電波戦隊スイハンジャー#88
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘、エピローグ
大文字不始末記・終
タケヲ。先程、真田さん夫妻と光流くんが帰って行ったよ。
8月16日の夕方、泰安寺の副住職七城正嗣は墓所の一番奥の真新しい墓石に手を合わせながら墓の主である同級生に語りかけた。
7年前から盆になると毎年、真田さん夫妻はお前の墓参りに来てくれる。3年前から、養子の光流くんも連れて来るようになった。
まだ6才ながら、整った眉の苦み走った顔立ち。右目の下の2つ並んだほくろ。会うたびに驚く程おまえに似てきている。
家名が刻まれていない新しい墓石に、ミツルくんは何を思いながら手を合わせていたんだろうな。
その墓に眠るのは実の父だってこと、彼はまだ知らないんだよ。タケヲ。
お前の上司だった真田さんは全ての事業から一線を引いて、福岡の田舎でのんびり暮らしているそうだ。
「年取ってからの子育てだけん体にこたえるよー」と笑いながらこぼしていらしたよ。
真田さんはこのつるつるの墓石に「真田家之墓」と刻むことを奥さんの摩耶さんと話し合って決めた。夫妻は筑豊の炭田の事故で親を亡くした施設育ちで、故郷も実家も入る予定の墓も無い。なら、とこの泰安寺の檀家に入っていただいた。
「なんだかやっと、拠り所みたいなものが出来てほっとしてます」と摩耶さんが言っていた。
「なんか無理矢理タケヲを養子にするみたいで悪かね」と真田さんは困ったような顔をしていたけど
「あなた方はミツル君の養父母です。まあミツルくんに免じて赦してもらおうじゃなかですか」との親父の一言で真田さんは決心したみたいだ。
あと数年すればミツルくんに本当の親の事を言わなければならなくなるだろう。自分の親が友達の親に比べて老けているのにミツルは気づいている。その時はマサくん、頼む。と真田さんは真剣な面持ちで私の肩を叩いた。
7年前のお盆の終わり、お前は白川の冷たい水の中で発見された。
「あの事件」の事を、命を落とす原因になったお前の罪を。ミツルの母が姿を消した理由を。どうお前の息子に伝えるべきなんだろうか…?
私は迷っている。もちろん「事故で死んだ」などと都合のいい嘘をつくつもりはない。子供はすぐ見破るから。
だが…重い真実を受け止めるにはある程度の心の成長が必要だ。教育の現場で働いていてつくづくそう思うからだ。
子供の心は、壊れものやさかい。と先月泰範さんが言っていたのを思い出したよ。
今がその時ではないけれど…ミツルくんには少しずつ、お前との思い出を話そうかと思う。
かなかなかな…とひぐらしの声が急に木立から響いては途絶える。ああ、もう夏も終わりに近いのか。
正嗣は立ち上がり、夕食にカレーでも作るか…と庭から母屋に向かうと、縁側に、教え子の光彦が腰掛けていた。
「帰って来てたのか」
「マサのお父さんからオレの荷物が届いたって連絡来たから…少しでも整理したいし」
かなかなかな…
自分もなんかこんなつまんない事言いづらいし、マサも無理しなくていいよ、と縁側の隣に腰掛けて黙って待ってくれている。
「沈黙」も、優しいコミュニケーションの一つなんだな、と先月よりは成長した光彦は染み入るような蝉の声の中でしみじみと思った。
「あのさぁ、娘道成寺。安珍清姫の話知ってる?」
「知ってるよ。元々天台宗のお寺に伝わる仏教説話だ」
「京都で蓮太郎さんの娘道成寺の映像見せてもらって、野上先生から聞いた話なんだ。
その時オレ、安珍全然悪くないじゃん、って言ったけど…安珍にも非があった、大きな罪犯していたって2、3日前から考えるようになって…聞いてもらえる?」
「非常に興味深い」
「安珍の罪は、大人が子供に平気で嘘をついた事なんだ。
ましてや人を導く僧侶がだよ。繰り返しバレバレの嘘を清姫につき続けたから、過ぎた憎しみを買ってしまった。
だって、自分は僧侶だから無理です!と粘り強く清姫を説得し続けていれば清姫だって分かってくれたかも」
「先生もそう思うよ。安珍の死に方は悲惨極まるが、あれは半分自業自得だ。
なあ光彦。嘘も方便って言葉、実は仏教用語なんだ。
相手の為の優しい嘘なら吐いてもいいんではないか、という意味だが…安珍はただその場しのぎに今度逢ったら一緒になろうね、と自分の為に嘘を吐いた。
真に受けた子供の心が壊れたんだから、それは大きな罪だと先生は思う」
「そう思うと子育てってリスキーだよね。オレの両親も一年以上仮面夫婦だったけどさ、離婚するって言われた時は本当混乱してこの庭まで逃げ込んだけど…
同時にスッキリしてたんだ。気づかないフリしてた2年間の方が数倍苦しかったから。なのに大人は、自分に都合よく子育てして当然だと思ってる」
「そうだな、自分が作った子供は自分とは別の人間なんだ、と親もいつか気づかなきゃいけない。お前のお母さんは気づいて離婚を切り出したんだと思うよ」
熊本市内の実家の病院で看護師として働き始めた母、絹美は離婚してから驚く程性格が明るくなった。
これがお袋が言う「本来の自分」なのだな、と母親の変化を眩しく見て光彦は思った。
正嗣は腹が減ったな、と台所に行き、冷蔵庫の食糧を確認しておもむろに光彦に尋ねた。
「なあカレー作るけど、肉は豚と鶏、どっちがいい?」
「ぶ、豚!」
光彦は言えなかった。うちのカレーはいつも牛肉です、という事を。
こ、これは優しい嘘だよね?
葉子とミュラー夫妻が京都に引っ越して初めて知った事だが、京都の人は8月16日のお盆の送り火を「五山の送り火」か「大文字さん」と呼ぶ。
うっかり「大文字焼き」と言うと「大文字焼き?京にはありまへんなあ」と怒られるのがオチである。
それだけ京の人はこの送り火を大切にして来たのだ。
「大文字焼きと呼ぶんはやめてもらえまへんか?なんか今川焼きみたいやわ」
とクラウスおじいちゃんが近所周りのご挨拶で「大文字焼きが見たくて越して来た」と言ってしまい、お隣の後小路さんにぴしゃり、と注意されたんやて。
あれから7か月、2人はすっかり打ち解けてジョギング友達になってる。人間って不思議やね。
付き合っていく内に指揮者クラウス・フォン・ミュラーが中身はほとんど関西人で、セカンドライフ感覚で京に入って来た浮ついた外国人ではない、と分かったからや。
ついでに言うと、訪問の度に孫のうちを連れて懐柔したんが功を奏したんや。後小路さんは娘さんに嫁に行かれて寂しがってたからな。
お母ちゃん、新しい家の川床から、如意ヶ嶽の大文字さんが見えます。1時間足らずで消えてしまう、儚い送り火です。
今夜は家族全員で送り火を見ています。クラウスおじいちゃんなんて調子に乗って浴衣姿です。完全に見た目は浮ついた外人です。
うちは昨日、13才になりました。ついでに「女の子」になったんでバースデーケーキの横に鯛のお頭付きと赤飯という妙な取り合わせのご馳走でした。
お母ちゃん、喜んでください。なんとお父さんが、うちの誕生日を祝いに来てくれました!あんなに京に帰るのを嫌がっていた人が、です。
4日前に起こったうちの「変身」(ガブちゃんが言うには変態が正しいんやけど、アブノーマルな人みたいで嫌だからです)をおじいちゃんから知らされて駆け付けて来たんやけど。
お父さんはお母ちゃんの「本当の姿」を受け入れ尚且つプロポーズしてくれたんやね。
ええ話聞いたわ。うちにも正体見せて拒否られたから記憶を封じた事も、お父さんは知っていた。
「もう少し成長してからでもええのに、どうして今日見せたんや?」
絵本読ませて寝かしつけたうちのベッドの横で、お父さんはお母ちゃんに優しく尋ねた。
「だって俊之さん。今しかない、といてもたってもいられなくなったんよ。この子が成長した頃にはうちはいない。『次』は無い、と思って…」
そう言ってお母ちゃんは、少し泣いたという。
「もしかしたらやけど、クリスタは自分が長く生きられない事を悟っていたかもしれへん。その話聞いて今送り火見たら、無性にそう思えてなあ…」
お父さんの禿げかかったおでこの上の髪の毛が、川風になぶられる。大文字さんはこないだ見た破壊神の髪の色みたいに美しく輝いていた。
美しいものと恐ろしいものは非常によく似ていて、あの世とこの世、生者と死者の境目なんて、本当は紙一重なのかもしれない。
8月に入ってからの想像を超えた体験で葉子はそう思うようになってきた。
「ほら、送り火が消えるで」
クラウスが指さして間もなく、大文字の灯が消えて如意ヶ嶽は闇に包まれた。
「なんかつまんなくなったな…ムコはん、しみじみ飲むか?大吟醸あるで」とクラウスが久しぶりに会えた娘婿をリビングに誘った。
「いいですねー」と俊之がにこやかな顔を見せた。頼りない中年学者風に見えて俊之は結構酒好きなのである。
やれやれ、オトナの時間が始まりやがった。と葉子は思い暗くなった風景に背を向けた。
灯が消えると同時に、先祖の霊があの世へ帰るという。
空海は五山の送り火すべてが見下ろせる上空で、京都市内の霊たちが冥界へ帰って行くのを見下ろしていた。
自ら帰る霊はそのままに。
居残ろうとする霊は連れ帰り。
逃げ出す霊はふんじばって強制送還。
まるで警察24時。これが、お盆の〆の掟です。
毎年この日が一番忙しいんだよなー。人間に見えないところでは警官、同心、岡っ引きの霊が亡者たち取り締まりの大捕物で御用、御用!の大合唱が空にこだましている。
実は、捕まらない霊は五山の送り火のパワー使って強制浄化(送還)してるんだよなー。
ほんと人間の執着って、死んでも治らないものなんですよ。それじゃ輪廻卒業できないぞ!って叱ってるんですけどね。
さてさて、灯が消えると同時に、私の大仕事も、ひと段落しますか。
「天網恢々、疎にして」と空海が呟いて大きく伸びをした時に一つの「大きな気配」が消失したのを感じた。
「も、漏れたー!!緊急警戒発令っ!僧兵、いや、火付盗賊改方も出動せよ!」
本当にあの人には…困りますよ!空海は自分の剃髪を掻きむしり、頭を抱えた。
夜の10時過ぎにからんころんからん!と下駄が鳴るような音がした先には、正嗣の書斎がある。
こんな夜遅くにお客?下駄履きなんて珍しい、と光彦は一応ノックをしてから用心深く、書斎の戸を開ける。
しっ!と侵入者は光彦に向かって「静かに」と言うように人差し指を立てている。
「何やってんだよ」と光彦は平然と言い放つ。
光彦は、その人物をよく知っていたからだ。しかし恰好が鼠色の浴衣に下半身ステテコと朝ドラに出てくる昭和初期のお父さんそのもの。
何渋いコスプレしてるんだよ…髪も目も黒くなんかしちゃってさ。侵入者は構えていた下駄を下ろして興味深そうに光彦を見つめた。
「小僧、おれが見えるのかい?こりゃ面白ぇや」
悪だくみしているような引きつった笑み。やっぱりあの人だ。
「だから野上先生、何言ってんの!?」
そう口から発した瞬間、違う!と光彦は気づいた。
俺が見えるのかい、ってこの人言った、まさか幽霊?
「どうした光彦?」
やはり下駄の音と書斎のただならぬ気配に正嗣も気づいて入って来た。
正嗣は一目で侵入者が聡介そっくりだけど別人だと気づいた。
「こんなに実体に近い幽霊は初めてですよ…」
存在感が強く、その気とても清々しい。
正嗣の愛読書「日本人はどこから来たのか」の著者近影でこの人物を知っていた。生きていたならお目にかかりたい、と願っていた人物だったが、まさかこんな形で!
「野上鉄太郎教授…ですよね?」
正嗣は不法侵入者に敬意をこめた一礼をした。
おうよ、と野上鉄太郎の幽霊はかるーく応答した。
「アンタすごいねぇ。こーんな丈夫な結界張れるなんて。おれも隠れやすいぜ…って来やがった、あのクソ坊主!」
ちっ、と舌を鳴らして鉄太郎が書斎の窓を見ると、怒り過ぎて冷たい無表情になった空海が外から窓を通り抜けて室内に入り、やっと見つけた鉄太郎に向かって指さして叱りつけた。
「あんたのせいでまた始末書ものですよ!鉄太郎さん、そんなに孫が心配ですか?」
「あたぼーよ、愚孫があわよくば地球どっかん!なトラブル起こしちゃーねー」
悪びれない様子で答えた野上鉄太郎は、2013年の盆の終わり、「現世居残り」を自ら決めた。
荒ぶる神。終わり
次章、豊葦原瑞穂国に続く。