電波戦隊スイハンジャー#84
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘
メタモルフォーゼ4
これがお母ちゃんの、本当の姿です…
そう言ってお母ちゃんは、すぐにうちから目線を外した。
恐さに耐えるように両のこぶしをきゅっと握っていた。
まだ園児だったうちは…大変や!お母ちゃんが消えて、何か訳の分からない動物みたいな人が出てきてもうた!
とパニック状態になって、お母ちゃんはどこ?嫌や、お母ちゃんを返してぇー!
と泣きまくって「その人」の膝に縋りついたと思う。
お母ちゃんが変化した「その人」の目が、切なそうに歪んだ。
ああ、やっぱりこの子に拒絶された…とその人は思っていた。
分かった葉子、あんたのお母ちゃんを返してあげる。今は忘れなさい。
これは幻だったんよ。
白い産毛に包まれた手がうちの両目を覆って、ええよ、の合図で目を開くと…いつものお母ちゃんが木の下で微笑んでいた。
そうだった。うち自身がお母ちゃんの本当の姿を拒んで、お母ちゃんは一時的にうちの記憶を消したのだ。
葉子、やっぱりあんたにはまだ早かったかもしれない。でもこの歌だけは覚えといて。
さっき起きたことを思い出す「鍵」として、娘のあなたに託します。
葉子もいつか大きくなって、大人の女性として本来の姿になるのだから…
「さあ歌おうか」
大きな花は 美しい
いつも楽しく 唄う花
だけど小さな花は たった一人ぼっち…
唄いながらピクニックシートを芝生に広げるお母ちゃんの横顔は何か寂しそうやったんだけは覚えていた。
「記憶が戻りましたね、『鍵』は、歌だったんでしか…」
「思いだした。クリスタお母ちゃんは、一度正体見せてくれたんや!
でもうちがその時拒んだから、記憶を消した…でも完全には消さずに、うちが今日この姿になる時まで記憶を封印しといたんや。『花のメルヘン』の歌に託して」
「人と違いすぎる孤独」は、お母ちゃんの人生にどれだけ暗い影を落として来たんやろう…娘にまで拒否されて…今なら分かる、お母ちゃんの気持ち。
あん時は泣きたかったんちゃうやろか?
想い出として手渡すとは、なんと美しい秘密の隠し方だろうとガブリエルは思った。「クリスタは粋でしね…」とガブリエルが呟いたその時である。
だむだむだむ!とドアを叩く音がした。
「なんてせっかちな叩き方でしか!誰かは見当がつきましが、ね」
ガブリエルは苦笑して葉子のベッドの端に腰掛けた…
数分前、階下のリビングで菜緒は「助けて!」メールをある人物に送っていた。葉子ちゃんの心の扉を開けるんは、コイツしかおらへん。
菜緒は確信していた。
仕事の合間だろーが女口説いてる時だろーがコイツは、いつもうちに返事してくれた。
(おかげで付き合って来た女の三分の一にはそれで引かれて振られている事を菜緒は知らない)
そして…メール送って間もなく「人と違いすぎる秘密」を抱えて30年生きてきた男、野上聡介がミュラー邸の玄関ホールに現れた。
「ジュニアおまえ!」
迎えてくれたクラウスが背中全体を強張らせて驚いたのも無理はない。
聡介は服装こそ薄いブルーのコットンシャツにホワイトジーンズと軽装だが…ふぁさっ、と銀色の長髪が聡介の肩の上で広がって落ちた。
「2階に上げてくれるか?」前方の階段を見つめる聡介の瞳は、銀色に輝いていた。
「ジュニアおまえ、素面《しらふ》でも変身できたんかい…」
葉子と戦った夜に現れた青年とは、筋肉の厚さも目つきも違う。聡介が単に髪型と目の色を変えた。そんな印象だった。
ずっとうちにも黙っていたなんてやっぱりコイツは性格悪いな、と自分で呼び出しておいて菜緒は思った。
「ああ、じいちゃんと修行して自在に変身できるようになった。でも人格を『荒魂』に譲らないと100%力が出せない」
当直明けで自宅ベッドで寝ていた所を菜緒のメールで起こされて来た聡介は、階段を上がって葉子の部屋のドア脇の廊下にどっか!とあぐらをかいて背後の壁に全体重を預けた。
とにかく上半身を起こしていないと油断して眠ってしまいそうだからである。
ちょうど室内の葉子も、壁を挟んで聡介と背中合わせになる形になった。
「…俺も小さい頃は何度も思ったよ。生まれて来るんじゃ無かったって。
全力出したら近所の公園の鉄棒を捻じ曲げ、10円玉を次々2つ折りにする3歳児なんてふつーいねーよ。俺の場合は家庭が半分壊れた。
まずお袋がノイローゼになってピアノが弾けなくなり、じいちゃんに俺を預けて家を出た…
子供だった俺は見捨てられたって長く思ってた。未だに母親とはぎくしゃくしてる」
昼食抜きでミュラー邸に来た聡介は瀧さんお手製のカツサンドをむしゃむしゃしながら喋っていた。
「何故、他人には正体を明かせないのか?答えは簡単だ。差別されるからだ。
異質な者はいじめられてはじき出されるのが社会の暗い本質だからだ。
『理解できないし、したくもない。私の人生を難しくするあなたはいらない!』が差別の本質だ、狭小な人間が束になって悪意を向けてくるほど恐いものはない、とじいちゃんが言ってた…
じいちゃんも俺と同じ能力持ちだったんだよ。明治生まれだったから俺の何倍も苦労して育ったはずだ。…このカツサンドはうまいな」
アイスミルクティーで最後の一口を流し込んで瀧さんの料理の腕を誉めた聡介は、中の葉子の様子を伺うように壁に耳を付けた。
おっちゃんは母親に否定されて苦しみ、うちはお母ちゃんを否定して悲しませた。
「でも28年も経ってやっと…ああ俺は心は3歳児のままだったって気づいたんだ。とうの昔に乞うた愛を、そのまま取り戻すのは不可能だ。
頭では、分かっていたんだ。誰が親でも、俺を育てるのは鉄太郎じいちゃん以外に無理だったってことを。
お袋は頑張ったけど、いっぱいいっぱいだったんだよ。
なあ葉子ちゃん、親や周りの大人が自分より人格が出来てるって思うのは、幻想だ。
駄目な大人の正体は、老けただけの子供なんだ。
自分すらも受け入れてないんだ。そんな奴が本当の意味で他人を大事にできるか?愛せるか?結局のところ…
俺は俺自身を否定し続けたままの子供だったんだな。あれ?なんで俺ばっかり話してんだろな?」
葉子は葉子で、冷静に話をする状況ではなかった。鏡に映った自分より大人になった女性が、眼前に佇んでいる!
ガブちゃんと同じ純白の衣…あの時のクリスタお母ちゃん?これは幻覚?
なあ葉子、あのおっちゃんはなかなかええ事言うてるやないか。
いま大事なんは、自分を受容することなんやないか?
「そうか、うちはアホやった…」
だって、変化したクリスタお母ちゃんの姿は、人間とはかけ離れてるけども…
蛹から抜け出した揚羽蝶のように美しいではないか。
クリスタの幻影は葉子の思考を読み取ったのか、胸の前で手を合わせて心の底から安心したような笑みを浮かべると、徐々に薄くなって消えて行った。
「まあ今日は色々あって大変だったと思うけど、とりあえずはおめでとう。君の誕生日には3日早いけど、プレゼント持ってきた」
壁の向こうで聡介ががさがさ音を立てて紙袋を開くのが分かった。
「君が秋のコンクール目指してるって聞いて、課題曲はパガニーニだったよな?親父の、野上祥次郎の復刻版CD持ってきた。課題曲も入ってる。参考になるかどうか分からないけど…」
ドアを開けた先には、やるべき事と掴みとりたい未来が待っているじゃないか!
「いいか?このCDは限定版だからクラシックマニアと遺族しか持ってないんだぞ。ヤフオクでいくら高値付こうと売らんと決めた物だ…」
かちゃっ、と内側から鍵を下ろす音が聞こえて、ドアノブが回ったのを、聡介も、菜緒も、ミュラー夫妻も見た。
結局のところ、「現実の未来」はドアを開けた先にしかないのだ。葉子は一歩、廊下に出た。
「うわああああん、おっちゃん、菜緒ちゃん、おじいちゃん、孝子さん、ごめーん!!」
部屋から出るなり葉子は聡介に抱き付いて、廊下で押し倒す形になった。
「なんだ、可愛いじゃないか」そう言って自分の下で今の姿を誉めてくれた銀髪の兄ちゃんは、まぎれもなく野上のおっちゃんやった。
分かるんや。こないだうちとバトった男よりも、聡介おっちゃんの方が目つきが悪いから。
銀色に光る眼が異様といえば異様だけど、うちはおっちゃんを否定したりはせえへん。
「あの…一旦降りてくれないか?」とおっちゃんが気まずそうな顔をした。
「一応俺、30男子。女の子にくっつかれると照れる…」
案外純情なおっさんやな。
でもうちは衆人環境の中でおっさんを押し倒してるんに気づいて恥ずかしくなり、慌てて聡介おっちゃんの上から降りた。
「葉子はいつも行動が唐突やなあー」
クラウスおじいちゃんと孝子さんは苦笑いし、
菜緒ちゃんは「大好きな叔父」にのしかかりやがって、とちょっとジェラシー含んだ目で(オジコンやな)見てたけど「ま、今回は許したる」と大目に見てくれてる。
つまり、うちの本来の姿についてはさほど何とも思ってないのや。
家族と親友に受け入れられてるぶん、うちは恵まれてるやないか!と思った時、視界の両端にあった触覚が消えて、白い体毛も無くなり、葉子の姿は人間の形態になっていた。
「な?変身能力はコントロール出来るようになるんだ」と言った聡介も、灰色の髪と瞳に戻っている。
「色んな意味で、誕生日おめでとう」と改めて聡介から古びたジャケットのCDを手渡された後で「色んな意味」が初潮の事も指すのが分かって葉子は顔を赤くした。
このおっちゃん、デリカシーあるんだかないんだか!
「あ、ガブちゃん。さっきのお母ちゃんの姿、あれはガブちゃんが見せた幻?」
ガブリエルははっきりと首を振って「何もしていませんよ」と言った次に、さぶいぼが立つようなセリフを呟いた。
「ただ、今はお盆の入りでしから…」え、あれはお母ちゃんの…
「幽霊いやー!!」
小人も天使も見えるくせに幽霊が恐いところが、葉子の矛盾してるっちゃー矛盾している所である。
「くっふっふっ、稲川淳二の『生き人形』のDVD見ましか?」
「本当にシャレにならないもん見せるんじゃなーい!」
やっぱり幽霊苦手な聡介が、すごく悪趣味な大天使を叱りつけた。