伝説の父ちゃん・後

ハンさん41才、中国出身。

決して裕福な家庭では無かったが父はカンフーマスターとして生計を立て、ハンさんを日本の大学にまで留学させてくれた。

菌糸学者として30歳の時T大学大学院で博士号を取り、後輩留学生のリンさんと結婚して一人息子のコウくんが生まれた。

温かい家庭と日本での研究生活。ハンさんの人生は順風満帆。…なはずだった。

「僕が7才の時に知らないおじさんが来てね、

新種のキノコ山があるから共同研究の為に買ってくれないか?

って話で、父ちゃん有り金はたいて山買ったんだけど、そこは人より熊が多い危険な山でね、

10倍以上のお金を払った上に余ったお金は知らないおじさんが何処かへ持って行ってしまったんだ。

え、母ちゃん?買い物に行く、って山を降りてから3年帰って来てないよ。何処まで買い物行ったんだろね?」

と薪ストーブの中で燃えさかる紅い炎の光に照らされたコウくんがあまりにも真っ直ぐな瞳をしていたため、

「よ、養子にしたいぐらい健気な子だよ!」

とハンさんの後輩、勝沼は被っている毛布ごとコウくんを抱き締めた。

二人のハンター、野田さんと金井さんはどうやらこの山小屋の主、

ハンさんは詐欺に遭って財産のほとんどとを失い、妻に去られてしまったらしいという事を息子のコウくんの話で理解した。

「ハン先輩、色々大変でしたね…人間不信になるのは解ります。でも、貴方はコウくんを学校にもやらず危険極まりないこの山中にいつまで引きこもっている気なんですか?そろそろ一緒に山を下りませんか?」

と勝沼はコウくんを抱き寄せながら、

山小屋の床に薪を一本立ててそこに片手を乗せて逆立ちで瞑想しているハンさんに向かって咎め半分、宥め半分の感情が入り混じった瞳で、少し強い口調で言った。

「コウは渡さん、この山を、麓の人を熊から守って生きていく私はそう決めたんだ」

ハンさんは薪から降りて床に座り、さらにその薪を手刀で縦割りにする。

「それは完全な独りよがりです」勝沼の眼鏡のレンズが、炎の光を受けて紅くなっている。

あ、あのう…と金井さんが「菌糸学者ってなんですか?」と今更な質問をした。

「ざっくり言うとキノコ博士です。ハン先輩はキノコの品種改良を研究しています」

「そうか」と地元のおっさん二人は肯いて、急に今食っているハンさん手づくりのキノコ鍋の具に目を落とした。

ま、まさか俺たちも変なキノコ喰わされたんじゃ!?

「大丈夫、あなたたち二人の椀には普通のキノコしか入ってません…

ハン先輩、普通学者は自分や家族を被験者にしてデータを取る人でなしへの一線を越える所がありますが、コウくんに新種の冬中花草を食べさせていない。
ぎりぎりのところで人だったんですねえ…

でも、なんで僕には食わせたんです?」

ぴきぃーん、と勝沼の耳の奥で音が鳴り、心臓の鼓動が早まる。勝沼は喉を押さえてうずくまった。

お、おじさん!とコウくんが「ひどいじゃないか父ちゃん!」と父親をなじった。

「私はこの山で見つけた新種の冬中夏草を3年常食しているが、まだ死んでないし常人の5倍以上の代謝能力を得た。
サトルくん…君が2番目の被験者だ。

超人への道にようこそ、じきに苦しみは治まる」

「あんた結局後輩を実験台にしてる人でなしじゃないかー!!」

とハンター二人はハンさんを指さしして責めたが、同時に、小屋に迫りくる獣臭い臭いに気づいた。

ま、まさか熊…?

二人は散弾銃を構えたが、それはハンさんによって木の枝をびっしり詰められ、使えない物になっていた。

大きな生き物の吐息と、よだれを啜る音。鉄の筒を握ったまま二人は凍り付いた。

「熊の目線からすれば人は所詮食い物でしかない。自分のテリトリーにいきなり3人も食い物が入ってきたらなあ」

ようやく落ち着きを取り戻した勝沼の眼は余裕の色さえたたえ、その胸板は、ダウンジャケットの下に着ているセーターとシャツをぶち破るくらい分厚くなっている。

「とうとうこの山のヌシが私たちを襲いに来た。サトルくん、彼を失神させるには君の強力が必要だ」

そう言ってハンさんが山小屋の扉を開けると、外には、ハンター二人が今まで仕留めてきたやつの二倍の大きさの巨大熊が、今まさに食い物5人に襲いかかろうと立ち上がってその爪をハンさんに振り落とした。

「はあああっ!!」と熊の腕を払い落として喉に手刀を差し込み、何発か当て身を喰らわせたが、筋肉の厚さ硬さが今までの相手と違う。

ちいいっ、苦戦するか、よくて相打ちか?

ハンさんの心に初めて恐怖の感情がよぎった時、突如巨大熊の体が揺らいだ。

「待たせましたね」上半身裸の勝沼が5倍の身体能力を得て、熊に延髄蹴りを喰らわせたのだ。

「サトルくん…!」

「全て僕の筋書き通りです。知ってて新種のキノコを食したのは、自分で効果を確かめるため、安心して下さい…少林寺拳法の型は全て僕の頭に入っている!」
「よし、あと10数発でこいつは倒れる!一緒に戦おう」
「サトル、いきまーす!ちええええぃっ!!!」
「うわたあああああっ!!!」
「父ちゃんかっこいー!」

こいつ、知ってて自らヤバいキノコを喰らったのかー!

ハンター二人は目の前の恐ろしい光景が急に馬鹿馬鹿しい格闘ものに変わっていくのを受け容れるしかなかった。

もはやアホ&アホ二人の共闘と熊の闘いを見守るだけ…

ハンさんが胸部に5発ずつ、勝沼が延髄に5発ずつ当て身を喰らわせてようやく巨大熊は倒れた。

「さあ、この山では部外者は僕達の方、早くこの子が目覚めぬ内に一緒に山を下りましょう」

とキノコの効き目が切れて元の体型に戻った勝沼がハンさんを説得して5人はタイヤを付け替えた車で山を下りた。

「あ、そうそう」と後部座席でコウくんを膝に乗せたままこれからどうすればいいのか…とうなだれるハンさんに勝沼が渡したのは額を書いていない小切手。

「先輩、あなたが発見して品種改良させたキノコの特許申請してから滋養強壮サプリとして売り出したい、と当社はかなり前向きに検討しています。

つまり、勝沼フーズによるまるっと買いになる訳なんですが、好きな額を書いてください。あ、ゼロ8つ以下は駄目ですよ」

ゼロ8つ、って億単位!?この若者は…社名もどっかで聞いたような。

「失礼、僕の父は勝沼酒造社長、勝沼弘《かつぬまひろむ》。僕はその次男です」

業界売り上げナンバーワンの酒類、清涼飲料水、健康食品メーカー、勝沼ホールディングスグループの本社の名前と自分の素性を明かした勝沼は、照れくさそうに鼻の頭を掻いて眼鏡をずり上げた。

…こうして、ハンさんは山梨県にある勝沼生命科学研究所に職を得て、コウくんも学校に入って友達も増えて笑顔で過ごしている。

いつか、アイアンマンみたいな正義の味方を作りたいと夢を語るコウくんの学力なら、遠くない将来アイアンマンでもアンパンマンでも作れるだろう。

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