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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集10『禁断の魔導書』

 目の前に立つ巨体から、燃え盛る拳がユンに向けて繰り出される。ところが、ユンは凍り付いたようにその場に立ち尽くすばかりで、その暴虐に対応することができない。リアンは咄嗟に横っ飛びに彼女の身体を押し倒して、かろうじてその拳をかわしてみせた。仰向けに倒れるユンに覆いかぶさるようにして彼女を守るリアンの、肩口から頭上にかけて巨大な腕からこぼれた燃え滓が、火の粉となって舞い落ちてくる。
 我が身を抱くように庇う者を燃え盛る火が取り囲む、その光景はユンの古傷を深くえぐり、当時の心痛をありありと蘇らせた。彼女はリアンの腕の中で、口元を歪め、目に涙をいっぱいにためて、悲痛な相貌を浮かべている。
「おかあさん…。」
 そう言って泣き崩れるユンの動けない身体を、懸命に守るリアン。どうやら、燃え滓から立ち上る煤(すす)や煙の中には、『ムシュラム族』の持つ催幻覚性の胞子の残滓が含まれているようだ。瞬く間にユンの目は映ろになり、その胸中を苛む忌まわしい記憶の虜になっていく。おそらく、ユンは幼少の頃、自分をかばって凶刃に倒れ、家とともに燃え落ちていく母親の最期の姿にとりつかれているのだろう。なおも降りかかるくる火の粉を払いのけんと懸命にもがくリアンの盾になろうとして、ミリアムは異形と彼女たちの間に割って入ると、剣を構えてその異形と対峙した。
 カレンもまた同様に加勢を試みるが、魔法使いは彼女たちの抱える弱点に気づいているようで、少女たちを結束させまいと巧みに術式を放ち、カレンをその場に釘付けにして自由を奪った。
 互いに向かい合い、慎重に距離を取って動けない二人を守るミリアムとカレン。燃える異形の繰り出す攻め手は力任せの単純なものではあったが、その身から舞い散る燃え滓に含まれる催幻覚性の成分が煩わしい。魔法使いの動きも巧みで、回復治癒の要であるカレンの動きを巧みに封じていた。ユンの意識を正気に戻したくとも決め手に欠く。そうこうしている間にも、その背丈の倍はあろうかという巨体と取っ組み合うミリアムに疲れが見え始めた。彼女は勿論、火の天使ヴァーチャーの力を帯びてはいるが、火と火のぶつかり合いでは難儀する。魔法属性的に優位を取れない以上、膂力(りょりょく)と体格に優れる方が有利なのは道理である。また、事ほど左様に、ユン、リアン、カレンを戦力に数えることが難しいのだ。
 カレンは、魔法使いの魔の手が彼女たちに伸びないよう抑えておくのが精一杯、リアンも用意した解毒剤を懸命にユンに飲ませようとするが、恐怖に囚われた彼女の心を俄(にわ)かに取り戻すことはできないでいた。

* * *

 魔法使いとカレンの力は拮抗しており、その脅威を彼女はよく食い止めてくれている。だから、ここでユンを力づけることができれば形成は変わるだろう。しかし、それまでミリアムが持つかどうか…。リアンの喉を鋭い焦りが締め付けた。

「ユン、しっかりするですよ!今、あなたが立たないでどうするですか!!このままでは…、今度はミリアムも同じように失うことになるですよ!涙を振るって、これを飲むです!!」
 それから、涙と嗚咽にまみれるばかりのユンの頭を片腕でしっかりと抱きかかえ、もう一方の手で、半ば押し付けるようにして解毒薬を口に含ませていく。リアンがユンの鼻を覆い、無理やりに飲ませようと格闘すると、遂に、ユンは苦しみ喘ぎながらもそれを嚥下した。
 異形の猛攻は留まることを知らず、その身から飛び散る炎は、ミリアムの懸命な抵抗をすり抜けて、ユンたちにまで襲い掛かってくる。リアンはなおも姿勢を保ち、ユンに解毒薬を飲ませ続けながら、ローブの力だけを頼りに、降りかかる火の粉の熱さに耐えている。布が焦げ、裾は焼けていくが、それでも氷の魔力を宿すそのローブが燃え上がるということはなかった。背に走る熱い痛みに耐えながら、なおも慎重に解毒薬をユンの口へと注いでいくリアン。
 はじめは恐怖と震えで満足に飲み続けることができなかったユンにも、次第に薬の効果が表れ始めたのであろう、自ら進んで嚥下するようになってきた。それもそのはず、今宵の解毒薬は、先日の反省を踏まえてカレンが特別に調合した特効薬である。聞くところでは、解毒作用を強めるために、採取した『ムシュラム族』の胞子を無毒化したものを成分に加えているのだとのことだ。

 その実それはよく効いて、しばらくの内にユンの瞳に生気が戻って来た。彼女はリアンに守られながら、その腕の中で上体を起こすと、涙をぬぐって言った。

「ごめんよ、リアン。みんな…、ありがとう。そうだね、ここで泣いてるだけじゃあ、あの時と同じだ。今度は私が大切なものをこの手で守らないと!やってみるよ。」
 その言葉を受けて安堵したリアンは、ユンの手を引いて立たせた。燃える巨人と格闘するミリアムもまた、視線だけを一瞬こちらに向けて言う。
「やっと、お目覚めね!こいつは、私だけでは手に負えないわ。私たちで一緒に!さあ、あれをやりましょう!」
「ああ、そうだね!私とミリアムが力を併せれば、こんなやつどうってことないってことを見せてやる!!」

「それはなんとも心強いのですよ!私は、カレンに加勢するです!!そっちは頼んだですよ!」

「ああ、まかせとけ!!いくよ、ミリアム!」
「ええ、あなたのタイミングで。いつでもいいわ!!」
 そう言葉を交わした後、ユンは術式の詠唱を始めた。

* * *

『火と光を司る者よ、我らは汝の敬虔なる庇護者なり。今、汝の慈悲を請わん。火を灯りとし、力となして、我らをより高き次元へと導きたまえ。限界を越えん!能天使の極みへ!アセンション・トゥ・カマエル:Ascension to Chamael!!』

 ユンが語り出すと、それにミリアムの声が乗る。やがて輻輳する二つの声はまばゆい魔法光の中で一つとなって、篝火(かがりび)のように数多の火の粉で彩られる1柱の新たな天使としてそこに降臨した。

 なんと、ミリアムとユンの二人は、その力を一つに束ね、より強力な火の天使の力を得たのである!それは、文字通り次元的な限界の超越であり、その髪色は、ミリアムの赤とユンの黒に彩られ、両の瞳もまた、片目ずつそれぞれの色を輝かせている。

ミリアムとユンが力を合一して降臨した能天使長カマエル。燃え盛る大剣を携えている。

「すごいのですよ!天使って、そんなことまでできるですか!?」
 リアンも驚きを隠せないようだ。しかし、その余韻に浸っている暇(いとま)はない。なおもカレンに猛攻を仕掛けてくる魔法使い。どうにも、少女たちが一丸となることを防ぎたいらしい。リアンもカレンの傍にとりついて助力するが、アザゼルをして古代魔法使いと言わしめたその実力は確かなようで、二人がかりでもなお押し込まれる。魔法使いは、リアンたちを相手にするのみならず、燃え盛る異形の身体を一層大きな炎で包んで、その力を増し加えていく。

 それはますます大きな炎を上げ、燃える死臭を一層強いものにした。あたり一面を不快な匂いに包む。これ以上はさせじと、魔法使いを懸命に止めにかかるリアンとカレン。そこから少し離れたところでは、火の巨人が怨嗟のこもった悲痛な咆哮を高らかにあげている。再び、館全体を振動させるかのような衝撃に襲われた!

 その威圧を跳ねのけるようにして、カマエルは巨人にとびかかる!燃え盛る炎の刃がその肩口をとらえると、一気呵成にその右腕を打ち払った。ずしゃりと床に落ちて、燃え崩れる大きな腕。怒りと苦痛にもだえて声を上げながら、なおもそれはその口から波打つ業火を吐き出した!カマエルが、剣でじっと受け止めると、その動きが静止したのをよしとして、巨躯は全身のバランスを崩しながらも、全体重を乗せるようにして左腕を伸ばし、拳を繰り出してきた!咄嗟に構えなおしてカマエルは剣で拳を受けるが、それは相当に重く、後ろ手に吹き飛ばされて、入り口の木戸を支える大きな石造りの柱に背を強打した。衝撃と激痛が全身に走る。膝をついて体を起こすものの、すぐには息ができない。
 巨人はそんなカマエルを一瞥するや、今度はリアンとカレンに向かって炎を吐き掛け、二人の注意を魔法使いからそらしにかかる。そのわずかな間隙をついて魔法使いは一層の拡張術式を行使し、巨人を更に強化する。失われた右腕は再生し、全身とりまく炎はますます盛大に燃え盛った。ついには、頭部や肩に角を生やし、胴部に浮かぶ魔法陣からは鼓動する灼熱の魔法光を放つ一層の異形へと、その姿が変わっていく。それはまさに燃える悪魔という様相であった。

* * *

魔法使いの拡張術式により、一層の力を得た燃え盛る残滓の偶像。

「ガアアアアアァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
 従前の比ではないほどの恐ろしい咆哮がこだまする。リアンとカレンは再び魔法使いとの距離を詰めるが、時を失した感がある。カマエルはようよう立ち上がるが、その膝は震えていた。目の前の悍(おぞ)ましく焼ける炎の悪魔を前にして、ユンの意識が恐怖に揺らいでいるようだ。二人のアセンションはまだ完全とはいかないらしい。それでもなお、カマエルはその脅威の存在を前にして雄々しく構えを新たにする。剣を携え、再度飛び掛かるカマエル!

 今度もまた、その鋭い剣戟は異形の片方の手首を薙ぎ払ってのけた!しかし、燃える悪魔はそれを意にも介さず、手首を失ったままの腕でカマエルをねじ伏せ、床に押さえつけた。ふたたび、けたたましい咆哮が耳を裂く。

「ユン、しっかり!!」
「わかってるけど、相手が悪すぎる…。このままじゃあ…、また…。」
「大丈夫よ!私がいるもの。もう、あなただけじゃない!」
 カマエルの意識の中で、言葉を交わす二人。

 カマエルは、身体を押さえつける熱い腕を払いのけると、翼を羽ばたかせてひらりと巨躯の前に躍り出るや、再度剣を振るった。その刃は火の術式で強化されており、これまで以上の切れ味を備えている。火の天使は、巨躯の前でくるりと身をひるがえすと、その刃を一気にその膝に突き立てた!
 咆哮とともに、今度は悪魔が膝をつく。その一撃には確かな効果があったようで、怒り心頭といった具合に今度は乱雑に火炎術式を多重的に繰り出してきた!のゴウゴウと燃える火の玉が、いくつも一気にカマエルのもとに押し寄せる。その猛烈な熱で陽炎(かげろう)が立ち、視界をぼんやりと歪ませる。剣を駆使してそれらを防ぐが、何と言っても多勢に無勢、またもや戸口まで押し戻されてしまった。天使といえど、内包する魔力は無限ではない。もう随分な量を消費していた。残された時間は少ない。

「なんてやつだ!」
「カマエルの力でもかなわいなんて…。」
 アセンションが完全ではないにしても、能天使の長たる力を用いて、こうも苦戦するものか?カマエルの中で、ミリアムとユンに焦りが見えた。しかし、諦めたところで得られるものは何もない。主なき玉座の横に置かれた丸テーブルの上には、目的の物はまだ確かにあるのだ!
「でも、まだ、負けたわけじゃない!」
 そう思い定めると、カマエルは三度巨人との距離を詰め、剣を構えなおした。巨人も、次こそはその息の根を止めようと、口から咆哮とともに炎を吐き散らし、両手を高らかにあげて構えを成す。その時だった!!

* * *

 熱と火に照らされていた室内が急に明るさを失うと、その暗い影を鋭く裂くようにして転移の魔法陣が姿を現した。刹那、悪魔の燃える首と胴が一刀のもとに切り離される!その巨体は、カマエルを仕留めにかかったその最期の構えのまま、その呪わしく燃え盛る身体に滾(たぎ)らせていた赤い魔法光を俄(にわ)かに翳(かげ)らせ、燃え落ち形を失った炭が崩れるようにしてその場に頽(くずおれ)た。その哀れな灰の山に、同じように輝きと炎を失った頭部がどしゃりと落ちる。一体、何が起こったのか!?

 カマエルと、リアン、そしてカレンの視線がその光景に奪われたほんのわずかの隙に、その場にもう一つ、転移の魔法光が走った。それに気づいたカレンがそちらを見やった時には、もうすでに魔法使いの姿は失われていた。どうやら首魁にはまんまと逃げられたようである。仕方なく視線を元に戻すと、積みあがった燃え屑から立ち上る陽炎の中から、見知った人物が姿を現したではないか!

「アイラ!!」
 少女たちは、驚きをもってその姿を迎えた。そう、あの燃える悪魔の息の根を止めたのは、他でもない、アイラだったのだ。彼女は、転移術式を使ってこの場に姿を現すや、間髪入れずに、その首をもいだのである。

この場に静寂を取り戻したアイラ。その装いはいつもと違っている。

「みなさん、ご無事でしたか?」
 その声こそ、いつもの穏やかで聡明なアイラのものであったが、いでたちは随分違っていた。その頭には鬼の角があり、『黄竜の揃』とは異なる、漆黒の甲冑を身にまとっている。得物は赤黒い輝きを放つ片刃の刀剣で、それもまた、今までには見たことのないものであった。
 カマエルはアセンションを解いて、ミリアムとユンに戻っている。
「ええ、助かりました。でも、あなたこそ大丈夫なのですか?その姿はいったい…?」
 おそるおそる声をかけるカレン。他の3人もあっけにとられているた。
「おどろくのも当然ですよね…。実は、あの後、失意に暮れるあまり天竜の加護を失ってしまったのです。ただ何を思ったのか、天竜が鬼神の力を貸し与えてくれたのです。それで、想い人とその仲間を救えと、そう言って…。それで、駆けつけてきたんです。間に合ってよかった。」
 アイラはその身の上に起こったことをかいつまんで離してくれた。その声と話し方からして、アイラが自分を見失っているという訳ではないようだったが、それが気にかかるくらいに、彼女の相貌は文字通り鬼気迫るものとなっていた。頭の角はもとより、燃えるように輝く瞳が、異様といえば異様なのだ。その不安を察したのか、アイラは鬼神の力を解いて、いつもの様子に戻った。

「ご心配なく。私は私です。」 

鬼神の力を解いたアイラ。鬼神に心を囚われたわけではないようだ。正気はしかと保っている。

「ええ、あなたが立ち直ってくれてよかったです。」
 カレンは、アイラにそう声をかけた。
「それにしても、驚いたわよ。」
「ほんとだね。アイラの腕が立つのは知ってたけど、まさかこれほどまでとは思わなかったさ。」
 ミリアムとユンも驚きを隠せないでいる。
「ご心配をおかけしました。でも、もう、大丈夫です。」
 そう言って、笑顔を浮かべるアイラ。その表情を見て、リアンも安堵したようである。

* * *

「それで、例のものは手に入りそうですか?」
 これまでの経緯を知らないアイラがそう訊く。それを受け、リアンは慌てて玉座の前の丸テーブルの上を見遣った。そこには確かに、アザゼルの残した『リンカネーションの魔導書』が、金属質に赤く輝く怪しい魔法光を放ちながら鎮座していた。

「大丈夫ですよ。これなのです。」
 そう言って、テーブルから書を取り上げると、リアンはそれをアイラに見せた。
「これがあれば…。」
「はい、シーファを救えるのですよ。」
「リアン、カレン、それにミリアム、ユン、本当にありがとうございました。」
 少し声を震わせながら、謝辞を述べるアイラ。
「何を言うですか、アイラが来てくれて助かったのはこちらなのですよ。」
 リアンのその言葉に、他の3人も頷いて応えた。

 どうやらあの魔法使いには、逃げ際にこの書をさらっていく余裕はなかったようだ。また、アザゼルも、契約の僕(しもべ)を自称するだけの事はあり、欺瞞に満ちたあの約束を確かに果たしてはくれたようである。

 気が付けば、アザゼルの玉座を取り囲んでいた燭台の火は消えており、その場で燃えくすぶる悪魔の残滓だけが光源を提供していた。室内は不気味な薄暗さと、燃え残る死臭に満たされてどうにも居心地が悪い。リアンは、転移術式を行使して、全員を『アーカム』まで運んだ。転移の門が放つ眩(まばゆ)い魔法光が翳(かげ)ると、室内は完全に暗闇に閉ざされていく。

 この城には、まだあの不気味な執事とメイドがいるはずであるが、みなが去った後は、何一つそこに息づく者がないかのような静寂に染まっていた。雲間から差す青白い月光は今宵も門扉の周辺を照らしていたが、いつも薄気味悪い視線を注いでいたガーゴイル像は、台座だけを残して姿を消している。それは、少女たちの物語がまだ終わりではないことを暗に示しているかのようだ。

 初夏の風に流れる雲が血色の悪い月の顔を覆うと、城の周辺全体が瞬く間に、奈落の淵に堕ちるように闇に閉ざされていった。夜明けの時は、まだ遠い。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集10『禁断の魔導書』完

ー 続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集 完 ー


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