「手間暇=愛」という呪い
最近忙しさにかまけてクイックルワイパーで床ぶきしてたんですが、今日は朝から掃除機かけてすっきりしました。
引っ越しするとき、掃除道具、どれを買うかあれこれ悩んでいて、ある動画で「手で掃除するのが大事」「伊勢神宮、モップ掛けしないで、雑巾がけするじゃないですか?神社を掃除機やクイックルワイパーで掃除しないのと同じように、自分の住まいも丁寧に掃除するの大事」みたいな話見て
一瞬(なるほど…)と納得しかけ、「雑巾のみ」をポチりかけたんだけど
(それは理想だが、ただでさえ掃除が苦手な人間が、「手作業の雑巾がけ」のみにしてしまうと、まったく掃除をしなくなる恐れがある…)
(まったくしないのと、少しでもするんだったら、後者の方がマシ‼)
と、クイックルワイパーとフロアモップも購入、結果大正解でした。
掃除機も大活躍しているし。
「腰をかがめて雑巾がけ」とか「トイレを手で掃除する」とか、楽しく続くんだったらいいけど、続かなくて0になっちゃうくらいなら 文明の利器は幾らでも使ってもいいと思う。
掃除が6割でも、「心地よく生活できる環境を作る」のが目的で、そこには部屋の綺麗さとともに、「掃除のしやすさ」も入ってくる。
普段楽して掃除しているからこそ、たまの「腰をかがめての雑巾がけ」がイベント気分で楽しめるのだ。
これ、料理も同じで「手作りのものが最高」で、出来合いのもの買ってきたりクックドゥー的なものを使うと「手抜きは愛情が…」と文句言うバカバカしさに通じるな、と。
「手作業や手作り=愛の強さやエネルギーの高さ」という考え方は、一種の呪いだと思う。
昔、「有閑倶楽部」という漫画で、白鹿 野梨子という女子高生が、ある老人の看病で「病人に扇風機の風は毒ですから」と団扇であおぎ続けている、というシーンがあって、当時小学生だか中学生だかの私は(これが大和撫子か)と衝撃を受けたのだが
あれから30年以上経ち、扇風機もエアコンも進化遂げまくった今では、扇風機の風は病人に毒にはならん。
うちの安い扇風機すら「うちわ風コース」がついておる。
以前いたサロンに中国人のスタッフがいて、彼女が「日本に来たときは中華料理を手作りしていたが、今はクックドゥー使っている。あれはすごい」とべた褒めしていて、(本場の人間すら認める味だったら、こんでいいじゃん)と思った。
「労力」と「愛情やエネルギー」を比例させるのは、単なる「気分」の問題であって、「そこに縛られすぎると害にしかならん」と思うわけです。
「人生なるべく心地よく過ごす」ことが、最重要課題であって、そのために、今あるものは駆使しまくって、快適に過ごすことに罪悪感を感じるか、感謝をするか、どちらも選べるんだけど
わたしは、できるだけ楽して「感謝すること」に時間を使いたい。
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