続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集05『火と光』
次の日、ミリアムとユンの二人は朝早くに起き出して、山側に面する窓辺で何事かをしていた。まぶしく差し込む初夏の朝日に溶け込むようにして、橙に燃える何かが空にたくさん飛び立っていく。
「ごめんよ、ミリアム。私がこんなばっかりに。」
神妙な面持ちでユンが謝意を告げた。
「何言ってるのよ。ユン、それはあなたのせいじゃないもの。私たち戦争孤児は何かしら傷を抱えているものでしょ?だから助け合わなきゃね。」
「ありがとう。そう言ってもらえると救われるよ。」
そんな言葉を交わす二人は、今から十数年前に『北方騎士団』との間で勃発した『ノーデン平原の戦い』にあって身寄りをなくした戦争孤児であった。当時、まだ幼く、物心ついて間もなかった彼女らは、アカデミーの手によって戦場から救出・保護され、その保健部門の手厚い看護の下で、実の姉妹のようにして今日まで養育されてきたのである。保護された場所の名に因んで、二人にはともにノードの姓が与えられたが、そのことも手伝って、ミリアムとユンは、実の家族にも勝る固い絆で結ばれていた。
太陽が、ゆっくりと東の地平からその頭をもたげている。
二人がそんな会話をしているところに、リアンが起き出してきた。
「おはようなのです。ずいぶんと早いのですね。何かしていたですか?」
「おはよう、リアン。そうさ、昨日ここに戻って来てから皆で相談した通り、中央山地に巣食う『ムシュラム族』の居場所を特定しようと思ってね。ミリアムが使い魔を放ったんだよ。」
リアンの問いに、ユンが答えた。
「カレンが死霊術に長けているのは知ってるけど、死霊を使い魔の代わりにしたのでは、夜しか探査ができないでしょ?少しでも時間がもったいないもの。この火蝶の使い魔なら、日のあるうちに調査は完了よ!」
そう言って、ミリアムが先ほど窓から放った使い魔の残りを見せてくれた。それは、魔法の火で象られた燃え盛る小さな蝶で、シーファが使い魔に用いる火の鳥とは違って、小さくて儚い、繊細な姿をしている。ミリアムは相当の数を放ったのであろう、窓辺はそれが放つ熱でずいぶんと気温が上がっていた。
「お昼過ぎには、おおよその場所を特定できるはずよ。それまでは駆除作戦の準備を進めつつ、待ちましょうね。」
「ミリアムの使い魔は本当に優秀なんだ。きっといい知らせを運んできてくれるだろうよ。」
二人のその揺るぎない信頼に微かな嫉妬を感じながら、リアンはまだ起き出してこないカレンの寝床の方を、そうとは気づかれぬようにそっと一瞥した。
* * *
窓辺で、三人がそんな何気ない雑談に花を咲かせているところに、カレンが起き出してきた。
「ごめんなさい、寝坊してしまいました。昨晩なかなか寝付かれなくて…。今、何時ですか?」
そう問うカレンに、
「大丈夫さ、カレン。まだ8時前だよ。そろそろ朝食じゃないかな?」
と、ユンが応えた。
東向きの窓辺はひときわ明るく、そこからは新緑に萌える中央山地の様子をありありと目に飛び込んでくる。今頃は、先ほど放たれた火蝶の使い魔が、その山中をせっせと駆け巡っていることだろう。
急いでカレンが着替えを済ませたところに、ドアをノックする音が聞こえてきた。朝食が運ばれてきたようだ。偶然にも戸口に一番近いところにいたカレンが、戸を開けて給仕を迎え入れる。
開かれた窓から流れ込む新緑の青い香りに包まれていた室内が別の香りでぱっと華やかになった。どうやら今朝の御馳走は卵料理のようだ。ベーコンをあしらったオムレツとともにパンが、テーブルに並べられていく。
「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください。」
給仕はそう告げた後、カートを引いて部屋を後にした。あたたかい湯気と芳醇な焼き卵の香りがテーブルの周りに漂ってくる。
「さあ、今日は夕方から忙しくなるよ!しっかり食べないと!」
そう言って、ユンが早速にベーコンとオムレツを頬張りはじめた。
「そうよ。『ムシュラム族』の所在が明らかになる前に、まずは元気をつけないとね!」
ミリアムも彼女の後に続く。それを見てリアンとカレンも食器を手に取った。血縁ではないが、血の濃さをも凌ぐかのようにして強い絆を結ぶ二人。リアンとカレンはその関係をうらやましく感じていた。自分たちもいつか家族になるのだろうか?ふとそんなことに思い至ると、急に面はゆい感情が襲ってきて、匙を繰り出す手がなにやらぎこちない仕方になる。そんな二人の様子に気づくこともなく、ミリアムとユンの食器はどんどんと空いていった。
「使い魔がお昼ごろに戻ってくるとすると、それまではどうしますか?」
食後のお茶を傾けながら訊ねるカレン。リアンも手元から視線を上げる。
「そうだね。『ムシュラム族』は魔術的捕食動物の1種ではあるけれど、要するにキノコに似た植物性の生物だから、やっぱり山を焼くのが一番手っ取り早いと思うんだ。胞子の一片も残すな、というのが依頼主の願いでもあるしね。」
そう、ユンが応えた。
「それはそうだけど、焼き討ちを仕掛けるなら、山に巣食う『ムシュラム族』の所在を、まずはピンポイントで明らかにしないとね。山を全部焼いたら、今度は私たちがアザゼルに追われかねないわよ。第一…。」
ミリアムがそう言いかけたところで、ユンがそれを遮る。
「心配ないよ、ミリアム。大丈夫。確かに、この山を丸裸にはできないけど、『ムシュラム族』は、基本的には群れの長を中心に、ひとところに群生する性質があるから、複数の群れが入り込んでいるのなら別だけど、群生地を焼いてしまえばそれで解決だよ。」
「まあ、それはそうだけど…。本当に大丈夫なの?」
「ああ、任せておけって。」
そんな二人のやり取りに、リアンとカレンは妙な違和感を感じていた。山を丸裸にするのが不味いのはその通りだが、駆除に火の術式が欠かせないのは言うまでもない。二人はその何をそこまで心配し、意思を相互に確認しあっているのだろうか?直接訊いてみようかとも思ったが、眼前で固い絆を示す二人に、外から無遠慮に踏み込むのはどうにも不躾に感じられ、その場では何も言わないでいた。
やがて、ティーカップも空になって行く。
* * *
時刻はゆるやかに9時を回ろうとしていた。使い魔が戻って来るまでにはもう少し間がある。4人は食後にシャワーを浴びて、目を一層しっかりと醒ました後で、今夜の駆除作戦に向けてめいめい入念に準備を始めた。地図から目を離さないミリアム、ユンは武具を丁寧に研ぎあげる。リアンは各種の薬を荷に詰め、カレンは、きっと必要になるであろう解毒剤の錬成をしていた。こんなとき、錬金術師のアイラがいてくれれば心強いのに、そんなことを考えながら、カレンは小さな薬瓶を毒消し液で満たす。できたその薬瓶を荷にまとめるのがリアンの務めであった。
昼食も終え、そろそろ使い魔たちが戻って来る頃合いだ。太陽はそこそこ西に傾いてはいたが、それでもまだ、光は十分に白かった。やがて、その時刻にはおよそ似つかわしくない赤さに窓際が染まって行く。どうやら火蝶の群れが戻ってきたようだ。ユンは、出窓を開いて相棒のもとへとそれを誘い、ミリアムは戻って来た火蝶の数を勘定しながら、それぞれを地図の上へと繰り出していった。火蝶は、地図の上に止まると、それぞれが目にしてきたことを描き込むようにして、印に姿を変じていく。火蝶が一際明るい魔法光を放つと、地図の上に〇と×の印が赤く刻印された。どうやら〇は『ムシュラム族』の生息地を、×はそれが確認されなかったことを示すようだ。次第に、地図はその刻印で真っ赤に染まっていく。それの指し示すところによると、敵は『アルカディア城』を取り囲む湖の、東の岸辺に集中していており、その他にはいないことが確認された。目標がいよいよ定まりつつある。
「幸い、『ムシュラム族』はこの辺りに群生する一団だけのようね。ちょうど『アルカディア城』に続く石橋のたもとあたるから、吐き出された瘴気は城門付近の一帯を覆うことになるわ。アザゼルの言っていた、『少々苦慮する』という証言と一致するわね。」
地図上をなぞりながら、場所を確認するミリアム。
「そうですね…。でも、アザゼルと言えば、それ自身が火を司る高位の存在です。ある程度の広がりがあるとはいえ、比較的小規模の『ムシュラム族』に苦慮したりするものでしょうか?」
地図上を走るミリアムの指を追いながら、カレンは少し首を傾げた。
「まあ、山全体を焼き討ちすることにならなくてよかったってことだよ。な?」
ユンのその言葉に、リアンも続く。
「そうなのですよ。あの悪魔はきっと無精なだけのです。自分で始末するのが手間だから、たまたまやって来た私たちに押し付けたのというだけですよ。誰しもみな、面倒は嫌なのです。」
ミリアムとユンは、我が意を得たりという表情でその言葉を聞いていたが、カレンだけは釈然としない一抹の懸念を表情の内に残していた。
「で、どうする?駆除は明日にするかい?それとも予定通り、今日の夕方から決行する?」
そう訊ねたのはユンだ。幸い、火蝶の使い魔が教えてくれたところによれば、それほどの大規模の集団というわけではない。抵抗はあるにしても、1か所を焼き払えば済む話だ。シーファの亡骸の状態が悪いことを考えると、早いに越したことはない。互いの顔を見合わせて、カレンが言った。
「気がかりは多少ありますが、できれば今夜のうちに片を付けましょう。ミリアムとユンはともに火の術式を得意にしていますから、彼らを無力化した後で、地図上のこの一帯を焼き払ってしまう、というのでどうですか?」
その提案に、他の3人も異論はないようだ。
「そうだね、それで行こう!」
「まかせといてよ。火の天使の力を使えば、文字通り殲滅よ!」
ユンとミリアムが大きく頷いて応える。リアンも同様だ。
「では、その手はずで。夕食を17時に早めて、18時にはここを出発しましょう!首尾よくいけば、今夜中に戻れるはずです。」
そのカレンの言葉に、みな声を揃えて同意する。
窓の外で、陽はゆっくりと一層西に傾き、中央山地の上に木々の影を長く落とし始めていた。リアンは早速宿の受付に連絡を入れて、夕食の時間変更を依頼している。西の空が、少しずつ茜色を強めていた。
* * *
しっかりと支度を整えてから、食卓を囲む4人。その日の夕食には、完全なる撃滅を期して『ムシュラム族』のソテーのパイ包みを注文することにした。少女たちの前には今、大皿に盛られた熱々のパイがそびえている。
「さあ、景気よく行こう!」
そう言って、ユンが平たく頑丈なパイの上面にフォークで1撃を加えると、それはボロリと崩れて、程よく蒸し焼きにされた『ムシュラム族』のソテーと、ともに和えられたひき肉が勢いよく湯気を立ち上げた。
すかさずパイの天井に、楊枝にはためく小さなアカデミーの学旗を立てて見せるミリアム。
「現実はこう簡単には行かないだろうけど、縁起よ!」
そう言って、崩れ去ったパイ生地からのぞく哀れな人工生物の成れの果てとひき肉を、めいめいの手元の皿に取り分けていった。調理された『ムシュラム族』を文字通りに喰らうことで、少女たちは今宵の勝利を祈念しようというのだ!まだまだ年若い彼女たちであったが、そのやることには辛辣な皮肉が効いていた。一体何が、無垢な少女たちにそんな残酷を思いつかせるのか?駆除作戦を目前に控えて緊張に胸中の大凡を支配される当の4人は、だれもその疑問に火を灯しはしなかったが、しかし、火種のあることを暗示するかのように、西の地平は真っ赤に燃えていた。
食事の終わりは、不穏の始まりでもある。夜の帳が、静かに天上から降りてきていた。
to be continued.
続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集05『火と光』完