アラサーは話し相手が欲しい

わたしが20歳くらいの頃、
当時の彼氏とたまに行っていた、
とてもレトロな喫茶店を思い出し、
なんとなく検索してみた。

10年前に閉店して今は居酒屋になっていたけれど、
もし今もあの喫茶店があったら、
昭和レトロで若者に大ウケしてたに違いない。
地下への階段を降りてお店に入ると、
年季の入ったテーブルとソファーがずっと奥まで並んでいて、
席には当たり前のように灰皿があって、
今では見かけない星座占いの機械まで置いてあった。
もう写真でしか見れないけれど、 
入口にあったレトロなサンプルが並ぶ棚や、
メニュー表もなんとなく見覚えがあって、
とても懐かしくなった。
行きてえええええええええ!!!!!!!!!


YouTubeで懐かしい歌を聴きながら仕事をし、
合間にそんな写真を見ていたら、
全力で当時に戻りたくなったわたしは、
昔の写真を引っ張り出してきて眺めていた。


20歳くらいのわたし。
歯列矯正をする前だから、
歯並びはガタガタで顎もシャクれていて、
髪もショートだったから、
縮毛矯正もアイロンもしていなくて、
とてももさもさしている。
わたしは若い頃は一重だったので、
二重のラインもまだ曖昧で、
その上化粧も下手で全然可愛くない。ブサイクだ。


でもこのときは人生で唯一彼氏がいたのだ。



彼氏だけじゃない、
友達もいていろんな飲み会にもいつも誘われて、
大学とバイトに通っているだけで、
常に出会いもお誘いもあった頃だ。
バイト先の写真はたくさんあるのに、
大学の写真が1枚もないことに闇を感じるけれど。


この当時のわたしにはあって、
今のわたしにないものは一体何なんだろうと考える。
まずは若さだ。13年も経ってしまったのだから。
あとは肩書。当時は誰にでも堂々と大学名を言えた。
社会に出てからいろいろあって、
今はわたしは高卒ということにしている。


女も肩書なのかなとたまに思う。
わたしは派遣やパートで働いてばかりだから、
20代の頃も今もずっとフリーターだ。
この年になれば子供がいる人も主婦の人もいるから、
正社員じゃなくても別に何も感じないけれど、
いつまでも実家暮らしでふらふらしてるから、
まともな人には相手にされないのかもしれない。
当時付き合っていた彼は私大の人だったけれど、
わたしが旧帝大に通っていたから体裁が良かったのかななんて、
ひねくれおばさんは今さら思ってしまう。

大学卒業後くらいになると、
歯列矯正を始めて、
長い髪に縮毛矯正もかけて、(今と髪型が同じ)
二重のラインもハッキリしてきた。
化粧も上手くなってきたのか、
だいぶ見られるようになってくる。
バイト先の求人の写真では、
社歴の長かったわたしが堂々とセンターで映っていた。
悪くない。そこまでブスじゃない。
でももうこの頃には彼氏と別れて1人だった。
別れた直後は遊びに連れて行ってくれる男の人もいたけれど、
この頃にはもうそんな人はいなかったような気がする。

バイトを辞めて一度は就職して、
その後もいろんな仕事を経験したし、
貧乏だけどいろんなところに旅行に行った。
自立も結婚も出産もしていないけれど、
失業手当を貰ってみたり、
ポリテクセンターに通って資格を取ったり、
最近はタイミーで知らない会社に行って、
いろんな仕事を教えてもらっているところだ。
休日だって博物館やまち歩きのイベントに行って専門家の話を聞いたり、
顔見知りの人と情報交換をしたり、
飲み会があれば知ってる人がいなくても行った。
本業が在宅勤務で何の出会いも刺激も無いから、
外に出る機会を自分で作って頑張ってるのに、

わたしには彼氏も友達もできない。

どうしてなんだろう。
生理中だからか泣けてきてしまう。

自分で言うのもなんだけど、
わたしは大学生の頃よりもきれいになったと思う。
いつか彼氏ができたときのために全身脱毛だってしている。
体重だって高校生の頃と変わっていない。
コミュ障だけど、
なんとか笑って普通に受け答えはできているはずだ。
知ってる女の人には自分から声をかけるし、
話していたら男の人が笑ってくれることもある。

でもわたしは誰とも2人で会うような仲にはならない。
LINEすら聞かれない。


これが大人なんだろうか。
大人は働いているだけではもう何の出会いもないんだろうか。
でもプライベートで飲み会や勉強会に行っても、
2人で会う仲になる人はいなかった。
お金を払ってカウンセリングを受けたり、
占いにでも行ったりしない限り、
今のわたしには話し相手の1人すらいないのだ。
きっと大金をはたいて顔のシミやシワを取ったって、
話し相手はできないままだろう。わかってる。


先月行った過疎の街のカフェで、
ずっと話していたおばあちゃん達を思い出して、
わたしは心底羨ましくなる。
わたしも往復4,000円かけてあのカフェに行けば、
あのおばあちゃん達は会話に入れてくれるだろうか。
あの街のバスターミナルに行けば、
先月話しかけてきたおじいちゃんと再会して、
今度はゆっくり話ができたりするだろうか。
いっそ仕事道具を持って行って滞在できないかな、
なんて思ったわたしは宿泊施設を検索していた。

そしたらタイミーだってしばらくできなくなるから、
運送会社でイライラモヤモヤしなくて済む。
わたしがあそこに行かなくなれば、
きっとすぐに代わりが現れるに違いない。
そのほうがいいのかもしれない。
わたしと違って重いものが持てて、
面倒見が良くて新人タイミーも押し付けられて、
早上がりでお給料を減らされても素直に上がる、
使いやすくて都合の良い人が来たほうが、
きっとあそこの人達は良いはずだ。

好きな人だって会えなくなればどうでもよくならないかな。いやならないか。そんなうまくはいかないか。

わたしが休日に遊びに行く街は、
どこも大体過疎っていて、
昔は家がびっしり建っていたけれど、
今ではすっかり森や山になっていたり、
ダムの底に沈んでしまったりしている。

わたしが好きだったあの喫茶店も、
建物こそ残っているけれど、
改装されて居酒屋になり、
今ではすっかり跡形も無くなってしまったようだ。
その近くにあってよく行っていたレストランも、
好きだった服屋さんもみんな、
再開発でビルごと消えた。

わたしが若い頃に遊んでいた街は、

もうどこにもないのだ。


山やダムになったわけではないし、
駅はあるからまだ近くに行くことはできるけれど、
わたしの思い出の空間はもうどこにもない。
過疎の街の老人達とそんな話ができたら、
彼らは一体何を言うんだろう。話してみたい。