幼少期
私について軽く自己紹介を行っておこうと思う。
私は1996年5月に鳥取市に生まれた。幼少期は人見知りでよく泣いていたと親からよく聞かされた。そんな私だが、保育園に通い始め近所で仲の良い友達を見つけ、朝から晩までずっと外で遊んでいたそんな少年時代だったと今振り返れば思う。
少年時代はいつも公園で、ボール遊びをしていたが、ボール遊び禁止と徐々に現在に近い規制がなされはじめ、私は小学生ながらに子供の遊び場の消失を危惧し、近所の数名と管理人に対して戦いを挑んだ。
もちろん、私たちは住宅を壊すような遊びはしていない。
子供ながらに、自分達の遊び場を含め今後利用する子供たちの遊び場をとにかく確保したかった。
しかし、子供の私たちが声を上げたところで、改善される事はなく、いつしか誰も遊ばない公園と化してしまいました。
寂しいことですが、規制やルール変更等昔と比べかなり厳しくなっているのが現状であった。規制は私たちを守るために行われていることだと捉えることもできるが、逆に言えば規制をすることにより窮屈になったと捉えることもできる。それが子供たちの発達に影響を及ぼすか否かはその当時では考えられなかったが、あれから15年以上経った今思うと間違いなく子供たちの生活スタイルに変化をもたらしたとも思う。
それは私の住んでいる地域に限らず、他の地域でも言えることだとは思う。
そんな、モヤモヤしている時期にある出会いが起きる。
地元を拠点にして活動しているサッカーチーム、ガイナーレ鳥取との出会いだ。
その当時私は野球部であったが、当時からサッカーを見ることが好きだった私は、親にサッカー観戦に連れて行ってもらいどっぷりとはまり込んでしまった。小学生ながらシャトルバスを利用して通ったり歩いてサッカー観戦に行ったりするほど毎試合欠かさず応援に行くようになる。
このサッカーチームの応援を気に地元への愛がさらに強まった。なぜならスタジアムに行けば、地元の店が並び、顔も知らない地元の人たちと喜びを分かち合える素晴らしさを私は経験した。何にも変えがたい瞬間であったと今でも記憶している。そんなサッカーチームにどハマりし応援していた時期が8年程続いた。
しかし私もガイナーレと共に歩み続けたが高校卒業となる。私は仕事を始めた為、いつしかガイナーレの応援に足を運ぶことが減ってしまう。
気づけば、今に至るがあれから約8年。
地元のサッカーチームを追いかけることはできなくなった。
しかし、今でも気にはなるし、密かにグッズを購入したりしているのも確かだ。
地元が好きだから、地元チームを応援する意味を込めて身につけていたいという気持ちがあるからだ。
そんなガイナーレの現在はというとJ3最下位を争う非常に厳しい順位。
弱いけど、応援したいと思えるチームでなくなってしまったのは残念だ。
8年近く欠かさず応援を続けたチームだが、観客も減っている。
その根本的な原因をガイナーレ鳥取の運営組織は考えるべきだ。
話は逸れて、しまったが簡潔にまとめると
幼少期は外遊びを朝から晩まで
小学生の頃から18歳までガイナーレにどハマりする。
それは地元のチームが勝つ喜びを地元の人たちと分かち合う楽しさを経験した。そしてそれが何にも変えがたい喜びだと感じたからだ。
地元愛をそうやって強くした幼少期と思っていただけたら幸いだ。
話もまとまらず長くなってしまったので、とりあえずこの辺ではじめてのノートを終了しようと思う。
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