基礎生命質の物理現象 【直観物理と相似象 その7】
AI(人工知能)は、人間の思考活動の総てにとってかわることが出来るのか? という話題に関しては、科学界だけでなく、一般人の間でも議論の絶えないところです。
それは、心や命がAIによって実現できるのか、ということに置き換えられますが、「カタカムナ人の直感物理」を学ぶことによって得られる智賢からは、それは不可能であると言わざるを得ないと言えます。なぜならば、論理の積み上げで構成されるAIによっては、潜象界の始元量<アマ>から<アマナ>を通って齎される直観、すなわち<アマウツシ>のもたらすサトリを得ることはできないからです。
これまでの過程で、私たちは物質、生命質のいずれもが、潜象の始元量<アマ>が粒子化した<ココロ>が更に変遷を繰り返した結果としての、渦から産出された結果<ウズメクソ>であることを学んできました。この変遷の流れは一方向的であり、変遷のたびに<アマ>の物性から生じた様々な性質は分化されて行って<モコロ>となり、最終的に物質や生命質に行き着くわけですが、そこには必ず、始元量<アマ>の持っていた物性が反映されることになるのです。
イノチにおいては、本質的にアマの物性が未だ分化されずに総体的な情報、つまりエネルギーが保持されているのです。
そこから始まる<マワリテメグル>の運動は、潜象界、現象界のいずれでも発生し、互いの関連を保ちながら行われているのですが、自然科学は現象界の物質的側面、すなわち<カタ>の部分しか考慮に入れず、それを取り巻く潜象界での潜態の変化に生じている様々な相には考慮を及ぼす事がなく、(結局は切り捨てている)ものであるため、片手落ちとなり、完全な相を反映するのは不可能なのです。
さて、カタカムナ人の直観によれば、基礎生命質や基礎物質の根源に関わる主体は共通していて、現象背後の電気、磁気、力、時間、空間の五つの素量が重合的に調和した小粒子(イ)の連続(チ)が、すなわち生命の構成要素となっています。
それでは以下に、「相似象 第三巻」から要約した、小粒子から、物質基礎粒子へ、あるいは、基礎生命質への変遷過程を通して、それぞれが始元量<アマ>から引き継ぐ物性についての説明を記します。
物質基礎粒子の物性
小粒子から物質基礎粒子への変遷過程(物質とは?)
ここでは、潜象のアマの微粒子(ココロ)の集団である「心」が、現象粒子に発展する相を追求し、その物理を扱います。
日本に残る古文書の内、「間之総示」および「比比軌」はカタカムナ文献の異本と推定されているのですが、「マノスベシ」には
< アマノハニヤス ミツハノメ
ココロウケハシ オキツマリ
イハクスユマリ ウヅメクソ >
のようなウタヒがあり、最も明瞭に「心」の物性に関する直観を表現しています。
<アメノハニヤス> <アメ>の4つの本性(膨張・収縮・結球・流態)を
2つの性質ずつ掛け合わせた6種類の組み合わせ
収縮性と流線性 膨張性と結球性
抗縮性と流線性 抗膨性と結球性
膨張性と収縮性 抗膨性と抗縮性
の極限のこと
<ミツハノメ> 三素量(イカツミ、マクミ、カラミ)の正反配偶
<ココロウケハシ> 心を受け入れる始端すなわち<アマ>のこと
<オキツマリ> 六種類の対となった粒子が現われる、の意
<イハクスユマリ> 対の粒子が、自由に電氣の正反性を変換して、
陰性電気、陽性電氣、中性電氣を荷うの意
<ウヅメクソ> <アマ>の渦流から、自由に遊離排出される物
この句の意味を現代語にて記すと、
「アマの4つの性質を二つずつ組み合わせた6種類の対は、<アマナ>から受け入れられて、6種類の対粒子が現われる。そして、自由に電氣性を交換して、<アマ>の渦から粒子(ウヅメクソ)が排出される。」
というサトリとなります。
排出される対粒子は、次のとおりです。
(1)(2)が対粒子
(1)心に掛け合わされた収縮性と流線性の積量
=> 陰性電氣を荷う陰電子(サヌキ)
(2)心に掛け合わされた膨張性と結球性の積量
=> 陽性電氣(アワ)を荷う陽子
(3)(4)が対粒子
(3)心に掛け合わされた抗縮性と流線性の積量
=> 陽性電氣を荷う陽電子(正孔)
(4)心に掛け合わされた抗膨性と結球性の積量
=> 陰性電氣(サヌキ)を荷う粒子 (科学では反陽子)
(5)(6)が対粒子
(5)心に掛け合わされた膨張性と収縮性の積量
=> 中性電氣を荷う正スピン中性子
(6)心に掛け合わされた抗膨性と抗縮性の積量
=> 中性電氣を荷う反スピン中性子
現象背後の<ココロ>という潜象から、現象粒子に進展する相は、<モコロ>の結球性、流線性、膨張性、収縮性、抗膨性、抗縮性の掛け合わされた物性に基づく物理であり、それは相似的に現象粒子の性質として受け継がれています。換言すれば、現象粒子は、イザナミ(アマの波動性)、イザナギ(アマの結球性)に基づく、6種の物性の重畳状態という性質があるということで、物質の本来性を見事に説明しているのです。
このように、イザナギ、イザナミという、神話に伝えられた神の名が、このような深い意味を持って、物理を表していたということです。<イザ>とは、出発、始まりを意味していて、「さあ始めよう」というようなときの呼びかけの言葉「イザ」として引き継がれています。
イサナミイサナギとは、
「アマの持つナミ性とナギ性が、波動性と粒子性、時間量と空間量、エネルギーと物質等の、重合互換の現象の起元である。」
という、物理用語であったのです。
基礎生命質の物性(生命とは?)
基礎生命質の根源となる主体(小粒子と生命)
カタカムナ人は、宇宙の天体も、極微の世界も、相似象であると観ていました。したがって、宇宙が有限か無限かは、宇宙の果てまで行かなくてもおのずと明らかである、としていたのです。カタカムナ人は、現象面の個々の観察の精密さにおいては、近代科学に及ぶべくもありませんが、このように全体を把握する直観については、現代人は遠く及ぶことが出来ません。
ことに、知的抽象能力の高さにおいては、目を見張るべきものがあるのです。
直感物理においては、基礎物質や基礎生命質の起元となる主体は共通であって、現象背後の電氣、磁氣、力、及び時間、空間の五つの素量が重合的に調和した小粒子(イ)の連続(チ)が、生命の正体(生命の構成要素)である、という観方を取っています。
イは、「小さな粒子」という思念で、マの細かく微分された「イマ」の連続が、「イノチ」、そしてイノチが大きくマトマルのは、アマに還る時です。イノチは微分の相も、連続の相も、統合の相も持ち、それらはアリノママの「実相」(マのスガタ)なのです。そして、そのように展開するカムに「真相」を観ていました。ところで「真相」や「実相」という言葉もアイマイに使われていますが、真相よりは「マの相」、実相よりは「ミの相」と、和語を使った方が日本人にはマトモに映ります。
しかし、直感を取り戻して「マの相」や「ミの相」を把握することは、現代人には非常に難しくなってしまいました。
さらに、
イとは、イカツ(正反の電氣、男電氣と女電氣)のイ
イキ(息=呼吸、生き、勢、元気のイ
イサナミ(アマの波動性)イサナギ(アマの凪性、結球性)のイ
イマ(今)のイ
イチ(位置)のイ
イチ(一、一致)のイ
イモ(夫婦の如く、いつもつねに伴うもの)のイ
イゴキ(動きの古語)のイ
、...
のように、カタカムナ人の思念は、このようなアマの相の内容の思念を込めた「イ」の持続をイノチとしたのでした。この持続は、力によるものです。チは力であり、チカラはマの動きから発生します。マからマリへ、そしてココロへと、マトマって行きます。そのココロが、物質や生命質を作り出す<ヤクササネ>すなわち「万象の実」であると観ているのです。
実とは、種になるもとの潜象で、サネは、生命質系にも物質系にも共通に存在するアマの小粒子の集団で、このサネに基づいて、生命質系、物質系に凝集して行きます。生命系のサネは、ヒハヤビとして、自己増殖性を持ち、パイル効果で拡大します。一方、物質系のサネは、パイルはされても自己増殖機能はなく、結晶系になって行きます。
小粒子から心へ (生命質持続の自己増殖機能の発生)
基礎物質としての現象の粒子は、サネの小粒子と、<アマ>の本性が二性ずつ組み合わせ的に掛け合された、六種類の積量と観ていましたが、これに対して、基礎生命質については、次のようなウタによって表明されています。
< アマクニノ ヤヘカケムツミミカヒハヤビ
ウツシキカムミ イククヒノツチ >
その意味は、
「現象に内在する<アマナ>と、<サネ>の<ココロ>とが、八重調和的に掛け合された通路――ミカヒハヤビ――すなわち三素量交換接続子によって、<イノチ>すなわち<ココロ>の授受が刻々と行われるような構造を持ったものである。」
となります。
物質系の場合と異なるのは、生命質系のモコロが八軸編成であったから、アマナとココロとが、八重調和のミカヒハヤビに進展することです。
また、<イククヒのツチ>(あるいは<イキノシマタチ>)はつまり、ミカヒハヤビが、「本性として、生命質持続の、自己増殖機能を持つ、基礎生命質、あるいは同化生命質である。」ということです。その<ミカヒハヤビ>については、次のようなウタもあります。
< ヒハヤビ クラオタケフツ クラミツハ
マサカヤマツミ ヤクササネワケ >
<ヒハヤビ> 自己増殖機能を持つ基礎生命質<ミカヒハヤビ>
<クラオタケフツ> <ミカヒハヤビ>が立体的に掛け合された二重螺旋体
<クラミツハ> 二重螺旋体が配列的に結合している三素量の親和体
細胞の中心体(遺伝子核)に該当する基礎生命質
電子顕微鏡で、この二重螺旋(DNA)が見える。
<マサカヤマツミ> <クラミツハ>が正反の反対向きに、幾重にも
積み重なったもの、一般染色体に該当する基礎物質
<ヤクササネワケ> 潜象の実から分かれた現象の種
細胞における連結性基礎生命質
以上のように、「正反の性質のものが幾重にも積み重なる集団構造」は、電氣や熱的にはパイル(堆積)効果、すなわち蓄電や蓄熱効果があります。その物理から推測すると、生命質では<イノチ>や<ココロ>の増幅的拡大効果があるようです。
以上から、この歌の意味は、
「ミカヒハヤビによって、種の心が授受され、それらが立体的に掛け合された二重螺旋体のクラオタケフツ、更にこの二重染色体が配列的に結合する三素量の親和体で、細胞の中心体あるクラミツハ、それが正反の向きに幾重にも積み重なっ一般染色体であるたマサカヤマツミ、更には、潜象の実から分化した種としての、細胞の連結性基礎生命質のヤクササネワケと、体系的な順序で基礎生命質ヤクササネワケが発展する。」
ということです。
重要なのは、「三要素の親和体である遺伝子核が、パイル状に積み重なって染色体となり、多種類の細胞連結性基礎生命質に分化する」という点です。
性別(雄雌)の発生、生命現象の本質、生命の起元
一般染色体の他に、性染色体に関わる次の直感の示しがあります。
< オドオクノ クラマヤツミ
シギハクシ ミクシヲハシラ トヨクシヒメネ >
<オドオクノ> 「自由な形の立体となる」の意。増殖を表す。
<クラマヤツミ> 「自由に飽和に達するまで積み重ねたもの」の意。
<シギハクシ> 「正反の配偶となる性染色体」の意。
<ミクシヲハシラ> 「三個の配偶構造(奇数構造)の染色体は、
雌雄の染色体である」という意味。
<トヨクシヒメネ> 「四個の十字型構造の性染色体は、
雌雄の染色体である」という意味。
以上から、歌の意味は、以下のようになります。
「染色体の自由な積み重ねの増殖によって、正反の極限に達した性染色体に進展し、雌雄配偶の対となる雌雄染色体が完成する。その性染色体が、三個宛ての奇数構造で積み重なった場合には、雄性の染色体となり、四個が十字構造で積み重なった場合には、雌性染色体となる。」
また、次のようなウタも示されています。
< クシミギリ ハラヤマツミ トヤマツミ
イツノヲハバリ ヤクサイヤハギ >
<クシミギリ> 雌雄染色体の交配
<ハラヤマツミ> 分裂還元増殖
<トヤマツミ> 積み重ねの統一体、
すなわち体系質に該当する基礎生命質
<イツノヲハバリ> 「<ヤヘモコロ>の流態性、結球性、膨張性、収縮性
の四相が発展した」の意。
<ヤクサイヤハギ> 「多種多様にますます分化した」の意。
以上から、このウタの意味は、
「雌雄染色体の交配によって、それぞれの染色体は、分裂還元の増殖を始めることになり、有機的に統一された体系質となる。そのことは、ヤヘモコロの流態性、結球性、膨張性、収縮性の四相が発展して、多種多様の体系質に分化することである。」
という直観を示すものになります。
以上を総合的に判断しますと、
「基礎の生命質は、いずれも積み重ねられた、集団構造であり、またいろいろな基礎生命質が、社会構造的集団によって、有機的な生命現象や心の現象となって発現される。」
ということになります。
これは、生命現象を持つ有機体が独立に存在することは否定される、ということを意味します。また、生化学部門において、生命の実体や生命の起元の単位物質を微視的に追及している科学態度は誤りであることを示唆しています。
すなわち、生命の諸現象は、集団的社会構造が存在するゆえに発現し得ることと観るべきことなのです。
基礎生命質の物性として、最大の性質は、<マトマリ>という<アマ>と<アメ>の関連、すなわち微分統合性であることを認識する必要があります。
ほとんどの現代人は、客観の対象として現象に現れているものが総て本体であり、実態であるという先入観を持っています。したがって、現象に内在する<アマナ>と、始元量<アマ>の交流とか、現象背後の心―-ココロと命―-イノチの一体感というような、現象に現れる前段階の過渡状態での現象潜象の両方に渡って働く(共役な)<モノ>が存在することによって、現象に現れた真実の相を把握するといった、直感物理的な観方は、理解が難しいかもしれません。
しかし、「生命質の特徴は、現象背後に、生命の本質が秘められている。」という哲学を持たない限り、生命の科学は進展し得ないのです。
「生命=心」の直観は、万象が<アマ>の<ココロ>によって成り立ち、宇宙を構成し維持する<アマ>の<イノチ>によって、万物の<イノチ>が成り立つ、という観方が根底にあるために生じることなのです。
カタカムナ人は、そのことを称して、<アマノココロ>とか<オオマノイノチ>と言っているのです。
以上、相似象学会誌からの智賢でした。
孔子は学問を「大学」、「小学」のように分類しました。「大学」は、命や心を総体的に扱う学問と規定し、細分化された技術を学ぶ「小学」とは区別しました。「大学」を極めるためには、多くの人生体験や霊的体験から導かれる「悟り」、すなわち直観を必要とします。それは<アマウツシ>に関連します。楢崎皐月は、その意味では、現在の“”大学“”にて扱われる学問は、「『小学』の域を出ない」と言っています。
私たちは、生涯をかけて、この地球環境において、本当に生きる価値のある「大学」を身に着けるために、高次元から降下してきた存在であることを認識し、今後の人生においては常に意識を高め、私たちに愛、光をもたらす高次元の存在が身近にいることを常に心得て、意味のある人生を送るべきなのではないでしょうか。
磁場調整の根本的考え方は、エネルギーの良し悪しは、心身のすべての活動に影響を及ぼすので、私たちを取り巻く周辺のエネルギーを常に<イ>の<チ>という循環が行われるような環境、すなわちイヤシロチを保つことが特に重要である、という事です。私たちが磁場調整を提案し、多くの方々がその重要性に気付くことを祈るのは、その理由によるのです。
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