嵯峨野の月#133 円仁の旅・迫害
第六章 嵯峨野16
円仁の旅・迫害
あの昏い道をくぐり抜ければ、きっと次の道標が見える。
松明の明かりを頼りに山道を登っていく彼の心に不思議と怖さも迷いも無かった。
頂に建つ庵の戸を夢中で叩いて寺男に通された部屋でまるで彼が来るのを待っていたかのように徳一和尚が出迎えてくれた。
「もしかしたらお前が来るんじゃないか、と思ってな。最澄の秘蔵っ子円仁よ」
師僧の長年の論敵にして法相宗を束ねる高僧を前に円仁は思い切って、
「この間のことでは、全く徳一さまの仰る通りだと思います。
…残念ながらわが師最澄は己が独善に拘り、周りの人々を大切にしないからほかの宗派から憎まれるのです。これには我々弟子たちも辟易しております」
と長い間心に秘めていて本音を口にした。
これを言わなければ今まで自分が信じていたものが全て崩れ落ちてしまいそうな位、
円仁も絶望していたのである。
それは天台宗布教のために師最澄に伴い、東国に赴いて里の人々の暮らしを視察した日のこと。
彼らが目にしたのはは飢饉に見舞われ、米はお上に徴収されて食いつなぐ雑穀もあと僅かな農民たちがやせ細った体に虚ろな目で徳一自らが指揮する粥の支給に列を成す光景だった…
徳一は最澄を一瞥すると、
「詭弁の師最澄よ、この有様を見よ!
この里では佛の有難い言葉も、信じればすべての衆生が救われるという天台の教えも、無駄だ。
今ここで必要なものは命を繋ぐ一杯の粥だけ…現状を思い知って疾く去るが良い」
と言ってその場で説法しようとする最澄を追い返した。
他の集落に回って説法しようとしても「飢えも知らない坊主の言葉で腹が膨らむかよ!」と村人に石を投げられ、或いは手持ちの食料を奪われそうになって這う這うの体で逃げだすを繰り返し、
結局、師最澄が東国で行った事は「なあに、今は救われなくともいずれが経てば受け入れられるさ」と各地に石基を建てただけ。
ああ、この御方は現世に居ながら現世を見ていない…
九歳から師事してきた師僧への尊敬が失望に変わっていきそうな出来事だった。
灯火の芯がじじじ…と音を立てて燃え、慌てて油を注ぎ足してから円仁の本音を全て受け止めた徳一は「おまえ面白いな」とまるで新しい遊びを覚えた子供のように含み笑いをすると、
「最澄の弟子の中で初めて話が出来る男に出会えた。なあ…もし自分のやってることに絶望したなら空海に会ってみないか?お前の視野を一気に広げてくれる男だ」
とあろうことに師僧の仇敵に等しい空海阿闍梨への面会を勧めるではないか。とんでもない!と首を振った円仁は
「泰範阿闍梨のように宗旨替えは出来ません!」
と丁重に断り、「あの…今言ったことは師にはご内密に」と口止めをお願いして夜が明けて最澄が目覚める前に、と辞去する彼を
「最澄には言わぬしもう会うことも無い。それだけは守る。けれどな」と読経で鍛えた張りのある声と意味深な笑顔で見送ってくれた。
徳一和尚との一回きりの対話と彼の最後の言葉、
けれどな。
の意味を円仁が知ったのはその二十四年後の開成五年(840年)冬。
辿り着いた大唐帝国首都、長安にて国寺である大興善寺の元政和尚から灌頂を受け金剛界大法を授かり、かつて空海が秘法伝授された青龍寺の住職の義真からも灌頂を受けて胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授かり、大陸より持ち帰るべき三つのものの内二つ目。
長安にて密教の両部灌頂を受け、正式な阿闍梨号を授かること。
を果たした日の数日後、青龍寺を出る前日に義真が開いてくれた送別の宴で
「実は拙僧は亡き師、義操阿闍梨(恵果阿闍梨より空海と同時に両部灌頂を授かる)からひととおりの秘法は授かっていても、本当の密教後継者ではないのです」
と円仁のすぐ横で誰にも聞こえないように声を潜めて告白してくれた。
「え…それでは義操阿闍梨は正式な後継者を決めずに亡くなられたと?」
と眉を広げる円仁にはい…と済まなそうに義真は首をすぼめ、
「天竺由来の密教では正式な継承者が後継者を決める時、
出会ったその瞬間に解るからその者以外に秘法を授けるな。
という不文律があるのです。国師の寺である青龍寺の体面を保つために義操阿闍梨は『いつか出会う正統後継者』のために拙僧に全てを教えて下さいましたが…いやはやそれがあなただとは。
これで密教が滅びずに済む。と寺のもの皆安堵いたしております…」
「お、お待ちください、私が密教の正統後継者ですって!?」
と狼狽えた円仁に義真は「拙僧はあなたの後背から立ち昇る清浄なる炎を見てああ、出会えば解るというのは本当だったのだな、あなたこそ正統後継者だ。と思って全てを伝授したつもりなのですが…空海阿闍梨から何も言われてなかったのですか?」
と、唖然とした顔を向け、生前「空海阿闍梨は自覚のない本物だったよ」と褐色のお顔に苦笑を浮かべた師、義操を思い出し、
成程、自覚の無い本物がここにまた一人。
とやっぱり苦笑したのだった。
けれどな、空海阿闍梨にはお前のこと話してしまったんだよ。
甥の智泉が密教の継承者でなかった無念は解るが、宗派の壁を越えて円仁に会って来い。
もしかしたらもしかするやもしれんぞ。
と徳一和尚は空海阿闍梨に話してしまったに違いない。
そうでなければ空海阿闍梨が延暦寺に乗り込んで来た時、一目で私が円仁だとわかる訳ないではないか…
空海阿闍梨との縁はあの東国での夜、自分自身で結んでしまったのだ。
と思わざるを得ない円仁であった。
長安の絵師・王恵に代価六千文で描かせた金剛界曼荼羅が完成し、受け取ったその日の夜見た夢に生前と変わらぬ水色の帽子を被った姿最澄が現れた。
円仁が膝を付いて合掌しようとすると最澄は慌てて彼を止め、
「私には生前至らぬところが多々あり、それで弟子たちに苦労をかけました…円仁よ、貴方はよくぞ天台宗の悲願を果たしてくれました」
と目の前に広げて見せた金剛界曼荼羅を見て涙し、
「大勇金剛(日ノ本で灌頂を受けた時の法名)よ、今ではあなたが私の師である」
と円仁に膝を付いて合掌した。
そんな、お顔を上げて下さい!と言おうとした所で円仁は目覚めた。真夜中だった。
この頃の長安は政情不安のさなか賊が蔓延り、窃盗や放火が日常茶飯事であった。
密教の秘法と宝物を授かった円仁の噂は都中に広がっていて、空海阿闍梨に続いて
またもや倭人が国家守護の教えを掠め取るのか。…
という唐人たちの反感を一身に買った円仁の身にこの時危険が迫っていた。
じり…じり、と音を立てぬようにひとりの道士が刀を手に円仁に近づいていた。
しかし、標的が急に目覚めて床から半身を起こしたので道士は怯み、慌てて刀を振り下ろそうとした。その時、
円仁が枕元に大事に置いていた霊仙三蔵の背負い櫃がぱん!と音を立てて開き、日ノ本の庶民の格好をした若者が両手に百八の珠の数珠を掲げて円仁を庇うように道士の前に立ち塞がった。
彼の手が結ぶのは胸の前で、左手をこぶしに握って人さし指だけ立て、それを右手で握る金剛界の大日如来の結ぶ印であり無明妄想を滅ぼす智拳印。
もしや、日来根(霊仙の本名)さま⁉︎
と起き上がって床から降り立った円仁に若者はくすりと笑って振り返り、
(我のするようにやってみよ。お前には既にそれだけの法力がある)
と彼の心に呼びかけたので道士に向かって袖の中に隠した智拳印を組むとすぐに
「のうまく・さんまんだばざらだん・せんだ・まかろしゃだ・そわたや・うんたらた・かんまん!」
と真言を唱えながら道士に念を飛ばすと相手は放心して刀を取り落とし、仰向けに倒れた。
(意識を飛ばしただけだ。旅の終わりまで「式」としてお前を守るゆえ)
と戸口から差し込む朝焼けの中で日来根の姿は消え、代わりに見張り番をしていた新羅の男たちが
「油断して入らせてしまってすいません!」と円仁に詫びると道士の首根っこを掴んで何処かへ連れ去ってくれた。
役人に引き渡されるのかそのまま彼らに殺されるのかはもう預かり知らぬ。
ああ、大陸に来てからの私を助けてくれたのはいつも在唐の新羅人だった…
その中でも最大の恩人である新羅商船団頭目、張宝高の暗殺が知らされたのはほんの数日前のことだった。
張宝高。
彼は元は勇猛な海将であり、さらには在唐大使として最も新羅に頼られながらも、力を持ちすぎて王家を簒奪するやも。と恐れられていた男。
聞けば故国の政変で彼の元に逃げてきた文聖王に頼られ、「勝ったら娘を嫁にやる」と約束されて海戦を仕掛けて勝ち、文聖王を王座に返り咲かせたが
「賎民の出の男に娘をやる訳ないではないか」
と手のひらを返され、激怒して簒奪覚悟の海戦を仕掛けて優勢だったが、王家の放った暗殺者に刺されて息耐えたという。
「ざまあねえなあ…手下の誇りのために闘ったつもりが、油断しちまったぜ…」
が血の泡を吐きながら倒れた彼の最期の言葉だった。と彼の部下から聞かされた。
「身分身分で窮屈になった新羅を飛び出した侠客同然の俺たちに仕事と役目を与えて下さったのが張宝高のお頭だった…
故国は俺たちを逆賊扱いして締め付けが厳しくなるかもしれねえ、けれど、お頭の遺言通り帰国まであんたたちを守るぜ!」
この一言で張宝高が彼らを如何に大切にしてきたかが解った。
張宝高どの。
思えばこの唐土で頼るのは貴方しか居ない。と赤山法華院であなたにお会いした時、
「俺はねえ、百年以上も前の古い型の船で外海を渡ってきた倭国使節を意地でも冊封を受けない馬鹿野郎だと思っている。
でもねえ、俺は唐国の犬になってしまった自分の故国よりも命を賭けて不跪を選んだ馬鹿野郎の倭人ども、その中でも不法滞在を決め込んだ一番の馬鹿野郎のあんたが大好きだから何でも世話したくなったんだよ」
と講堂に集まった在唐新羅人会の重鎮たち。彼らが円仁と惟暁を値踏みするように厳しい目つきで見つめる中、張だけは親しい友人のようにくだけた口調で円仁に話しかけてくれた。
「俺は賤民の生まれで子供の頃親を戦で殺され、食うために武人になった。
そんな何もないところから始まった俺がこうして大国唐で威張っていられるのは武人としての功と商いで成功して得た財力があるからだ。
人員、土地、官位、唐では全て金で贖えるぜぇ…」
張はいきなりばっ!と両手のひらを円仁の前に広げて見せた。短くて太い指先が力強く内側に曲がりまるで目に見えない何かを掴もうとするかのように見えた。
「では、宝高どのは新羅も唐土も金で贖って、その先何を贖うおつもりなのですか?」
と円仁が問うと宝高は自分の野心を見透かした目の前の僧侶をしばらく無言で見つめたのち、ひとつ強く頷いてから、
「この世で一番大事なものは子供と若者だ。俺は大陸中に学舎を建てて身分も出身国も問わず、学問を教えて人材を育て…未来を贖う!」
とこれから何百年先を見据えた自分の展望を語った宝高の眼は無垢な子供のように澄んでいた。
途端に周囲の配下たちがはっはっは!と額に手を当てて大笑いし、
「結局お頭が一番の大馬鹿野郎じゃねえか!でもそんなお頭だからこそ俺たちついてきたんだぜえ」
と一気に場が和んだ中、宝高はにたり、と笑い
「偽造だけど役人にたくさん賄賂つかませて作らせたんだから。本物よりも効力あるなんて笑っちまうよなあ」
と唐国内なら何処でも通行できる許可証を円仁に手渡したのであった。
彼は武将というよりはまるで侠(身を顧みずに弱い者を助けること)の気風を持つ、魅力あふれる男だった。
志半ばで斃れた彼だが、もし、彼が大願果たしていたらきっと大陸は今後数百年は面白いことになっていただろうと円仁は思う。
この年の初め、宦官撲滅を謀ったものの失敗に終わり幽閉されていた文宗皇帝が三十三歳の若さで崩御し、
次に即位した皇帝、武宗は道教に傾斜して宮中に道士を入れ、道教保護の一方で教団が肥大化していた仏教や、景教などの外来宗教に対する弾圧を始めた。
元号が会昌になった翌年から起こったので、これを会昌の廃仏という。
円仁たちは長安にいる他の外国人僧らとともに捕縛されて軍衡に収容され、寺から出る事も許されず長安に留まった。
その間会昌元年夏から唐朝に帰国を百余度も願い出るが悉く拒否され、許可を待ち続けること…
実に五年。
長い監禁生活で弟子の惟暁が病に倒れ、
「…もう、私のことなんてどうでもいいのです…円仁さまと曼荼羅が海を渡り比叡山に帰る事だけを願って…おります」
と痩せ細った両腕で師僧の手を取り、うすく微笑みながら惟暁は逝った。
その間朝廷は唐土の寺を打ち壊し、仏像は解体されて金箔を剥がされ、重量を測って商人に売ってすべて貨幣に変えた。
「言っとくけど、外国人僧のあなた方の処遇はまだましな方だよ。唐人の僧は無理やり還俗させられ、奴婢として労役に駆り出されている。じつにあさましい所業だよなあ…これが天子さまのする事か?」
と見張り番の軍人が問わず語りに円仁たちに世間の有様を教えてくれた。
彼も今まで信じてきたものを物理的に悉く破壊されてどう生きたらいいか解らない、といった困惑した顔を隠せないでいた。
惟暁。私は絶対にお前を無駄死にさせたりはしない!何をどうしてでも故国に帰ってやる!
この腐れ唐国に甘やかされて乱暴狼藉を働く腐れ道士どもよ。教えを守らず平気で他者を責め苛むお前たちは本当の教えの弟子なんかではない。
お前たちがあがめる老子先生はとっくに牛に乗って唐国を見捨てて出て行ってしまったさ!
愛弟子を亡くし決意新たにした円仁が決して絶望しなかったのは、己が目にした数多の理不尽への、火山が噴火するような怒りが彼を支えていたからだった。
そしてとうとう外国人僧を還俗させて追放させよ。という勅が下り、図らずも国外追放という形で円仁は帰国の途に着く。
会昌五年(845年5月15日)
これだけは国に持ち帰るべき経典と宝物を積んだ荷車と共に真夜中の長安から出立した時も、見送ってくれた人々のほとんどは新羅人だった。
密教の継承者として堂々と旅立つのではなく、賊を恐れて闇に紛れて逃げ出すとはな…と還俗させられ髪を伸ばし、庶民の服を着せられた円仁、この時五十歳。
空海より託された使命、霊仙三蔵の御霊。青龍寺での両部灌頂。そして倭国の天台宗に欠けていた金剛界曼荼羅図を持ち帰ること。
の全てを果たした円仁はもう唐土に用は無し、と思い後はどんな手を使ってでも船に乗って帰国する事だけを目的としていた。
その後歩くこと百七日間、山東半島の新羅人の町、赤山まで歩いて戻った円仁はそこで張宝高の部下を頼ってみるも、
宝高亡き後唐での新羅人の力は弱まり、密告により新造してもらった船に乗れなかったり、円仁の消息を知った故国より金が送られるも通訳に使い込まれていたりした。
こうなったらもう誰にも頼らず自分で帰りの船を探すしかない。
と思った矢先の事である。倭国から来たという若い僧が客人として現れ、
「ああ…その一直線に近い太い眉!あなた様は円仁和尚ですね?」
と涙を流しながら彼に合掌した。
彼の名は性海、
円仁が生きている。という消息の文一つを頼りに
日ノ本から彼を迎えに来た比叡山の僧である。
久しぶりに聞く日ノ本の言葉の懐かしい響きに円仁は性海を抱き締め、
「あの時見習いの稚児だったあなたが、随分大きくなったもんですねえ…」
とはらはらと涙を流した。
「安心なさって下さい、拙僧は国の使節。もう円仁さまを苦しめる事はありません…今度こそ、本当に帰りましょう」
こうして二人は楚州で新羅人通訳の劉慎言を雇って帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガル)、
彼の見つけた新羅商人、金珍の貿易船に便乗して帰国する運びとなった。乗船直前に円仁は再出家し、新しい僧服に身を包んで船に乗り込んだ。
「商いをしながら半島を巡り、倭国に向かうから九十日の船旅になるけどいいのですかい?」
と申し訳なさそうに金珍が尋ねると、
「いいのだ、確実に帰れるのだから。結局は上手く行ったさ」
と本来の姿に戻れたので生まれ変わったようにさっぱりした円仁は笑い、船上で大陸に背中を向けると…
二度と振り返る事は無かった。
エピソード「最後の遣唐使」終
後記
周辺諸国の王朝が次々と滅んでいく時代背景の中、日の本は国風文化へと突き進む。
張宝高は個人的に好きなキャラなので出番を増やしました。