戯言

大学生は何よりも自由な存在であると思う。有り余る時間の中、何事をするもしないも自由であり、金と時間の許す限りやりたい放題ができる。入学当初はお堅い部分があった人間も、4年間の中でろくに授業にも出られないカスへと移行することができるのがこの期間である。

大学生活は、その性質上モラトリアムに包括されているような扱いをしばし受けているが、果たしてどうだろうか。むしろ、周りに食いつき流れに乗り見事なまでに心と向き合う時間がなくなったようにも思える。即物的な快楽を追い求めることについて批判するわけではない。恋愛でも青春でも金でもセックスでもがむしゃらに貪り、黒歴史を多く作っていることで、先の将来それらによって人生を振り回されないようになることだってあるだろう。ただ緩やかに終わりへと向かっている「学生」という肩書きと、そこから先にまるで無限に続くかのように思える「社会人」としての生活から、ある意味では目を背けるような逃避行為としてこれらに依存しているという部分も否めない。
実際、終わりは怖い。そのような社会的な身分の話だけではない。見聞きしたものが増えていくごとに、新鮮さを感じる情景に心打たれる瞬間は減っていく。この先の人生では、見覚えのある景色のみを繰り返し、過去辿った感情を反芻することしかないのではないだろうか。そんな不安が心に影を落とす。
4年間という時間の中で、得たものは大きい。喜びや思い出はかけがえのないものだ。しかし、すり減り忘れてしまったものがある。直視することが怖くて、目を逸らし即物的なものに走りいよいよそれを思い出せなくなってしまった。大切なものだった気がする。不可逆的な感情であるようにも感じる。それはやはり、心を直視することでしか感じられないものなのだと思う。

こんなことをたらたらと書いている自分はやはり矮小な人間であるなと思いつつも、ふとなんとなく残しておきたいと思ったのは、一つの人間の個体として何か存在の証明をしたいという本能によるものなのかもしれない。

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