私の世界
子供の頃、私は変わった子供だと思われてた。
子供の頃のアルバムに、コースターを持ち歩いている写真が何枚かある。
幼稚園に入る前くらいの頃。
その頃、5枚組(だったと思う)のコースターを常に持ち歩いていた。
周りは取り上げることはしなかったけど、
「この子、ちょっと変わってるからねー。」とよく言ってた。
このコースター。
私にはコースターではなかった。
私にとっては「カード」のつもりだった。
トランプとか、いや、今でいうオラクルカード的なカードのつもりだった。
何をきっかけにそう思ったのかは覚えてないけど、
コースターをカードに見立ててたことはよく覚えてる。
それと、覚えているのは、
「でも、それを言ったって、分かってくれないんでしょ?」と思っていたこと。
私の世界を人は分からん。
私が分かってりゃ、それでいい。
「コースターカード」で何をしてたという訳じゃないけど、
私にとって「コースターカード」は私をウキウキさせてくれるアイテムだった。
ちなみに、その頃、私にはお気に入りのポシェットがあって
外に行く時やお出かけごっこの時は、必ずそのポシェットを愛用していた。
後に大人になってから、4才年上の姉から聞くことになるのが、
ある日、私がお昼寝をしている時に、姉と母が
「あの子、ポシェットにいつも一体何を入れてるんだろ」と2人でこっそりポシェットを開けたらしい。
例のコースターカードや謎のお気に入りグッツと共に、
かなりの額のお金が出て来たそうな。
どうも、親や親戚から貰ったお年玉やお小遣いを
全てポシェットに入れて持ち歩いていたらしい。
「もー、こんな大金持ち歩いて。」と母がお金を
ポシェットから出したと姉が言ってた。
きっと、その頃の私は
自分の大切なものを全てポシェットに詰め込んでたんだろう。
私の世界は私が分かってたら、それでいい。
子供の頃は確かにそう思ってた。
大切なものは全てポシェットの中にしまえばいい。
じゃあ、今は?
ここ数年、私が苦しんでいた原因は私自身だったんだろう。
そう気づいたのはつい最近。
私の世界は私が分かってたら、それでいい。
そして、ようやくその世界に光が差し込んできた。
そして、その世界が広がり、
私自身が光を灯すことができますように。