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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1集02『共同生活』
翌朝5時、少女たちはアカデミーのゲートを出発して、一路南に進路を取った。初夏に差し掛かろうかというこの時期も、さすがに早朝のこの時間にはまだ冷える。ローブの前をしっかりと閉じ、風と夜露を避けながら、南大通を経由してタマンストリートへと南下していく。
彼女たちの足がその原動力であるかのように、その歩みとともに朝日は東の空に顔を出し始め、あたりの雲を薄桃色に染めていく。あたりはどんどんと明るくなり、やがて小鳥のさえずりを耳が捉えるようになってきた。陽はなおも高度を上げながら南に差し掛かり、少女たちを真正面に捉えていく。そうなると、今度は暑さに汗ばむようになってくる。朝方とは反対にローブの前を開き、袖を緩めて風通しを良くした。汗がさらわれるときの一瞬の冷気が心地よい。
そうして何時間歩いたであろうか、4人は遂にタマン地区に入った。幹線道路の分岐点を南東方向にとって、今度は『ルート35』を南下していく。目的の『イースト・ハロウ』地区まではあと僅かだ。そして予定通り、正午過ぎに彼女たちはその街に到着した。
リアンはかなり大規模な転移術式が使えるので、中央市街区から魔法で一気に目的地まで飛べば早いし、大荷物を運搬するにも都合が良かったが、この術式は転送する対象の数と質量で消費魔力量が変わるため、リアンにかかる負担が懸念されたのだ。というのも、これから実に8日間、補給も含めてすべての必要を自分たちだけで賄いながら、かつ万一の場合の駆除作戦にも万全の備えをして置かなければならない。そう考えると、できるだけ各人の魔力を温存しておくほうが懸命であるように思われた。そこで、彼女らは徒歩での移動を選択したのである。
* * *
『イースト・ハロウ』の市街地に入ると、4人は、真っ先に不動産屋を訪れた。本任務の拠点となる『週限賃貸』物件の契約を交わすためである。ところが、前日の段階でウィザードがすでに手を回していてくれていたらしく、店からは実に好ましい条件の物件が提示され、その契約も極めて円滑に締結された。難しい交渉を迫られるものと覚悟を決めていた少女たちは、少々拍子抜けではあったが、それでも無事に当該物件の鍵を手に入れることができたのだる。
不動産屋の案内してくれたその物件は、3つの居間に食堂と調理場が1つずつ備わったごくごく標準的なもので、4人で共同生活をするには少々手狭ではあったが、シャワー室とトイレはもちろん完備で、そこに籠もって監視任務に当たるのに必要な条件をすべて満たしていた。監視対象である『苦みが原平原』とその奥に続く『ハロウ・ヒル』を真正面に捉えることのできる好立地は、作戦遂行にうってつけで、部屋の一番大きな窓から目標を一望できるこの上ないものであった。
物件に入室すると、4人はそれぞれに荷をおろし、一息つきながらも、早速次の段取りに取り掛かっている。午後2時を間近に控える時刻ではあったが、皆で揃って昼食を準備して摂る時間は惜しいとして、その場はめいめいで用意した簡易の非常食で済ませつつ、各自準備を進めるということで話が決まった。アイラは、物件所在地のマジック・スクリプト(座標)を、実家の『ハルトマン・マギックス』社に打電している。どうやら、必要となる物品を店からそこの座標宛に転送してもらう心づもりのようだ。
リアンは、ウィザードから預かった監視装置の組み立てと展開・設置に取り掛かっている。取扱説明書を見やりながら、どうにも得心がいかないといった顔をしつつも、その手は手際よく動いていく。カレンは、数体の死霊を召喚して周囲の警邏(けいら)を行わせつつ、自らは今後必要になるであろう各種の水薬の準備に取り掛かっていた。
皆のその計画性の高さと、手際の良さに感心しながら、シーファが言った。
「みんな、さすがね。準備万端じゃない。この様子だと私が手伝えることがはなさそうだから、この場は任せるわね。私はこれから商業地区まで行って、当面必要になる生活物資と食料を買い出しに行ってくるわ。何か、リクエストはある?」
彼女のその言葉を聞くや、皆、刹那手を止めて、必要と思われる物品、各自が欲しいものなどをシーファに伝えている。ギルドでの活動経験が、4人の中で最も豊富なカレンの言うところでは、こういう賃貸物件に拠点を構える場合、絶対に忘れてはならない物として、トイレットペーパーがあるのだそうだ。後にも先にも、これがないと大事になるから、絶対忘れないようにとシーファに強く念押ししていた。その物件には、カーテンを始め、机やベッド、テーブルに椅子など必要最低限度の生活用品が、あらかじめ一通り揃っていたが、その実、カレンの懸念した通り、シャワー室に備わっているべきトイレットーペーパーの準備はなく、そのホルダーだけが心細そうにただただそこに鎮座しているばかりである。
「まったく、ある意味いちばん大事なものが用意されていないなんて、不動産屋も随分と抜けているですよ。」
忙(せわ)しなく手を動かしながら言うリアンに、
「そうですね。カレンさんがこうした活動に慣れていて救われました。」
アイラがそう応じている。監視任務の準備は、少しずつではあるがそれでも着実な前進を見せていた。これなら、シーファが帰って来る頃には、夕飯を囲んで具体的な作戦の検討ができるであろう。そんな見通しであった。
* * *
皆が、めいめいの職能を活かして準備を着々と進めていたちょうどその頃、シーファは商業地区に向けて西に進路を取っていた。といってもそこはそれほど遠いわけではない。『携帯式光学魔術記録装置』(異国でいうところのスマートフォンのような錬金機器)の画面に映し出される地図を見ながら、彼女は足を繰り出していった。
タマンには、全国的な魔術師の組織である『全国魔術師生活協同組合』の本部が置かれており、そこが運営する商店が各地に店を構えていた。魔術師であるシーファは当然にそれを知っており、品揃えが豊富で、かつ互助組織であるが故に常時割引販売を行っているそれらの店舗は実に魅力的で、まずはそこの『イースト・ハロウ』店を目指したというわけだ。
案の定、あらかたのものはそこで事足りた。カレン御忠告の一品はもちろん、使い捨ての食器類、非常食、パンから、日常的な飲み物、ちょっとした収納棚に至るまで、任務遂行に欠かせない殆どの物品が手に入ったのである。しかし、今晩の食事係に立候補したシーファにとって、食材だけは望む物が手に入らなかったらしく、非常食と調味料の類だけを購入したあと、店の転送サービスで荷を拠点に拠点に送ることとして、もう少し商店をはしごすることにした。
時刻は午後3時を回り、昼から夕への遷移が感じられるようになってきた。だが、買い物のために数店見て回るにはまだ十分な時間が残されている。そう思って、シーファは更に西へと進んでいった。タマンの中央市街区に近づくほど、商店は大きくなり、品揃えが充実してくるからだ。
次に彼女は、中央市街区にほど近い場所に位置する、タマン地区最大と言われる『メルシー・マーチャント』という名の小規模百貨店を訪れることにした。どうやら、夕食の材料として、彼女は何か特別な食材を探しているようだ。小なりとはいえ百貨店であるその店なら、目的の物が見つかると踏んだのだろう。しかし、そこは価格が高いばかりで、期待したほど品揃えが良いわけではなく、広く浅く無難な商品が取り揃えられるばかりであった。
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少々肩透かしを食らったシーファであったが、それでも、せっかくそこまで足を伸ばしたからには、当面の食材の調達だけでもそこで済ませようと考えたが、その発想はトマトの値段を見て一気に冷めてしまった。自称高級店だけのことはあり、いくらなんでも高すぎるのだ。
仕方なく、彼女はそこから北に進路を変えて、この街で最も人気のある食料品店としてつとに著名な『ラヴリィ・グロッサリー』まで足を伸ばすことにした。そこは、飲食店経営者などを主な客層とする、いわゆる業務用の食料品店であり、品揃えはほぼ食料品一色で、ごくごく簡単な生活雑貨さえほとんど置かれてはいない変わり種の店舗であった。
シーファはその店内をくまなく見て回る。さすがは大規模店舗であり、全体を見て回るには二、三十分を要する広さだ。とりあえず、青菜や野菜、果物の類を買い入れた後で、今夜のメニューに欠かせない野菜を探すと、なかなかに新鮮で良質なものが手に入った。シーファの心は弾む。次は、精肉だ。とりあえずは鶏肉を中心に日持ちしそうなものをいくつか買い求めてから、鮮魚コーナーへと進んでいく。どうやら、彼女の最大の関心はそこにあるようだ。しかし、探している食材は貴重なもののようですぐには見つからない。何度か鮮魚コーナーの前を行き来した後、探し求めていたその姿がシーファの美しい瞳を捉えた。
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「あった!!」
俄(にわか)な興奮を覚えつつ、その決め手の一品を買い物かごに納めていく。食材なら何でも揃うという触れ込みの通り、その店はシーファの期待を裏切らなかったようだ。それを使った渾身(こんしん)の料理を美味しそうに口にするアイラの笑顔を思うと、彼女の美しい頬は自然と緩んだ。その後は、ミルク、小麦粉、卵といった汎用的な食材を買い求めてから、先ほどと同じように店の転送サービスにそれを預けて彼女は店を出る。買い求めた食料品は、拠点に戻り着く頃までには転送を終えているだろう。あとは、ここ2年ほどの間に上達した腕前を披露して、リアンのあの軽口を塞ぐだけ!いや、それよりも…。そんなことを考えながら帰路につくシーファを、東にそびえる丘、今回の任務の監視対象でもある『ハロウ・ヒル』のその背後に沈みゆく赤い太陽が出迎えてくれている。そこに向かって、シーファは足を早める。その心は実に晴れやかで、また、ある種の抗いがたい熱情で満たされていた。足取りは実に軽やかである。
西の果て、天空と地上がせめぎあうその境界の上に、天上から重い夜の帳が静かに降りてくる。太陽はいよいよその重みに耐えかねていた。懸命なるその拮抗のそばで、星星がちらちらと主役の交代を告げていた。まもなく最初の夜になる。
to be continued.