プロ奢ラレヤーはなぜ毎月100万円の不労所得を手に入れられるのか? 「贈与論」から読み解くメッチャゆたかな人生
プロ奢ラレヤーというふざけた人物を知っているだろうか?
下駄を履いて帽子を被った浮浪者みたいなやつで「人から奢られる」という常識的にありえないようなプロを名乗っている胡散臭い人物だ。
しかも、noteでオンラインサロンを運営している。本人曰く698円のnoteで2000人以上の会員がいる。noteの手数料は20%+5%(クレジット)だから、104万円が毎月不労所得で振り込まれる。情報を商材にしている界隈だといってもいいだろう。
毎月100万円!
23歳の大してかっこよくもない男性が9.5万フォローを集め、毎月100万も稼いでいるのはなぜだろう?
私たちは10万円を手に入れるのにもこんなに苦労しているというのに!
筆者は698円のnoteを購読し、彼が運営しているチャットや、会員制のバーに潜入してその秘密を明らかにした。
このnoteを最後まで読めば、あなたはプロ奢ラレヤーの秘密を理解し、自分自身で「奢られる」大きな価値を手に入れるだろう。
筆者はまだ無名で無力な存在だ。
今だけは信じてもらうために全文無料公開にしているが、近日中に有料化する予定だ。この記事にはそれだけの価値がある。
(有料にしたときの)無料読者のために答えを先においておこう。
「プロ奢ラレヤー」を読み解くキーワードが「贈与」だ。
----ここから有料(今無料で読んでいる貴方には筆者が「贈与」をしている)
「贈与」、つまりプレゼント、贈り物、奢りだ。
あなたは、プレゼントにどんなイメージをもっているだろうか。
誕生日プレゼント、バレンタインチョコ、お年玉、お中元、年賀はがき、訪問の手土産……。
貰うのは嬉しいけど、あげるのはちょっと嫌だなとか、選ぶのめんどくさいなとか、広告代理店のしかけた営業でしかないでしょとか、微妙な感じじゃないだろうか。プレゼントするのめっちゃ嬉しい! なんて人物はみたことがない。
しかし、ここでちょっと贈与を捉え直してみたい。
なぜならプロ奢ラレヤーは、食事を「贈与」され、noteで読者から「贈与」されているからだ。
贈与されるというポジションをとったことが、何者でもない23歳が100万円を毎月稼いだ鍵になっている。
ここで贈与の「贈与論」という本がある。小難しい本なので、ざっくりと要約しながらエッセンスをお伝えしよう。
はじめに
序論|贈与、とりわけ贈り物にお返しをする義務
第1章|交換される贈与と返礼の義務(ポリネシア)その他の主題:贈る義務と受領する義務
第2章|贈与制度の発展―鷹揚さ、名誉、貨幣
第3章|古代の法と経済におけるこうした原則の残存
第4章|結論
訳者あとがき
これが目次だ。目次には、本の概要ともいうべきものが書かれている。
贈与論には何が書かれているか?
そもそも「贈与論」というのは、フランスの社会学者が1925年に書いた本だ。1925年のヨーロッパは、第一次世界大戦が終わったところで、資本主義で市場経済まっただなかだ。だってアダムスミスの『国富論』が出たのが1776年だから「需要と供給」「神の見えざる手」はもうあたりまえだし、産業革命は1840年くらいである。もう世界はとっくに巨大な工場や株式会社が一般化して、市場経済がととのった時代に書かれた。
「贈与論」はそんな資本主義バンザイの社会に対して、古代社会を例にイチャモンをつけている。「市場での取引が全部だってみんないってるけど、古代社会はそんなんじゃないから。個々人の取引じゃなくて、村と村のやりとりが基本だし、やりとりも商品の取引だけじゃなくて祭りとか儀式とか結婚とかあらゆるものが全体で一体となったやりとりで、神の見えざる手とは全く別の仕組みで動いてたから」と書いている。市場メカニズムによって需給調整されることが国の富を増す1番の方法だというのが常識になったところに、パンチをカマしたわけだ。
しかも贈与には、義務があるという。
1)贈る義務
2)受け取る義務
3)返礼の義務
という3つだ。義務義務めんどくせーかんじだ。
身近に例えると「正月には年賀状を送らなくてはいけない」「年賀状は受け取らなくてはいけない」「年賀状には返事をしなくてはいけない」ということになる。
職場なら「バレンタインはチョコを贈らなくてはいけない」「義理チョコは受け取らなくてはいけない」「ホワイトデーにはお返しが義務」みたいなめんどくさいやつだ。
だから市場主義のが楽だし、プレゼントちょっと好かれないんだよなとおもうわけだけど、気になるのは「なぜ、そんな義務が起きたのか?」っていうことだ。神の見えざる手なら欲しい時に欲しいものを手にいれればいい。欲しい人がいるから売ればいい。それが1番いいにきまってるはずだ。なんでこんな「義務」をしなくてはいけないのか?
ここらへんの詳しいことを「贈与論」は掘っていく。「ハウ」という精霊がいるだとか、「クラ貿易」という謎のプレゼントの風習があるだとか、「ポトラッチ」という損する贈与があるだとか、いろいろ変なことが書いてある。細かいことは学者先生に任せるとして、大事なことは年賀状とかバレンタインとか「義務」は確かに私たちにも存在しているということだ。義務が生まれたということは何か理由があるはずだ。さすがに全員が嫌がる無意味すぎる風習は廃れるはずで、今でも残っているような義務は意味がある。
https://www.amazon.co.jp/dp/4480091998
贈与の価値とは何か?
めんどくさい義務が残ってきた意味とは「関係の維持」である。
ここで、モースが贈与と対比した「資本主義・市場経済」について見て見よう。資本主義はマルクスが資本論で言ったように「疎外」と「搾取」を本質に備えている。
疎外というのは、要するに自分がなんの仕事してるかよくわからんということだ。市場でおばちゃんに値切りながら野菜を買うよりも、AmazonやUberEatsのほうが楽で、ボタン1つで届く。かわりに、配達員など働く人は全体のごく一部の担当でしかない。商品のこともわからんし、サイトのこともわからん。
搾取というのは、要するに働いても儲からないっていうことだ。UberEatsで働くとき、お客から貰うお金だけじゃなく、Uberに必ず手数料が抜かれる。自分でUberシステムを作るわけにはいかないので、手数料を払わざるをえない。自分の労働を自分で所有できない。これは搾取だ。
疎外と搾取はどちらも「巨大なシステムの奴隷にならざるをえない」から、人間がギスギスするという根本的な性質をもっている。
資本主義に対して、「贈与の義務」というのはすべて「人間関係の維持」を目的としているといえる。
贈与論で報告されていた怪しい風習の1つに、古代の南の島では謎の首飾りで毎年大量の財産のおまけつきで贈る「義務」がある。この一見無駄な風習は「戦争をしない」ためだったり「どこかの島がダメになったときの保険」だったりする。関係を維持しておくことが、小さな社会の維持につながったわけだ。
よくよく考えてみると、年賀状は「地元の友人と話すきっかけ」だったり、バレンタインは「女性社員とたあいもない話をするきっかけ」だったりするだろう。
需要と供給から考えれば、1番欲しい時にAmazonでチョコレートをポチって需要を満たすのが1番いいのだけれど、バレンタインという義務システムはめんどくさいかわりに恋だったり会話だったりのきっかけを与えてくれる。資本主義の疎外と搾取とちがって、贈与の義務というシステムは人間を結びつける性質がある。
なぜ人はプロ奢に奢るのか?
なんだかだいぶ遠回りしてきたぞ。
さて、ここでプロ奢ラレヤーの話に戻ろう。プロ奢ラレヤーは「市場」システムではなく「贈与の義務」システムを採用しているといえる。だって「奢られる」人だ。そもそも「贈与を受ける」人なのだ。名前からして市場システムではない。
「需要と供給」という視点でプロ奢ラレヤーを見ると、需要なんてないじゃんと思う。誰があんなヤツに金を払うんだ、ちょっとおかしいんじゃねーのってかんじだ。
しかし「贈与の義務」、つまり「関係性を結び続けるための行動」として考えると、多少価値がみえてくる。プロ奢ラレヤーに奢るひとは、何らかの好奇心で「彼と関係性を結びたい」人だし、noteを読む人も同様だ。現代では誰かに「フォロー」したり「友達申請」することは簡単だが、友達を増やすのはめちゃくちゃ難しい。ちょっとした秘密の会話ができたり、愚痴をいいあえたり、へんなジョークを言えたり、そういう「友達」は、搾取と疎外に満ちあふれた現代社会では買いたくても買えない。
それに対してプロ奢は「贈与しほうだい」という人物だ。関係性に飢えた人にとっては、いっちょ贈ってみてもいいかも、といえるだろう。
しかも、彼はあらゆる方法で視聴者と関係を結んでいる。
1)2000人以上から奢られる(1日3人×1年で約1000に奢られることができる)
2)Twitterを毎日更新し、バトルをしかける
3)noteを毎日更新し、長文記事を書く
4)LINE@を毎日投稿する
5)Slackで毎週zoomイベントをする
6)YouTube Liveで毎日1時間話す
7)会員制バーを運営し、ほぼ毎日イベントをする
こう書き並べると本当に、あらゆる方法だ。
その関係性を維持するために、「義務」として698円を「奢る」ことは、そんなに変な行動じゃないだろう。
あなたもプロ奢ラレヤーになりたければ、上記1~7を2年ほどくり返してみるとよい。
経験によれば、毎月100万円の不労所得が手に入るはずだ。
ほぼ0円で始められる上に、誰でもできる。
……しかし、多くの人はマネができない。私たちは彼ほど勤勉に多くの人とコミュニケーションできない。
だから、その関係の輪に加わるために、お金を支払っているのだ。解決しているのだ。
奢られるプロというのは、まさに「贈与の義務」を価値として提供している。
記事の補足
この記事はプロ奢ラレヤーの主催するSlackの「贈与研究所」で7回にわたり行われた贈与論輪読会を元にしている。
この研究所では「贈与を悪用する」ために大学で講師をつとめた言語学の専門家であるゆー氏を中心に真剣に古典に挑み、久々に頭を使ったので大混乱しながら議論した。この記事は7回の内容を要約した単位認定用レポートして書いたものだ。
今回示したように「贈与を使って関係性を得る」という手法は、驚くほど応用範囲が広く、上手くつかうと超ゆたかに過ごせる。
#プロ奢贈与研レポート のタグをたどることで、他の参加者の実践レポートを読むことができる。
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