電波戦隊スイハンジャー#82
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘
メタモルフォーゼ2
長い闇をさすらった後で銀色の光に導かれ、橙色の炎に包まれるというなんだかファンタジックな夢の後で榎本葉子は、京都の自宅のベッドで目覚めた。
ああやっぱり、夢ってのはほとんど忘れてしまうものなんやな…
すごくかっこいい人に助けられた。
菜緒ちゃんに自慢したい夢やったけど、ほとんど覚えてないから説明が出来んやないかい。
頭の奥が重だるい。何日も眠りこけたみたいだ。
「夏休みだからって最近寝すぎちゃう?」って孝子さんに叱られたっけ。
あー、夏休みの宿題ちゃちゃっと仕上げておじいちゃんにどっか連れて行ってもらおう。
おじいちゃん盆明けにはヨーロッパ公演に行ってまう。
そや、菜緒ちゃんに宿題手伝ってもらおう…
ペパーミントグリーンのタオルケットを剥いで、やっ、と上半身起き上がる。と同時に下腹部に鈍痛を感じた。
ん、お腹が痛い…。ガーゼのミモザ模様のパジャマ越しに臍の下を押さえる。
葉子は、まだ夢の続きを見ているのだと思った。
なんでうちの腕から、白い毛ががっさー生えとるんや!?腕だけじゃない、ひざ下から爪先まで…顔を触るとウサギの毛みたいな感触。
転がり落ちるようにベッドから降りて自室の姿見の前にまで這った。
鏡に映った自分の姿は…肌が、真っ白な毛で覆われて、髪の毛は、白と緑のゼブラ模様。
いつも気にしていた額の左右からの2本のアホ毛が、カマキリの斧みたいに太い束になって硬質化している…鏡を覗き込む自分の瞳が、ルビー色に輝いていた。
きゃーあーあーあーあーあー!!
京都の朝の静寂を切り裂く少女の悲鳴が小人たちにリフォームされたミュラー邸に響き渡った。
葉子の叫びでミュラー夫人、上條孝子は焼いていた目玉焼きの黄身をフライ返しでうっかり潰してしまい、義理の祖父、クラウス・フォン・ミュラーは朝の一杯「│凄《すごみ》の青汁」(勝沼フーズ)を噴き出してしまった。
「どうした葉子っ!?」
2分以内に夫妻は階段駆け上がって葉子の部屋のドア前に到着し、クラウスが激しくドアを叩く。ノブに手を掛けるも、動かない。
内側から鍵を?
「葉子ちゃん、葉子ちゃん?」
嫌や、うちを見んといてぇ!とくぐもった泣き声が聞こえる。まさか、と夫妻は顔を見合わせた。
こうして8月12日の、朝8時ちょっと過ぎに騒動は始まった。
「君は多分、智慧の神に選ばれたんだと思うよ。理由はわかんねーけど…俺が思うに、君の場合は野上家の『血』なのかもしれない」
そう言って右手首に麻のミサンガを巻いてくれた光彦の手の形を、リアルに菜緒は思い出していた。
男子なんに、まるでピアノ弾きみたいなほっそい指してたなあ…
それよりも、うちが男子に触られて平気だったっちゅーんが何よりも驚きや。
菜緒は小5の頃にクラスの男子からスカート剥がされそうになるというセクハラいじめを受けてから、男子恐怖症になっていた。
十代から20代前半までの若い男が恐かった。だから中学校は女子校を選んだのだ。
大人の男もちょっと怖い。平気なんは父親と叔父の聡介と、高齢男性だけ。
自分が性的興味を持たれる事が、凄く怖かったのだ。なのに、あの朝テレポートで自宅マンション前まで送ってくれた光彦くん。
別れ際に、ズボンのポッケにミサンガが入っている事に気づいてうちの目の前に取り出して見せてこう言った。
「あの小人が作ったテレポート装置だ。付けとくと色々便利だと思う」
と、自然にうちの右手を取ってくれてミサンガを巻いてくれたのだ。
光彦くんは田舎育ちなんに(失礼)色が白くて線が細くて、都会のもやしっ子みたい。多分眼鏡取ったら長い睫毛がばしばし生え揃ってるんだろうな。
光彦君が男くさくないからうちは平気だったんやろか?
ぼーっとそんな事思いながら朝食のたくあんをぼりぼりかじっていると
「菜緒ちゃん、葉子ちゃん家のお泊りから帰って来た朝、マンションの前にいた男の子はBFか?」
とテーブルの向かいに座っている父、啓一が読んでいる新聞をちょっとずらしながら唐突に聞いてきたのだ!
しまった、お父ちゃんが新聞取ってた時に見られたんか!?
その現場はお父ちゃんから見れば「早熟カップルの朝帰り」に見えたかもしれない…
菜緒がプチ家出繰り返して来たせいで、両親の啓一と菜摘子はけっこう心配性になってしまったのだった。
だからできるだけ、これからはお小遣いは現金制にする、行き先と帰りの時間は必ず伝える、と親子関係基本の「き」を遂行中な訳で…
「び、ビーフ!?」と聞き違いしたフリしたが、啓一にはバレバレだったようで。
「あほ、わざとボケるな。ボーイフレンドの略や。彼氏の事や」
と野上啓一はキッチンに妻、菜摘子がいて会話が聞かれないのを確かめてから音を立てないようにため息をついた。
「ち、ちゃうちゃう、葉子ちゃんと共通のお友達や。パーティーで知り合ったばっかりや。あん時も男子が送った方が頼もしいってミュラー先生が…」
13才の子供の浅知恵で思いつく限りの言い訳を並べ立て尽きるまで聞いてから
「まあお父ちゃんは基本、菜緒ちゃんの事を信じてるからな。利発そうな子やないか」
とにんまり笑ってから啓一は新聞を畳んで、京風味噌汁をすすり始めた。
あ、親に「信じている」と言われるのは生まれて初めてや。なんか、嬉しいなあ。認められたって気がする…
朝っぱらから菜緒は、じんわり胸が熱くなって泣き出しそうになるのをこらえて納豆を必要以上にかき混ぜて不気味な糸と豆の塊にしてしまった。
「ただし、中学生の男女交際は、手つなぎとキッスまでや。舌入れたらあかんで」
啓一の瞳が厳しい眼光を放っているのを菜緒は感じた。
し、しょーもなっ!
心配なんは分かってるけど、わざわざ口に出して言うところが聡介とよく似ている、と菜緒は思った…。
「だから彼氏やないて…」と小声で言い訳して菜緒が納豆ごはんをかっ込んでいた時である。
母の菜摘子が「そう言えば明日熊本に出発やけど、荷造りしたん?」とエプロンで両手を拭いながらキッチンから出てきた。
今年41才だがショートカットの髪型に、極力化粧っ気を抑えているので年齢よりは10才若く見られるきりっとした顔立ち。
キャリアウーマンというよりは凛々しい少年といった印象を与える。
そうやった。明日から鉄太郎ひいじいちゃんの十回忌法要、野上の本家の盆供養という一大イベントやったんや。そして、その後は箱根でン年ぶりの家族旅行…黒いゆで卵食うんが目標です。
忙しい忙しい言いながらもお母ちゃんはお父ちゃんのスケジュールを見直し、うまーくまとまった休暇を作ってくれた、結構マネジメント能力の高い女性です。
お父ちゃんとお母ちゃんは同じ大学の建築学科で知り合って、21で学生結婚。
建築家として独立できる実力つけるまで切磋琢磨して、28才の時にうちを授かった。30過ぎに2人で事務所開いて独立。
野上啓一と野上菜摘子は、厳しい建築業界を生き抜いてきた「戦友」関係で成り立ってきた夫婦です。
まあ娘の目から見ても、それなりに仲がいいんだよなー。
「うん、着替えは1週間分でええの?」「下着は2日ぶん足した方がええで、…終わって何日目?」
「2週間やけど」あ、女の子の不測の事態ね。相変わらず手回しのいい人だ。でもお父ちゃんの前で言わんでも、と菜緒は顔を赤くする。
「お義母さん遅いね、呼びましょか?」
そう、テーブルの上にはあと一人分、朝食がセッティングされている。啓一の母で今年72才になる菜緒の祖母、│植芝美禰代《うえしばみねよ》。
若い頃から祇園の地方さんとして活躍し、今年4月まで舞妓さん芸妓さんに指導していた三味線の名人。
現在は週2で近所のカルチャーセンターでお三味を教えている。
昔、祇園で客として来ていた野上祥次郎と出会って口説かれ口説かれ、やっと恋仲になって啓一を産んだが、祥次郎の求婚だけは頑として拒み通して未婚の母で啓一を育て上げた。
啓一の将来のために祥次郎の認知だけは受け入れたが…
結局お祖母ちゃんは、祥次郎お祖父ちゃんを振ったんや。
5年付き合って、子供までもうけながら。
すっすっ、と足音が近づき、祖母の美禰代がダイニングに入って来て菜緒のスマホを持ちながら明らかに困った、という顔をしていた。
日常から和服生活の美禰代は、朝から木綿の着物姿。まるで日曜夕方の家族アニメに出てくる日本の母といった出で立ちである。
「な、菜緒ちゃん菜緒ちゃん…この『すまほ』がさっきからブルブル震えてんねん!いやあどうしよ」
なんやこの小さなモノリスは?と言いたげに菜緒の緑色のスマホをさっさと孫娘に押しつけて朝食の席に着いてしまった。
ちなみに美禰代は、文字表示を拡大したガラケーしか使えない人である。
菜緒は表示されている電話番号がミュラーの自宅番号だと気づいて、葉子の身に何かあったのか?と僅かな恐怖に駆られた。
「もしもし?」
やはり声の主は上條孝子だった。声が慌てふためいているのが分かる。
「な、菜緒ちゃん、出来れば…来てくれる?」
「何かありましたか!?」
大体事情を聞いた菜緒はスマホを切って納豆めしを2口でかっ込み、お茶で口をすすいでから…
「葉子ちゃん家に行ってくる、5時までには帰って来るから!」と親子関係の基本「報告」を済ませるや否や、自宅の玄関ドア開け放して、足踏みしながらエレベーター待って降りて…
あ、自分テレポート出来るんだった。
と気づいたのはマンションの正面玄関を出てすぐの事である。
マンションと隣のビルの間に入り込んだ菜緒は、近くに防犯カメラが無いのを確かめてから、
怖いけど、初めての自発的テレポーテーション「葉子ちゃんの家まで!」と念じてから右手首のミサンガを撫でるとひゅっ、とお腹の奥が引っ張られるような感覚がして…
気が付いたらミュラー邸の玄関ホールに立っていた。脱いだ靴を蹴り捨てて階段を駆け上る。2階の廊下には、少し疲れた顔でドアの前にへたり込むミュラー夫妻がいた。
「葉子ちゃん!葉子ちゃん聞こえる?菜緒や。出てこいやー!」無駄だと分かっていてもドアノブをがちゃがちゃ捻りながらノックしてしまう。
菜緒ちゃん?でもあかん!うちは、うちはバケモノになってしもうた…とすすり泣く。
バケモノ?まさか、聡介とバトった時の姿は怨霊の仕業ではなくて!?
「無駄や、菜緒ちゃん。そのドアノブ分解しようとしたけどネジがびくとも動かへん」クラウスがもう使用を諦めたマイナスドライバーを掲げて見せた。
「あの子の『力』で塞がれているの…このドアは、葉子の心の壁なのよ…」孝子が葉子の心を読み取ろうとでもするかのようにドアに両手を当てた。
菜緒は、めっちゃ困った時はこの番号に。と空海から教えられた番号「763(なむさん)」をスマホに入力してみた。ほんとに南無三や…
「もしもし」電話に出たのは真雅だった。
「え、えーと、│真雅《しんが》さん?野上菜緒です。大変や、葉子ちゃんがうちはバケモノになったー!って朝から引きこもってます…どないしよ?」
「そちらにガブリエルさんを派遣します。菜緒ちゃんミーティングで言った事覚えてる?葉子ちゃんは忘れていた様々な記憶を思い出してパニックになっているのかもしれへん」
「加害トラウマによるPTSD…」
そや、と電話口で真雅が堅い表情で肯いてるのが菜緒には想像できた。
「つまり葉子ちゃんは精神的に急性期…まずガブさんを派遣して彼女の傍につける。これは自殺予防や」
「葉子ちゃんが自殺?」まさか、あいつはそんなタマじゃ。
「怨霊は葉子ちゃんに憑りついて人をいたぶるというえげつない体験させたんや…12の子供には耐えられる事ではない、後はガブさんに任せて」
ほな、と真雅の方から電話が切れると同時に、軽い耳鳴りがした。きぃぃん…
ドアの前の3人を青い閃光が包んだ、と思った次の瞬間、クラウスと菜緒は1度会った事のあるロイヤルブルーの髪と瞳をした女医、
ガブリエルが羽根を広げて辺りに羽毛をまき散らし…純白の大天使の正装で「降臨」した。
ほんまに大天使だったんや…信仰心の無いクラウスでも目の前の事実を認めるしかなかった。
いちいち「奇跡」に感動するよりも、今は孫の安否が先。クラウスは「ガブはん、お願いします」と大天使に哀願した。
ガブリエルはドアの向こうの葉子に向かって
「葉子ちゃん。今のあなたの姿を拒否する者はここにはいませんよ…」と優しく声をかけたが返事がない。
「失礼しまし」と言うと同時にガブリエルはドアをすり抜けて難なく部屋に入っていった。
部屋の中では大天使と葉子が短い会話をしているようだ。そしてガブリエルが顔だけドアから出した一見シュールな姿で孝子と菜緒に向かって頼んだ。
「あのー、葉子ちゃんに着替えのパジャマと、昼用と夜用のナプキン。ショーツと鎮痛剤を渡したいのでし」
「え、それって…」孝子が半分困ってる、もう半分は嬉しそうな顔をして両手で口元を覆った。
「初潮でし。葉子ちゃんは女の子になったのでし。幼生から成体になった形態変化でし」
お赤飯と鯛の姿焼きやー!と一般家庭ではお祝いするべきののだろうが、今はそれどころではない!
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