相似象とは 【直観物理と相似象 その8】
相似象とは
これまで、「相似象」という言葉を何度も使ってきましたが、それが何であるか、明確に定義して使っていたわけではありません。しかし、これまでに示したいろんな例によって、楢崎先生がカタカムナ文献を通じて訴えたかった「相似象」の予備知識が得られたと思います。そこで、改めてその真の意味するところについて今ここに明らかにしていこうと思います。
「相似」と言えば、中学校で習う三角形の相似という問題を思い浮かべる方も多いと思います。
しかし、ここで述べる相似というのは、もっと一般に性質や性格がだんだん似通ってくる諸現象のことを言います。例えば、自然の風景の中によく似た山や谷や森の植生が重なり続いている現象や、宇宙における恒星系の中の恒星と惑星のつくる運動、ミクロの原子内の原子核と電子の運動、あるいはもっと大きなスケールで銀河全体とその中の恒星系の運動の関係をみても、それぞれが似たようなパターンを形成していることに気が付きます。また、人間の運勢や身体の仕組みが、天体の運行や宇宙の仕組みと似通ったものがある等、ある物事のパターンが別の現象との間で同様であることも極めて多くあります。
このような相似通う現象のことを楢崎皐月先生は「相似象」と名付けたのです。その似通った様相は、単なる偶然ではなく、何が何に、どのように似るかという事が、根元的な意味を持つものであることを直観し、そのような場合には、ある基準パターンを作ってそれに代表させてその性質や傾向や運動を考察すれば、それに相似な現象は同じ考え方によって理解、あるいは把握することができるのです。
何かを伝えたいときに、「例えば..」と言って言いかえたり、絵に描いて易しく伝えたり、難解な理論を簡単なモデルで示すのも相似象の応用に過ぎません。
そのように考えれば、宇宙天体の現象、生物の発生や形態の形成、人間の文化等、私たちの身の回りにある森羅万象の中に相似象を見つけることが容易に出来てきます。これは、何も新しいことでも、難しいものでもなく、普段に私たちが何気なく接しているアタリマエな現象です。これをあえて相似象というのは、この事実に明確な「認識」を与えているからであって、今更言うまでもないことであっても、それをハッキリとした認識にすることが、大切なことなだ、と楢崎先生は言います。
アマ始元量の相似象
以上のように、天然の真相真理を極めたカタカムナ人の「サトリ」においては、神や仏のようなものの説明にも、観念的神秘思想を乗り越えて、明らかな理学的認識をもって述べることが出来るのです。
インドにおいて、釈尊(ブッダ)入滅の後200~300年を経た後には、仏教の教理もいろいろな解釈のものに分裂し、多くの経典ができました。それらを簡潔に纏めたものが般若心経です。その中の重要な「空」のサトリは「色即是空」と「空即是色」の二方面から説かれています。「色」は「宇宙に存在するあらゆる物象」を指していて、「色即是空」は、カタカムナの<アマタカマカハラ>のサトリ、すなわち、「宇宙の万物は<アマ>始元量から分化し発展したものであり、<アマ>始元量に還元する関連がある。」という認識の相似象となっています。また、「空即是色」については、上記引用にて示された<アマナ>のサトリ、すなわち。宇宙現象には、<アマ>始元量の微分の<アメ>が内在的に存在して、その働きを代理する<アマナ>となって、現象に干渉する作用があるということの相似象と考えられます。
仏典の原典に使われたサンスクリット語では、「空」は数学で言う数の始元量「0」の発想と相似の意味を持ちます。カタカムナでは「0」のことを<アナ>と言って、<シヒ>(客観背後の方向を意味する言葉)の<カヅ>として、より高度な数理の原理を示しています。
相似象の基本パターン
上古代人の直観による天然、あるいは宇宙といった高度の物理においては、万物万象が始元量(アマ)から発生して、その相似象としての現象事象があるという物心統一原理のサトリを、簡単な言葉<アマノヒトツネ>あるいは<アマノヒトツカタ>として表していました。この意味は、「<アマ>はすべての物心の唯一の元である」ということであり、このように<アマ>を捉えていたのです。
また、<アマ>から発生分化した現象には、<アマ>の分離始元量(アマナ)が常に潜在し、<アマナ>と現象が互いに逆向きの運動をするという「互換重合」という変遷が絶えず持続していること、そして「偏り的歪」のある「正反対称の運動」をする、すなわち「螺旋の流態」の象をとること、また、その螺旋の流れは、すべての事象に共通する相似象であるなどの性質を持っています。
その渦巻き基本パターンについて詳しく述べると、現象界の宇宙の外側に、無限に拡がる<アマ>始元量の世界があり、アマとタマが相互重合のウヅマキの原動であり、すべてのウヅマキ相似象の基本原型であるというサトリが得られるのです。上古代人はこの<アマ>と<タマ>のウヅマキの流れの物理を基本として、以下のような8種類の原理を導き出し、様々な事象に存在する相似象を直感していたのです。
正・反 対称性と、その歪性(根本原理)
潜象アマ始元量の認識、マカタマの物理対向発生 重合・互換性のサトリ、アマウツシ、フトマニ
微分・統合性 粒子性・波動性のサトリ、
イサナギ・イザナミの物理統計的存在性 イマタチのサトリ、生命・心の物理
重深・重畳性 膨張収縮・抗膨抗縮、ソコソギ、トコタチ、
トヨ(四相)のサトリ同種反撥・異種親和性
雌雄性の本質、性の栄養の物理旋転・巡回・螺旋性
静動変遷、マワリテメグル・アマノウヅメのサトリ極限・循環、分化・還元、周期性
ヤタノカガミ、ナナヨツギのサトリ
これまでの投稿において、3.~8.までの性質については簡単に説明しましたので、より根本的な1.と2.について、ここで詳しく扱っていきます。
正・反対称性と歪性
天然の自然のスガタとしては、すべてのモノは、いずれも球状を保ち、自転しつつ公転しています。これは原子から宇宙天体に至るまで、すべてのモノに見られる自衛の相としての特徴であり、正反の対称に始まり、様々のズレや歪を生じています。
西洋の美学においては、自然美の条件は対称性(シンメトリー)にあると強調されてきました。一方で、日本神話の岩戸物語に登場する<ウルハシアメノウヅメノミコト>は、天然のウヅマキ流である<ウヅメ>が、美の基本であることを象徴し、日本的美の哲理には「歪」は大きな意味を持つのです。
宇宙における<ウヅマキ>相似象
宇宙天空には、無数の小宇宙があり、<アマ><タマ>の<ウヅマキ>運動の相似象が分布する。
太陽系の惑星が、太陽中心の公転軌道運動と、惑星そのものが自転運動とを続ける象(カタチ)は、<アマ><タマ>のウヅマキ運動の相似象である。
原子内の原子核を構成する陽子、中性子、各種中間子は、自転(スピン)運動を続け、また、原子核外の電子は、核の周囲を自転(スピン)運動しながら周回している。このスピン運動や軌道運動は、<アマ><タマ>のウヅマキ運動の相似象である。
メンデレーエフ(ロシア)が1869年に発表した元素周期律は、平面的七周期の配列になっている。しかし、それより先立つこと7年前の1862年に、フランスの地質学者であるアレクサンドル・ド・シャンクールトワ(Alexandre Émile Béguyer de Chancourtois)は既に、各種原子を重量が大きい順にリストし、それを円筒状に螺旋的に並べた周期律表を提案し、これを「地の螺旋」と呼んだ。そして、螺旋の連続性を利用して、元素系列を途切れることなく並べることが出来た。それから、縦方向に類似した元素を並べて、円筒の円周を16等分した。16は酸素の原子量である。これを元にして、元素の性質は7つの元素ごとに繰り返されることを予測した。彼はこのチャートを使って、いくつかの金属酸化物の化学量論(化学の背後にある数学)を予測することができた。
それにもかかわらず、彼の発明はほとんど注目を集めなかった。フランス科学アカデミーに提出された元の科学論文は、図なしで公開されたため、革新的な概念を理解するのが困難であった。この図は後になって公開されたものの、主に地質の概念を扱う読者数の少ない地質パンフレットに表示されたため、残念ながら多くの化学者の利益には適していなかった。
また、我が国の千島喜久男博士は、循環周期ではなく、原子番号89ないしは101の原子は、原子番号1の水素に回帰する進展の仕方であり、原子進化の波動は螺旋性の象(カタチ)になることを唱えている。以上を鑑みると、原子の進化は、<アマ><タマ>のウヅマキに相似の象を呈しているのである。
人体構造における歪対称性の右旋回<アマ>の螺旋の相似象
人体の構造を子細に観察すると、左右は正反の正確な対称形ではなく、歪のある象であることが認められます。脳の機能も、左脳は論理的思考、計算、言語を扱うのに対して、右脳は、情緒や美的感覚に反応し、創造性や直感的判断を必要とする場合に機能すると言われています。形状においても頭蓋は左半分が右半分よりも大きいのが普通です。また、どのような人でも眉目、鼻口耳の形や位置は非対称で歪を持ちます。このそれぞれ僅少の歪が動的な美の要因となっています。その他、人体の臓器や骨格は左右が完全な対称ではない場合が多くあります。さらに、左右の手足、目の機能について左右に優劣をつけた統計を取れば、一般に左側よりも右側の方が優勢なことも明らかです。
人体(一般にほとんどの動物の体)の場合には、対称の歪は右巻きの傾向にあり、これは、<アマ>の回転方向に相似であり、宇宙のスパイラルの形に相似しています。
(但し、歪んでいると言っても、歪の状態が限度を超えると醜くなり、病的になる場合が多くなります。)
さて、以上のことを考慮すると、イヤシロチ化によって強化されるべき生命活性化エネルギーも、右巻きに進行するもののみが、宇宙のスパイラルの形に相似したものであり、生体創造に繋がるエネルギーだと言うことが出来ます。イヤシロチ化を実施する場合には、この点の考慮が重要なファクターとなります。
しかし、多くの人工の波動グッズでは、<アマ>の回転方向が考慮されず、ほとんどのものが、左巻き進行のエネルギー・グッズになっています。しかしこれを使うと、宇宙のエネルギー・スパイラルに反する破壊的な運動エネルギーを発生させることになります。このエネルギーは、エネルギーの弱った身体に与えられることによって、身体を活気付かせるための気付役として使うことはできるのですが、長期的に適用すると、身体は必要以上に疲弊する上に、老化を速めることになってしまうのです(ラジウム温泉浴等)。ですから、健康回復の為に左巻きのスパイラルを発生させるときには、短期間の使用に限る(症状が改善したら使用を中止する)ことを徹底しなくてはなりません。
その点、右巻きエネルギーを出すグッズは、安心して永久的に使うことが出来ます、継続的使用により、心身に対するエネルギーの強化、癒し、老化を遅らせる、病気を寄せ付けない、生きるための直観を鋭くする、創造性が高まりアイデアが浮かぶようになる、等の効果を遂げ易くすることができます。もちろん、私たちの扱う、アポロ・フィルダーをはじめとする、アポロ製品はすべて右巻きエネルギーを出すというコンセプトで造られています。
各種象徴パターンにおける<ウヅマキ>相似象
神社の建物、太鼓、屋根の瓦紋等にある、巴の紋章は、<アマ>と<タマ>の左右ウヅマキ運動の象を象徴する相似象である。
仏教では、吉祥、功徳、円満の仏の象徴である、<マンジ>の紋を使うが、これは、<アマ>のウヅマキ運動の相似象である。
ドイツ第三帝国の国旗として用いられたハーケンクロイツ(鍵十字)は、アマの右旋に逆向く、左回りの螺旋運動の相似形である。
物質・生命質の物性における正反対称性と歪性
四相の相似象
正・反性が重なると、四相を示します。宇宙においては、このように四種の相(スガタ)が共通的に観察されます。このような例は数限りなくあります。
物質の状態には、氣相、液相、固相と、それぞれが共有するコロイド相の四相がある。
地球の表面には、朝昼夕晩の四相が正反相対して発現している。
春夏秋冬の四相も正反相対して生起する。
人間の組織器官の機能には、恒常、活性、興奮、麻痺の四相が見られる。
人間の感情には、喜怒哀楽の四相がある。
栄養の生理には、摂取、消化、同化、排泄の四相がある。
生命活動力の保全は、体勢維持、休眠、活動、物質転換の四相にて行われる。
このような四相が他に及ぼす影響について、その本質を探ってみるために、地上を走る自転車を例に挙げます。自転車に対する四相の力の作用とは、太陽の引力、地球の重力、車輪の回転力、大地の反動力の四相の力のことです。自転車が地上に立つためには、地球の重力を必要としますし、それは太陽の引力との関係の上に成り立ちます。その二つの正反の力がもととなり、車輪の回転力と大地の反動力とで走ることが出来るのです。
また、大洋を航行する汽船の運行には、船体構造力、海水浮力(地球重力差)、推進動力、海水反動力の四相の力が作用しています。
さらに、ジェット機やロケットが空を飛ぶためには、機体構造力、噴射力、同反動力、恒星間の引斥力の四相の力が作用しています。このように、四相の相似象には、常に「背後」の働きが参与していることに留意する必要があります。
植物の成長の例では、現代生理学で取り上げている太陽からの輻射エネルギーのポテンシャルは、カタカムナ人の直観物理では、これもアマウツシに包含される量となります。アマウツシは、現象背後の始元量(アマ)から転換される素量一般をさす言葉であり、そのアマウツシ量、代謝物質の持つ浸透圧、器官における水の結晶力、大地や大気に分布する電位の変化率の間の四相エネルギーポテンシャルの転換によって、植物は成長すると観ていたのです。
アマウツシは、神秘思想の解析上、重要な物理量となります。元々、易占の始まりはアマウツシを直観して、運勢、家相人相、方位、吉凶を判断していたと思われます。そして、次第に統計的なデータが揃い、今日の体系的易占が構築されていったのだと考えられます。科学的合理主義一辺倒に凝り固まった人々にとっても、別の角度からのものの考え方が導入され、それ以後の運勢に変貌をもたらす効果は、単純に「迷信だ!」とか「非科学的だと!」と言って、無視することはできないものがあり、科学万能の現代でも易占の存在価値には高いものがあります。
しかし、易占の根本はあくまでも「アマウツシ」に発するものであり、これを顧みにず統計的な運用のみに終始すると、解釈のつかない矛盾や、不可思議な事態を神秘的にゴマかさねばならなくなります。これでは、高度な知識人を満足させることはできません。
イヤシロチ、ケガレチ、アマウツシ等の事実を知って活用することで、易占も初めて正当な根拠を持ち、アマウツシは、神秘思想の解析上、重要な物理量となります。元々、易占の始まりはアマウツシを直観して、運勢、家相人相、方位、吉凶を判断していたと思われます。そして、次第に統計的なデータが揃い、今日の体系的易占が構築されていったのだと考えられます。
易占の根本を正当に把握すれば、正反対称と歪性のアマの相似象の原型パターンの第1から発し、第2~8のパターンに共通する展開を持つものであることが頷けるのです。
霊感や言霊等による神秘的現象も厳然として存在する事実であるに違いありません。しかし、上古代には直観物理によって、それらは正当に解明されていただろうと思えます。そのはるか後代に至って、人間の直観力の劣化とともに思考力が進んだために、宗教思想、神秘観、形而上学等が発生したものと考えられます。また、現代人の中にも上古代人的な感受力をもつ人々が存在し、その能力によって現代科学智識による以上の予見や、治療や、非科学的な事実が現れるであろうことが考えられます。今後アマウツシの研究が進めば、それらが一部の信者間だけに通用する非科学的迷信とみなされる理由は無くなるものと思われます。
次に、現代理学で扱う電磁波という物理量を四相に区分すると、不可視光線、可視光線、熱線、超短波的電波となります。位置を示すには、東西南北、中心のある円や球体には、左右上下、あるいは天地前後の四相に分けて方位が示されます。アマウツシの種類に属する電氣的現象も、電氣素量を荷う電気粒子に、旋転の向きが正反となる電子対(サヌキ)と正孔対(アワ)とがあって、四相の電氣粒子が存在します。
人体の構造においても、頭と胴、手と足の四相にそれぞれ特異性が認められ、植物個体においては、根と茎、枝と花葉の四相で構成されています。物質で成り立つ物体の状態には、静止の相、遷移の相、膨張の相、収縮の相の四相があります。直感物理についていえば、<アマ>(始元の相)<タカ>(発現象の相)<マカ>(分化の相)<ハラ>(還元の相)の四相となり、それが物象の本性です。
以上のように、数多くの四相の相似象について例を挙げましたが、この四相の原型パターンは、要するにアマの相似象であり、「正反対称の歪構造」が基本なのです。このように対称の歪性の根本に触れることによって、四相の持つ意味を深く理解することが出来るのです。
地球表面上で起きる、朝昼夕晩の変化や、春夏秋冬の四相変化は、正反の対称の象で現象されていることは知られていますが、楢崎先生曰く、「そのどこに正反の歪があり、どのような歪現象が起きるかについては、未だ未知の問題として残り、これが正しく解明されれば、気象学はずっと進展するでしょう。今後の研究が期待されるところです。」ということです。
また、楢崎先生は、時間や空間量についても、以下のような正反対称性と歪性に基づいた見解を示しています。
以上のように、始元量<アマ>から現実の現象に至る変遷過程について、対向発生、互換重合、微分統合、静動、極限、循環、周期、分化還元等の種々の相を直観物理にて感じ、アマタカマカハラのサトリを述べていますが、それらのアマの種々の相(スガタ)の基本が正反の対称と歪性に元型がある事を把握することが出来たのでした。
形のあるものとして表面に現れたさまざまな相、象ですが、それらはすべてこの基本パターン(正反対称性と歪性)から出ています。以上のような「相似象を追及することによって、物理に関する新たな認識が現れ、人生観や世界観の大きな拡張が成されると思われる」、と楢崎先生は述べています。
互換重合の相似象
天然の潜象と、自然の現象には、<カサナリカエシ>、すなわち「重合互換」の統一原理の物理に従う例が多くあります。以下は「相似象」第3巻の中で、楢崎先生が示された互換重合(重合互換と同じ意味)の例です。下図は、地球に対する任意の一断面に存在する、力線の模様を簡素化して示したものです。地球の引力は、地表面のすべての地点から、球心に向かって直角に進み、力線は球心部に集中します。引力は求心力であり、地球の球心に達した引力は、その延長は斥力という遠心力となって、反対側の地上に至ります。したがって、すべての力線上には、引力と斥力という正反の力の往復が絶えず、重合し、互換しているわけです。
わかり易く言うと、陸上競技のハンマー投げのように、ヒモのついた球をくるくる回す場合、ヒモの先端と球との間には、求心力(引力)と遠心力(斥力)が共存し、一本のヒモの上に二つの相反する力が共に働いています。しかし、一たびヒモの端が手を離れれば(つまり、引力が外されれば)、均衡が破れ、球は今まで釣り合っていた引力に見合うだけの斥力によって飛び出します。
また、ロケットは噴射によって、真空中でも無重力でも前進しますが、それは常に噴射しつつ前進しているのであって、その間にキレメはありません。天然の状態では、引力と斥力、動と反動等、すべての正反の力は「重合」し、「互換」しているので、噴射と前進は同時に互換重合しているのです。つまり、ひとしきり噴射してから前進し、また噴射して前進するというようなジグザグではなく、噴射と前進は同時に互換重合して起こります。
この「正反の全く相反する力の共存」について、カタカムナ人は、<アマノヒトツネ>の<カサナリカエシ>と言っています。これは、「アマの始元量が『力』という物理量に換わっていく『正の力』と、それがアマに還元していく『反の力』とは絶えず共存している」という意味であって、「目に見えている現象には、目に見えぬアマの潜象が重合している」という観方をしていたのでした。つまり、「普通には起こり得ない正反の相反する力の共存というような現象が、何事もなく成り立っているのは、アマとの重合による」という直観であったのです。そしてこのように、現象内に重合しているアマの微分子(アマの分身)をアマのウツシとして、<アマナ>と言っているのです。要するに、引力現象を結果的に観れば、「一本の力線上に、正反の力が重合し、しかもその正反の力は、常に互換しつつ共存している」ことになるのです。
直観物理によれば、「力」という物理量は、潜象の「力」の素量(カラミ)の正反配偶によって構成される量であって、その「力」の配偶素量を、<アマウツシ>の一種の相と観ていたのです。この場合、引力はチカラですが、重力はカラミ当たります。(チカラとカラミの素量参照)そして、<アマウツシ>の密度差、言い換えれば、「力素量」の密度差で、「力」の強弱が発現すると観ていたのです。また、「引力」には「斥力」が互いに伴うのが本性であり、その現象の背後には、<アマナ>によって、正反配偶の<アマウツシ>が潜象として伴っているという観方です。
現代科学においては、求心力遠心力や、引力斥力が、一本の力線上に共存し、重合しているとか、また常に絶えざる変換が非常にスピーディに行われることや、まして、その中にアマウツシの潜象が入り込んでいることや、そのアマウツシの量の多寡によって、力の強弱が現れるなどとは全く考えに入っていません。現代物理でも使われる重畳という言葉の中には、アマとの重合や互換などという概念はありません。
以上、互換重合について、かなり詳細な説明が行われていますが、その主要な相似象の例として、興味深いものが取り上げられています。
まず、原子を構成する基礎粒子についてですが、直観物理で言う基礎粒子は、科学で使われている素粒子とは若干の相違があります。また、科学の理論による原子核は、直観物理によれば現象ではなく、潜象アマナの密度差のあるアマナ集団と観られています。
直観物理の「基礎粒子」としては、正反の<サヌキ>と<アワ>(それぞれ、電子、正孔に当たる微粒子)、そして、<ウキフヌ>すなわち陽子陰子(反陽子)並びに正反の中性子に当たる重粒子、次に、それらの粒子の在位置量、すなわち、時間空間(トキトコロ)の微子である<カブシヌ>があり、これは現代物理のニュートリノ(中性微子)に当たるものです。
(註)カブシヌとは、「カブサッテいる見えないもの」の思念であり、それは、環況(マ)であり位置量であり、時間空間の素量でもあります。カブシヌがあるということは、「在位置量」がある、すなわち「位置にある」という事です。
これらの基礎粒子は、それぞれの系統において、互換を繰り返し、集団アマナとの重合によって、それぞれ分化還元が絶えず連続して存在する、という観方、すなわち、互換重合の相似象として直観していました。現代科学でも、陽子と中性子は、中間子の交番的受け渡し交換によって互いに変換されることが解っていますが、しかし、電子(サヌキ)や正孔(アワ)、あるいは中性微子(カブシヌ)の正反互換については、まだ解明がなされていません。
現代理学においても、光と電気の互換性や、エネルギー一般も、種類や形態が互いに交換し得る性質があることが認められています。例えば、動植物間で、動物が植物を食べて生存し、その死骸や排泄物が植物の栄養となる等のある程度のマクロなフィードバックは知られています。しかし、「アマとの重合」については、神秘思想的な宗教説話(天地創造説等)が入り込んで、明快な説明ができていないのが現状です。
カタカムナ人は、「モノのハジマリは、アマノウズマキから発生した、回転するマリ(球)であり、球が運動すれば、求心部は重合しているが、表面は粒子性と波動性が交番に分離し、それらは互換である。」という観方をしていました。現代の私たちにとって、例えば光には粒子性と波動性が同時に存在すると考えなければ説明できない現象があるために、理論上、重畳状態を想定し、実験結果から二つの性質の間に存在する互換性は受け入れざるを得ないのですが、そうであっても、重合という考え方には馴れ初めがありません。しかし実は、「この重合があればこそ、モノは互換して、多様な変化を生じることが出来るのである」と、楢崎先生は言います。
引力や斥力、粒子性と波動性、膨張性と収縮性のような、正反の相反する力が同時に共存するのは、アマとの重合による、という直観物理なしには考えることが出来ません。したがって、進化や遺伝のナゾを目に見える「種」の環境の中で追及し、DNAの中に将来の設計図が暗号のように示されているといった考え方は、カタカムナの直観物理にはなく、その代わりに、目、鼻、口などの個々の器官が分化してつくられていく様子を、直観物理では、「アマ・アマナの重合系」と「環況条件のアマの履歴性によって、状況に応じて転換され発生して行く面」の両面で観ていました。このような観方によって、「突然変異」のような現象も解明することが出来る、といのが楢崎先生の解釈です。
生物の「種」の根源についても、直観物理では、それをアマのウツシに置いていて、<アマウツシ>によって素量が出、それが様々の互換重合による変遷変換を経て<タネ>となります(「イノチ」とは何か参照)。したがって、アマの始元量の二次三次の変化の仕方によって、様々な生命質系や物質系になって行くと観ることが出来るのです。
直観物理的においては、精子や卵子、細胞や原子等は、究極的微子ではなく、既に「社会的な大きな統合物」であり、それは「ものの片方の現象面の側の条件」であるという観方になります。進化論において、祖先代々のいろいろのものが蓄積された結果を遺伝的に持ってくる、と言っているのも現象面の条件の片方だけのことを言っているわけであり、それだけの「現象系の条件」だけで生命が発生するのではなく、直観物理では、それに加えて、「履歴されたアマのウツシ」の重合がなければならぬということを述べているのです。
生命(イノチ)について、その発生や様々な性質については、直観物理は現代科学とは異なる観点から、生命の本質を追及する、という立場を貫き、カタカムナ人のアマウツシによるかなり鋭いサトリから、筋の通った物理(コトワリ)が展開されています。このことについて「相似象」には、楢崎先生をはじめとする方々の鋭い洞察に基づいた考察結果が、詳細にわたり記載されていて、読む人を驚かせます。これについては、また別の機会に説明しようと思います。
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