何もかもうまくゆくなんて そんな恋は信じたくない

わたしはやっぱり浮かれているらしい。
昨日運送会社に行くとき、
部屋の電気を消すのを忘れて出かけたようで、
1時間後に帰ってきた母親が驚いたと言っていた。


昨夜から張り切って髪を巻き、
今朝起きてからもどの服を着ていこうか悩み、
出かける直前のわたしを見て母親が、
「スーパーにバイトに行くときと大違いだね!」
と引いていた。

そりゃそうだ。


だって今日は40日ぶりに好きな人に会えるかもしれないのだから。



今日ダメだったらもう年末までダメだろう。
来週の木曜日は、
社員の女の子が研修だからたぶん有給は使えない。
神様お願い。今日彼に会わせて。


とりあえず予約していたまつ毛パーマに行き、
お弁当を作ってきたので工場の近くのスーパーのフードコートで食べることにした。(貧乏)


久しぶりに平日の日中に自由に動けるので、
なんだかとても身体が軽い。
しかもこれから好きな人のところに行けるかもしれないなんて最高じゃないか。
毎日こうだったらいいのにと思ったけれど、
わたしは昨日からずっとお腹を下しているし、
今朝もお腹は空くけど食べるとちょっと気持ち悪い。
毎日こうだったら食事が憂鬱で仕方ないから、
それはちょっと嫌かもしれないなんて思った。


スーパーに向かう途中で、
いつも行っている運送会社の別の建物があった。
話には聞いてたけれど、
こんなところにあるのかと驚いた。

もしかして知ってるドライバーさんいる?


いつも黒い服を着てラップ巻きをしているわたしが、
パステルカラーのコートを着て髪まで巻いてるところを見られて大丈夫だろうか。
しかもわたし今日あそこキャンセルしてるし。
やべえな。知らんぷりしよ。


会社の前を通ったら、
司令塔おじさんがトラックの中でスマホを見ていた。
司令塔おじさんはいつも挨拶や指示はしてくれるけれど雑談はしたことがない。 
何喋ったらいいかわかんない。
気づいてもらえなかったらつらい。
やっぱりやめとこう。
わたしはスルーして通り過ぎた。
まぁなんか変な噂になってもまずいし、
もしかしたら忙しいのかもしれないし、
正解だったと思う。


好きな人の工場に着いた。
ドキドキして彼の靴箱を見た。

彼のグレーの上履きが置いてあった。
今日はお休みだ。


わたし帰っていいですか?
彼の上履きを見るのは2ヶ月ぶりだけど、
靴の中が前に見たときよりボロボロになっていた。
あの子は大丈夫なんだろうか。
元気にしているんだろうか。


縋るようにタイムカードも見てみたけれど、
彼のタイムカードは退勤のほうに置いてあった。
やっぱり今日はダメだ。
神様は本当に酷い。
こんなに張り切って来たわたし、
本当に馬鹿みたいじゃん。

適当に身支度をして休憩室に入った。
掲示板では彼は今日は1階にいることになっているけれど、
あれはきっと昨日のままなんだろう。
昨日か明日なら彼に会えたに違いないけれど、
昨日も明日もタイミーの募集は出ていないから、
わたしは来ることができない。無力。

こういうときに限って、
クソ女もわたしを3階には送らなかった。
彼がいるときはいつもわたし目がけてやってくるくせに。
もうどうでもよくなって、
わたしはいつもは入らない4号機に入ってみた。
社員が被る黒い帽子が窓側に1つ置いてあって、
今日いる人達はみんな被っていたので、
もしかしたら好きな人の忘れ物なのかなと思った。

今日も仕切っているサイコパスおじさんは、
本当に腹が立つほど仕事ができない人なので、
タイミーの振り分けだけしたら指示すらくれない。
わたしは隣のタイミーの人に声をかけて、
2人でなんとか仕事をしようとしたけれど、
1ヶ月以上来ていないので2人とも記憶が怪しい。
こういうとき好きな人なら、
きちんと「何色と何色はよけて後から入れて」と、
いつも短いけれど的確な指示をくれるのにと思った。

ほんとあのおじさん消えてほしい。
タイミーで会った人の中で一番消えてほしい人だ。

しかしやはりよその会社で指示無しで動くのは限界があった。
わたしは隣の機械にいた、
たぶん主任の好青年のところに言ってわからないことを聞くことにした。
あの人はいつも優しいから大丈夫なはず。


わたしが隣の機械まで行って好青年に声を掛けると、
好青年は一瞬サイコパスおじさんのほうを見た。
たぶん「なんで俺が指示出さなきゃいけないの?」
という感じだ。
この好青年もサイコパスおじさんのことが嫌いなのは前からなんとなく感じていた。
いやこの好青年だけじゃない。
パートさん達も社員の女の人もみんな、
サイコパスおじさんに怒っているのをよく見るのだ。
あいつのことが嫌そうなのを感じたことがないのは、
なぜかわたしの好きな人だけだ。
好きな人がサイコパスおじさんに嫌な顔をしたりキツい言い方をするのだけは見たことがない。
たぶんわたしの好きな人は、
あいつのことよりもタイミーのほうを嫌がっている気がする。なんとなく。


わたしが何度か声をかけたからか、
好青年はこちらを気にかけてくれるようになった。
よかった。
わたしもサイコパスおじさんとはなるべく話したくない。
今日は好青年に助けてもらおう。
しかしやっと作業がしやすくなったところで、
サイコパスおじさんはわたしを違う機械に送った。
しかと「タイミーだけじゃわかんないでしょ?」
と今さら言ってきてわたしはまたイラっとした。
だったら最初からそういうふうに配置しろやゴミ。


案の定わたしが行った先でも、
いつも優しい社員さんが、
「ここは仕上がったのがグチャグチャになるから配置しないでって言ったでしょ!」と怒っていた。
彼女が怒っているのは初めて見た。
しかしサイコパスおじさんは彼女が去った後、
「今何て言ってたかわかる?何言ってたかわからなくて」とわたしに半笑いで聞いてきたのだ。
マジでサイコパス…ドン引き。
こんなのと毎日一緒に働いてたらもうストレスしかないだろうな。
だからわたしはこいつが嫌いなのだ。
タイミーで会った人の中で一番嫌い。
好きな人がいないときはいつもいろんな意味でイライラするから本当にここで働きたくない。
わたしここの作業よりラップ巻きのほうが好きだし。


作業中に一瞬だけ、
好青年が好きな人に見えて自分でも驚いた。
「え?彼来たの?」
と一瞬本当に思ってしまって自分に引いた。
いるはずがないのに。
でも先月たしかに見た、
伸びていた髪を短く切って黒い帽子を被った彼を一瞬でもリアルに思い出せてなんかすごく嬉しかった。

そうだ、今日わたしはここに好きな人の残り香を嗅ぎに来た。


彼がこの会社を辞めてなくて、
靴もタイムカードもネームも前と同じようにあっただけでもよしとしようじゃないか。
またいつか会える…かもしれない。(弱気)
それに「彼に会えるかもしれない」と、
ドキドキしながら準備や身支度をする時間が、
女にとってはきっともう十分に価値のあるものなのだ。

もしかしたら彼氏や旦那のいる人でも、
そんな時間はもう無いのかもしれない。
わたしだって他に推し以外にそんな人いないし。
結果より経過のほうが大事なのかもしれない。
会えるかどうかより自分がウキウキするほうが大事。


今日は工場は先月聞いた休業日のようで、
いつもたくさんいるパートさん達は1人もおらず、
社員だけで回していた。
「こういう日に彼がいたらいつもより話せたかもしれないのに」と思いながら、
わたしは機械がエラーになる度にサイコパスおじさんを呼んだ。
好きな人を呼びに行けるときは、
いつも他のタイミーが先に行ってしまうのに、
こういうときに限ってわたしが一番慣れているタイミーで、
周りはみんな動かなかったりする。
それにしても好きな人は社員のはずなのに、
どうして今日お休みなんだろう。
もしかしたら社内恋愛でもしているのだろうか。
誰かと休み合わせてる?
なんてまた嫌な想像が頭を巡りそうになる。 


それでも今日はパートさん達がいないからか、
他のタイミーの人達と話しながら、
いつもよりも雰囲気良く仕事ができた気がした。
仲良しのタイミーさんもいたのでお喋りも弾んだ。
わたしはいつも運送会社で自由に働いているせいか、
ここに来ても記憶だけを頼りに、
「たしかこのときはここを押すはず!」
と機械のスイッチを勝手に押して直してみたり、
困ったらついいつものように知らない人でも声を掛けてしまうし、
わたしよりも慣れていなさそうな人がいたら作業を教えてあげたりしていたら、
帰りに他のタイミーの人にお礼を言われた。


「来月からは今年の上限に達して来れなくなっていた人が復活するから、
きっとますます入れなくなるね!」




と恐ろしい話をタイミー同士でしながら、
わたしはトリートメントをしに、
帰りも40分歩いて駅に向かった。
美容室で席についた途端、
わたしは無意識に大きくため息をついてしまい、
美容師さんに待たされて怒ってると思われたようで、
わたしは慌てて明るく振る舞った。


この恋はきっと神様が味方してくれていない。




わたしの好きな人はホストみたいにお金を貢がせたりはしないけれど、
わたしの有給は彼に会うためにあと何日消えてしまうのだろう。
まつげを上げても髪をツヤツヤにしても、
きっとわたしは彼にこの先もずっと会えないし、
他にわたしを見てくれる素敵な人もいないけれど、
でもわたしは今日はライブ遠征前のメンテナンスのために有給を使ったのだと思うようにしよう。
そういう理由付けができるだけまだラッキーだったのだと自分に言い聞かせながら帰った。