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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集01『繋がれた想い』
リアン、カレン、アイラ、それに、ミリアムとユンの5人は、『三魔帝』の1柱アザゼルの、欺瞞に満ちたあの城から無事にここ『アーカム』へと帰還した。ゆっくりと翳っていく転移魔法の光の中で、ようやく獲得した『リンカネーションの魔導書』はアイラがしっかりとその手に抱いている。彼女たちを、アッキーナと貴婦人が出迎えてくれた。神秘の空間は、今宵もいつもと変わらぬ、ほんのりとした薄暗い魔法光と妙なる香のかおりに包まれている。
「よく戻られました。」
「無事に魔導書を手に入れられたみたいですね、っと。」
少女たちに声をかける貴婦人とアッキーナ。
「はい、今戻りました。」
「曲折ありましたが、なんとかなりましたですよ。」
カレンとリアンがそれに応じた。ミリアムとユンは笑顔で頷き、それに同調する。アイラは緊張の面持ちで、アッキーナに魔導書を差し出した。
「あなたもどうやら間に合ったようですね、っと。」
「はい、おかげでこれを手に入れることができました。これでシーファを…。」
「わかっていますよ。彼女は今奥の部屋に安置されています。すぐにでも転生の儀式を始めましょう。」
そう言うと、アッキーナは皆を導くようにして店の奥へと案内した。貴婦人は少女たちの後からその部屋へと向かっていく。『アーカム』の奥に続く廊下は狭く、古い木の床がミシミシと足音に同調する。いくつか並ぶ部屋の内の一つをアッキーナが開いて言った。
「ここですよ。さあ、入りましょう。」
通路に舞う埃が、そこを照らし出す魔法光に浮かんできらきらと見える。そこは6畳ほどの小さな部屋で、中には祭壇が設置されており、その上にアンデッド化されたシーファの遺体が横たえられていた。傍にはネクロマンサーがついていて、遺体の損傷がそれ以上進まないように、入念に管理をしてくれていた。遺体の周りに置かれた様々の法具や器の内容物をせわしなく操作しながら、ネクロマンサーが、戸口の方を振り返って言う。
「おかえりなさい。みなさんを待っていました。」
その声のすぐ傍に横たえられたシーファの姿は、相貌こそ生前の美しさを保っていたが、数多の矢傷を負ったその実に身体は痛々しく、アンデッド化による保存によって損傷の進行こそ抑えられてはいたものの、直視するにはあまりある姿を晒していた。アンデッド化に用いられたメダリオンの効果なのであろう、シーファ自身はまるで眠るようにそこに佇んでいる。彼女と特別の縁にあるアイラの手は、携えられた『リンカネーションの魔導書』とともに、ふるふると震えていた。それとともに小刻みに揺れる赤い装飾が、不気味な照りを放っている。
* * *
貴婦人は、みなの後からその部屋に入ると、静かに戸を閉めて言った。
「それでは、転生の儀式を始めましょう。急いだほうがよろしいかと。」
「しかし、魔導書には一般的に強い副作用があります。物によって実に様々ですが、使用者を同じ境遇に追いやるもの、その若さや寿命を奪うもの、中には、魂を喰らうものもあります。『リンカネーションの魔導書』は、かつてここにあった物と同じであれば、特別な副作用はないはずなのですが、みなさんの手にあるのは、名うての悪魔『三魔帝』の手にあったものですから、どのような秘密が隠されているかは明らかでありません。」
貴婦人の言葉を継ぐアッキーナ。
「ですから、この書の使用は、場合によっては命懸けになるでしょう。」
更に、そう告げる貴婦人の声を聴いて、一同の顔に険が乗った。少女たちは互いに顔を見合わせている。ただ一人を除いて…。
「是非もありません。シーファを取り戻すことができるのなら、躊躇うことはないのです。」
そう言って前に進み出たのはアイラだった。彼女はその手に抱く書をアッキーナに差し出して言葉を続けた。
「彼女のためなら、この命、惜しくはありません。魔導書は私が使います。アッキーナ、どうかその方法を教えてください。」
「本当にいいのですね?」
アッキーナは慎重に念を押す。アイラは、片手の上の書にもう片方の手を添えると、彼女のエメラルドの瞳をまっすぐに見据えて、沈黙のままに深く頷いた。揺るがぬ覚悟の証である。それをしかと見て、貴婦人が言った。
「いいでしょう、アッキーナ。アイラさんに、魔導書の使い方を教えて差し上げて。」
岩に清水が染み入るような清廉なその声を受けて、アッキーナは説明を始めた。
「魔導書の使用は難しいことではありません。あなたの覚悟が本物であれば、魔導書は自らその戒めを解くはずです。まずは、書に掛けられているベルトを解いて、どこでもいいですからページを開いてみてください。」
その言葉の通りに、書を閉じている表紙のベルトにアイラが指をかけると、金属質の赤い装飾から魔法光が放たれて、それはゆっくりとほどかれていった。更に彼女が表紙に手を伸ばすと、静かにページが開いていく。
「いいでしょう。これで魔導書の力を解放する準備は整いました。」
そのアッキーナの言葉に、その場のみなが鋭い緊張を覚える。ただ、アイラだけは、早く次を、という眼差しでエメラルドの瞳に視線を注いでいた。
「魔導書の力を引き出すには、そのページに書かれてある術式を詠唱するだけです。効果と副作用はその瞬間に現れます。あとは、そこに封じ込めらだ古代魔法使いの意志と、それを奪って魔導書に封じ込めたかの悪魔の思惑次第…。」
アイラは、ただ静かに頷いて応えた。
「準備が出来たら、前に出て術式を詠唱してください。」
そう言うと、アッキーナは場所を空け、またネクロマンサーにも下がるように無言で伝えた。二人が退いでできた隙間に立って、今、ようやく熱い想いを交わす二人がその場で再び対面を果たす。アイラは、シーファの傍にゆっくり近づくと、書を持つのと反対の手で、その美しい額を撫でた。
「シーファ、大丈夫ですよ。この命に代えて、きっとあなたを救って見せますから…。」
そうこぼすように囁いた後、彼女は居住まいを正すと、魔導書を両手に掲げて、詠唱を始めた。
* * *
同席する少女たちはその一挙一動を固唾をのんで見守っている。リアンとカレンは共に手を取り合い、身体を小さくしながらも一心に視線を祭壇に注ぐ。ミリアムとユンも同様で、緊張に張り詰めた面持ちでその場に佇んでいる。
『この世の初めに創造の業(わざ)があった。今、我はそれをなぞって奇跡をなそう。かつて、始まりの天使は生命の水にて大地に息吹を吹き込んだ。ならば、今、我は、朽ちた土くれを贄(にえ)となして、魂の器としよう。輪廻の摂理を歪め、解き放たれた霊魂をその器に差し戻さん。生命の水が大地を潤し人を形作ったように、土くれの器で人を創ろう。汝の息吹に新たな象(かたち)を。転生:Reincarnation!』
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詠唱が進むに従って、魔導書のページは魔法光を放ってひとりでにぺらぺらとめくれ出し、それは眩(まばゆ)く輝いて、灰のように空中に漂い出ながら、煙のようになっていく。古代魔法使いの魂を封じたというそのページが1枚、また1枚と消尽されるたびに煙は濃くなって、やがて、部屋の天面と床面に光の魔法陣を描き出し、その天地を繋ぐように煙が集まって来る。それはやがて、シーファの遺体を飲み込むとそれを同じような煙に変えて一層輝き出し、遂には上下二つの魔法陣の間に、人型を紡ぎ出していった。
はじめごく朧気だった輪郭は、徐々にその解像度を高めていき、やがて、それは肌となり、髪や爪を生やす生き生きとした血色を帯びた存在へと昇華して、遂にそこに独りの少女を再現させしめていく。微かな鼓動が時を刻むようになり、その場に体温らしき温かさがこぼれた。その一連は、文字通りに禁忌の魔法的な連続であり、今、一同の目の前に、一糸まとわぬ美しい姿が現れ出て、麗しい唇をほどいて言葉を紡いだのである。
「みんな!!」
その光景に、少女たちはただただあっけにとられていた。だれもが、その瞳を釘付けにされていたのである。アイラの瞳は、涙に潤みながらも一瞬たりとも閉じることはなく、そのありのままを網膜に焼き付けていた。
蘇ったシーファの身体が放っていた魔法光がゆっくりと翳ったところで、すぐ傍にいたネクロマンサーが、その新しい生身の耽美をローブでそっと隠してやった。シーファは、肩から掛けられたローブの前を恥ずかしそうに閉じて言葉を発する。
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「リアン、カレン!!私、帰って来たわ!!」
一度落命したシーファではあったが、アンデッド化によって魂の残滓が現世に繋ぎ留められていたことから、その後のこともある程度は記憶に残していた。少なくとも、かの日、『ポルガノ族』との衝突によって自らが絶命し、友人たちの懸命の努力によってその身が再生されたことを彼女は自覚している。
アイラはその瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼし、ようやくまみえた愛しい人に声をかけた。
「シーファ!!よかった…。」
ローブの下に隠されたその細く華奢な身体を抱きしめようと一歩近づいたそのときだ。シーファの口から思いがけない一言が飛び出したのである。
* * *
「あなたは、誰?」
その言葉に、アイラは凍り付く。リアンとカレン、ミリアムとユンも互いに驚いた顔を見合うばかりだ。
「シーファ…?」
喉から絞り出すように、震える声で訊ねるアイラを前にしても、当のシーファはきょとんとしていた。息をのんで全身を襲う恐怖と失望に懸命に耐えるアイラ。その身体の、小刻みな震えが止まらない。懸命に思案を巡らせるが、目の前で起きている、あり得ない情景に思考が追いつかないでいた。
「ちょっと、シーファ!冗談はよすのですよ!」
そう言ったのはリアンだ。カレンもその後に続けるべき言葉を探している。
「なによ、リアン。私、冗談なんて言ってないわよ?」
なおも不思議そうな面持ちで応じるシーファ。一同には、その意味が俄かには分からない。アイラの顔はみるみる色を失い土気色になる。
「アイラですよ。あなたにとって一番大切な人ではありませんか?」
動揺に苛まれながらも、カレンもシーファに理解を促す。しかし、様子は一向にして変わらない。
「アイラ…、ですって?そんな人、知らないわ。誰なの?」
シーファは首をかしげるばかりだ。
「そんな…。」
当のアイラはもはや衝撃と落胆で膝が崩れてしまいそうだ。何か言おうと喉を震わせてはみるが、それは声の形を成せないままだ。
「ねぇ、リアン、カレン?あなたたち、誰のことを言っているの?」
眉をひそめて、怪訝そうにシーファが訊いた。二人は、言葉が継げずに困っている。
「ねぇ、シーファ。私たちのことはわかるかい?」
そう訊いたのは、ユンだ。
「ミリアムと、ユンでしょ?同級生を忘れるわけないじゃない。二人とも、助けてくれたのよね。ありがとう。…??どうしたの、みんな変よ?」
変なのはシーファの方だ、と言いたげな表情で、アイラを除く4人の少女たちはその健忘の少女と対峙していた。
「ねぇ、アッキーナ、エバンデス婦人、みんな何を言っているのですか?こちらの方は?」
視線を、アッキーナと貴婦人に移し、アイラを一瞥して問うシーファ。アイラの涙と泣き声の堰(せき)はもう切れてしまいそうだ。
「これはどうやら…。」
「はい、シーファさんの想念の一部が煉獄に繋がれてしまったようですね。」
貴婦人とアッキーナは意味深なことを言い出した。
「それは、どういうことですか?」
眉をひそめて訊ねるカレンに、貴婦人が答えを差し向ける。
「みなさんも知っての通り、人は死ぬと冥府に落ちます。そして、輪廻のため、あるいは最後の審判のための裁きを待つことになるわけですが…。」
一同、それはよく聞かされている話だ。頷きつつ、続きに耳を傾ける。
「冥府に落ちた魂が輪廻に進む場合、現生の記憶が来世において仇とならないように、深く強い思いは浄化すべき執着として煉獄で洗い清められることになっているんです。おそらく…。」
貴婦人は、その先を躊躇った。
「…ということは、シーファの、アイラへの恋慕の情が強すぎで、浄化のために煉獄に繋がれたと、そう言うことですか?」
生命と霊性、生と死を司るガブリエルに最も通じるカレンがそう訊いた。同じくガブリエルを熟知するネクロマンサーは、沈黙のまま頷いている。
「ええ、その通りです。二人の絆はとても強いものでしたから…。シーファさん自身、命を落とした時、もっとも気にかけていたのはアイラさんのことだったのでしょう。冥府の主は、それを好しとはせず、来世に持ち越すには不浄な未練であるとして煉獄に繋いだのだと思います…。」
そう言うと、貴婦人は深くため息を目を伏せた。その場を、緊張とはまた違う別の重苦しい閉塞が覆っていった。そこにいる誰もに、その意味することの深刻さが分かったからである。愛しさゆえの未練、それは許されぬものであるとして、シーファの中からアイラに関する記憶だけが、消されるために煉獄に囚われたと言うのだ。このままでは、シーファは遠からず完全にアイラのことを忘れてしまう。それを喜ぶ者はだれ一人としてなかった。
* * *
「シーファ、いいですか?よく、思い出すですよ。アイラとは、『ハングト・モック』の隠した金を『タマヤの洞穴』に探しに行った時から、ずっと一緒です。キャシーの正体を見破ったのも、それから、その後、『魔王事変』の時にあなたと一緒に『北方騎士団』を退けたのも、他でもないこのアイラですよ。しっかりするです!」
焦燥を滲(にじ)ませながらリアンがまくしたてると、シーファは追憶をたどるように視線を上に送ってから言った。
「そういえば、そんなことがあったわよね。魔法学部長先生に紹介された、確か、錬金術師の子だったわ。その子と一緒に旅をしたことは憶えているけれど、アイラなんて名前だったかしら…?」
視線を戻してから、なお分からないと言う表情を浮かべるシーファ。
「アイラとお姉さんのこともあったです。それから、『東の隣国』へも一緒に旅行に行ったですよ。本当に忘れたですか?」
リアンは食い下がるが、シーファの顔にかんばしい表情は見られない。
「もちろん、それは憶えているけど…。でも、それって、私たち3人だけだったでしょ?それから、アイラとお姉さん?アイラさんにはお姉さんがいるの?」
「…。」
アイラは完全に言葉を失ってしまっていた。
「いいですか、アイラは、あなたにっとて一番大切な、あなたの…。」
リアンがそう言いかけたところで、それを遮ったのは他でもないアイラだった。彼女は、ゆっくりと首を振り、自分に言い聞かせるようにして頷きながら言った。
「リアン、ありがとう。いいんですよ、大丈夫…。シーファが忘れたと言うのなら、思い出させるまでです。私たち二人の絆はそう簡単に壊れてしまうようなものではないですから。」
そう言って笑顔を見せたものの、その目元には深い失意と悲しみが刻まれている。ただ、そこから溢れ出る涙には、懸命に希望を紡ごうとする彼女の決意が光として表れていた。
「アイラ…。」
それ以上の言葉をリアンは失うが、アイラは静かに続けた。
「はじめまして、シーファは。私は、アイラ。アイラ・ハルトマンです。あなた方、いえ、あなたと共にいるために、魔法学部長先生から同行を仰せつかった錬金術師です。これから、どうぞよろしく!」
頬を涙で染めながらも、精一杯の笑顔を浮かべて、アイラはシーファに片手を差し出した。ローブの隙間から、白くあたたかい手をのぞかせて応じるシーファ。二つの手が、ようやくにしてその時触れ合ったのである。
「アイラさんね。…、あなたのこと、本当は憶えていなきゃいけないみたいなんだけど…。でも、ありがとう。私はシーファよ。魔術師です。よろしくね。」
「はい、よろしくお願いします。あなたの心はきっと私が取り戻して見せますから。」
アイラは手に力をこめるが、それを受けるシーファはおずおずとしている。
その時、表の世界と『アーカム』を隔てる戸がおもむろに開き、そこから声が聞こえてきた。
「シーファ、もう大丈夫なのか?」
どうやら、彼女の転生成功の報を受けて、ウィザードがアカデミーから駆けつけてきたらしい。
未練を断ち切るようにして、『黄竜』の加護を失ってなお、鬼神の力にすがることで、遂にシーファを救い出したアイラ。ところが、その彼女のことを、皮肉にも、恋慕の情が強すぎる故にすっかり忘れ去ってしまったというシーファ。二人の想いは、再び今生で交わることはあるのだろうか?冥府の主によって煉獄に繋がれたという、シーファのその記憶の欠片を取り戻すことは果たしてできるのか?
神秘の空間は、新しい時を静かに刻み始めていた。外では静かに、重い夜の帳が上がろうとしている。まもなく朝が来る。
to be continued.
続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集01『繋がれた想い』完