
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その5『噛み違う歯車』
地平の裏に一度身を隠した秋の陽は、深夜まで続く熱狂を大地の裏で感じつつ、新しい陽の出をもたらすために、東の空へと駆けていた。薄暗い彼誰時(かれたれとき)には、競技フィールドの脇にある東側選手控室の上で、『明けの明星』がまばゆく輝いていた。やがて、空は白み、東雲(しののめ)が少しずつ朝焼けに色づいて、神秘的な彩雲が虚空を飾っていく。
そうしている間に、ついに陽は再び東の地平から顔をのぞかせ、『全学魔法模擬戦大会』の二日目の到来を知らせてようとしていた。今日はいよいよ、フィナとルイーザにとって、ルシアン達との雌雄を決するエキシビションマッチ、通称『仲直りマッチ』に挑まなければならない、その当日である。その日もまた、見事に清々しい明るい秋晴れの一日として始まったが、それは、彼女たちの心を内側から締めつくさんとする大きな不安の影をあざ笑うかのようでもあり、二人はその美しい秋の日を手放しでは喜べないでいた。
光と影、陰と陽。決して離れず、相手なしでは互いに存立できない、相補的で相互依存的な関係の概念。それでいて、両者は世界の景色を明確に形作る不可欠の要素でもあった。ルイーザの父からは、光の表象として、フィナには『ライゼン・モア』が、ルイーザは、光に意味を与えるその強さの表象として、『フォールン・モア』が、それぞれ授与されていた。
一方を欠けば他方も成立し得ない両者の永遠の関係、そんな絆を結んでほしいと、ルイーザの父はこれらを二人にそれぞれ与えたのだった。今、フィナとルイーザは、『仲直りマッチ』の勝利による、フィナの兄の名誉と尊厳の回復という重大な目標に向けて、その二つの心を、不可分に交わる光と影のごとくに、しっかりと1つに結び付けていた。
「フィナ、大丈夫。お父様の助けもあるし、必ず勝利を収めることができるわ。正しい想いは、それを正義と呼ぶのかどうか私には確信はないけれど、でも、少なくとも正しさに繋がる信念は、きっと力を呼び起こして道を拓いてくれるは、それを信じましょう!」
「うん。これは兄の弔い合戦。そして、兄の名誉と尊厳を守って示す最後の機会だもの。最初で最後、私も、どんなことにも屈することなく、全力をつくすわ。」
「ええ、あなたと私なら、できないことはないはずよ。正しい心のもとに、必ず道は開くのだから…。」
「うん!」
そう言うと、二人は互いの瞳を見つめつつ、しっかりと固い握手を交わした。そして、選手控室を兼ねるそれぞれの観覧席へと移動を開始する。
せっかちな秋の太陽は、どんどんとその高度を上げていき、いよいよ午前の部、すなわち初等部によるエキシビションマッチが始まろうとしてた。
俄かに鼓動が早鐘のようになる。フィナは緊張のあまり、顔が引きつってしまっていた。
「大丈夫よ、フィナ。あなたは一人じゃないわ。もちろん私も同じ。あなたは光、私は影、決して分かつこのとのできないこの絆は、今日も、明日も、この世界に光と影が存在する限り永遠に続くの。だから、恐れるのはよしましょう。勝利を信じて、自分たちの想いの正しさを信じて、全力で戦うの!」
力強く心強い言葉を語るルイーザの声もまた、多分に震えていた。しかし、その胸にフィナとの絆を確かなものと感じていることだけは、間違いなかった。
無差別試合は、個人戦、D.v.D.(2対2)T.v.T.(3対3)、Q.v.Q.(4対4)の各スタイルの試合が消化された後で実施される。ただ、初等部にはQ.v.Q.形式の試合はまだないので、個人戦、D.v.D.、T.v.T.、のその後に出番が巡ってくる格好になる。3試合を消化したのち、4試合目というのは、思うよりずっと早い。昨日見た様々の上級生たちの優れた戦術を反芻しながら、ルイーザは懸命に勝機を探していた。
フィナはソーサラーとして、また魔法使いとして、決して弱いというわけではないが、生来の優しさから、武具や魔法を相手に向けることに無意識的な抵抗を感じている節があること、そしてなにより心配なのは、ここ1週間でエスカレートの極致を極めた陰湿ないじめを一身に受けたことにより、精神が脆弱になっている恐れがあることであった。兄に対するフィナの決意は疑いようのない本物であるが、しかし事実の問題として、彼女を戦力と考えるの難しく思える。だから、私が、私が、とにかくうまく立ち回って、彼女を確実にルシアン達の魔の手から守らなければならない!内心でそう覚悟を決めながらも、しかし、そんなことをフィナには悟られまいとして、ルイーザは精いっぱい気を張っていた。
太陽はいよいよ天上に近づき、それが西に駆けるほどに、少しずつ二人の運命の時は現実のものになろうとしていく。
そしていよいよ、無差別試合の開始を告げる場内魔術アナウンスが響き渡った。
* * *
「次のエキシビションは、初等部6年混成クラスによる『仲直りマッチ』です。出場選手のみなさんは、競技フィールド脇で待機してください。繰り返します…。」
場内アナウンスの促しを受けて、フィナとルイーザは競技フィールド東側の選手待合室へと移動した。フィナを支え励ましたいが、ルイーザにもあまり余裕がない。二人はほとんど言葉を交わすことなく、競技フィールドに入場すべき時をじっと待っていた。そしてその時がついに到来する。
「『仲直りマッチ』に出場する選手のみなさんは、待合室を出て競技フィールドにお進みください。まもなく試合を開始いたします。繰り返します…。」
「さあ、いこう!」
「うん。」
「私とあなたは…。」
「あなたと私は…。」
「光と影。陰と陽。永劫離れることのない強い絆で結ばれている!」
そう声を揃えて、二人は階段を上り、競技フィールド上に出た。しばらく暗いところにいた瞳に、透き通る秋の陽が突き刺さる。目を細めながら、競技フィールドの中央に進み出て行った。
「『仲直りマッチ』の選手紹介を行います。東側女子チーム、フィナ・ブルックリンさん…。」
そのアナウンスが流れるや場内全体が、歓声とは違う重い空気を投げかけていく。フィナの身と心は一気に引き締まった。その様子はルイーザの胸を引き裂くほどに締め付けていく。それでも負けじと、フィナは兄の形見のローブの襟元を右手でぎゅっと握って、雑念を振り払うよう努めていた。

「続いて、ルイーザ・サイファさん。」
先程とは打って変わり、歓声らしいどよめきが会場全体に沸く。しかしその声の多くが、彼女自身への声援というよりは、その父に対する忖度であることに疑いの余地はなかった。ルイーザは先週末の買い物の折にフィナがプレゼントしてくれたリボンでその美しいプラチナ・ブロンドの長髪を一つ結びのポニーテールに結わえている。

「対するは、ルシアン・マクスウェル君、ダミアン・トーテム君、アベル・トゥリーター君です。この試合は2対3の無差別試合形式で行われます。ハンデは以下の通り。女子チームは、本試合中に限り、ローブの着用が正式に許可されます。また、1人あたりの持ち点は各150点ずつの合計300点、対する男子チームは、1人あたり100点ずつの持ち点での、合計300点となります。300点先取の1本勝負、選手のみなさんは、頑張ってください。そして仲直りを果たし、クラスにおける友情と団結を取り戻されることを期待しています。では、この後は審判に引き継ぎます。審判の先生、よろしくお願いいたします。」
わあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
試合開始を直前に控えて、会場の興奮はどんどんと高まっていく。試合内容について決まったのがつい1週間ほど前で会ったことから、学園中の衆目を集めたという程のことではなかったが、それでも、トマス・ブルックリンの妹の学則違反をめぐる試合という筋立ては、知らず知らずの内に、多くの学徒達の関心を惹くに至っていた。
「エキシビション、第4試合『仲直りマッチ』。300点1本勝負!用意、はじめ!」
こうして、巻かれ続けてきた運命の時計のネジは、ついに戒めを解かれて、刻むべき時を刻み始めたのである。それを告げた審判の声は、よく聞き知ったものであった。
* * *
ルイーザにとって優先的に何とかしたいのは、とりわけしつこく、暴力も交えてフィナに粘着するダミアンだ。できれば彼を先制したい。しかし、ルイーザがそう考えることを相手チームには見透かしていたのであろう。ルシアンとアベルはさっとルイーザの前に躍り出ると、彼女との距離を慎重に図って、むしろ逆に彼らの方が、ルイーザからフィナを遠ざけることに成功している。
最も嫌な形と懸念した態勢が現実になってしまった。冷静で聡明なルイーザの胸中を焦りと不安が塗り固めていく。フィナは健気に勇気を振り絞ってダミアンと対峙してはいるが、暴力さえ伴うあの毎日の苛烈な嫌がらせの張本人を前にして、彼女がおびえていないはずがない。少しずつ、しかし着実に蓄積され続けてきた心理的外傷というものは、本人の努力や勇気で覆せるほど簡単なものではないのだ。
いや、心配と逡巡ばかりでは、事態打開はあり得ない!ルイーザはそう意を決して、目の前に立ちはだかるルシアンとアベルに向かって、得意の術式を行使した。
『閃光と雷を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者なり。法具を介して助力を請わん。黒曜の輝きを、打ち据える球となして、我が敵を下すべし!黒曜の球:Dark Spheres!』

彼女は、『フォールン・モア』に多分に用いられている『真石オブシダン』のいくつかを術式媒体にして、それを弾丸のようにルシアンとアベルに向けて撃ち出した!ルシアンは、防御術式を得意とするソーサラーだが、光と閃光の属性領域の術式を効果的に防げる防御術式はまだない。ルイーザの判断は奏功して、黒曜石の球(きゅう)の群れは二人の少年を強(したた)かに打った!1人当たり30点、計60点が魔術掲示板に刻まれる。60対0(少女対少年)、出だしは上々だ。
あとはこのまま畳みかけてしまえばいい。得意の火の術式で彼らを一掃すればフィナの下に駆けつけることができる。そう意を決して、中等術式の中規模集団攻撃魔法である『火球法弾:Flaming Cannon Balls!』をそこそこの威力で矢継ぎ早に繰り出した。

その手からは、大砲の砲弾くらいの大きさの複数の火球が繰り出され、ルシアンとアベルに襲い掛かっていく。先ほど損傷を与えてまもない。そこから間髪入れずに術式を繰り出せば、ルシアンの防御障壁の先を制することができるだろう!ルイーザは、そう目論んでいた。
フィールド上で大きな炎が燃え盛っている。フィナの方を見やると、彼女は『ライゼン・モア』を構えてダミアンと対峙している。その脚は恐怖に慄き震えてはいるが、すぐにどうこうということはなさそうだ…。
そう安堵して視線をルシアン達の方に戻して、事態がそう簡単ではないことを思い知らされる。
なんと、ルシアンの方が、ルイーザの切っ先を制していたのだ。彼女の自慢の砲弾火球はことごとく彼の展開した巨大な『氷壁:Ice Sheld』に無力化されていた。

「そんな…!!」
目の前の光景に一瞬気を採られた時、ルイーザの身体を鋭い電撃が撃った。防御行動こそ間に合ったものの、全くの不意を突かれて大きな損害を受けてしまった。ルイーザは幾分か後退する。電撃を放ったのは、当然にして、閃光と雷の領域の術式を得意とするウォーロックのアベルであった。卓越した防御能力を持つルシアンと、それを盾に、安全な位置から高威力の攻撃術式を繰り出してくるアベルのコンビネーション。侮ることはできない!
魔術掲示板は、60対50(少女対少年)と表示を切り替える。接戦だが、とにもかくにも気になるのはフィナだ。そのとき、少し離れた場所からフィナの悲鳴が聞こえた。ダミアンだ!
ネクロマンサーの彼は、恐ろしいアンデッドを召喚し、それをフィナにけしかけている。アンデッドはすぐに効果的な攻撃を繰り出すというでもなく、ふらふらとフィナの周りを揺蕩っているだけだ。どうやら、アンデッドを苦手とするフィナへの心理的な嫌がらせのようだ。

「どうした、フィナ?こんなのが怖いのか?アニキの敵討ちとやらはどうしたんだよ?そんなんじゃ俺たちに指一本触れる前に終わるぜ!…指一本触れるか…、へへ…、これからが楽しみだな。」
何か意味の分からない不穏なことをダミアンは呟いている。その口元にはいつも以上に下卑た笑みがいやらしく浮かんでいた。

フィナが苦戦しているのは、アンデッドが苦手だからというのももちろんあるだろうが、それだけではなく、これまで何度もダミアンから心理的に抑圧を受け続けてきたことの影響の方が遥かに大きいだろう。またやられるのか、また苦しむのか、その恐怖が勇気を上書きしてしまうのだ。これは彼女が弱いというよりも、巧みにそう仕向けてきたダミアンが、いじめる者として巧みであったというべきなのだろう。忸怩たる思いではあるが…。
「フィナ、しっかりして。大丈夫、すぐに行くから。待ってて!」
両肩を抱き、しゃがみこんで涙を流すフィナの方を向いて、ルイーザがそう声をかけた時だった。その全身に激痛が走る!ルシアンの水と氷の術式だ!一瞬視線を外したことで、まともに直撃を受けてしまった。『競技採点の制服』によって実際の身体的損傷はない訳であるが、直撃を受けたような場合には身体的苦痛がその『競技採点の制服』によっていわば演出される。それによって模擬戦闘の現実性を高めているのだ。
ルイーザはフィールドに突っ伏すようにして痛みに耐えている。
掲示板は、60対110(女子対男子)を示した。
「おいおい、ばばあ。よそ見はいけないっていつも偉そうに言ってる割には、こんなところで自分がよそ見かよ。余裕だな?笑わせるぜ!」
ルシアンが、嫌味な笑みを向けて来る。後ろに控えるアベルは、この調子ならいつでもとどめを刺せるという余裕の面持ちだ。その実、150点あったルイーザの持ち点はもう40点しか残っていない。ルシアンが、乱暴にルイーザの肩に足を置いて地面に押し付ける。
「ったく、残念ってのはこういうのを言うんだろうな。術士の競技ライセンスを持たない俺の白兵戦闘行為は、点数的には無効なんだそうだぜ。でも痛みは伝わるだろう、ええ、ばばあ!」
「あああ、くそう!!」
痛みに呻(うめ)くルイーザ。しかしその姿を見て、フィナの中で、勇気が恐怖を俄かに押し返す。
「もうやめて!!!」
そう言って、彼女は周囲のアンデッドとダミアンに向け、中等術式の中規模集団攻撃魔法である『高圧水球:Hydro Spheres!』を繰り出した。

しかし、相手はアンデッド。しかも腐肉を残さない死霊アンデッドときている。フィナの決死の反撃もむなしく、それらはほとんど効果をもたらさことができなかった。愕然とするフィナにダミアンが非道を重ねる。
彼は手にした杖の先をフィナの左の肩に押し当てると、そのまま彼女の身体をあお向けに押し倒した。
掲示板の表示が、60対140(女子対男子)へと変わる。
「ばかじゃねえのか?霊体アンデッドに水が効くわけねえだろうが。へへ、それにな、屍術士として術士の競技ライセンスを持つ俺は、白兵戦行為も得点的に有効なのさ。俺たちを散々なめ腐ってくれた礼を、今からたっぷりさせてもらうぜ!」

「おらおらおら!!!」
ダミアンは容赦なく、フィナの小さな体を、しかもあおむけで無防備になったままところを杖で何度も打ち据える。フィナは痛みと絶望にむせび、ただ顔の前で腕を固く組んで、その横暴のごくわずかだけを軽減させていた。
「フィナー!!」
ルイーザの叫び声が聞こえるが、彼女がフィナの下に駆け寄ることをルシアンとアベルが許してくれない。
そうこうしている間にもフィナの持ち点はどんどん奪われていく。ついに魔術掲示板の表示は、60対190(女子対男子)となった。
しかし、少しだけ妙なことがある。ダミアンが手にする、それなりの力を秘める術具と思しきあの杖でこれだけ殴打すれば、もっと得点が入ってもいいはずだ。ダミアンの顔には、見る者の嫌悪感を刺激する不気味な笑みが先ほどからずっと浮かんでいる。何かよからぬことを考えているのか?
「はあはあ、へへへ。お前にここで退場されては折角の楽しみがなくなるのでな。お仕置きはこれくらいにしようぜ。」
そう言うとダミアンは仰向けになっているフィナの上に馬乗りになって、その怯える身体に手を伸ばした!!
「い、いや…。来ないで…。」
ルイーザの心はもう完全に恐怖の虜だった。
「貴様!!ダミアン、何をやっているんだ!!」
両目に涙を浮かべて訊くルイーザ。その問いに答えたのはルシアン達だった。
「何をやっているって?知りたいか?お楽しみだよ。お・た・の・し・み。ダミアンの愛情は歪んでいてな、ああいう形でしか気持ちを表現できないんだよ。なんでも、愛しのフィナちゃんとちょっとしたスキンシップを楽しみたいとやらで、巧みに手加減したみせたんだ。あいつ、根はやさしい奴だからな。ははははは。」
常軌を逸したことを平然と言ってのけるルシアン。公衆の面前であるから、一線が越えられることはないだろうが、それにしてもこれはもう試合なんかではない。そう思って、審判席の方を見たルイーザは更に強い落胆を再確認する。そんな顔がその席を陣取っていた。
「くそぅ。なんで、あいつが…。」
「おやおや、俺たちみんなの大事な先生をあいつ呼ばわりとは、クラス評議員も地に堕ちたな。まあ、心配するなよ、ルイーザ。お前は俺たちのお楽しみの種なんだからな。すぐにフィナと同じ目にあわせてやるから、覚悟しやがれ。」
「うああああああああああああ!!!!!!!」
ルイーザは我を忘れるほどに激昂した。このままでは、フィナが本当に傷ついてしまう。今すぐに止めなければ彼女はもう自分を取り戻せなくなるだろう。それだけはなんとしても防がなければ!彼女は私の光なのだから!
その場ですっくと立ちあがると、ルイーザは詠唱を始めた。
『火と光を司る者よ。我は汝の敬虔な庇護者なり。今、法具を介して助力を請わん。我が行く手を遮る全てを胡散霧消せよ!殲滅爆破:Explosion!』

それは、火と光の領域に属する高等術式の準殲滅魔法であった。これならばルシアンを『氷壁:Ice Sheld』もろとも吹き飛ばせるはずだ!そして、それは見事に命中し、その場で大爆発を引き起こした。まごうことなき直撃である。その場に広がる爆風と爆炎は凄まじく、しばらくはその場の様子を俄かに確認することができなかった。
だが、競技フィールドの明らかに正常でない様子に歓声とは違うどよめきが広がっていく。初等部6年の試合で、高等術式とは破格だ。誰彼ができることではない。これで少なくともルイーザ側の勝負はついたに違いない。観客も含め誰もがそう確信していたが、審判席の女は、不気味にほくそ笑んでいる。やがて、爆炎と煙がっちりぢりになり、視界が回復すると、そこには確かに吹き飛んだはずのものが姿を現すではないか!
「そんな…、ばかな!高等術式が通用しないなんて、そんな、そんなこと…。」
そう、ルイーザの決死の一撃は防がれていたのだ。もちろんルシアンひとりで防いだという訳ではない。なんとも狡猾なことに、彼とアベルは『氷壁:Ice Shield』に加えて、更に無属性の強力な障壁である『光壁:Light Shield』を二重展開することで、ルイーザの渾身の術式を無効化してみせたのだあった。誰から聞いたのかは知らないが、優れた魔法使いの素質を持つルイーザが、既に高等術式を修得していることを彼らは知っていて、彼女がそれを使うことを事前にに織り込んだ上で、綿密な対応策を用意していたのだ。

ルイーザは、力なく膝からその場に崩れ落ちる。あの天真爛漫で朗らかな色に彩られていたサファイアの瞳は、今は目前の脅威と絶望に打ちひしがれ、虚ろな表情を称えていた。ルイーザの身体から、残留魔力が押し出されそうになる。高等術式の対価としての、魔力枯渇の前兆で会った。

「さあ、アベル。俺たちもお楽しみと行こうぜ!」
「そうだな。」
嫌な表情で指をなめながら近づいてくる、ルシアンとアベル。もはやその毒牙にかかるしかない、そう思った刹那だった!
* * *
フィナは自分を辱めるダミアンを力づくで振りほどき、『ライゼン・モア』を突き付けて牽制した。
「もうやめて。私たちはどんなことがあっても、絶対にあなたたちには屈しない。この卑怯なトカゲめ!ヘビめ!永劫、私たちはおまえを、おまえたちを許しはしない!」
そう言うと、フィナはなおも牽制を続けながら、『ライゼン・モア』に願いを託し、その体内に残る全ての魔力をルイーザに供給した。その瞬間、フィナは魔力枯渇を起こし、退場となる。しかし奇しくも、そうなることによってフィナ自身はダミアンの卑しい魔の手からの解放を得、また絶体絶命だったルイーザにも、一条の希望をもたらす結果となったのだ。光と影、陰と陽が交わった、まさにその瞬間であった!

魔力枯渇のペナルティ100点がルシアン達に入る。点差は、60対290にまでに広がった。もはや雌雄は決した。その場にいる誰もがそう思っていた。ルイーザ自身も。しかし、そのとき、ルイーザは脳内に直接話しかけてくる不気味な声と奇妙な対話をしていた。その間の彼女は、極めて強力な障壁で守られているらしく、ルシアン達は3人で束になって、あの手この手で攻め続けたが、一向にあと10点を加算できずにいた。その間も、その不思議な対話は続いていく。
「どうした?目を覚ませ。正義はお前の信条だろう?今こそ正義を成すべきではないか?正義とは力、力こそが正義だ。恐れることはない、その内なる正義を、力を、ただ解き放てばよいのだ。」
「でも、その方法が分かりません。」
「そうか、そうか、それは辛いな。では教えてやろう、簡単なことだ。自らに秘められた力と可能性を信じ、そのしたいこと、望みを渇望して、その実現をただただ強く願えばよい。そうすれば、力の方から、お前を迎えに来るであろう。おそれるな。正義は力、力こそ正義…。唱えよ、ただ『B.D.D.B.』と。それだけでよい。憎き者を聖絶する強き意志を持ってそう唱えれば、必ず力は応えてくれる。恐れるな、行け…!」
そう聞こえた限り、あとはもうその声が脳内に響くことはなかった。
『B.D.D.B.』なんだろう?術式なのだろうか?いや、今はそんなことを考え躊躇(ためら)っている場合ではない!公衆の面前で受ける辱めの恐怖を乗り越えて、最後の希望を託してくれたフィナの友愛をこんなところで裏切ることは断じてできない!誰でもいい、何でもいい。ただ、今は、今は、とにかく力が欲しい。我が正義を成し遂げるために、力を与えたまえ!!!
『B.D.D.B.!!!』

その刹那だった!俄かに夥しい魔力がルイーザの周辺を取り巻いていく。それは、力それ自体の権化であるかというような、赤黒い、オーラの潮流のようなもので、一度渦巻くようにルイーザを取り囲んで、彼女の身体を宙に浮かせたかと思うと、その次の瞬間には、赤黒く輝く剣の舞のようにして、その場で踊り狂い、ルシアン、ダミアン、アベルの3人を滅多切りにして、その場にすっかり組み伏せてしまった。俄かに恐ろしかったのは、その血の滴るような赤黒い刃の群れは、彼らがとうに継戦能力を失ったあとでも、なお渦巻くその力の権化の渦の全てを使いつくすまで、その手を緩めなかったことである。
結局3人は、着衣も装具もずたずたに引き裂かれ、得物も木っ端みじんに破壊されたたばかりでなく、その恐ろしい喧騒がようやく平常を取り戻した時には、全員、意識を失うほど深刻な魔力枯渇を起こしていた。
それとは反対に、ルイーザの身体は黒い魔法光に包まれ、体内に急速に力を急襲してる。どうやらその『B.D.D.B.』なる正体不明の術式は、相手の生命力を奪うのみならず、残る魔力の全てを吸収して詠唱者に与える、そんな狂気じみた性質の恐るべき術式であるようである。
滔々(とうとう)と流れ込み溢れ出るようにして身体を満たすその膨大な力に、ルイーザはこれまでに経験したことのない悦楽を感じていた。その美しい瞳は陶酔に溺れ、「力こそ正義」と語った謎の声のいわんとするところを、存分に噛みしめていた。まさに正義を自ら断行したのであると。
魔術光掲示板は、計測不能対290と表示している。信じられないかたちで、フィナとルイーザは大逆転をおさめた。しかし、そのあまりにも壮絶な術式とその結果をつぶさに見た後では、場内はすっかり静まり返り、異様な緊張がその場を支配していた。
「うふふ、あは、あはは、あははははははははははははははは!!!」
その沈黙を破るようにして、ルイーザの笑い声が一面にこだまする。
「フィナ、勝ったわ!私たち勝ったのよ!!これは私とあなたの力の結晶、それが、なしえ得ないはずだった正義を、見事になした結果なの。正義は力、力こそ正義。本当にそう、力なき者は哀れだわ。そして、力なき者こそが悪。そう言って物言わぬ少年たちを、これまでに見たことない仕方でルイーザは一瞥した。
もちろん、これはどこまでいっても模擬戦であるから、双方が『競技採点の制服』を身に着けている限り、誰かが生命を落とすということは絶対にないようにできている。それは今回とて例外ではない。ルシアン達が動けないのは、一時に大量の魔力を失い、深刻な魔力枯渇を起こして意識を一時的に失っているから、というだけのことなのである。
「フィナ、やったのよ!これでやっと、あの日々から解放されるわ。さあ、行きましょう。」
そう言うルイーザの声は、既にいつもの優しさを取り戻していた。また、先ほど垣間見えた青とも赤ともつかない不気味な色は、その瞳からすっかり消え去っている。

ただ、大量の魔力を一時に吸収した副作用で、おそろいでと買った『競技採点の制服』の純白の上着は真っ黒に染まっており、また、二人の絆を永遠につなぐ縁(よすが)としてフィナが送った、ルイーザの頭上のリボンは、そこに黒い蝶が止まっているかのような心象をフィナに与えていた。
それでも、目の前に立つルイーザは、自分を助けてくれた恩人であるし、外観のわずかな変化を別にすれば、いつものルイーザと違いない。
フィナは震える手で、おそるおそる彼女の手を取った。その手は、今朝固く握りあったその手と全く同じぬくもりを称えている。ただ不思議なことに、彼女の頭上には、まだ昼前の時間帯だと言うのに、『宵の明星』らしき星が不気味に輝いていおり、その事実が、フィナの心に一抹の不安を惹起(じゃっき)していた。
「ダミアンに何をされたの?大丈夫だった?」
いつもの声でフィナを気遣うルイーザ。
「うん。あの…、服の上から少し胸を触られただけだから…。」
「そう。本当にひどい奴だったわ。でも金輪際、彼らは私たちには逆らえないもの。そう約束したからね。」
「うん、そうだね。…ルイーザ…。」
「なに?」
「ううん、なんでもない。ありがとう。」
「いいのよ、行きましょう。」
こうして、『仲直りマッチ』の決着はついた。
競技フィールドの中央に並ぶフィナとルイーザ。対して、ルシアン達3人はまだ完全に伸びている。
「エキシビション『仲直りマッチ』、計測不能対290、女子組の勝利!」
そう宣言するマリクトーンの声は、今しがた目にした事実に対する驚愕と、あり得なかったはずの彼女たちの勝利を忌々しく思う口惜しさから、大いに震えていた。
* * *
勝利宣告が終わると、競技フィールド内に看護学部の救護班がなだれ込んでくる。担架でもって、負傷者3名を看護学部の医療使節に移送するつもりのようだ。その指揮は、看護学部の責任者であるネクロマンサーが執っている。しかし、そこに聞き知った声が響いた。
「待て、搬送はするな。その3名は重要な補導対象だ。看護学部の諸君には無理を言ってすまないが、まずはこの場で魔力枯渇の回復に全力を尽くして欲しい。これは重大なことだ。よろしく頼む。」
そう言ったのは魔法学部長代行であり、『アカデミー治安維持部隊』の責任者であるウィザードだった。あたりを、同部隊のエージェントが取り囲んでいる。
職務上、偶然居合わせる格好となった、ネクロマンサーは、ウィザードの指示に従って、ルシアン達に応急措置を施していった。
一体、何事があったというのであろうか?ルシアン達が「重要補導対象」とはどういうことだ?なぜに『アカデミー治安維持部隊』のエージェントまでが出張って来るのか?しかも、エージェントの影は、競技フィールド脇の審判席にまで迫りつつある。
秋の陽が天頂に差し掛かる。朝方あれ程まで美しく広がっていた晴天は急に鉛色に塗り替えられ、遠くでは雷鳴も聞こえるように移り変わっていた。まさに、風雲急である。
to be continued.
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その5『噛み違う歯車』完