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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集05『森を抜けた先に』

 煉獄、それは、冥府に下った魂に宿る執拗苛烈な未練の情を、輪廻の妨げとならぬように燃やし尽くして浄化する、彼岸の彼方である。今、4人の少女たちは、現世とその地を繋ぐという隠された門を求めて、南東に広がる『ダイアニンストの森』の奥深くへと分け入っていた。
 夏を間近に控えた季節の、湿気た生暖かい風の中を東にすすんでいく。先に続く山脈までは、舗装のない微かな街道が刻まれているが、今日はそれを離れて、深い木々の隙間を縫うように真東に進んでいた。『裏口の魔法使い』や『野良魔法生物』が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する危険なこの森は、少女たちを飲み込むようにしてその鬱蒼の具合を強めていた。天上に陽はあるものの、陽光のほとんどは頭上の枝葉に遮られ、木漏れ日が静かに、腐葉土に覆われた泥土の上に明と暗の揺れるコントラストを刻んでいる。
 目指すのは、秘境『魔界村』に続く隠し通路の目印と伝わる、朽ちた神木『ディケイド・バウム』。しかし、それは文字通りに「森の中に隠された木」であり、その所在を見つけ出すのはなかなかに困難であった。
 高度を上げる初夏の陽は、周囲の気温と湿度を否応なしに高めていく。額から首筋へと流れ落ちる珠の汗をローブの襟元でぬぐいながら、道なき道を進んで行く少女たち。やがてその眼前に、幹に穿たれた大きな穴の中に、ホタルが飛び交うかのような魔法光を瞬かせる朽ちた古木が姿を現した。昼間だというのに薄暗い森の深部で、洞(ほら)から漂い出るその無数の小さな魔法光が、際立つ存在となっていた。

森の東の奥でようやく見つけた神秘の朽木『ディケイド・バウム』。

「どうやらここのようだね。」
 手元の地図と魔術方位磁針、現在地を示す魔法の道標とを慎重に見比べながらユンが言った。
「まさか、この森のこんな深いところに隠されていたとわね。」
 片手の甲で額の汗をぬぐいながら応じるミリアム。シーファは少しばかり上がった息を整えながら、目の前の不思議な存在に視線を注いでいた。傍らに立つアイラもまた同じである。
「で、ここからどうするの?」
 そう訊ねたシーファに、
「『アーカム』からの情報では、この古木に穿たれた洞(ほら)の中を進んでいくようだよ。」
 光がちらちらと舞い出るその穿たれた漆黒を指さして、ユンが応えた。
 まだまだ陽は高いが、それでも、ここから先になおどのくらいの旅路が伸びているのかは見当もつかない。全員で手を繋ぎ、ぐるりと周りを囲んでもなお足りないくらいの大きな幹の真ん中にぽっかりと口を開ける神秘の洞(ほら)へと、4人は休むことなく足を繰り出していった。

 背の高い広葉樹の遥か上の方の枝では、見たこともない極彩色の羽の鳥が耳慣れない甲高い鳴き声を上げている。風が吹くたびに枝葉がさわさわと柔らかな音を立てるが、そうした聴覚情報の全てが、その場に漂う言いし得ぬ静けさを演出していた。

* * *

 アッキーナと貴婦人の話では、『ディケイド・バウム』は、創造主の命で世界創造の業に携わった天使たちが、現世と彼岸を繋ぐ結節点の目印にと据えた、世界最古の樹木のひとつであるらしい。それ自体が、一種の門として機能するのだという。この世界の、始まりの過程を記録したという忘れられた書『創世年紀』。そこに書き記されていることがただの神話にすぎない可能性は十分にあり得た。また、なぜ今も『アーカム』にはそれらの原典が残されていて、今とはまるで違う古代の言語で綴られたそれらの書を、アッキーナや貴婦人は読み解くことができるのか、とりとめもなく脳裏に浮かび来る様々な不思議と疑問に思いを馳せながら、その真っ暗な洞の中を少女たちは進んでいく…。
 古木の幹に穿(うが)たれたその洞(ほら)の中は本当に真っ暗で、シーファとユンが二人して魔法の灯火を灯しても、足元の床面すら照らし出すことができずにいた。まるで、四方八方、三十六計の、全ての視界が閉ざされて、もはや上下左右の感覚すら失ってしまいそうになる幻惑の中を、ちらちらとホタルのように飛び交う光の群れに向かって、4人は入り口から見れば前方と思われる方向に、ただただ足を繰り出していく。

「ねぇ、何にも見えないけれど、これどこに続いているの?」
 方向をすっかり見失った不安におびえる声でシーファが訊いた。
「とにかく、光の見える方向にひたすら進めということだよ。」
 そう言って、ユンはどんどんと先を急いでいく。
「それにしても、もうずいぶん歩きました。明らかに木の幹の中を歩いているという訳ではないようですね。」
 周囲を見回しながらそう言ったのはアイラだ。
「そうね。あの木が『一種の門だ』という情報に違いはないようだわ。」
 その言葉を補うようにしながら、ミリアムも後に続いていく。微光だけが舞う真っ暗な虚空の中を、はたしていったいどれほど歩いたであろうか。彼女たちを先導するかのように進んでいた光の群れがひとところに集まってひときわ明るくなったかと思うと、突然、少女たちの聴覚には束の間遮断されていた森を感じさせる種々の音が戻って来た。刹那、4人は自分たちが古木のちょうど反対側に立っているのに気が付く。その大きな幹の周りに沿ってぐるりと180度移動すれば、あの洞(ほら)のあった側に戻れそうに思えたが、しかしそちらの側を見やると、ただただ深い霧に覆われていて、その様はいかにも、現世とはすっかり隔絶されているかのような、強い違和感と不安感を胸の内に掻き立てる不穏なものであった。しかたなく振り返って前方に目を向けると、行く手には1本の細い獣道が刻まれていて、その先には、これまでに通り過ぎてきたのと同じような森が、延々と続いているのが見えるばかりである。

* * *

「どうやら、これで秘境の入り口とやらは越えたようだね。」
 そう言ったのはユンだ。現在地を指すはずの魔法の道標はすっかりでたらめで、今いる場所がそれまでとは全く別の空間であることを示していた。霧の向こうに戻るといったいどうなるのか、興味がないと言えば嘘になるが、しかし今は、煉獄に繋がれ、消されるのを待つばかりとなっているシーファの、恋慕の情を取り戻すべく、そこに至る門を探し出す方が先なのだ。朝方と変わらないようでいて全く違う森の中を、4人はなおも進んで行った。
 道が続いているということは、それに沿って歩めばよいのだろう。魔法の道標は、もはやまったくあてにならなかったが、幸い方位磁針は作用するようで、その小径(こみち)は確かに東へと伸びている。あたりは明るいのだが、それが天上に座す太陽によるものかどうかすら分からないほどに、頭上は枝葉に覆われていて、空を見通すことは容易でなかった。
 やがて、小川のせせらぎの音が耳に入って来る。

 ふと、手元の時計を見てアイラが言った。
「明るさが全然かげりませんが、時刻はもうすぐ18:00に差し掛かるようです。幸い、近くに水場があるようですから、明日に備えてここらでキャンプしませんか?」
 その言葉の通り、あたりは不思議に明るかったが、夕陽を直接視界にとらえることはできなかった。
「そうだね。小川のあたりまで行って、そこでキャンプを張ろう。」
 先頭を進みながら応じるユン。シーファとミリアムも同意のようだ。そこからしばらくの間、少し小高くなったところを進んで行くと、やがてその左手に清水の流れる小川が姿を現した。密林ともいえるほど深い森の中で、それは豊かな水量をたたえている。水は透明で美しく、水面はゆらゆらと煌めいていた。

 ミリアムとユンは、川沿いの丘の上の開けた場所にテントを設営することにし、シーファとアイラは川べりまで降りて、水の補給に向かっていった。今回の旅には補助術式の使えるリアンも、回復術式に長けたカレンもいない。万一の時は、アイラが錬金術で錬成する水薬だけが頼りになるわけだ。水はいくらあってもいい。二人は、空の薬瓶をありったけ持って、川辺に臨んだ。
 清水に手を差し伸べるとそれは実に冷たく、蒸し暑い中を歩き詰めだった二人の疲れを大いに癒してくれる。アイラがふと水中に視線を落とすと、川底近くに、魔術的捕食動物である淡水生の『魚人族』が群れ成しているのが見えた。人の手で生み出された非自然の生命体が、どうしてこんな未知の森を流れる小川に生息しているのかはよくわからなかったが、すっかり空っぽになった胃の腑を埋め合わせるのに格好の得物であることには違いない。彼女は両手でその美しい水をすくって口をゆすぐと、小声でシーファに声をかけた。

川底にたむろする『魚人族』の群れ。

「見てください。あそこに魚人族が群れています。あれを捕まえて今夜の夕飯にしましょう。」
 その指さす先に、橙の視線を向けると、シーファにもその存在が確認された。
「それはいいけれど、どうやって捕まえるの?漁獲用の装備なんてないわよ?」
 不思議がって訊くシーファに、満面の笑みを向けてから、アイラは言う。
「こうするんですよ!」
 それから、彼女は静かに静かにその群れの方に近づいて行くと、慎重に間合いを図ってから、一気にその両腕を卓越した動きで素早く水中に繰り出した。水面にしぶきが上がった次の瞬間、その両の手は、30センチはあろうかという1匹の『魚人族』を鷲掴みにして引き上げるではないか!
 その手際は実に見事で、アイラの美しい指にもつれるように、銀色の光を放つ青みがかった鱗が包むその身体は、突然の暴虐から逃れようと懸命にのたくっていた。彼女は、水際から十分に離れた石場にその身を横たえると、額の汗を片手でぬぐい、小さく気を吐いてから言った。
「さあ、シーファもやりましょう。これだけいるんです。取り放題ですよ!」
 アイラの侵入によって、一度は散り散りにその場を離れた『魚人族』ではあったが、よほど良質のえさ場なのであろう、喧騒が一段落するとすぐに同じところに群れ集まって来た。水の透明度は高く、水面から直接その動きをとらえることができる。シーファは、ローブを脱いで素足になると、腕まくりをしてそっと近づいて両腕を構えた。
 それを知ってか知らずか、『魚人族』たちは水底に転がる苔むした岩の表面を頻(しき)りにつついている。ゆっくり、ゆっくりと近づく魔の手。
「えいっ!」
 掛け声とともに、シーファが水中に手を伸ばすと、食事を楽しんでいた『魚人族』は、すんでのところで巧みに身体をくねらせ、その手の檻を逃れていった。
「ふぅ、案外難しいものね。」
「ええ。本当は釣り具があるといいのですが、贅沢は言っていられません。」
 そう言うアイラの動きは素早い。瞬く間にもう一匹、先ほどよりはわずかに小さい獲物を捉えて見せる。
「さあ、あなたも。少なくとも4匹は捕まえないといけません。」
「そうね、負けないわよ。」

 しばらくの間、せわしない水音と、交差する二つの黄色い嬌声によってあたりは騒然となる。その場が再び自然の音だけに戻った時には、岸辺には6匹の魚人族がその身を横たえていた。

「4対2ね。あなたのその見事な身体さばきには、舌を巻くわ。相当に身体を鍛えているのね?」
 息を弾ませながら言うシーファ。
「そうですね。武具の扱いや体術については、小さい時から仕込まれてきましたから。でも、あなたも2匹捕まえました。お見事です!」
「そう?ありがとう。」
 少し顔を赤らめて、横目でそっとアイラの顔を見るシーファ。それは、夕陽とは違う光の中で、朗らかな笑顔をたたえていた。

「さあ、そろそろテントもできた頃だと思います。獲物を持って戻りましょう。」
「待って、もう少し水を汲んでいかなくちゃ。」
「それもそうですね。」
 そんな言葉を交わしながら、欠け落ちた追憶の糸をたどるようにして、シーファは自分を気遣ってやまないそのアイラという少女と、束の間を二人きりで共にしたのである。
 水の入った重い薬瓶は、大きな袋にまとめてアイラが担ぎ、魚の方は手持ちの紐を紐をその口元に掛けて持ち手を作ると、メザシよろしく片手に3匹ずつぶら下げて、シーファが運んでいった。

 もう既に、時刻はゆるやかに19:00を回ろうとしていたが、その空間は時の流れに取り残されてしまっているのか、足を踏み入れた時と全く変わらぬ不思議な明るさをずっと保っている。
 丘の上では、テントと焚火の用意を済ませたミリアムとユンが、二人の帰りを待ちわびていた。

* * *

「やあ、おかえり。ずいぶん楽しかったみたいだね。」
「ここまで声が聞こえて来たわよ。何をしてたの?」
 そう訊く二人に、シーファは両手にずしりとのしかかる今宵の獲物を掲げて見せた。
「ひゅー。それはなんとも大漁だね。」
「今夜も『ハルトマンメイトG』と野菜瓶詰だけかと思っていたけど、美味しい食事にありつけそうだわ。」
 思わぬ収穫に笑みをこぼすミリアムとユン。
「料理は私に任せてください。」
 テント脇に置かれた荷物の傍(そば)に水入りの薬瓶を置いてから、アイラが言った。
「まあ、あなって料理もできるの?」
「ええ。先日はあなたに美味しい料理をいただきましたから、今日は私が御馳走します。」
 そう言うと、アイラはシーファの手から『魚人族』を全て受け取って、テント脇に用意されていた簡易な台の上にそれらを並べ、自分の荷から調味料の小瓶とナイフを取り出すと、料理にとりかかった。ミリアムとシーファはともに焚火の火加減の調整にとりかかり、ユンはその近くに座って、野菜瓶詰から取り出したピクルスをぽりぽりと齧(かじ)っている。一向に暗くなる気配を見せないその空間で、少女たちは束の間、ただ時間の流れに身をゆだねておだやかに過ごした。その間にも、アイラがナイフを繰り出し、味付けに奔走する音が聞こえてくる。
「もうすぐ準備ができます。『魚人族』の身を焼くために、焚火の傍に炉を作ってもらえませんか?」
 その声とともに、薬味の効いた少しばかり生臭いにおいが漂ってくる。思わず喉が鳴りそうだ。火の扱いに長けるシーファとユンは二人がかりで、すでに炭となりつつある薪を焚火からとりわけると、そこから少し離れた場所に調理用の炉をこしらえた。その上に、下ごしらえを済ませた身を吊り下げるようにすれば、『魚人族』の炭火焼は準備万端である。

シーファとユンがこしらえた炉の上で炭火焼にされる『魚人族』

 アイラが、ゆっくりと焦がさないようにその身を焼いていく。全身に施された香辛料とあいまって、芳醇な香りがあたりを包んだ。ミリアムは魔法瓶詰を空け、いくばくかの付け合わせを用意する。
 やがて、水底での食事時を理不尽に侵害されたその哀れな焼き身は、なんとも旨そうな姿をその場に晒した。アイラは、焼きあがった『魚人族』を一度台に引き上げるとその身をほぐし、可食部をめいめいの器に取り分けていった。そこに、ミリアムが用意した付け合わせを添えていく。底がほんのりとあたたかくなった皿を受け取ると、少女たちは早速に匙を繰り出していった。上質な白身は身がしまっていてほぐれやすく、巧みに施された香草と調味料のおかげで臭みはすっかり抜けており、誠に美味である。

「ほんとうに、美味しいね。」
「ええ、味付けも抜群だわ。」
 そう言葉を交わす、ユンとミリアム。
「まったくね。アイラって、何でもできるのね。びっくりしちゃった。」
 無邪気に瞳を輝かせながら、シーファは美食を頬張った。
「ええ、まあ…。ただ、あの時あなたを救うことができなかったわけですが…。」
 笑みを浮かべる口元とは対照的にアイラは視線を曇らせる。
「でも、二度はありません。これからはきっと、あなたを守って見せますから。」
 意気のこもった声とともに、一心な視線をまっすぐに寄せるアイラの表情に、シーファはきょとんとしながらも、なおその匙を止めることなく夕飯を食んでいく…。
「おやおや、これはごちそうさまだね。」
「もう、そんなことを言ってはダメよ。シーファもアイラも大変なんだから。」
 事情を知って茶化すユンをミリアムがそっと諫めていた。

* * *

 結局、いつまでたっても光が絶えることはなく、白夜のようなおぼろげな幻想の中で、少女たちはテントに入ってその意識を眠りが捉えるままにした。
 時間という概念が全くないように思えるその空間で、4つの寝息が静かに、朝までの時を刻んで行く。目指す秘境はその先にある。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集05『森を抜けた先に』完


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