
果てのうるまのしらはま荘#11 八重山歌垣
2003年8月4日は旧暦七夕の夜。
ここ日本最南端の波照間島の夜空には巨大な天の川が横たわり、周囲の星々も夜のとばりの闇を埋め尽くすかのように強く輝いている。
七夕の夜にしか逢えないと云われる織姫と彦星も波照間島では毎夜逢瀬し放題なのに。と思わせる位の星の密度であった。
精魂尽きて自分のマブイを見失い、この島まで逃げて来た経緯を話し切った京子さんに桂教授は、
「…では、京子さんは初恋の人を死なせた上司に対して敢えて報復をしようと、何もかも承知で自ら加害者になったんだね?」
はい、と京子さんは深くうなずいてから顔を上げた。その顔は何か憑き物が落ちたようにすっきりとして、凛とした美しい顔。
この人はこんな顔をしていただろうか?いや、これが本来の京子さんの顔なのだ。
とエーシンは思った。
石垣島の離島桟橋で船を待つ観光客の中で京子さんは、全てを拒絶しているかのように頑なで、それでいてとても寂しそうに見えた。
エーシンが京子さんに声を掛けたのは、もしや最果ての島で早まったことをしでかしやしないか?と心配になったからだ。
この人をいま決して一人にしてはいけない。
としつこいと思われるの覚悟でエーシンは京子さんに張り付いた。
彼女の宿が自分の実家だと知るとこれは運命だと思った。
「今の私には天の川の星の一つ一つが死んだ人たちの魂のように見えて仕方がないんです。
自分で人生終わらせた人や、
家族のために働いて自分が本当にやりたいこと一つも出来ずに逝った人、
まだ寿命があった筈なのに不慮の事故や事件で人生閉ざされてしまった人々が、
自分はここにいるんだぞ!
と生者に呼びかけているから日本の果てのこの島ではこんなに強く輝くのだと思うんです」
星空ライブの空の下、京子さんの言葉で天の川は黄泉の河であり、七夕とは生者と死者の邂逅なのかもしれない。
とステージの波照間栄二をはじめ息子の栄進、栄昇、と民宿しらはま荘の6人の観客は思った。
京子さんは初恋の人タカヒロくんを、
野上くんは育ての親で去年世を去った鉄太郎おじいちゃんを、
そしてエーシンは一昨年のライブ中に目の前で撃たれたバンド仲間ジェニファーを。
真っ先に目に入った星に見立ててそれぞれの想いで見上げた。
BGMがわりに月ぬ美しゃを伴奏していた波照間栄二は突然何を思ったか
「栄進、お前唄え!」
とマイクに接近して叫んだのでハウリングが起こってきーん!!と音が鳴り全員耳を塞いだ。
「人生ってのは生きている内に輝ききるもんだ、つまりは完全燃焼っ!今ここで魂から求めるもののために唄わなくてどうする!?お前一生後悔するぞ!」
父のその一言でエーシンは肚を決めた。
震える脚を無理矢理ステージに向かわせ、ウッドデッキの階段を登りきると父の三線を受け取り、親指に撥を差し込んでからふーっ…と深呼吸する。
「京子さん」
とエーシンはマイクごしに呼びかけてから糸を弾いた。
てぃん、とぅん、とぅん、たん、
てぃん、とぅん、とぅん、たん、
「とぅばらーまだ」
京子の横で栄昇が上ずった声で呟く。
「とぅばらーまはこの八重山では真心を伝える歌だから、京子さんには真剣に聞いて欲しいんです」
と栄昇の本気のお願いに京子さんは「解りました」としっかりうなずいた。
とぅばらーま。
それは沖縄八重山諸島に古くから伝わる叙情歌で農作業の帰りや夜、男女が自分の恋心を歌に込めて想い人に伝え合う南の島の歌垣。
月《つくぃ》とぅ太陽《てぃだ》とぅや ゆぬ道《みつぃ》通りょうる
かぬしゃま心《くくる》ん 一道《ぴとぅみつぃ》ありたぼり
んぞーしぬ かぬしゃまよ…
(月と太陽とは同じ道を通られる
あなたの心もひとつ道でありますように
愛しい人よ)
張りのあるよく通る声は感情を抑えてはいるが、それでいて本気で愛しい人に出会えた!という歓喜を隠しきれない。
そんなエーシンの歌声だった。
二句目、エーシンは即興の歌詞で
清さも濁りも 抱きつつ
果てのうるまに来たあなた
傷と弱さを 知りつつも
そんなあなたに抱《いだ》きたい…
てぃん、とぅん、とぅん、たん、
てぃん、とぅん、とぅん、たん、
人間30年生きてきたらいいとこも悪いこともしてしまうよ。
それを知ってしまってもなお、
あなたが好きです。
という内容だった。
不意に、京子さんの心が震え、これまでの傷の記憶ががエーシンの奏でる旋律に弾かれて溶けて消えていく…
そんな素敵な演奏と唄だった。
この島に来て本当に良かった。と京子さんは涙を流しながら思った。
とぅばらーまを生まれて初めて聴いた京子さんは心のままに
八重垣 真垣 海越えて
出会えた 素敵な 歌びとよ
島ぬ風に 抱かれて
共に 傷を癒しましょう…
演奏の手を止めたエーシンは大きく目を瞪り、父親に三線を押し付けてステージを駆け降りて京子さんの目の前に立つと、
「そ、それはオッケーってことですか!?」
と両手で心臓を押さえて返事を待った。
えー…と京子さんは照れ臭そうに髪をかき上げながら、
「あなたの真剣な気持ちは伝わりました。こんな私で良かったら…電話番号とメールアドレス交換して、
お友達から始めましょう」
都会の女子はガードが固っ!
とエーシンは後ろにのけ反り、二人を囲んだ旅行客は大笑いした。
でも、ここで笑って受け入れなければ男ではない。
「わかりました」
と携帯電話をジーンズのポッケから出してお互いに赤外線交換をした。
こうして
凶弾を受けてライブ恐怖症になっていたギタリスト、波照間・ジェームス・栄進は父親の檄と本気の恋心でステージ復帰を果たし、
燃え尽き症候群の精神科医、鍛冶京子は波照間の自然と優しい男の真心に触れて生きる気力を取り戻す。
という旧暦七夕の奇跡が起こった…
夜中一時。
ライブから帰った波照間兄弟と泊まり客は全員眠っている。
明日出立する泊まり客に向かって克子オバアが三線を弾いて子守唄がわりに孫たちに歌ってあげていた「月ぬ美しゃ」を優しく優しく唄っていた。
月《つき》ぬ美《かい》しゃ 十日三日《とぅかみっか》
女童《みやらび》美《かい》しゃ 十七《とおなな》ツ
(月が最も美しい十三夜
乙女が最も美しい十七歳)
「ほーいちょーが」
わったーは波照間島にお嫁に来る前、本島の基地の近くで実家が食堂をしていてねえ。
なぜか気のいい米兵さんたちがお母さんやわったーの作ったチャンプルーを食べによく来たもんよ。
「温かいお母さんの味作ってクダサイ」
と片言の日本語で注文してサァ、
ウィリアム、ベンジャミン、サミュエル、アンソニー。あとローレンス。
みんな、みんな戦場に行って戻って来なかった。
こうして来ては去り、来ては去る人々をもてなすのがわったーの生涯の仕事なのサァ…