ヤサカノマガタマに関するカムヒビキ 【直観物理と相似象 その 11】
<ヤサカノマガタマ>についてのカムヒビキ
カタカムナ人は、恒星空間において、天体は「七」の周期性を以て新陳代謝しながら変遷することを、知っていました。このサトリを<タカマクラ ナナヨツギ>と称し、変遷の各々の段階を、七種類の単玉で表現しました。
ここでは、楢崎皐月氏が選んだカムヒビキを示す古文書から、その内容を紹介します。(「相似象」第4号 51ページ)
<タカマクラ>とは、宇宙という天球の全体(宇宙球)を意味しています。そのタカマクラの始端と末端の極限は、永遠に無限の循環をしています。また、天体は、生成、分化、親和、還元、極限、循環の変遷が無限に繰り返されていて、このような天体のことを<マカタマ>と言います。この言葉は後代になってマガタマとなり、古代人のアクセサリーを意味する言葉になってしまいましたが、本来は、「アマとカムのフトマニのタマ」の意味です。したがって、宇宙の諸天体も、アマの微分されたアメから生成されたモノであり、その発生源はアマヒ、すなわちアマのモトなのです。(この<ヒ>は、元とか玄とか源泉(カミ)という意味のヒビキを持っています。)
また、<ナナヨツギ>は、前述のように「七の周期性を持った現象」を指しています。「七」という数には、歴史的変遷の繰り返しという物理的意味があります。地球や太陽は刻々崩壊しつつ新生し、私達の身体も、健康体として安定していても、部分的には新陳代謝し、崩壊、生成を繰り返します。バランスを取りながら、メグリテマワル動作が繰り返されています。「八」は、極限飽和安定の状態を表しますが、それより一つ小さい「七」には、飽和安定の一歩手前で、停止不同の膠着状態にはならないという、ナナヨツギ(七の周期で世が継がれていく性質)があります。極限飽和安定を示す<ヤタノカガミ>は、小円(タマ)8個と、間(マ)8個が円周のサーキットを回っていますが、歴史的周期は、このようには表されず、一つの段階(ヨツギ)ごとに、変遷周期は、小円8個に対して、植木算のように、間は7個となり「七」で繰り返される周期となるのでしょう。天体ならば、700万年、7千万年、地球の気象ならば、7年、70年、700年と言った周期で、一段ごとの「ヨ」が「ツガレ」るという直観です。
タカマクラには、太陽のような恒星(<アサヒ>と呼ばれます。)が無数に存在し、これらの生命も、安定しているようですが、アマから生まれ、やがてアマに戻るということの相似象で、生成崩壊のライフが非常に長いだけなのです。
さて、七つの単玉のことを纏めて<ヤサカノマガタマ>と言います。そして、七つのそれぞれは、次のような名前を持っています。
イツノタマ ヒジリタマ イワネタマ ヱミノタマ
ウヅメタマ ナリマタマ クシサチタマ
ヤサカノマガタマ
<アマカムナ アマカムヒビキ>は、枕詞的に使われているもので、「アマの始元量がカムから発生し、アマが変遷分化する時に壮大なヒビキを伴う」という意味を強調しています。この句は、以後のカムヒビキの示しの各歌の冒頭には、常に付けられています。
<ヤホ ヤチホ ヤサカ マガタマ>とは、「タカマクラ(宇宙球)は、始端と末端の極限が永遠に循環している。」という意味であり、ヤホヤチホは、数としては800、8千ですが、ヤは極限を意味し、天体において、生成、分化、親和、還元、極限、循環の変遷が、無限に繰り返されている状態を表わします。
ヤサカノマガタマ の基底思念は、「極限に(ヤ)分れた(サ)チ(カ)のマガタマ」であり、アマから、最も極微に分かれた粒子のタマ、の意味を表しています。カタカムナ人は、自然界の万物万象すべてが、この極限に分かれた粒子(ヤサカノマカタマ)が変遷して現実に現れたものであり、それぞれの寿命を終えれば、また元に戻ってアマに還元して行く、ということの相似象であることを観じ、それをマガタマという表象物に託して表明しているのです。マガタマは、実は、「アマとカムのフトマニのタマ」の意で、鉄製の球形で示されたものです。
<アメ アマヒ>とは、「宇宙の諸天体も、アメ(アマの微分された球体)から生成されたものであり、その発生源はアマヒである」の意です。
各単玉についてのカムヒビキ
イツノタマ
ヒジリタマ
繰返し凝縮するという巨大現象が、諸天体発生のモトの玄(ヒ)であり、大量のアメの凝縮した巨大なヒ(核)を<フトヒ>と呼びます。それは、「多くの太陽を生む、大木の太い陽(ヒ)」で、巨大なチカラの発生源ですが、「潜象」であって、不可視です。これに対して、私達の太陽のような宇宙にたくさんある「現象」の恒星を<アサヒ>と呼びます。顕微鏡や望遠鏡などの観測手段を持たないカタカムナ人にとっては、大宇宙の核として、フトヒの存在を直観したことが原型となって、相似象によって、地球上の分子原子以下の微細構造、人間の身体、動植物の細胞以下の微細現象等に至る、洞察が及んだのです。
また、フトヒは、大宇宙の核であるからこそ、それが宇宙の大きな「遠心」となり、そこに向かう大きな引力が働いている、とも観じました。そして更に、このフトヒから、宇宙的な生命力が放出されていることも直観したのです。
要するに、タカマクラにおいて、フトヒから宇宙の天体群が発生する相(スガタ)が、すべての相似象の原型なのです。
カタカムナ人は、このような大きなものを巨察的に捉える能力がすぐれていて、原型を掴んだ後に、微視的なものを追求し、目に見えぬものまで相似象として判断できたと思われます。
●<ヒ>について ヒは、太陽(アサヒ)の陽を指すヒビキであって、ヒトツのヒでもあり。すべてのものの「根源、始元」を指す思念です。自然界に現れた「火」(火山、落雷、山火事等)をヒと呼んだのは、それらの火のモトに、「アマのヒ」があるという直観があったからでした。「ヒ」は「モトになるもの」であり、太陽(アサヒ)のモトはフトヒ、フトヒのモトはアマヒです。天空における太陽の一回りを一日の日(ヒ)と呼び、身体にもヒザ、ヒジがあります。ヒコ、ヒメ、ヒマゴは。ヒ爺さん、ヒ婆さんから分かれ出た子孫の意です。ヒビキの語源は、「ヒ」が二次三次のヒ(ビ)を発生する(キ)という思念から出たもので、<カムヒビキ>という言葉には、ヒの最も根元的な、カム・アマのヒビキを伝える意が込められています。つまり、<ヒ>は「大元」の意味であり、すべての「ヒ」は、大元の「アマヒ」から分かれた相似象なのです。
太陽(アサヒ)が「ヒ」と呼ばれるのも、フトヒの相似象として、アマの巨大な空洞(アナ)から発生した「ヒ」であるからとの直観だと推察されます。太陽の中心核はおそらく巨大なアマナであり、私たちの見ている太陽の光は、その空洞輻射であろうと考えられます。ヒとは、すべてのモノの「核」となって生命を支え、さまざまな物質を発生させながら、自身は目に見えぬ「潜象」なのです。
また、以上のような、「ヒのヒミツを知ること」を、カタカムナ人は<ヒジリ>と言いましたが、後世、これに「聖」の字を当てたのは誠に「妙」でした。
●アマについて アマとは、カタカムナ人が「アらゆるもののハジマリ」として体覚的に感受していた「始元量」であり、すべての現象事象の「元」です。カタカムナ人達は、アマが微分された「アメ」の状態で、宇宙全域(アマ界全体)に、密度高く充填されて行き渡っている様相を観じ、そのアメの濃淡からウズマキ流が生じ、超光速で大宇宙空間に波及する力も、<アマハヤミ>として直接感受していました。(因みに、何億光年のかなたにある星の光は、地球に到着するまでに何億年もかかるわけではありません。宇宙空間では、力のカタチで瞬時に伝わり、再び光に変換されて目に届きます。(「相似象」第8号参照。)これについては、また別の機会に述べます。)
アマは、すべての物質中に入り込んで、(原子核や細胞核のように)その生命を支配し、また、アマウツシの実体として、私達の心身と絶えず交流しています。
<マ>の微分である<マリ>は、<マ>の結球ですが、潜象のまま、右マワリ左マワリに旋転しながら運行して(マワリテメクル)、集合、融合、重合し、<マ>全体に渦巻いています。そして、宇宙の環境条件に応じて、電氣粒子(イカツ)となって「現象界」に現れ、磁氣や力の位相を持ち、モコロを構成し、次第に、目に見える諸現象を形づくる「元素」へと変換されていくのです。これが、直観物理の主要なポイントです。
●カミ・カム <カミ>とは、川の流れの源を「川上」と言うように、目の前に現れる現象のモトを「カミ」へと遡って、その本質を知ろうとする思念です。それは、後代人が想定した「神」ではなく、真に<カミ>としか言いようのないものを示すサトリだったのです。
<カム>とは、「カタチが見えぬ」の意であり、潜象界に存在するアマ、アメ、アマヒ等もカムなのです。しかし、存在する以上、「チカラ」を伴い、「ヒビキ」を伴います。ところが、この「潜象」の存在を追及して、カミへと遡る程、「奇妙さ量」が増加します。しかしカタカムナ人は遂に、すべてのモノの根元の、真の「カミ」を把握しました。しかも、その正体を表現するのには、<アマ>と<カム>というしかないことをサトったのです。カタカムナのカミは、人格化された神ではなく、「根源的な起源」の思念です。
カタカムナの示しは、大モトから、神の本質を掴み、宇宙の成り立ちから始めて、人々に根本の心構えを教え、そして、非常に高度の物理に基いて、「生命(イノチ)のサトリ」によって、生活の諸般にわたる根本的態度と方法(真の「クラシのチエ」)の数々を明示していたのでした。
イワネタマ
<ヤタチ>は、「八軸」の意。
<ホホデミ>は、「正反釣り合って発生する」の意。
ヱミノタマ
<ニギ>は、「和」の古語。
<ヱミ>は、「魅力ある存在」の意。笑み、恵、美等から派生。
<ホシマクラ>は、「星の集まっているマのクラ」、
即ち太陽系や銀河系のような、大小の星の集団の意。
<ホシ>は、「正反親和(ホ)の示し(シ)」の思念。
ウヅメタマ
<ヒコユヅ>の「ユ」は、水が沸いて湯になるように湧き出す思念。
<ツ>は個々。
<ウヅシマ>はウヅの縞、即ちアマの渦巻流(ウヅメ)の意。
<ウヅシマヒコユヅ>は、アマのウヅメから、ウヅメクソ(中性子、
陽子、陰陽電子等)が無数に放出される相(スガタ)
<ホシマ>は恒星空間で、そこには大小の彗星があり、太陽系に入り込んで、流星や隕石となるものや、月のように衛星となり、惑星の周囲を巡るものとなります。この相似象のモデルとして、原子内の電子軌道に、更に幾重にも重なった軌道殻が伴って運航されている相が想起されます。
天空には、アサヒ(恒星)やそのヒコネクラ(太陽系等)の、ニギスム、ヱミノタマ(惑星)の他に、渦状の星雲ヒコユヅや、大小の星団の存在を示しています。ヒコユヅは、アマの渦巻流から、新しく発生しつつある星の集団で、私達の太陽(アサヒ)も、太陽系の星々も、もともとはアマノウヅメの流れから放出された、ウヅメクソから発生した微粒子が、集合し変遷したもので、ヒコユヅとして放出されました。
満天の星には、ヒコユヅのような生まれたての星や、太陽系のような、崩壊の方角に崩壊しつつある星もあるのです。また、流星群はヒコユヅではなく、かつての恒星のヒコネクラが崩壊して、最後の段階に近づきつつあるスガタです。
ナリマタマ
<ヤシキ>は、「極限(ヤ)まで広く敷かれている(シキ)」から、
宇宙球全体を表す。後世には、転じて大きな邸宅(屋敷)の意となる。
<ナリマ>は、「マのナリ」即ち「マの本来性のスガタ。」
タカマクラが、全体として大きく、八方軸上に正反対応して、釣り合っている象(カタチ)が<ナリマ>であり、それが、ヤタノカガミに表象されるオクテットタイプで、タカマに発生するすべてのモノの間のバランス状態を表しています。
フタセクラは、「二つに分かれた星の座」の意ですが、ナリマタマに対して、「正反性」を意味するように掛かっています。まわり方が正反の反対になっているということです。相似象として、地球の南北両半球のように、正反対称、かつ求心部では重合しているような相(スガタ)があります。
モノの保全自衛のスガタは球状なのです。マリの一個一個も、正・反の偶力によって旋転(マワリ)が始まり、その場の力(主としてアマの渦流)に応じて動き出し、周囲の天体との引力関係から循環(メグリ)の運動が起きます。カタカムナ文献第5首、第6首の48文字のウタヒは、このことを示しています。
●カタカムナ人は、天体の新陳代謝の相を巨察して、アマの微粒子のマリ(イツノタマ)から始まって、ヒジリ、イワネ、ヱミ、ウヅメ、ナリマとなる変遷を観じたのです。更にヤを過ぎると崩壊方向に赴くとして、それを次の歌詞で表しています。
クシサチタマ
<アソフク>は、火山爆発の古語。
<アソ>は、火山を指す、万国共通の古代語。
日本でも阿蘇の名が残っている。
<アラタクラ>は、新しい星のクラ。
クシサチタマは、現代天文学の巨星現象に当たり、恒星(アサヒ)が極限状態(ヤ)を過ぎると、どんどん大きくなって、ある時突如大爆発を生じて消滅し、恒星物質は天空に飛散します。
宇宙には、このように、崩壊方向に赴きつつある「クシサチ」と、新たに発生して生成途上にある「アラタクラ」の二系統の星が見られます。前述の「フタセクラ」は、ここにも掛っていて、二重の意味を持っています。
因みに、私達の太陽系や地球は、クチサシ系に属し、大小の流星群も、近隣に存在していた星座の爆発によるカケラで、いずれはアマに還元されるものです。
同じ星団でも、ウヅシマヒコユヅと言われるものは、アラタクラの新生しつつある系統で、二つの系統は、「生成」「還元」の正・反二方向を指向します。それらの経過に関する時間は一様ではなく、条件によって伸縮されるので、星団の年齢や寿命を定めることはできませんが、全体としての方向性を逆転させる、例えば、クチサシの、アマへの還元方向をやめて、アラタクラの生成方向になる、ということはありません。
以上のように、長い天体の変遷、即ち、生成発展、崩壊消滅、還元循環というう新陳代謝が、宇宙のタカマクラに、7万年、7千万年といった「七」の周期性を以て反復されていることを、カタカムナ人は洞察し、そのスガタをヤサカのマガタマの7種の単玉で表象し、万象万物の原型としたのでした。
前述しましたが、古代のいわゆる装身具として扱われた曲がったマガタマは、歴史書にも記述があるようにシナより伝来したもので、宝玉製のものですが、それより以前からあったカタカムナ表象物としてのマガタマは、「鉄製」でした。また、鏡についても、シナから青銅や鉄製品が伝来する以前に、特殊な製鉄による、カタカムナのヤタノカガミがあったのです。このことも、古代以降の人類が、上古代の人々に対して持っていた、はなはだしい認識の誤りの故だったのです。
まとめ
<ヤサカノマガタマ>に関するカムヒビキを要約します。
「宇宙球(タカマクラ)は、無限のアメの集合系で、アマヒから発生し、始端と末端の極限が永遠的に循環している、というサトリを、ヤサカノマガタマによって、表象している。そして、その循環には、「七」の周期性があるということを、七種の単玉によって、以下の如く示している。
まず、宇宙のすべてのモノのハジマリは、アマの微分されたアメである、ということを表象しているのが、イツノタマである。
その雲のごとき宇宙の氣(アメのウケ、即ちアマ始元量)が、次第次第に凝縮して(コゴリコゴリミ)大きな、目には見えぬヒ(核)となる。これが宇宙の諸天体を発生する、根元のフトヒであり、言わば、アマヒのクラ(庫)である。ヒジリタマは、この事を表象している。
次に、この大宇宙球の中心核(フトヒ)から、巨大な岩根の張り巡らすように展開する、天空の八方の軸上に、正・反の釣り合いを以て、多くのアサヒ(太陽のような恒星)の集団が分布している(銀河系宇宙等)。その様をイワネタマが表している。
フトヒから生まれた、アマの子孫のようなアサヒ(太陽)には、またそれぞれ、その外側に、多くの星が、互いに引力関係を保ちつつ、ニギヤカに集まっているクラがある(太陽系)。そのスガタをヱミのタマが表している。
宇宙空間には、大きなアマの渦巻(ウヅメ)から、大小のウヅマキ星雲が放出され、、たくさんの星のクラが、分かれて独立した、マトマリを成している。その有様を、ウヅメタマが表している。
フトヒを中心核として、満天の空に張り巡らされた八方八軸に、多くのアサヒ(恒星)が分布し、その間には、アマのウヅシマから放出された星雲があり、さまざまの星が、それぞれの変遷の過程を辿って消滅しつつ、しかも、タカマクラ全体としては、常に正反対応して、大きく釣り合っている。そのスガタを表象しているのが、ナリマタマである。
天空には、天体が、飽和安定の極限を過ぎ、だんだん崩壊方向に赴き、遂に巨星となって爆発する(オホキアソフク)星があり、それを表象しているのが、クシサチタマである。
そして、爆発によって飛散した大小のカケラは、次の新しい天体の材料として、環境条件に応じ、再び、ヨロヅハジマリ イツノタマ、コゴリコゴリミ ヒジリタマ、ヤタチホホデミ イワネタマ、ソトヨニギスム ヱヱミノタマ……と、生成発展してゆく。そしてまた、極限(ヤ)の」安定状態を過ぎれば崩壊して、アマに還っていく。――-私達の見ている宇宙の天体には、自ずから二つのクラがあり、互いに正・反して、逆の回転をしている。と共に、時間の経過にも、正・反の二つのクラがあり、崩壊過程にある星(クシサチ系)と、生成過程にある星(アラタクラ)との、二つの方向性があるわけで、タカマクラ(宇宙球)では、そのような天体の新陳代謝が、7百万年・7千万年のような「七」の周期性を以て、永続的に繰り返されている。(「相似象」第4号、76ページ)