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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集07『火の秘密』
ひととおりの喧騒が過ぎ去った後、雨上がりに立ち上る湿気た焼け炭の匂いに染まる夜の中で、ひたすら涙に暮れるユンの背中をミリアムはやさしく抱いて、その天使化を解いてやった。魔法光が翳(かげ)ると、ユンの身体は一層小さくなる。それでも、ミリアムはただただ静かに彼女の背をさすってやっていた。その傍で、カレンは治癒術式を行使している。しばらくして、内服した解毒剤と治癒術式の効果が表れ始めたのだろう、ユンの瞳には生気が戻り、恐怖に嗚咽していたその口が言葉を紡ぐようになった。
「ミリアム、みんな、ごめんね。私、火が駄目なんだ。火の天使の加護を受けているのにおかしいだろう?」
その言葉を受けて、その傍らでユンをじっと癒すミリアムは、小さく首を振って言った。
「私たちが、『ノーデン平原の戦い』の戦災孤児なのは知ってるよね?」
リアンとカレンは頷いて応える。
「ユンの家族は夜襲にあってね、お母さんの胸の中で眠っていたユンが目を覚ましたときには、ご両親はもう殺められていて、家には火がつけられていたんだ。幼いユンは、燃え盛る火の中で、息絶えた血まみれの母親を間近で見たんだよ。それでね、小さいころから火を怖がるんだ。だから、彼女が内包する卵が火の力だと分かった時は驚いたよ。なんて皮肉だろう、てね。ユンはいつでも、自分の内側に灯る力と、同じく内側から支配しようと襲い掛かって来る過去の記憶と戦っているんだよ。」
ミリアムがユンのことを教えてくれた。
「もういいよ、ミリアム。私が弱いのがいけないんだ。今日は不覚を取ったけど、いつもこうという訳じゃないから。今度はきっとみんなの役に立つよ。」
そう言って目元の涙を素手でぬぐうと、力なげに立ち上がって、ユンはみんなの方を見た。リアンとカレンはかけるべき言葉を必死に探すが、なかなかすぐには思い当たらない。
やがて、
「大丈夫なのですよ。そのために私たちが、仲間がいるのです。どんなときでも、互いに支えあえばなんだってできるのです。だから心配いらないですよ。頼りにしているです。」
意を決して、憔悴するユンにそう声をかけたのはリアンだった。その言葉がユンには嬉しかったようで、いつもの強気な顔にはにかみを浮かべている。また、仲間に心強い言葉をかけるリアンの姿に、彼女自身の成長を感じて、カレンの心はあたたかい思いに満たされていた。
吹き抜ける風が、焦げ臭いにおいをいつまでも周囲に漂わせる。しかし、かつてそこに繁茂していた『ムシュラム族』はもういない。胞子の欠片まで焼けこげの炭に変わってしまっていたのだ。
* * *
「少し強行軍にはなりますが、このままアザゼルのもとを訪ねましょう。」
そう言ったのはカレンだった。青白く差し込む月光に照らされたその顔は凛としている。宿に戻ってひとまずユンを休ませようという意見もあったが、当のユンが大丈夫だからと言って譲らず、結局その夜の内に『アルカディア城』を再訪することで話はまとまった。
既に朽ち果てた、かつて『ムシュラム族』であったものの炭屑を踏みしめながら、水道橋から石橋へと戻り、そのまま城門を目指した。入り口に設置された不気味なガーゴイルの像は、今宵も白色の薄気味な視線を無言のままに浴びせかけてきたが、少女たちは震える膝を懸命に抑え込んで、城門へと進んで行った。
ユンが、力一杯にその重い木戸を押すと、見張る者アザゼルはすべてを見通しているということなのであろうか、その扉の戒めは解かれて、ゆっくりと内側へ開いて行った。玄関ホールの中ほどを見ると、今宵も背のひょろ高い、青白い肌の執事が立っていて、以前と同じように慇懃(いんぎん)なお辞儀をして4人を出迎えて見せた。今日は、メイドは別のことをしているのだろうか、その姿が見えなかった。
「湖の古城『アルカディア』へようこそ…。奥で御屋形様がお待ちです。こちらへ…。」
そう言うと、執事は頭を上げて階段の方に向きを変え、ついてくるようにと促した。今日も昨夜と同じく、多くの照明が灯されているのにも関わらず城内は妙に暗く、また気温も季節不相応に随分と低いままである。階段を3階まで上がると、そこには悪魔の待つ謁見の間が4人を待ち構えていた。執事は、入口の戸にとりつくとノックをしてから声をかける。
「御前、首尾は上々にございます。お通ししてよろしいですか?」
それを受けて、杖で床を叩く音が2度帰って来た。
「かしこまりました。どうぞ…。」
執事は、やはり両開きの片方の戸を開けると、少女たちに中へ入るようにと促した。カレンを先頭にして4人は入室する。
その部屋の中では、少女たちが現世で火として知る火がたかれており、やはり一際明るくてあたたかい。そして奥の玉座の上に、その小さな悪辣は鎮座していた。
* * *
「人の子よ、あっぱれであるぞ。余は嬉しく思う。」
そう言って、アザゼルは、拍手をして見せた。その声の表層は変わらず幼い少女のものであったが、その背後には地を揺るがすような不気味な輻輳が付きまとっている。
「はい、無事に仰せをやり遂げました。ご満足いただけましたでしょうか?」
4人を代表して、先頭にいるカレンがアザゼルの歓待に応えた。あたりを覆う不気味な静けさの中で、大型の燭台に灯された火のはためく音だけが、かろうじてここが現世であることを思い出させてくれている。
「実に満足であるぞ。余の命を見事にこなした人の子を見込んで、もう一つ頼みたいことがある。引き受けてはもらえぬか?」
意外なことをアザゼルは言い出した。その上下の唇の間から、あの恐ろしい八重歯がのぞいている。
「約束が違…!」
そう言いかけるユンを制止して、カレンが応じた。
「アザゼル様。我々は、御命に従って、すでに命を懸けました。先日交わした約束は果たされたと思いますが。」
「是非もない。賢き者は嫌いでないぞ。しかし、何を命じ、何と引き換えるか、それを選ぶのは余であろう?違うかえ?」
その燃えるような瞳に濃厚な照りを載せながら、探るようにしてアザゼルは言う。心なしか、玉座の周囲に配された燭台の火勢が大きくなったようにも感じられた。
「かしこまりました、アザゼル様。仰せの通りでございます。しかし、私どもも命を懸ける以上、何か約束の印を戴きたく思います。」
カレンも負けじとそう応じて見せる。彼女には何か他にも思うところがあるようだ。
「ますますよい。実に賢明であるな、人の子よ。その小賢しさがどこから来るのか大いに興味のあるところである。おぬし自身の才覚なのか、はたまた後ろで糸を引くものがあるのか…。」
小さく、くくくと笑ってから、アザゼルは続けた。
「おぬしのいうことももっともである。よかろう、我が印章を約束の印として与える。次の命をやり遂げた暁にはそれを持ってわらわの前に現れよ。さればきっと、その印象に懸けて約束を果たして遣わすぞ。」
そう言うと、アザゼルは小さなハンカチ状の布に、自分の印章が複雑に刺繍された旗印を受け取るようにと、カレンの前に差し出した。
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カレンは、玉座の前に1歩歩み出てから身をかがめると、うやうやしくそれを受け取った。丁寧にお辞儀をして、再度距離を取ってから、それをじっと眺めている。今夜、『ムシュラム族』の長は、「あの地はこの城の主が与えたのだ」と言い、その証として、その身に刻まれた印章を見せてよこした。カレンは、今、自分の手の中にある印章と、記憶の中に浮かぶ『ムシュラム族』に下賜された印象を脳裏で比べていたが、それは見事に同じものであった。『ムシュラム族』の言葉に嘘はなかった。そうだとすると、アザゼルが舞台を用意し、その手で、少女たちを躍らせたことになる。
それを悟ったカレンは、一層慎重になりながら、その重い唇をほどいた。
「お約束をありがとうございます。これで私たちも安心して御命を拝領することができるでしょう。それで、次は何をせよと仰せになりますか?」
「ふはは。次の命はおぬしらにとっても悪い話ではない。実はな、おぬしらもよく知る先日の『ハロウ・ヒル』の一件の以後、東から手負いの『ポルガノ族』の一団がこの中央山地に移り住んで来ておる。余の庭を荒らす不届き者であることよ。おぬしらには、その『ポルガノ族』を根絶やしにしてほしい。今度は、その体毛の一片も残さずほどに苛烈極まるやり方でな。」
「それは…。」
「その通りである。先般ここに移って来た『ポルガノ族』は、おぬしらの大切な隣人の仇敵である。その恨みを晴らすに格好の舞台であるとは思わぬかえ?余は常々、人の子の痛みを理解したいと思っておるのだ。断る理由はなかろうと思うがどうか?思う存分に、隣人の仇を取るがよい。」
そう言ってまた、アザゼルは八重歯をのぞかせて、低く、くくくと笑って見せた。玉座を取り囲む燭台の火が一層大きくなる。それは炎自体がその全体を覆って燃え盛るような勢いにさえ見えた。
目の前の悪魔は、シーファの仇を討てと少女たちに促している。それ自体はやぶさかでない。相手は、シーファをその手にかけた憎き存在である。しかし、ここに来た本来の目的は、仇討ちではなく、シーファの転生に必要な魔導書の取得であったはず…。話の進みゆく方向に何か邪(よこしま)な意図と強烈な違和感が感じられてならなかった。その正体をカレンは脳裏で懸命に探ったが、言葉巧みなアザゼルを論駁することは容易ならざる難事である。
思い定まらぬ瞳で仲間の顔を見遣ると、ミリアムとユンはもう覚悟を決めているようだったが、リアンの相貌にはカレンと同じ逡巡が見て取れた。どう返事すべきかを躊躇うカレンに、アザゼルがなお強く促す。
「何を迷うか、人の子よ。それとも何か腹蔵あるのかや?おぬしらにできることは2つであろう。すなわち、我が命を果たし、愛しき隣人を救済するか、我が命を拒み、ここでともに命運尽き果てるかである。ちがうかえ?」
その声は、確かに耳には少女の声として響いて来るが、胸中全体を覆い閉ざすような不穏と恐怖に満たされた圧倒的なものであった。
「滅相もございません、アザゼル様。我々は、アザゼル様に御助力を請いに来た身でございます。御命に背く意思は毛頭ございません。失礼の段は平にお詫びいたします。」
そう言って、カレンは最敬礼のお辞儀をして見せた。それにアザゼルは満足したようで、その小さな体を玉座の広い座面にゆったりと預け直してから、言葉を発した。
「それでよい、人の子よ。件(くだん)の『ポルガノ族』は山頂付近の『海を臨む岩場』にたむろしておる。それを一網打尽にし、我がもとに戻れ。よいな?」
「はい、きっと拝命いたしました。早速、明日夜にも、駆除にとりかかります。成功の暁には必ずやお約束を果たされますように。」
再度、最敬礼のお辞儀をするカレンに、
「念には及ばぬ。余に二言はないぞ。次に汝らがここに戻った時、書は汝らの前に示されよう。では、さらばだ。」
アザゼルの言葉がまだ終わらぬうちに、あたりはあの晩と同じ真っ赤な魔法光に包まれ、やがてそれが翳ると、やはり少女たちはガーゴイルの白い視線の下に移されていた。
青い月光が白く輝く。今日は風がいっそう冷たいようだ。もう一度、命を懸けて、今度は仇敵『ポルガノ族』を駆除しなければならない。その困難に鋭い緊張を覚えつつ、4人は互いの顔を見やってその覚悟を確認し合っていた。
* * *
「とにかく、今日は宿に帰りましょう!」
「そうだね。明日はまた朝から忙しくなるからね。」
ミリアムとユンが言葉を交わす。いずれにせよ、アザゼルの第二の命を引き受けてしまった以上、4人に残された道はそれしかなかった。
「もうずいぶん遅いのですよ。これから山を下ったのでは日が変わってしまうです。『転移:Magic Transport』で一気に移動するですよ。」
そう言うと、リアンは大規模な『転移:Magic Transport』の術式を行使して、4つの小さな影を魔法光の中に消して行った。細く翳る魔法光と逆比するように、漆黒の夜を彩る星々はその瞬きを大きくしていった。ずいぶんと夜が更けてはいたが、どうやらその日のうちに、床に入ることはできそうだった。
月は空を翔け、陽は地の底をゆっくりとめぐっていく。
to be continued.
続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集07『火の秘密』完