番外 社会と健康 格差と病気 社会疫学の薦め
鹿島 「一部負担金の話をする予定ですが、その前に社会と健康について話します。直接的な国民健康保険法の説明ではありませんが、病気の際の一部負担金や健康維持を考えるうえで医療保険に携わる者として知っておくべき知識だと考えるので話します。例えば、出雲さんは生活習慣病と聞いてどう思う?」
出雲 「高血圧とか糖尿病の事ですよね。読んで字のごとく、生活習慣が悪いから病気になったのですよね。だらしないイメージがあります。」
鹿島 「そうね、半数以上の人がそう思っているみたいですね。でも、生活習慣はどのように身に着くと思う?」
出雲 「小さな頃からだと思います。親の教育とか、食事とか、健康に留意していない生活によるものじゃないですか。」
鹿島 「じゃあ、その親はどうしてそういう生活をしているの?」
出雲 「知らないという事もあるのじゃないですか。」
鹿島 「そうね、知識はとても大事ね。他には?家庭は全て同じ経済状況なのかな?」
出雲 「そりゃ、違いますよね。最近は所得の格差が広がっているというのを聞いたこともありますし。大学の同級生も借りた奨学金を返さないといけないからって副業可能な仕事を選んだみたいだし。」
鹿島 「えっ、副業って何してるの?」
出雲 「仕事終わってから居酒屋でバイトしているみたいです。」
鹿島 「就職してその仕事を覚えるだけでも相当たいへんなのに、他にバイトもしているの!眠る時間ないじゃないの!」
出雲 「休日は何もする気にならないって、卒業生の集まりに誘っても出てきません。ただ、学生の頃から仲良くしている女性がいて、その女性が休日になるとそいつの自宅に行っていっしょに野菜が多い食事を作っているようです。先日、料理と二人の写真がLINEから送信されてきました。少し心配していたのですが、裏切られた気分です。」
鹿島 「フフフ、それなら少しは安心かもね。さて、今度は出雲さん自身の心配をしてみましょうか。出雲さん、今朝は何食べてきた?」
出雲 「えーと、今朝は、トースト2枚と野菜サラダ、ハムエッグ、コーンスープでした。」
鹿島 「昼は?」
出雲 「商店街の入り口から三軒目にある中華店の半チャンみそラーメンです。餃子もいけたのですが、少し食べ過ぎかなと思ったのでやめました。」
鹿島 「ラーメンはスープも飲んだ?」
出雲 「あそこのラーメンはスープがおいしいんです。」
鹿島 「わかりました。栄養だけじゃなくカロリーにも問題ありそうだけれど、とりあえず塩分だけに絞って計算してみましょう。これは食品に含まれる食塩相当量を記載した本です。ちょっと待ってね、計算してみるから。」
出雲 「はい、ありがとうございます。(夜は何食べるかな・・焼肉も悪くないな、ビールにハラミ、カルビはマストで、後は何にするかな・・・)」
鹿島 「でたわよ。朝は4.6g、昼は8.1gだから合わせて12.7gになります。厚生労働省が定める目標値は男性なら一日7.5g未満、女性は6.5g未満だから朝と昼だけで突破しているし、日本人男性の一日平均10.9gmも上回っているわね。明らかに塩分の取り過ぎです。」
出雲 「えっ、そんなに・・・。普通の食事だと思っていました。でも、何を食べたらいいんです?」
鹿島 「実は相当困難なの。自宅ならある程度工夫はできるけれど、外食だとなかなか難しいのよ。一食当たり2.5g以下なんてなかなかないわね。チャーハンはやめてライスにするとか、みそラーメンではなく中華そばにしてスープは飲まないとか、そうしてもギリギリおさまるかどうか。朝食ならトーストはやめてご飯にするとか、ハムエッグのハムはやめるとか、ゆでて塩抜きをするとか、調味料はほんの少しにするとか、サラダは酸味で補うとか。」
出雲 「手間がかかりますね。」
鹿島 「そうなの。定時で仕事が終わったとしても調理を含めた食事に費やす時間を充分に確保するのは結構難しいのよ。本業とバイトのお友達も平日はどんな食生活をしているか心配ね。」
出雲 「コンビニで弁当やカップ麺を買って済ませているなんてLINEに書いてあったなあ。」
鹿島 「そんな余裕のない人にいくら体に悪いから食生活を改めろ、運動もしろなんて説教しても実現は相当困難だというのは容易に想像できるわね。それで高血圧になったら全て自分の責任なんて言えると思う?」
出雲 「全部ではないと思います。」
鹿島 「その事だけでもわかってくれれば今日の話は無駄ではなかったわ。一部負担金や高額療養費の自己負担限度額を考えるうえでも大事な留意点です。実は所得格差や生まれ育つ居住域環境が、それは施設などだけではなく人のつながりなども含めて、人の病気や寿命に大きく影響するということを調べ改善策も考える学問領域があって社会疫学と呼ばれています。この領域の知識が無いと、生活習慣病は全て本人の責任なのだから、一応警告しておくけれど、行動変容しないのはあんたが悪い、みたいなことになって有効な策を考えなくなってしまいかねません。国保組合においても社会疫学の視点は有効だと思います。保健師さんはそういう知識を持っているでしょうから聞いてみるのもいいでしょう。素養として身につけておくといいと思います。」
出雲 「何か入門書みたいなものがありますか?」
鹿島 「私もそんなに読んでいるわけではありませんが、一冊薦めるとしたら、イチロー・カワチさんの「命の格差は止められるか」という小学館から出ている新書です。平易な言葉で分かり易く書かれています。最後の方に行動経済学の事も書かれていて私もちょっと興味を持っています・・・・」
出雲 「・・・どうかしましたか?」
鹿島 「いえ、ちょっと嫌なことを思い出したのよ。小さな頃から充分な教育を受け経済的にも非常に恵まれた政治家が、数年前に糖尿病患者が医療費を使う事を口汚く非難していたけれど、派遣労働者を増やして格差を広げている政党の大幹部でしょう。これじゃ糖尿病は減らないし、ハイリスクの人たちを経済的にも心理的にも追い詰めていくだけだなって。政策を打てる立場ならば有効な政策を打てていないことを悔しがるならわかるけれど、よりによって全責任を患者に押し付けるなんてひどい話だし、めいっぱい好意的に受け取ったとしても、政治家としての敗北の捨てゼリフに聞こえるわ。」