか!
サトル落ち着くんだー!…助けて。神様仏様!
と悟の心の内の渾身の叫びが何処かに通じたのか。
悟の目の前の何もない空間から、褐色の男の両手がにょきっと伸びてきた。
(さあ、手を取りなさい)と頭の中で声が響いた。
渡りに船、地獄に仏とばかりに悟はその手に必死に縋り付いた。
ずるっ、と自分の体が舞台の緞帳を割って抜けるような感覚がして…悟は柔らかい草の上に倒れ込んでいる自分に気づいた。
暑い戸外から冷涼なさらっとした空気に満ちている空間…
しゃらん、しゃらん、と心地よい鈴の音が響き渡る。どこかの温室なのだろうか?
ドラゴンフルーツやマンゴーの実がたわわになっている果樹、百日紅の花が咲く木の幹にはジャスミンが巻き付いたり…季節が春と夏を混ぜたみたいだ。
立ち上がった悟の周りには大小の池があり、白、ピンク、紫の蓮の花がぱこん、と音を立てて開花している…。空気は白檀の慎ましい香りがした。
まさかここって、「西遊記」で聞いた極楽浄土とかじゃ、ないよね…?
「まさかじゃなくてその通りですよ」
若々しい男の声に振り返ると…中肉中背の褐色の青年が立っていた。アジアの修行僧が着るようなくすんだ橙色の衣を纏っている。
長い豊かな黒髪を後頭部あたりで束ね、髷を蝶々のように二つに分けている。余った髪は無造作に腰まで垂らしていた。
青年は端正な顔に小さな笑みを浮かべていた。
「貴方は誰ですか?」
青年は愉しげに答えた。
「いやだなあ、悟さんが呼んだんじゃないですか」
え?僕は確か神様仏様!と…
「前半の人たちは面白がって見てるタイプが多いですが、私は覗きの趣味はありません。むしろ助けたつもりです」
どうやら青年には悟の思考がつつぬけのようだ。
「はあ、もうどうしていいか分からず…とにかく助かりました」
「あのまま事に及んでも、却ってうまくいきませんよ。男女とはそういうものです。
特に悟さんは、真理子さんに対して大きな罪悪感がある。そこをなんとかしないと」
青年は踵を返して悟に付いて来るよう命じた。果樹の林を抜けて、四季の花々が咲きそろう花畑を歩いた。ぴーちちち、と小鳥が歌いながら青い空を渡る…
「美しい所ですねえ…」ちーん、りーん、と鳴る鉦の音でうっとりしそうになる。
花畑の中央では二人掛けのテーブルセット。ボーンチャイナのティーポットと3段のケーキスタンドに乗せたサンドウィッチ、スコーン、ペストリー(お菓子)
…英国式ティータイムの支度が整えられていた。
「私の趣味ですが、スリランカティーで良かったですか?」
青年がルビー色をした紅茶を丁寧にポットに注いだ。
「…はい、僕の好みです。やはりセイロンウバやスリランカティーの方がアジア人の口には合うと思います」
ですよね~と笑って青年は座るように悟に勧めた。
「あの、貴方はルリオと同じ仏族ですよね?その額に光るのは白毫…」
「はい、ゴータマ・シッダールタといいますが。いつもうちのヴァイシャ・ジャ・グルこと薬師如来がお世話になっております」
青年シッダールタは合掌して深いお辞儀をした。
これは凄い人に招待されてしまったな、と悟もつられて合掌して思った。
仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ王子、つまりブッダが目の前にいるのだから…。