電波戦隊スイハンジャー#160 プライム•リリー2
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
プライム•リリー2
「次元転送を開始します」
と聞いた直後のことは、葉子は覚えていない。
奥の院の床だと思って立っていたところが実は水面であって、45キロジャストの自分の重みでざぶん、と垂直落下したというか…
青い光に満ちた水の中を、葉子は仰向けになってどんどん沈んでいく。
自分の遥か頭上にある丸い光が「さっきいたところ」なのだろう。葉子はそこに戻ろうともがいて手を伸ばす。
が、無駄だった。底の闇の方から生まれる大きなうねりが体を捕らえて、引きずり込まれていく。
でも不思議と怖くはなかった。超能力を使おうとしても使えない。体が思うように動かない。だが息は出来る。
ここは海中ではないどこかや。と、葉子は頭の隅で自覚していた。
海のような青い水の中で体を横たえる自分。
なんだろう?この懐かしさは…
光が夜空にぽつねんと浮かぶ月みたいに小さく見える深さまで沈んでしまった。と思ったところでとうねりはぐん!速度を増して、
葉子を水底の闇に引きずり込もうとする。
「いややぁ、怖い!」
葉子が心の底から悲鳴を上げ、光に向けて精一杯伸ばした手を、小さな温かい幼児の手がはしっと掴んだ。
「ねたん!」
その子は日本神話の絵姿みたいな白い古代服をまとい、束ねた髪の毛をてっぺんで蝶の形に結い上げている。
ああ、この子をうちは知っている。先月、藝大のキャンパス内で戦隊の「ホワイト」と呼ばれるお姉ちゃんを見かけた時、
常人には見えないこの子が「きららねたんに声かけてあげて」と葉子の制服のスカートの裾を引いたので仕方なく葉子の方から
「もしかして、キラキラネームのおっぱいねえちゃん?」と声を掛けたのだ。
葉子は生まれつきの特殊な力で人に見えないものが見えるが、邪悪なもの、情念の深いものは脳から断固拒否している。
そんな自分が見えたのでこの子は神聖なものに違いない。さては、ホワイトねえちゃんに憑りついてる座敷わらし?
「ひこにゃ!」
葉子の心の声を聞いてちび女神「ひこ」は抗議の声を上げた。
「引力に捕まったのにゃ。ひこから手を離さないで」
なんでこの子がここに?とは思ったが葉子を底にと引きずる力がひこによって半減されている。
子供なのに物凄い力だ、目を瞠って葉子は驚いた。
ビルから落下する途中でパラシュートが開いてふわり、ふわり、と降りていくような速度で少女と幼児は引力の果てを目指す。
月に見えたその光が、実はお日さまやった…
何処かで聞いた詩の一説みたいなことばが葉子の脳裏に不意に浮かんだ。
その頃清水寺の奥の院では少女が物理的に消失したのに、周りの観光客が光彦と菜緒と勲以外、「何も見ていない」かのごとく普通に観光を楽しんでいる事に気づいた。
「周りの人達見てへんの?おかしゅうないか」
「オレ達にしか見えてないんだ…って、オレ達も周りから見えてない!?」
観光客たちは慌てふためく光彦たちに気づいていないのだ。
自分らは神隠しに遭ったのか?と顔を見合わせる光彦と菜緒にあのー…と挙手したのは、もう全く何が何だかわからないといった体の引率者、椿勲だった。
「僕に説明してくれへんか?イリュージョンじゃなくてこれほんまに起こってること?」
といつも眠たげな細い目をばちっと見開いて中学生二人を交互に見つめた。
あ、目ぇちゃんと開くとかっこいいんだ。と菜緒はこの非常事態なのに思ったりした。
そんな時である、たったったったったっ…と軽やかな靴音を響かせて、お花畑をスキップするようなお気楽な足取りで一気に本堂の中からここ奥の院まで駆けあがって来た少女は、
「葉子さま~」と白いブラウスに緑のネクタイを締めて舞踏会デビューのお姫様さながらに濃い緑のタータンチェックのスカートの端を両手でつまみながら、
「葉子さまのご到着に居ても立っても居られなくなって、つい来てしまいました!心置きなく話せるよう結界を張りましてよ…あれ、葉子さまは?」
と葉子から貰った服で「秋の文科系女子コーデ」を見せびらかし来た
音羽山の主、カヤ・ナルミが全然空気読めてない言動を菜緒、光彦、勲の3人に向けてかましたった直後に食らった行為は、野上菜緒の
「うおらっ、そこの人間でなさそうな青い髪のジャリ。葉子ちゃんを返せ!」
という罵声といきなりの襟首掴みであった。
「か、返せっていったい葉子さまの身に何が?」
「このヘンテコな腕輪のせいで葉子ちゃん神隠しに遭ったんや」
「その輪は…あ!」ナルミは出雲の宴から辞し、清水寺に帰る途中だったあの夜…とんでもない失態をしてしまった事に気付いた。
「そ、それは腕輪じゃござんせんよ!?悪魔のような小人が作った訳わかんない装置でんすよ」
「なんで葉子ちゃんの腕に?思いだしたか!?言え。今すぐ葉子ちゃんを連れ戻せ、振ったらもっと思いだすかぁー!!」
菜緒に襟元を掴まれたまま首を上下に揺すられ、あうあうああうと呻きながら水龍カヤ・ナルミは心の中で、
お父様でも誰でもいいから、たすけて~!!
と叫んだ。
(はい、あなたの緊急事態に対処する…)思惟がカヤの思念を直ぐに受け取ったのは偶然にも同じ京都市内に居たからである。
(音羽山で女の子が一人、消えました!スクナビコナの作った装置が作動したようで)
(それは、わたくししか解決できませんわねえ。お待ちください)
「野上やめろよ!」「そや、初対面の人に乱暴はよくないで」と光彦と勲が二人掛かりで荒れ狂う菜緒をナルミから引きはがした。
「ほーんと、どこの不良娘か?って行動ですわねえ…清水の主に手を掛けるとは不遜な」
と冷笑交じりの声と共に藍色の特殊な民族衣装の男が音もなく菜緒に近づき、
「わきまえなさい」と透き通る程白い片手の指ででくい!と菜緒の顎を持ち上げた。
鼻先がくっつきそうな距離で思惟は菜緒の顔を覗き込み、文字通り菜緒を「見分」する。
「高天原族の血の匂いがする…あなた野上の家の娘ね。私と同じ、つくりものの命の末裔」
無表情な京雛が実に面白そうな笑みをにかっと浮かべたように、菜緒には見えた。
男の瞳も古代風に結わえた髪も、衣装と同じ夜のとばりみたいな藍色。
こんな人間おるん?
いや、この人そもそも人間なんか?突然現れた男の瞳の美しさに見惚れ、菜緒の興奮は減圧された血圧計の水銀が急降下するように落ち着いて行った。
「野上啓一の娘、その腕輪もどきを私に」菜緒は言われるままに腕輪を思惟の手のひらに乗せた。
む、とひと言思惟が唸ってすぐに腕輪の正体をスキャンする。
「これは…スクナビコナ族が作った物質の次元転送装置ですね。子供に分かりやすく説明すると、行きたい所にどこにでも行ける機能を持つ装置です。
本来なら所有者しか扱えないシロモノですが、遠隔操作プログラムが実行された履歴があります」
「スクナビコナって松五郎さんたちか?」
「そこな少年はスミノエを知っておるのか」ナルミが驚いて光彦に向き直った。
「一般人だったマサ達をヒーロー戦隊に仕立てた元凶だぜ」
「そ、知性はあるけど倫理が無い賢しらな小人たち。まあ裏で動かしてたのは我が姪のウカノミタマだったんだけどね」
長い銀髪を垂らしたとびきり美しい人がクリーム色のスーツ姿で会話の輪の中に入って来たので、一堂はその人に注目した。
「事は緊急を要するからいきなり自己紹介するわね。私はツクヨミ。そこの野上菜緒の遺伝子上の叔母にあたります。
寺の閉門の6時までに榎本葉子を救出するわよ。思惟、五次元座標で対象を探索しなさい」
「畏まりました。あの、茶席の方は?」
「亭主に頭から濃茶をぶっかけて貞操を死守しましたけど。それが何か?」
主人を見捨てた薄情な思惟をツクヨミはねっとり睨み付けている。
「そうですか」
平らかに思惟は答えて内心、つまんねえな。と舌打ちした。
「でも着替えたら急いでこっち来るってよ。なんだかんだで世話焼きな男」
それはそれで面倒なことになるな。と思惟は思ったがまあいいや、と主人の指示のままに探索を開始した。
「皆さま、こころもち三歩ほどお下がりください」
思惟が両手を床にかざすと縦1メートル。横2メートルほどの大きな楕円のスクリーンが床上に浮かび上がる。
画面の中には輝く青い水が広がり、真ん中では二つの小さな人影が手をつなぎ合って水底に沈んでいくのが見えた。
「葉子ちゃん!」それにしても手をつないでいる子供は誰や?
「見つけました、異次元航行中です。どうやら遠隔操作はここのご本尊様が行ったものですね。まああの方なら宇宙中のどの機器にもハッキング可能でしょう」
「自分のフィールドに呼びつけておいて無理矢理子孫を連れ去ったか…
椿勲、この寺で一番多い仏像は?子供たちに何を案内してきた?答えよ!」
ツクヨミという性別不明の美形にいきなり低い声で指示されて勲は反射的に背筋を伸ばして答えた。
なんやなんや?この妙に威厳のある外人は!
「は、はい、音羽山清水寺は宝亀9年(778年)、延鎮上人によって開創された観音信仰のお寺です。
ご本尊は、観世音菩薩の教えに帰依した征夷大将軍、坂上田村麻呂が安置された、十一面千手観音です!」
「十一面千手観音がなんで?」菜緒と光彦は異口同音にツクヨミに尋ねた。
「宇宙一美しく強く、そして儚い一族。観音族…それが、榎本葉子のルーツなのです」
そう説明する思惟の声には何か哀切のようなものが含まれていた。
後記
素敵なポッケで叶えてくれるアイテムは現実世界ではトラブルの元にしかならない。