
アオアシ、一気読み
昨日、今日と読もうと思って読んでなかったアオアシを読みました。
36巻分、1日半を丸々使いましたが、得られるものは大きかったと思います。
既に多くの人が様々な感想を書いているようですが。
愛媛に暮らす中学三年生・青井葦人(あおいアシト)は、ある日、Jリーグのユースチーム監督・福田達也(ふくだたつや)と出会う。粗削りながら、無限の可能性を秘めたアシトを、福田は自チームのセレクションに誘い!?
日本のサッカーを変えることになる少年の運命は、ここから、急速に回り始める―――!!
6話で福田監督の妹「花」が青井葦人に考える重要性を説く。
がむしゃらに突き進む主人公が考えることで変化するということを示している。
このとき、ただ自分で閃くというより、福田監督含め、周りのメンバと絡みながら教えを乞いながら、考えて成長していく。
青井自身が強い相手と戦うことで、考え、実行、失敗、成長するというだけでなく、その周辺のメンバにも影響を与えて成長していく。子供目線、監督目線、それぞれが足りないところを自覚し、改善していく。
それらについては他の記事で書いている方も多いが、個人的には葦人は、自分が分かっていないということ自体を理解し、それを解決するために躊躇なくメンバ等に突進していくという姿が成長の過程で必要なんだろうなと思った。
分かっていないことを理解・自覚できておらず、中途半端に分かった気になることがある。あるいは、そもそも分かろうとしないこともある。変化のスピードが速いこの時代において、すべてを事細かに理解して進まず必要なことだけ仕入れることはコスパが良いかもしれない。
ただ、それだと詰まったときに何が分からないのか分からない、あるいは、どう対処すれば良いのか分からない、そもそも分かるための胆力がついていないなど、どこかで壁にぶつかるのではないか?と思う。
「何が分からないのかが分からない」ということは「メタ認知が出来ていない」と言うことだと思う。なので、葦人は、メタ認知が出来ているということだろう。サッカー選手としても視野が広いことを自身の得意技とし、それに加えて様々な技術を身につけていく。技術を身につけること、仲間と繋がること、キャリアなどを広い視点で捉えることが大事だと言っているようにも思える。
出てくる全員が全員、不完全さ、不安定さを持つなかで、どのように挑戦させ、期待し、それを自分ごとで受け取り、考えて成長していくという姿は何かしらユースケースとして考えてみても面白い気がする。