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自分のルーツを辿りたい!玖

※令和3年9月noteで公開していた記事を編集し直して投稿

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母から詳しく話を聞きました。

余所国の曽祖父母(祖母の両親)らが、大島(愛媛県今治市・しまなみ海道の大島)で映画館や酒屋・米屋・八百屋などを営んでいたそうです。

調べると、余所国の庄屋は村上氏
銘酒笹乃井の村上、旧家(きゅうか)文政十年(1827年)没 村上仁左衛門氏
村上仁左衛門は何代も襲名

※私はお酒飲まないので画像はイメージですが、銘酒ってこんな感じでしょうか?



祖母はこの家の親戚…?私の家族が住んでいた(?)場所的には合っています。

※2024/12/07追記 
・家族が住んでいたのは余所国の笹の井の側(宮窪町余所国)
・映画館など店は宮窪(宮窪町宮窪)


余所国の村上といえば、笹の井を思わぬ者はいないと思うが、版木によると、元は「北窗」という酒であった。先代幸造氏は非常な熱心家で、新しい感覚の持ち主で、十六才の時周桑郡大頭の酒屋へ酒造りとして雇われて行った。

宮窪むかしむかしより引用


↑笹の井先代の村上幸造氏が大島で初めて自転車に乗ったらしく、
昔祖父からも「大島で初めて自転車に乗った人がおった^^」と聞いています。


■『人事興信録』データベース 村上幸造



▼「宮窪むかしむかし」から、興味深い(?)昔話を紹介しときます。

宮窪の歴史がドゥーン!!と詰まった「宮窪むかしむかし」。著者は名誉市民の矢野勝明大先生。


余所国村庄屋の蔵の二階に、おもしろい物が目についたので紹介する。それは、昔の皮の靴である。格好は今の靴とは大変な相違である。昔、宮中で行われたけまりの遊戯に使用された靴も、かくやと思われるようなものである。まだ、あまり、はき古していない。これを見付けたとたんに、子供のころ、祖父からきいた自慢話を思い出した。それは、藩政時代の士族以外の登城用の履き物である。昔は士・農・工・商の社会の階級がきびしくて、士以外は雨天でない限り、ぞうりをはいていた。途中武士に会うと、道のわきにより、履き物をぬいで、すねの下に敷き、いわゆる土下座して武士の通るのを待って頭をあげたものである。ところが、靴をはいている者はぬがなくとも、そのまま手をついて頭を下げればよかった。

宮窪むかしむかしより引用



・初代宮窪村長は村上紋四郎
※初代宮窪村長は、衆議院議員村上誠一郎の高祖父 村上紋四郎

村会議員に親戚の姓が多いようです。



大島の他の庄屋をしていた家も親戚だと思います。
母いわく遠縁に矢野姓がいるようなので、「宮窪むかしむかし」著者の矢野勝明大先生は、遠縁と言えば遠縁でしょうか。
矢野勝明大先生は、元教員。
(親戚数名教員で、校長先生もいたと聞いています)
※2024/12/07追記
大伯父(祖父の兄)が愛媛師範学校卒の元教員で、教頭をしていた。 


【その他の情報】
・昔、親戚が今治で本屋をしていて、私の家族が手伝っていた。

・親戚は、住んでいた大きな屋敷を売ったらしい。

・祖父は祖母の家の映画館の手伝いをしていた、
大島といえば国会議事堂にも使われている石が有名で、祖父は採石場で働いていた。

・母は若い頃部活でソフトをしていて、ソフトが強い高校に行きたくて毎日フェリーに乗って今治の女子高に通っていた。

・伯母(母の姉)は読書好きで、日本舞踊を習っていた。


あと、少しややこしいのですが…
戸籍を見ると大伯母(祖父の姉)は祖母の親戚と結婚していて、
その家族と曽祖母(祖父の母)が再婚しています。
※2024/12/07追記
戸籍を見る限り、親戚(遠縁)や知り合い同士での婚姻が多い


母が仲良くしていた友だちは、今治の越智さん。
親戚に越智(おち)姓の方がいても全然おかしくない。
※越智姓は愛媛ではポピュラーな姓
愛媛県今治市朝倉出身のSuperflyの本名も越智志帆



祖母の先祖がすごいんかな?
よく分からんけど、曽祖父母(祖母の両親)は私が生まれる前に亡くなっているので、一度でいいから会ってみたかったな。


私のご先祖・ルーツを辿る記事は、随時更新予定。
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THE 伊藤@個人事業主(ひろしま伊藤屋)
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