電波戦隊スイハンジャー#153
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
観音5
スタッフルームの中は店内と比べて簡素な作りで、奥に布張りの二人掛けソファが配置してある。
ソファにはすでにエプロンを外した清盛が寝そべっていて、なぜか蝶ネクタイとシャツのボタンを上から3つ外して胸元を見せている。
2本目の煙草をテーブル上の灰皿にぎゅっと押しつけて、清盛は蓮太郎を品定めするように見つめた。
男でも女でも魅了してしまう清盛の「男の色香」が最上級の香水のように匂い立っている…。
これが銀座の夜王、清盛の「本気の誘い」か…!それにしても、なんと美しいのだろう。
寝姿勢のまま左腕を差し伸べて、「来いよ…」と蓮太郎を誘った。
「本気で惚れた男が、二番目のお師匠でね…私を巡ってお師匠二人が争って物別れになったんですよ」
とウーロン茶のグラスを傾けるだけでも絵になる男、泰範の身の上話(1200年前)を常連客の男たちは、
「タイちゃんの話はいつ聞いても切ないねぇ」
「聖職者の禁忌の恋…泣けてくるよ」
と泰範が僧侶だということも知っている上でうんうん肯いて聞いていた。
「あ、お師匠は私をゲイだと知ってて引き取ってくれましたよ。
厳しく優しい御方です…でもね、お前は大事な『弟子』やから。
って言葉の響きがね…時々心寂しくさせるんですよ。そういう時、この店に来るんです」
「弟子、ねえ…優しいけれど、残酷だよね」
「まあここには仲間がいるから寂しくなったら遠慮なくおいでよタイちゃん」
と経済官僚が泰範の肩に手を置くと、泰範は振り向いて頼りなく笑った。
まさか、本気で惚れた男の正体って…!?と聡介は想像するのも恐ろしくてそれ以上聞けなかった。
それよりも、スタッフルームの中で何が行われているのか心配でならない。
ほどなく、いやあああああっ!!という叫び声と共に内側からスタッフルームの扉が開き、シャツの胸をはだけた蓮太郎が泣きながら出て来た。
後から服を整えた清盛が出てきて、「コイツ駄目だ!ゲイに転ぶ要素ひとっかけらもねえ」と舌打ちしながら言い捨てた。
聡介は「何があった~っ!?」と泣いて抱き付いてくる蓮太郎をなだめながら、清盛を睨み付けて拳を固める。
「別に、首筋にキスしただけだよ」と肩をすくめて当然のように言っちゃう清盛に向かって
「生々しいわ!」と叫んだ。
「はぁ~、勝率8割5分の僕の色香にも、衰えがきたのかねぇ…いいか?
紺野蓮太郎、君は隣にいるリバーくんに初恋して、想い続けてたって言うけどそれは恋慕ではなく、ただの憧れだ!
さっきテストしたけど、蓮太郎くんは男を抱いたり抱かれたりは脳から断固拒否する、真性の女好きだ!」
蓮太郎を転ばせるのに失敗した清盛はウイスキーグラスを片手にカウンター席に蓮太郎と聡介を並んで座らせて
「いいか、ガキども」とガチの説教を始めた。
「お前らは30過ぎて、それなりに恋愛遍歴重ねて来たかもしんねーが、それはごっこ遊びだ。
本気で女に惚れた事もないただのガキだ!いくらセックスしても、心が大人になってないんだ。
いいか?燃えて焦がれるほど人を欲して、いっぺんのたうち回ってみやがれ!
傷つきまくって初めて何が愛か解る。大人になるってそーいうもんなんだ!」
話すにつれて段々とマスター清盛の苛々のボルテージが上がって行く。
「返事は?ガキども」
は、はい!と聡介と蓮太郎は小学生みたいに神妙になって返事をした。
ガチゲイのマスターに男女の恋愛について本気で叱られてる自分たちって一体…
「あーあ、清盛の本気の説教が始まっちゃったよ」
と病院理事の顎ひげの客がにこにこしながら相方の経済官僚に向かって言った。
「いいんじゃない?清盛が叱る子は大人の男になる見込みがあるって事だよ」
経済官僚は、泰範に向かって「ご苦労さん」とウインクして見せた。
こってりと清盛に説教されて店を出た蓮太郎に泰範は、
「いかがでしたか?」と聞くと、蓮太郎はすっきりした顔で「なんか…ありがと」と礼を述べた。
「あんたはんには近く大事な舞台がある。もやもやした気持ちで花子は演じられまへんから、『荒療治』が必要と思ったまで。吹っ切れましたか?」
うーん、と蓮太郎は銀座の街を並んで歩く聡介の顔をじっと見て、
「魅力は感じるけど、押し倒してエッチしようとは思わないわ」ときっぱり言い切った。
おう、と聡介は答えて、
「俺たち親友だよな。…でも言い方が生々しいぞ!蓮太郎」とアメリカの下町のブラザーみたいに拳をごつん!と重ね合わせて笑い、蓮太郎と聡介は別れた。
泰範から聞いたが、清盛の勝率8割5分とは清盛が今まで迫って、ノンケの男をゲイに目覚めさせた確率の事だそうだ。
「あと1分でセンター試験で京都大学文系受かる確率ですね」
と大学院生時代は塾講師のバイトで生計を立てていた正嗣がJack Lemmonでのいきさつを聞いて、軽やかに笑って言った。
「冗談じゃないよ~」と言って聡介は、馬刺しを一きれ口に放り込んで咀嚼する。
10月8日、二十四節季では寒露の日の夜8時過ぎ、泰安寺の庭先に馬刺しの詰め合わせと焼酎はじめドリンク類をレジ袋にぶら下げた聡介がふらりと現れた。
「でも、あの清盛さんと野上先生たちが、ねえ…私も7年前のあの事件でお会いしたんですよ」
7年前に正嗣の幼馴染タケヲが白川で殺された。当時、博多でホストをやっていたタケヲの先輩ホストが清盛だったのである。
事件後、清盛は東京に進出して銀座で伝説のホストとなる。
「でも、清盛さんの説教は深いですね…本気の恋をしてない奴は子供って」
「そうやね。最近老けただけで中身は成長してない子供がぎょうさんおるから」
と4日の夜帰って来た空海が会話に割って入った。
「なあ空海さん、俺たち坊さんの前で肉食してるけどいいのか?」
聡介の言葉に正嗣は自分は飲酒もしてるから少し退廃的かな?とは思った。
「大丈夫、わしにはこれがありますから」と空海はお檀家さんから貰った梨を皮ごとがぶりといった。
「ひとつ、説教させてもらってええですか?観世音菩薩という現世の衆生をあまねく救うという有り難い御方がおります。
今日の聡介はんのお話聞いとったら観音というのは、いまの自分たちの有様を客観的に見て諭してくれる、思いやりのある大人の心にあるもんやないかな、と思うたんです…
そろそろ、隠し事を白状する時が来ましたな」
「私にはバレバレでしたよ。空海さん」という正嗣の言葉に「まーくんは心が読めるから」と返したが、
一緒に梨を食べていた光彦に「オレも、気づいてたよ。空海さん嘘つけない性格だよね」と言われた時には流石に
自分は修行が足りない…と結構落ち込んだ。
ほぼ同時刻、鴨川の水面を一体の美しいターコイズブルーの龍神が泳いでいた。出雲での宴会に飽きて出て来た水龍神カヤ・ナルミである。
宴会場で天孫ニニギが「おばあ様の『卵』を探すべきではないか?」と言い出し、神々たちの間で大論争が起こった。
大国主と和睦し、ここ豊葦原瑞穂国(日本)に天下られた女王、天照さまは
他の高天原族のようにこの国の民と家庭を持つ事も、
ウズメ様のように不老不死の身でさまよう事もせずに、地球の人間の寿命にご自分の生物周期を合わせ、60~80年生きては老いて死に、
その20年後に自己転生なさる道を選ばれた。天照さまが「常若」と呼ばれる所以はそこにある。
転生までの二十年間は『卵』といわれる童子の姿になり、乳母のウズメ様にだけ居場所を教え、育てられるのだ。
そのウズメ様が「まだ『卵』からのお知らせが無い」といわれるからしょうがないじゃないか。
まったく、おっさんたちががなり合う現場はあたしゃ嫌でんすよ…と
「式年遷宮の今年中に『卵』を発見すべし!我は鼻が利くでな」と主張する強硬派の父を思いだしてナルミは少しむかっとし、龍身を躍らせて馴染みの鴨川にざぶん!とダイブした。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず…」とつい方丈記の序文を諳んじたくなるくらい気持ちのいい夜だった。
ふと、美しい音色がナルミの泳ぎを止めた。
あれは、ヴィオロン(バイオリン)の音色じゃござんせんか?それにしても見事な!
と、川沿いのある邸宅の2階の窓の向こうでバイオリンを弾く長い黒髪の少女に興味を持った。
ナルミにしか見えない少女の後光。触角のようなくせっ毛…もしや、あの娘は!
後記
清盛さんの過去の武勇伝はまた別の話。
カヤちゃんやけっぱち遊泳の先に見つけたものは?
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