見出し画像

二十九、三十

1994年5月8日に生まれ2024年5月8日 僕の20代が終わった。

27歳の時から書き連ねてきたけど早いもんでクリープハイプの曲名の年になってしまったな。


書き始めた頃からは3年も経った。

鳥取から東京へ出てきた、
知らない街にきて未だに知らない人ばっかだけど美味しいカレー屋と高円寺には高円寺ぽい人下北には下北っぽい人がいるんだって事ぐらいは知ることが出来、たまに飲みに行って笑い合える知り合いも出来た。

でもどこか少し、心のどこか奥に、少しだけだけど、
気付くか気付かないぐらいの隙間風が通る。
気付くか気付かないと言っている時点で気付いてはいるのだから、無駄な比喩をする事は止めようか悩む。そんな些細な事を考えている時でも隙間風が通る。


お金を持つ=幸せ
という定義に対して当時貧乏な僕はこの定義が正解だと思ってた。

でもこれが社長になってある程度のお金を持つと生活は快適になるがドキドキワクワクの心情は反比例的に減っている。
だから
お金を持つ=生活の快適さ/生活のドキドキワクワク
が僕の答えである。

心の穴を埋めたいが埋めきれないまま、いつかはきっと報われるって信じて生きてきた。そんな作品を何個か。
儚いような色濃いような 胸の内火照るような日々の連続をまだまだ過ごしたいな。

いつかはきっと報われる
いつでもない、いつかを待った
もういつでもいいから決めてよ
そうだよな だから「いつか」か

クリープハイプ -「二十九、三十」

生活に乾杯

いつだって付き纏うのは季節と影としょうもない噂だ。

あ、あと親の老いと税金の支払い、親の老いってなってくると自分の老いも付き纏ってくるもんだ。

退屈な日々にも花束を渡したいけど、
そのためにはお金が必要で、
昼ご飯は食べない、お金がないから。

お金があったら満たされるんだろうか、お金持ちになったら僕は救われるのか。
お金があったら付き纏う全ては消えてくれるのだろうか。

寝て起きたら明日になるのが怖い。
でも明日が来ないのも怖い。

この当時を脳内メーカーなんかで見られたら悩悩悩時折エロなはずだ。

仕事を終え、帰ってコンパクトな冷蔵庫に入ってる
もやしを焼肉のタレで炒める。
それが格別だったんだ。少しの塩コショウで味の保証は抜群であった。
これが僕の二十代前半。

あの時たくさん食べてたもやしを三十の僕は買う事はなくなった、外食続き。

得るものは得たかもしれないが、どこか自分を失ってる、そんなモヤモヤが常にまとわりついてる。

酔いどれの自転車追いかけ



僕は5年も前、東京の養成所に行くために大阪から東京へ高校の同級生の相方の佐々木と出てきた。
東京に出て来れてた理由としては、もう1人いる高校の同級生の存在かげやまの存在があったからである。

たまに週末になると3人で飲みに行った。

2軒目にファミレスにいってデキャンタ頼んで、結局飲めずに終電にも乗れずなんて事があった。佐々木だけはよく飲み、俺とかげやまは1杯で酔えるから、正直割り勘には納得が今でもいっていない。

その日の帰り道僕らは月夜の下に酔い、終電も無い、金も無い、歩くしかない、ありえない状況に陥った。

僕は酔っ払い、知らない人が乗った自転車が後ろから漕いでくると何故かそれに合わせて僕は自転車の後を走って追いかけてはすぐ止めるを繰り返した。
そんな事を1台2台と繰り返していたら、3台目の自転車が僕が追いかけている事に気付いて止まった。
むしろ他の2台は止まらないんだなと、思ってた僕とは裏腹に少し焦る佐々木とかげやま。

「なんすか」
クロスバイクに乗ってる若そうな彼は僕に向かってそう言ってきた。
何故か僕は謝ればいいが、なんかそれも違うなと思い。
「僕病気で、走ってる自転車を見ると追わないといけない病気なんですよ」
苦し紛れの嘘と見せかけの強気を僕は吐いた。
「あ、そうなんだ」
彼は何故か苦し紛れの嘘と見せかけの強気に納得そのままチャリを漕いでいった。

僕達スリーマンセルに安堵が流れて「いや突っこめよあいつ」と3人で笑った。

金が無くても夢があったあの頃の話。

狛江湯の惨劇

これは狛江市の夜の事。
また飲んだ。俺らはまた性懲りも無く飲んだ。
飲んで笑う事によって大抵の事は忘れることが出来る。酒にはそんな力がある。
まー酒じゃなくても音楽にもそんな力あると思ってる者なんですが。

飲んだ居酒屋の名前は覚えてないが、飲んだ後の帰り道は覚えている。
道端に捨ててあったベットを佐々木の家に持って帰ろうとして怒られた。

佐々木の家についたが風呂場が汚なすぎて入る気を失せた。
その当時まだリニューアルする前の狛江湯があるためそこに行くことにした僕ら3人。
佐々木がトイレにいってる間にあいつのリュックに僕らは2Lのベットボトルに水を入れ忍ばせた。忍んでもいないが。
入浴グッズもリュックに入れ佐々木に持たせた。
約4キロ増大したリュックに佐々木は気付いていない。
馬鹿の擬人化。

それに笑う僕と景山。
「お風呂♪お風呂♪お風呂♪」
耳にのこりそうなチープな歌を声に出し馬鹿の擬人化が踊っている。
4キロの負担重量を課さレてるとは知らずに。
それ見て僕らは笑った。

それを
馬鹿の擬人化は自分の歌と踊りが面白いと勘違いし上機嫌で踊ってみせた。
その気付かなさにまた笑った。
狛江湯までの500m死ぬほど短く感じ人生で一番笑った500mだった。

脱衣所で4キロの負担重量の存在に気付き、その場に崩れ落ちる姿を見てまた僕らは笑った。

飲んで笑う事によって大抵の事は忘れることが出来る。酒にはそんな力がある。
力があるんだけど、この日の記憶は何度酒を飲んでも酔い潰れても忘れる事はない。4年も前の話。

3ヶ月前、久しぶりに会った
会う回数は少なくなったけど、会う度乾杯して毎回同じ話なって同じ反応して笑ってそれも悪くない。

くそみたいな日も満ち溢れた日も眠たい日も健やかなる日もその他諸々の全ての
生活に乾杯を!!


嘘をつけば嫌われる
本音を言えば笑われる
ちょうど良い所は埋まってて
今更帰る場所もない

クリープハイプ -「二十九、三十」


親父と行った初めての喫茶店


いつもは夜行バスで東京鳥取間を帰る。
金が無いわけじゃない。
あの頃上京する時に夜行バスを使って行っていた、いつもフラカンの「深夜高速」をBGMにしてその時の気持ちを忘れたくなく今でも続けてる。

ただこの日は仕事の関係で時間が合わず飛行機で帰ることになった。
夜行バス12時間
新幹線6時間
飛行機1時間
時間を買うことが出来るこのキャピタリズムど真ん中。
ただ大抵時間を買ったとしても僕は浮いた時間を無駄にするで有名である。

1時間早めに集合場所に着いたら仕事をすればいいもののパチンコに行ってしまい確変に入り優先順位をパチンコに変え集合時間に余裕で遅刻するなんて日常茶飯事。

なぜか鳥取には2つ空港がある。
鳥取コナン空港と米子きたろう空港である。
コナンもゲゲゲのきたろう両方とも鳥取出身のため空港にも繋げた。
すごく浅はかかつ馴染み易いマーケティングに感銘を受けたことは、、ない。

さてさて僕は先ほどの後者の米子きたろう空港が最寄りにはなる。
そしてその空港から米子駅まで行く必要がある。
バスが出ているが空港から駅まで30分くらいかかる。
そこから電車に乗っても実家の最寄りの駅までプラスで1時間かかる。
大移動である、ほぼ海外移動の時間と一緒。

僕は昔から移動の時間が大嫌いだ
1番無駄な時間ではある。だからこそ僕はフルリモートの会社を作った。

ただただ今日は会社を作った話とかは置いといて。
まず駅行きのバスに乗った。
母親には家の最寄りの駅に迎えにきてと伝えたが
母親の伝えミスで親父は空港に迎えに来ていたという。

この母親こと池未節子、飛んだおてんば母である。
コロコロを買ってきてといえばボンボンを買ってくる。
ジャンプといえばサンデーを買ってくる。
AquaTimez「千の夜をこえて」を買ってきてといえば、秋川雅史の「千の風になって」を買ってくる。
そんな母親は伝達クラッシャーなのだ。


バスに乗り、車窓から外を眺めるとよく見る車が通りすぎた。
親父の車だ。赤色のプリウス。
親父と僕はバスと車で対抗線ですれ違った。まるで月9の始まりのように。

すぐに電話をしたが親父は出ない。
そう親父はガラパゴスの中のガラパゴス。なぜかやりとりはメールなのである。
僕は親父のメールを知らない。
めんどくさいが母親に伝えそこから親父に伝えるという。
昭和電話センターのような流れ。
伝達クラッシャーに注意をしながらどうにか伝わった。

なんとか米子駅で合流をし、
朝飯食べたか?
口数少なめの親父からの問いを聞きご飯を食べることに。

学生の頃よく通ってた駅の近く。逆さ文字のラーメン屋、謎のモニュメント。
見たことはあったけど、学生の頃には入ったこともなかった喫茶店。
そのお店が親父がよく行ってたという。
母と娘?がやってる喫茶店、
馴染みのようで父親が気さくに話す。
その二人が話す言葉や雰囲気がどこか他人とは思えなかった。
モーニングセットを2つ頼んだ、親父が好んで頼んでいたらしい。
コーヒーと卵サンド。

卵サンドは口当たりがすごく優しく
コーヒは少し苦い。


親父と向こう二人が話てしてるのを
仲間外れながら聞いているとうちの親戚らしい。

29年生きてたが初めて聞いた。
親父とは大して話すことなく、知らない事ばかり。
親父も70過ぎでいつ死ぬかも分からない。

知らない父の話をしてくれたお店の2人、死ぬまでに知れて来れてよかった。
久しぶりの方言が優しくて心が救われてる気がした。
なにかあったわけではないけど、浄化された気がした。

伝達クラッシャーの母親の今日のことを話したら
「あっそうなのガハハ」
と笑っていた。

底抜けの明るさにいつだって救われる。


あーなんかもう恥ずかしい位
いける様な気がしてる
ずっと誰にも言わなかったけど
今なら言える

クリープハイプ -「二十九、三十」



下北のカレー

なぜあんなに下北のカレーは並ぶのだろうか。
みんなカレーが本当に好きなんだろうか、
それとも下北という街の魔力にやられているのだろうか。
週1では下北のカレー屋に通っている僕。

小さな頃聴いたラジオで松本人志が言っていった。
「巨人と阪神のチーム同士でトレードを行ったら今のファンのチームを推せるのか、好きなのはチームなのか選手なのか」
えらくこのひねくれ具合に感銘を受けてしまった。

そうなったら僕は巨人を変わりなく応援するだろう。読売ジャイアンツというブランドが大好きだから。

話は戻るが今、僕は大きな転換を迎えた、常日頃から歳というのは消化器官の使用年数でしか無いと考え年齢の老いの恐怖から意識を遠のかせていた。

ただ流石に29-30のこの転換期にはビビっている自分がいた。
僕はこの人生29年本質なんて考えずにやりたい事好きな事に突っ走ってきた。

ただそろそろ本質確信に基づいた事をしないと人生の経験的にもったいないな
まだしてきた事をやらなきゃ。と思い会社も作った。
でも行動しない研究者よりも行動する無知のが素晴らしいと思うからとりあえずまだ30歳も本質も確信も基づかずに突き進むだろう。

そういえば「一旦落ち着いて広い視野で見ていった方がいい」って言ってたお世話になった先輩は鬱になったらしい。
「飲み行きますか」としか送れない僕は今日も下北でカレーを食べてる。
下北の魔力にやられ、心の隙間に穴は空いたまま、それでもまだ僕は前に突き進むんだろう。
歳というのは消化器官の使用年数なんだから。

前に進め
前に進め
不規則な生活リズムで
ちょっとズレる
もっとズレる
明日も早いな

前に進め

クリープハイプ -「二十九、三十」


いいなと思ったら応援しよう!

池未裕輝
スキがやる気になり 寄付が猫のエサになります