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電波戦隊スイハンジャー#154 龍神様と私1
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
龍神様と私1
夜も8時半を回ったところで榎本葉子はバイオリンの練習を止めて、弓とバイオリンをケースにしまうと、こきっ、と首を鳴らした。
あかんあかん、夜は早く寝るよう立花先生から叱られたばかりやないか。
いまからお風呂入って、10時過ぎにはベッドに入ってしまおう…と凝った首筋を右手でほぐす。
「葉子、ちょっとええか?」
と練習の終わりを待ってた祖父ミュラーが扉をノックした。
ええよ、と言うとミュラーは片手にクッキーとホットミルクを載せたトレイを持って入って来た。
「あんまり根詰めるな。きらーくにコンクール出場すればええだけの話や」
でもおじいちゃん、と言って葉子はベッドに腰掛ける。
「本選近くなるとなんや、気が急いてしまうねん…ドキドキするんや」
階下で葉子の演奏を聴いていたミュラーはトレイを葉子の学習机に置くと、自分は椅子に腰かけて葉子と目線が合うようにわざと背中を丸めて言った。
「腕は確実に上がってるから心配するな。
だが、時々『律』が急いでいるな。もちっと精神的に余裕持たなあかん」
飲め、と言ってミュラーは葉子にホットミルクの入ったマグカップを渡した。
長年多くの奏者と指揮者を教育してきたミュラーは、奏者の中の脳内リズムを「律」と呼ぶ。
奏者の努力、懈怠、慢心は全て、「律」となって出す音に現れて耳の肥えた聴衆には解ってしまうのだ、いうのがミュラーの持論である。
蜂蜜入りのホットミルクは甘く温かく、葉子の疲れを癒してくれる。
葉子が10才になった時「お母ちゃんみたいなソリストになる!」と宣言したので、ミュラーは葉子の教育方針を真剣に考えなくては、と思った。
ミュラーは孫娘に、モーツァルトやベートーベンら作曲者が楽譜に記した「こう弾いてほしい」という想いを汲み取れるような、誠実な演奏者になって欲しいと思っている。
そのためには普通の学生生活を送り、友達と楽しく過ごして人格を形成し、音大を卒業したら楽団と契約して地道に腕を磨く事だ。
なまじ幼い頃から天才だ神童だと呼ばれ、マスコミで華々しく取り上げられてきたようなソリストは、年を取ると脳内の「律」が自分本位になり、荒れた演奏をするようになる。
オーケストラの世界で見事な調和を生み出すソリストは、人格も成熟しているものだ。
そう、早逝した親友、祥次郎のように…
とふと祥次郎とオーケストラで組んでいた日々を思い出し、ミュラーが口元に笑みを浮かべた時である。
葉子の触覚みたいな二本のくせっ毛がぴこん!と跳ね、アンテナのように窓の外に向いた。
おいおい、昔のテレビのアンテナやないんやから、と思ってミュラーも葉子がするように窓の外を見た。
…ここは葉子もミュラーも、ただ硬直するしかなかった。
窓いっぱいに、青い龍の顔面がこちらを覗いているのだから!
(ちょいと、お邪魔してもよろしいでんすか?)
と丸っこい目をした龍は昔の江戸なまりで二人の頭の中に語りかけた。
あう、あう、と言葉も無く頷く少女と老人の動作を了承と受け取って龍は窓のガラスをすいーっと通り抜けて室内に入って来る。
見た目は青い龍だが、実体は水の塊で出来ている龍体を、入る途中で長さ2メートルぐらいに縮めていく。
ああ、部屋のサイズに体を合わせてくれるんやな。
なかなか気の利いた龍やないか。と葉子は見て思った。
(このなりじゃお話も面倒ですから、私もあなたがたに合わせますね)
と龍は言うなり、体中の水の組成を組み替え、たちまち葉子と同じ体格の人間の少女の姿になった。
「初めまして、わたくし、こういう者でんす」
と水龍神カヤ・ナルミは和紙で出来た名刺を葉子とミュラーに渡した。
「はあ、水龍神さまですか…なんか舞妓はんの名刺みたいやな」と感想を述べるミュラーに対して、
「私の来訪を驚かないのですね、ご老人」
とナルミは清らかな湖面みたいな青い瞳でミュラーを見る。
「ご老人ではなくクラウスという名がある」
ではクラウスさん、とナルミは訂正した。
「やはり、異星人の子孫であるこの少女を育てているからでんすか?」
「…その話はガブちゃんから聞いた。どこの星の、なんて種族かはトップシークレットらしい」
「ガブちゃんって大天使ガブリエルさん?」
そうか、それなら自分も迂闊にこの子には話せないな、とナルミは思い直し、自分のセーラー服の青いスカーフをいじりながらもじもじしている。
青い髪、青い目、青いセーラー服。波でチャプチャプ…やなくて!
「それより龍神はん、何しに来たん!?」
ナルミはぽっと顔を赤らめて
「お願いでんす、お嬢さんの洋服を少し分けてもらえませんか?私にはこのセーラー服しかなくて…」
と実に女の子らしい目的で来たことを明かし葉子に向かって土下座をした。
しゃーないな、もう!と葉子が部屋のウォークインクローゼットの戸を全開にすると、そこには洋服がみっしりといった感じで吊るされている。
「うわあ…さすがは鴨川沿いの家に住むお金持ち!クラウスさん、この家に何億ぶっ込んだんで?」
「いやあ、前の持ち主が早う手放したがってたから市場では言えない破格で…」
と自慢げにナルミに価格を耳打ちするミュラーに
「おじいちゃん、生々しいカネの話はやめてー!」
と葉子は服を選びながら本当に嫌そうに叫んだ。
とりあえず、ワンピース、スカート、ブラウスなどを5着ずつ選んでナルミに試着させるために祖父を部屋から閉め出した。
「とりあえずサイズ合うかどうか着て見て」
と「スカートは膝下五センチ、お嬢様の秋の装い」を何通りかコーディネートしてナルミに試着させ、
ナルミ自身が気に入った服をデパートの紙袋3つ分詰めて渡してあげると、ナルミはきゃあきゃあ!と少女らしい歓声を上げて、
「恩に来ます!…また遊びに来てもいいでんすか?」
とひげに紙袋下げた龍神の姿で礼を述べた。
「ええよ、季節が変わったらまた服いるだろうし」
と葉子は鷹揚に肯いて、窓から出て行って空を上る龍神の青く光る姿を見送った。
ナルミちゃん、どこに住んでるんやろね?と余計な心配をしながら葉子がスタンドミラーを片付けようとした時、
銀色に光る輪っかを床の上に見つけた。
ナルミちゃんがはめていたバングルなのだろう、と葉子は輪っかを拾い上げた。
どうやら3つのアーチを組み合わせて腕輪になる仕組みらしい。
可愛いデザインやな、どうせナルミちゃん来るからその時返せばいい、と深く考えもせず葉子は学習机の上にそれを置いた。
「葉子ー、早くお風呂入りなさいー」
と階下でミュラーの妻、孝子が呼んでいる。
はあい、と返事して葉子はパジャマとタオルを持って部屋を出て行った。
後記
名刺を渡す龍神。葉子ちゃん、衣装もちです。