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質量・物質結晶・生氣倍増電流のサトリ    万象万物を表現するカムヒビキ(4)                   【直観物理と相似象 その 16】


11 質量の物理

  アマカムナ アマカムヒビキ ハホ ハホ ツォ
   アマノカガミ アメヨロヅ
   アマナ ウケハシ オホトヒメ
   オモダル カシコネ アメトムベ

意味と解説 
 「宇宙には、万物の引き合う音が響いている。それが、アマのカミから力を受けた、万有引力である。 そして、万物には、物体内に潜められた、アマのウケハシ、すなわち、カムとアマの支配の授受の場があり、そこは、潜象の微分空間である。 物体の質量(オモダル)は、この微分空間(アマナ)を構成する、アメの密度差に従うもので、密度の濃いものが、質量も大きくなる。」

 <ハホ ハホ ツォ>は、宇宙虚空における、万物の引き合う様を表した音です。

 <アマノカガミ アメヨロヅ>の、アメヨロヅは、万物万象の意。アマのカカミとは、アマのカミの力、すなわち、アマの始元量を生むカミのチカラを意味します。ここでは、そのチカラを受けて、宇宙の万物が互いに引き合う現象のことを言います。カカミは、カタチやチカラに表れるカミの意から、鏡や鑑の意が出ます。

 <アマナ ウケハシ オホトヒメ>とは、「物体には、潜められた、カム、アマの授受の行われる場がある。」という意味を表しています。ウケハシのウケは「宇宙の氣を受ける」意、ハシは、「正・反の示し」すなわち、AからBへと渡す意から、橋や箸(食物を口に渡す)の意、端の意にも通じるのです。オホトヒメは、大きく秘められている、という意味です。

 <オモダル カシコネ アメトムベ>は、「カム-アマの授受の場の、微分空間(アマナ)に働くチカラが、物の重さ(オモダル)になり、その重さは、アマナを構成するアメ(微分始元量)の密度差に従う。」という意味です。トムベとは、富に伴うという意味です。「へ」は方向を示す思念だから、トム方に従う、すなわち、アマナの密度が大きいものは、質量が大きいという意味になります。

 カタカムナ人は、物体を生成する要素としては、現実の形質を構成する諸元素の起源に、太陽や、モロモロの宇宙の諸天体の輻射エネルギーのおカゲ(モロカゲサチ)を観じると共に、更に大きな、カム-アマの力の支配(アマナウケハシ)を感じていました。
 カタカムナ人の観じた質量(オモダル)は、物質生成の中心核である、アマナウケハシの場、すなわち原子核内の「微分空間」ともいうべきものを質量の中心とし、物質の「質量」は、その「アマナ」を構成するアマの密度、すなわち、トキトコロの粒子(潜態)の量によって定まる、というものです。つまり、アマナの密度が少なければ質量は小さい、という、実にスッキリとしたものです。この考え方は、アマの「元」と、アマのカミの「カム」の力に基づいているだけなので、宇宙空間のどこに行っても通用します。
 これに対して、現代科学では、地球の重力を基準に、物体の質量を考えているので、地球の重力の及ばないところでは、その理論が通用しないことになります。

12 物質の結晶の物理

アマカムナ アマカムヒビキ ツァ ツァ ツァ
 イカツ オホワタ アメカムロ
 アメノトリフネ サヌキアワ
 ウマシ アシカビ トビハヅチ
 オホゲツヒコヒメ シナツヒコ
 アオヒトクサキ オホヒルメ
 ヤソシマムスビ アマアナト


意味と解説
 「物質の結晶という現象は、原子や分子自身の、微視的な力の作用に基づくものではなく、宇宙の広域に充満する宇宙的原動力、すなわち、集積位相の電子(イカツ)が、結晶の原動となっている。物質の環境は、すべて電氣の海であるが、その中に滞在する、始元量のアメが、物体のカタチを形どる役割をして、iいわば、アメの壁に囲まれて、いろいろな物が存在しているのである。そして、物が分化して還元するという、物質の分離統合の現象は、アメの性質を受け継いだ、イカツの正反、すなわち、サヌキとアワの働きに基づくものである。
 要するに、サヌキとアワの親和力が、物質の結晶力であり、縦横に延び拡がる物質結晶の現象は、物体の環境の電氣の海から、結晶点や結晶格子の役割をする、陰電子と正孔が供給されているのである。そしてそれは、生命質と、物質の結晶に共通する現象であり、すべて、宇宙的拡がりを持つものである。
 このようにして、原子分子から、諸天体までを含む、万物が構造されるのであるが、その発生先は、アマの内在するアナトである。すなわち、アナトのアマナウケハシによって、すべてのものが構成され、アマの壁に囲われて、ものの形が保たれているのである。」

 <ツァ ツァ ツァ>とは、自然界発生の根源であり、還元先でもある、大海原(オホワタ)に、アマ水が振り込むという、身近な自然界の、静かなるヒビキを表したものです。
 大海原は、常に、アマが、無限のカムと、現象の自然界に向いている相であり、そこに、イノチが、常に交接している関係が演じられています。

 <イカツ オホワタ>とは、「宇宙に充満している電氣の海」の意です。それが、物質結晶の出来上がるべき「環境」であり、物質結晶の原動力となっている、という意味を表現しています。

 <アメ カムロ>とは、「(イカツオホワタ(電氣の海)の中に、)目に見えぬアメで囲われた物質が存在している」という意味です。すなわち、物体の輪郭をなすものが、アメで囲われた、言わばアメの壁(後出のアナト)であり、それによって、物のカタチが、環境のイカツの海と、区分されて表れているという意味になります。絵を描くときに、輪郭を、線や色調で囲うのは、このアメの壁を描いていることの相似象です。また、アメカムロとは、「マカカハコクニ」(3 恒星空間の有様の表現参照)を説明するヒビキでもあります。もし、アメの壁に囲われることなく、電氣力が働けば、環境にすぐに溶けてしまい、モノの形を保つことはできないという観点から得られたものです。
 <カムロ>は、「カタチの見えぬロ」の意で、ロとは、絽の如く、縦横に細かく仕切って囲われている、という意味です。

 <アメノトリフネ サヌキアワ>とは、「始元量アメにおける、統合性、分離性の二つの根が物質に受け継がれて、分化と還元という現象になるのであり、それはサヌキ(電子)とアワ(正孔)の働きに基づくものである」ということを表す歌詞です。
 <トリフネ>は、統合(ト)と分離(リ)の二つの根(フネ)の意味になりますが、古事記では「鳥舟」、異本では「摂理」と訳されています。

 <ウマシ アシ カビ トビハツチ>とは、「物質の結晶が、縦(アシ)と横(カビ)に延び拡がる意味を表し、正反の力が一つのカタチに統合(トビ)親和した(ハ)個々(ツ)連続(チ)の現象、すなわち結晶力が発現する有様」を表現しています。
 <ウマシ>は生産するの意。
 <アシ>は葦や足が、上下に伸びるところから、「縦」を意味します。
 <カビ>は、黴が左右に拡がるところから、「横」を意味するヒビキです。

 <オホゲツ ヒコヒメ シナツヒコ>とは、空間に結晶軸が次々と発生し、個々固有のカタチが反復されている意です。すなわち、結晶点と結晶格子の発展を表現したヒビキです。
 <オホゲツ>とは、「六方の立方体に正反親和して、次々にカタチがつくられる、結晶の状態」を意味しています。
 <ヒコヒメ>は、「次々に続けて現れる」意、「ヒコヒメ」と続けて一語になっている時は、反復される意に、「ヒコ」「ヒメ」という時には、ヒ(もと)から分かれた「彦」と「姫」の意となります。
 <シナツヒコ>は、その繰り返しの個々を示す意です。
 なお、オホゲツヒコヒメは、今日の小さな原子や分子のみならず、大小の物質や、天体のできるのも、このような結晶の発展と観ていたということです。

 この環境電氣が、温度・圧力等の条件によって状況が変われば、分子原子も、その電氣の運動に共振して結合力が異なり、個体・液体・気体等の別が生じます。このように、分子原子自身の持つ結晶力は、電氣の海(イカツオホワタ)の原動によって、決定されるのです。
 
 <アオ ヒト クサ キ オホヒルメ>とは、このような「結晶の発展してゆくスガタは、人間、動物、植物、つまり、物質、生命質にも共通の現象であることを示し、そのような結晶は、宇宙的原動(アオ)によって行われる」という意味を表明しています。
 <アオヒトクサキ>とは、「人や草木が、目に見えぬアマの根源から生まれてくる、その発生源をアオというのだ」という意味です。
 <ヒト>は「ヒトツに統合されたもの」の意であり、「人」に限らず動物一般をも含み、広義には、動植物全部が含まれています。カタカムナで「ヒトとカミ」という時には、「ヒトツのものとして統合されて現象に現れたもの」の総称が「ヒト」であり、「ヒトを生じるモト」が「カミ」即ち「根源」を指すものでした。
 <オホヒルメ>とは、六方の立方体(オ)に正反親和して(ホ)ヒトツに(ヒ)留まって(ル)発生している(メ)、すなわち「結晶」の状態を意味しています。

 <ヤソ シマ ムスビ アマアナト>とは、「すべて、万物(ヤソシマ)を生成する(ムス)根源(ヒ)は、アナト(アナの門)に内在するアマである」という意味の歌詞です。ヤソシマは「たくさんの示し」すなわち、「物質生命質を含む、すべての万物」を意味します。また、アナトは、アナの門を意味し、アマナウケハシとも言っています。

 現代科学の概念での物質の結晶とは、結晶自身の持つ微視的な結晶力(すなわち、原子、分子の持つ電子)の参与する現象であるとされていますが、これに対して、カタカムナ人は、このカムヒビキにて示すような、宇宙の広域に充満する宇宙的原動力、すなわち、集積位相の電子(イカツ)が、結晶の原動となっていることを、観じていたのです。


13 「生氣増幅電流」のサトリ

アマカムナ アマカムヒビキ ク クァ クァ
 アカシ チクヌネ サヌキ アワ
 ツヌクヒ イククヒ ハハキ ワケ
 アメクニ トコタチ チブリクミ
 ウブス イカツチ ヤソマサゴ
 イヤス イヤシロ イキアフミ

意味と解説  これは、生体の電氣生理の現象を表明した示しである。
 「人間の男女が性交を慎み、神聖な気持ちで愛撫接触すれば、人体は半導体物質であるために、正孔(アワ)の注入による、生体電氣の増幅という現象が発生する。それによって栄養の交換が行われて、生氣が充満し、健康が活性に保たれる。」

 <ク クァ クァ>は、雄鳥が雌鳥を、あるいは雌鳥が雄鳥を呼び集める鳴き声です。すなわち、生物の生きる「食」と「性」の本能を表現したヒビキです。

 <アカシ チクヌネ>の、アカシは、「現れた示し」、チクヌネは、「見えない根」のことで、男女の性器を表します。

 <サヌキ アワ>は、この場合、男性、女性の電氣特性を意味します。

 <ツヌクヒ イククヒ>における「クヒ」は、本来、「クヒを打つ」のクヒの意であり、ツヌクヒは、「個々の見えないクヒ」で食本能の行動を、イククヒは、「生きるためのクヒ」で性本能の行動を表すヒビキとなります。カタカムナ人は、生命を貫き得るために必要なものは、アマがクヒを打つように、ところどころに配材してくれている「恩恵」と考え、「食いもの」や「食う」の意味はそこから出たのでした。生物の性の本能にしても、そこにあるのは神聖な感情であって、卑猥な妄想はありません。

 <ハハキ ワケ>は、親和している氣(ハハキ)を分けて、制動する、すなわち性本能の抑制を意味しています。

 <アメ クニ トコタチ>は、アメと、現象物質粒子(クニ)との共役(トコタチ)のことであり、この場合、「天然の理に従う自然な行動」を意味します。
 <トコタチ>は、「トモにコロガル性」すなわち、共存共役性、互換重合性を意味します。トコは床の意にも通じます。

 <チブリ クミ>とは、電氣的接触を意味します。チは目に見えぬ電氣性を意味し、
 <チフリ>は「チの振り」つまり「電氣振動」を、
 <クミ>は組み合っての接触、すなわち、
 <チフリクミ>とは、男女愛撫の姿を意味する古語です。ここには、人間も、サヌキ・アワの電氣性をもつものという気持ちが込められています。

 <ウブス イカツチ>は、生まれ(ウ)増え(フ)活動する(ス)電氣(イカツチ)すなわち「誘発電氣」の意味を表します。(日本書紀には「産巣雷」と訳されている(楢崎皐月註)。)

 <ヤソ マサゴ>は、「多くの粒子が現れる」ことです(「浜のマサゴ」などと言います)。
 <ヤソ>(八十)は数の多いこと
 <マサゴ>は、マの分裂した(サ)、細かい粒子の意。

 <イヤス イヤシロ>における、イヤは「イヨイヨ」、シロは「代わること」つまり物質の代謝を意味します。したがって、「イヤシロチ」とは「物質代謝をイヨイヨ盛んにする電氣の持続する土地」すなわち「サヌキ(電子)の多い地」の意味になります。イヤスは、身体の新陳代謝をイヨイヨ盛んにすることから、病気を癒す意になります。これは、健康を保つためには、電氣を豊富に身に着けるべきである、という示しです。

 <イキ アフミ>における、イキは「生氣」であり、アフミは、溢れるミ、つまり「元氣」の意、「ミ」は内容実質充実のミ、意味のミ、身体のミ、満ちるのミ、実るのミの意味です。したがって、イキアフミは、生氣増幅、すなわち元氣が充実し、活気が溢れるようになる意味を表明しています。

◆電氣は栄養の支配的役割を果たす

 私達は、栄養といえば、蛋白質や澱粉、脂肪、ビタミン、ミネラル等を頭に浮かべますが、カタカムナ人的観点から言えば、「栄養」の最も支配的役割を果たすものは、「電氣」なのです。それは、いわゆる栄養物質を食べても、それを消化、吸収、運搬するハタラキは、電氣現象に拠るからです。電氣が欠乏すると、摂取した栄養物質は身の養いにはならず、精神的にも元気を失ってしまいます。すなわち、心身の病の最大の原因は、電氣の欠乏なのです。
 心身にとって、最高の栄養は電氣の補給であり、それは、食物からのみならず、性の交換によっても、環境から電氣を取り入れるのが、何よりの健康法であることをカタカムナ人はサトリ、その方法を示していたのでした。
 男女の性の配偶は、アマの相似象であり、アマによって授けられた最高のイククヒ・ツヌクヒであって、カタカムナ人はそれをスナホに活用して、充分なアマウツシを受け、長寿で豊かな人生を楽しみ、肉体的・精神的に人間の持ち得る最高度の脳力を発揮し得たのでした。
 「性」に関して、一般の現代人は交接交合の行為のみを思い浮かべ、プラスエントロピーの満足に耽ることのみを想定しているため、教養あるマジメな人ほど、卑猥感のある忌むべき秘事のように誤解していますが、それを「獣的行為」などと称すのはとんでもない思い違いで、人間以外の動物こそ、本能に従う秩序があり、確かに、子孫を残す目的で行う交尾期にはプラスエントロピーの性交換を必要としますが、それ以外の時期には、夫婦親子は静かな自由の姿で、マイナスエントロピーの性の交換をして暮らしています。人間だけが、カンを失って、生き方に「自然サ」を欠き、宇宙法則から離れた異常な個体変化をしていることを、しかとした見解として、心に留めるべきなのです。
 

◆性栄養によれば、「元氣」量が急速に増量される

 食本能の充足には満足感と快楽感がありますが、性本能の充足にはより強い快楽感があり、プラス・エントロピーとマイナス・エントロピーのいずれにも爽快な満足感を伴います。その理由を考えるに、食栄養は、生体内に摂取量・質に比例した電氣キャリアを間接的に送る仕組みであるのに対し、性の栄養は、直接異性との接触電位差によって、しかも少数の電氣キャリアの交換的注入によって、生体内の「元氣」が急速に増量されることに基づくからです。この現象は、電子工学におけるトランジスタの動作機構に相似しています。

◆性栄養摂取の仕組みはトランジスタの動作原理に相似する

 ここで、トランジスタの動作原理を簡単に説明します。
 まず、トランジスタの材料である半導体についての説明です。物質には電氣電導率が高くて電氣を通しやすい金、銀、銅などの導体と、電氣電導率が低くて電氣を通さないゴム、ガラス、セラミックなどの絶縁体とがあります。またその中間的性質を示す物質として、シリコンなどが材料になっている半導体があります。半導体の電氣伝導率は温度によって変化し、低温時には電氣伝導率は低くてほとんど電氣を通しませんが、温度が上昇するにつれて、電氣伝導率が上昇し、電氣が通りやすくなります。また、不純物を含まない半導体はほとんど電氣を通しませんが、ある種の不純物元素が含まれると電氣が通りやすくなるという性質があります。
 さて、原子は、アマナである原子核とその周りの軌道上の電子にて構成され、電子の軌道は不連続的となっています。電子の取ることのできるエネルギーをエネルギー準位と言いますが、電子は低いエネルギー準位を取ろうとするために、低い位置にあるエネルギー準位ほど電子の存在する確率は高くなっています。原子が多数集まって結晶を構成すると、エネルギー準位が連続的に分布し、エネルギー・バンドと呼ばれるバンド(帯)状の準位を作るようになります。
 以下の図は、導体、半導体、絶縁体のエネルギー・バンドを示しています。導体では、価電子の存在する価電子帯と、それよりもエネルギーの高い伝導電子(自由電子)が存在する伝導帯が重なり合っていて、キャリアである自由電子が常に存在する状態であり、外部から電圧がかかれば自由電子がすぐにも動き出して電流が流れます。一方、絶縁体では、伝導帯と価電子帯の間にある、禁制帯が大きなバンド幅(バンド・ギャップ)を持つために、価電子帯の価電子が、伝導帯に上がって自由電子となるためには、大きなエネルギーが必要となります。すなわち大きな抵抗を持ち、電流の流れは阻害されます。

導体、半導体、絶縁体のエネルギー・バンド

 半導体のエネルギー・バンドは、絶縁体と同じく、伝導帯と価電子帯、及びその中間にはバンド・ギャップを持つ禁制帯がありますが、その幅は絶縁体よりも小さく、また、電子の存在確率が1/2となるフェルミ準位はこの禁制帯の中に存在しています。ここで価電子にバンド・ギャップを超えるエネルギーが与えられると、その電子は、価電子帯から伝導体へ励起することで、伝導電子となります。半導体の場合には、常温で熱等の運動エネルギーにより、価電子帯の電子の一部が伝導体に励起されることで、若干の電氣電導を示しています。また、価電子帯から励起した電子の抜け殻は正孔(アナ)となって、これは正の荷電粒子と同じことになり、これも電氣電導に寄与します。真正半導体と呼ばれる高純度の半導体では、絶対零度では電子は伝導体に励起されず。電氣電導は生じません。半導体をつくるのに使われる素材は、高純度の単結晶シリコンです。これに、5価のリンやヒ素が添加されたものをN型半導体と言い、その場合の添加物質はドナーと呼ばれます。N型半導体のフェルミ準位は、伝導帯よりやや低めの、伝導帯に近い位置にあります。したがって多くの電子が、容易に伝導帯まで励起され、キャリアとなって電氣電導に寄与します。一方、単結晶シリコンに、3価のボロン等が添加されたものをP型半導体と言い、その場合の添加物質はアクセプターと呼ばれます。P型半導体のフェルミ準位は、価電子帯よりもやや高めの、価電子帯に近い位置にあり、ここにはもともと電子がないので、価電子帯の電子がここに励起されるため、価電子帯に正孔ができ、これがキャリアとなって電氣電導に寄与します。ここで、P型とN型の半導体を接触させて接合させると、それによって、電子と正孔の二種類のキャリアが多数存在する中に、少数が逆に流れ込むといういわゆる注入(インジェクション)という現象が起こり、回路の電流や電圧の増幅が行われるのですが、この現象がトランジスタの動作の基礎となります。トランジスタは、電氣の流れをコントロールする電氣部品で、多くの電子回路に利用され、その機能としては、電氣信号の大きさをコントロールする増幅機能と、電流をオンオフするスイッチング機能などがあります。スマホ、パソコン、テレビ等、身近な電化製品のほとんどに使われているⅠCやL S I の中では、多くの回路にトランジスタの原理が使われています。

◆性の交換栄養

 人間の場合も、異性との接触によって、少数キャリアが交換注入され、それにより互いに体内のキャリアが誘発されて増加し、性の交換栄養となるのですが、これらは単なる物理現象ではなく、現代物理学的には不思議な現象が起こっているのです。それは何かと言うと、人体も一種の半導体ですが、それらの半導体や金属から電子が出てくるなら、それらは消費された分だけ減るはずですが、実際のところは、全体量として増加しているのです。この現象は、精密な測定器により確かめることができます。
 このような、少数キャリアの交換注入により、体内におけるキャリアが急速に増加するという現象は、現象の背後における天然界からの<アマウツシ>、すなわち始元量<アマナ>の移入に基づくという観方が、カタカムナ人の天然理に指摘されています。
 性の交換栄養は、両性における素直な理知性を高め、情緒を豊かにして、愛情とか慈悲、その他道義の念を派生的に誘発する役割をも演じています。性の交換栄養は、愛人や夫婦は言うまでもないが、親子や隣人においても、さらに拡大して言えば、人類社会における異性の存在に、天の恵みが支配していることを認識して、異性は互いに尊重されねばならないこということでもあります。
 このようにして増幅された活動電流は、体内の必要な処に運ばれて、随所に「元氣」を与えます。頭脳に運ばれるのはもちろんのこと、病氣とは電子の欠乏状態でありますから、例えば、胃が悪ければ電流が胃に送り込まれるのです。つまり、電子が電位の高い方へ自然にひかれて行くのですが、これが「自然治癒力」の実相なのです。
 また、性の栄養は、いざとなれば――すなわち非常な欠乏状態になれば、―-男性は大地や植物からでも、また視覚からでも(実際の女性を見たり、写真を見たりすることでも)電子を摂り得るけれども、最も効率よく摂取するには、二点にコンタクトを置くことで可能になります。この点でも性の交流は電氣回路にたとえられるのです。
 
 電話の送電線は、空中架線一本に対してアースを取り、地下のイメージによって回路が通じていますが、この地下のイメージを前駆流と呼んでいます。地下に障害物があって、この前駆流が通じないと、如何に高圧をかけても電流は流れず、電話が通じません。
 これもまた、女性の前駆によって男性は魅力を感じ、男女の交わりに回路が通じるのに似ています。もし女性側に前駆するものがないと、男性は魅力を感じることができず、プラス・エントロピーしかとることができません。
 しかし、真の女性美とは、マイナス・エントロピーの魅力であり、正孔を持つことなのです。このことを女性は深く悟るべきであり、またそのテクニック(スベ)を知るべきです。
 多数の男性の中に女性が存在することによって職場の雰囲氣が明るくなり、活性を浴びて、仕事の能率が上がることは今日よく知られています。女性は本来の性として男性に前駆し、男性の美感電圧の役を果たしていて、人間性向上に大きな責任を持っています。これは女性がしかと自覚すべきことです。美の基準は生まれつきのミメカタチよりも、心がけ次第で大きく変わり得るのです。
 上古代の女性たちは理屈抜きでその役を見事に果たしていたようです。それがやがて、男尊女卑の思想に取って代られたのは、男性自身の偏見もあるのですが、男性の魅力の対象となるにふさわしからぬ女性が増えたからかもしれません。その原因は、人々がパンドラの箱を開けたために、それまでのような素直な性の栄養交換が取れず、大脳の調和的働きを鈍らせたためではないかと思われます。ともあれ、今日それがわかったのであれば、女性自身反省し、男性も謙虚になって、改めて「天国のスガタ」を見るようになりたいものです(楢崎皐月による)。
 動物たちの堂々とした性交換の姿を見るにつけ、人間だけがプラス・エントロピーの性行為だけしか知らぬのは、退化した現象なのです。どうすれば良いかは、実は本能的に知っている筈なのですが、それを晦まして盲動してしまうのは、マイナス・エントロピーの本能の衝動と、プラス・エントロピーの欲情の暴走とを、弁別するという概念を持てなくなってしまったから故なのです。
 上古代の人々が、性に対して大らかな、こだわりのない態度をとっていたということは、一般に知られていることですが、その大らかさがどういうものであり、何故そうあり得たかについては、一般の近代人の意識とは、もはやかけ離れたものとなっているのです。
 彼らの明快な大らかさは、性の問題に限らず、生活の全般にわたり、天与の感受性のままに生きていました。智識は、一度見につけば安定していますが、カンの方は常に鍛錬していないとすぐに退化します。カンを良くするためには、智識を積むとむしろ害になる場合が多く、知識を増やすための努力はカンを鈍らせるという犠牲のもとに為されるという宿命にありました。
 人類はカタカムナ人の持っていた素直な感受性を失い出し、客観背後に見出していたイキイキしたものを見失い、正・反相伴った調和のバランスを失って、客観可能のもののみを対象として追うことを自然科学と呼び、文化と思い、進化であると錯覚するようになってしまったのです。それが大脳を中心とするアタマという機能を持って、地球上を闊歩するようになった「ホモサピエンス」の成り行きの姿でしたが、その為に人類の運命は次第に天然の理に反する方向を辿り、そのための心身に及ぼす公害は、今は加速度的にどうにもならない状態にまで追い込まれたのです。

 自分自身の人生の問題を考えるときにも、地球環境について考える時でも、それを考慮する人間の態度が変わらぬ限り、決して正当な対策は出てくるものではありません。人間知のみの側から、なまじ小手先の技を弄してみても問題は解決せず、天然の側に思いを寄せ、天の恵みによるバランスの取れた対策を立てるのでなければ、結局はうまくは事が運びません。
 天のこころを感受する直観を取り戻すことが、今日の私たちにとって最も急務であることですが、そのカンを鍛錬し、原始感覚を取り戻す方法はいろいろあり、その中でも性の交換栄養は最も基本的なものなのです。
 イヤシロチは上古代の人々は直観でわかり得たのですが、直観機能の退化した現代人にとって、それは困難であり、それでも把握しようとすれば電圧計のようなものが必要となります。それでもそんなに正確には測定しきれません。しかし、もう少し大局的に見ると、植物と大地電位は密接な関係があり、大樹が亭々と茂っているようなところは間違いなくイヤシロチであり、そこに行けば心身の壮爽を覚えるものなのです。上古代の人々が清い大氣や水や土に育まれ、固い木の実や自然のものを、臼歯の性能を活用して、少しずつ丹念にすりつぶして食べ、性の栄養を静かに享受していたことを想像すれば、伝説にあるように彼らの寿命が数百歳を超えるものであったろう事も、荒唐無稽のこととは思えません。また、それでなければ、あれだけの優れた神話の世界を展開し、カタカムナノウタヒ等を残すような智性は生まれなかったであろうと思われます。

 人間のこと、社会のことについて、どうして良いかわからぬ時には、天然の相似象にその範を求めるのが最も間違いのないスベなのです。
 生命も電氣現象と観ることができます。ただしそれは、直観物理に則った観点が必要です。性栄養についても素直に認める態度が常識化すべきであり、栄養については、プラス/マイナス・エントロピーの概念で整序されることが、最も簡潔なのです。
 「勘」や「インスピレーション」は、実は、「性の交換栄養」の<アマウツシ>による活性状態から発展し、その能力を最高に発揮し得るものであります。 直観(カン)の向上を生命とする者にとって、<アマウツシ>のサトリ(物理)は、最高の救いの道なのです。


 
 

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