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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1集10『雨と土と』

 アイラの、その鬼気迫る叫びの音律が降りしきる雨音に交じって刻々と時を刻み、やがて、冷たい石の鋭角とあたたかい柔肌の曲線が幾重にも交錯する。数多(あまた)の矢を受けて針山のようになったシーファの身体はドシャリという湿った土音を立てて大地に打ち据えられた。そこから流れ出る鮮血が、雨と土に滲んでいく。
 アイラは懸命に、這うようにしてその傍に駆け付けるが、彼女がその身を抱いた時にはもう、シーファは既に事切れていた。ただ、それはまさに奇跡であったのだろう、その美しい相貌だけは全くの無傷のままに残されている。だが、それが一層痛々しくもあり、アイラの胸を深く突き刺し、えぐって止まない。彼女は、その瞳の内に描かれる眼前の光景の意味するところを全く理解できないままに、激しく慟哭し狼狽していた。

「ああ、ああ、いけません。シーファ。どうして、どうしてこんなことに…。」
 涙があふれて声が歪む。
「シーファ、あなたは、かの『北方騎士団』さえ果敢に退けた英雄ではありませんか。そのあなたがこんなところで、こんなかたちで散るなんて、そんなこと、あってはいけません。」
 その声はいよいよ形を成さなくなっていった。
「あなたは、私の半身なのに…。あなたを失って、私にどう生きろと言うのですか…?シーファ…、ごめんなさい。戦術家の才があるなどと言われて私が思い上がらなければ、もっと慎み深く自分の限界を弁えていれば、こんな、こんなことにはならなかったのに…。私は、この手で、自分の手で、最愛のあなたを死に導いてしまった。私がもっと謙虚であれば、もっと、もっとよく考えていれば…。」
 行き場のない心痛が五臓から這い上がり、アイラの白く美しい喉元を締め付けて離さない。思いが感情に飲まれ、感情は行き場を失ってただ涙に置き換えられていく…。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
 アイラは突如半狂乱で膝立ちになった。彼女は傍に無造作に散らばる息絶えた『ポルガノ族』の四肢を拾い上げるとすっくと立ちあがり、それから、目前で嘶(いなな)き、敵意をむき出しにするその穢(けが)れた群れに対して、その哀れな骸(むくろ)の欠片(けっぺん)を高々と掲げて見せつけた。
 俄(にわ)かに、あたりが騒然となる。『ポルガノ族』達の呻(うめ)きと蠢(うごめ)きによってあたりの空気が一斉にざわつき始めた。
 次の瞬間、アイラはその肉片をおもむろに食み、それを一気呵成に食い千切ってみせた!それは、この復讐は必ず果たすという彼女の決意を無言のままに鋭く物語っている。眼前の群れにも、その行為の意味するところが分かるのであろう、空気の振動はいよいよ大きくなり、鼓膜を激しくゆする慟哭が周囲一面を支配した。ある者は鎧の胸板を叩いて威嚇し、またある者は武具で大地を突いて、更に敵意を一層鮮明にしている。
 刹那、一尾の竜が、鉛の空に黄金色の閃きを見せた!

* * *

 アイラはその身に宿る『黄竜』の力を全て解放すると、春先の凪を裂き散らす一陣の強風のようにして、眼前の『ポルガノ族』に向かってその凶刃を容赦なく振るった。その場は直ちに阿鼻叫喚となり、泥水の色を赤黒く染め上げていく。鬼神の様相を得たアイラには、もはや矢の雨など取るに足りず、シーファを手に掛け、自らの半身を奪った者共は、たちまちのうちに死屍累々と化して行くのみであった。恐怖に嘶(いなな)く者、方向感を失してやみくもに逃げ惑う者、その場にひれ伏し震える者、そうした仇敵を、彼女は悉く復讐の刃に沈めていった。
 『苦みが原平原』の奥、東の『ハロウ・ヒル』に接続するあたりに展開していた敵の首領と黒幕の魔法使いから成る一団は、思いがけぬ事態急変に臆したのであろうか、転移術式を行使して、その場からはすでに姿を消していた。
 一通りの騒乱が、ようやくにして単調な雨音に回帰したとき、アイラはその背を降りしきる雨水に濡らしていた。それでも、彼女はすぐにシーファのもとに駆け戻るが、しかし、壮大な復讐劇の後でも、現実は1ミリたりとも変わりはしないのだ。そこにあるのは、力なく、なすがままに身を横たえて流血を雨で薄めるばかりとなってしまった最愛のひとがあるばかりである。
 アイラは、握っていた剣を落とし、シーファの傍らに頽(くずお)れて、ただただ涙に暮れ伏す。その流れを、止むことない雨水が、滔々(とうとう)と大きくしていた。

* * *

 そこに、リアンとカレンも駆けつけて来る。二人とも完全に言葉を失っていた。カレンの姿を見て、アイラがすがるように言う。

「ああ、カレン。シーファが、シーファが…。どうかお願いです。『死者蘇生:Resurrection』を。早く、早く…。」
 その声にならない悲痛を受けるカレンの表情は重い。愛と慈愛の天使ガブリエルに通じ、熾天使ラファエルの力を内包することで、超人的に回復術と治癒術に長けるカレンは、慎重にシーファの全身の状態を確認してから、絞り出すようにして言葉を紡いだ。

「それは、分かっていますが…。これでは、もう…。幸い、中枢神経系にはほとんど損傷がないのですが、循環器や消化器等、全身の損傷があまりに激しすぎます。このまま『死者蘇生:Resurrection』をしてもおそらく…。」
 その濃紫の瞳は、アイラの瞳を見ることが憚(はばか)られた。

「そんな!それでは、シーファは、シーファはもう…。そんな、そんなのいけません。…。それなら、せめて、せめて、私の命と引き換えにはできませんか?とにかくシーファを、シーファを…。」
 酷く取り乱した声も、満足に声にもならない。あのアイラが、完全に自分を見失ってしまっているのだ。

「アイラ、落ち着いてください。とにかく、このままここにいたのでは何もできません。退路を確保して拠点まで引きましょう。」
 その提案に、リアンも同意の頷きを返しながら、周囲の状況をつぶさに確認している。どうやら敵方もこのままおめおめと引き下がるというつもりは毛頭ないらしく、黒幕の魔法使いは安全な後方から転移術式を使って、彼女らを包囲しようと、再編した部隊を置くりん込んで来ていた。再び、その場は、蹄(ひづめ)が土を踏みしめる音と嘶(いななき)に満たされかかる。

体制を立て直し、再び平原へと展開する『ポルガノ族』。一団が魔法で転送されたようだ。

「まずいのですよ!!このままでは退路を断たれるですよ。シーファを連れて早くここを立ち去らないとです!!」
 草原に足を踏み込む一団の姿をしかとみとめたリアンが声を上げる!
「リアンの言う通りです!アイラ、さあ、立って。あなたがシーファの亡骸(なきがら)を守らないでどうしますか!とにかく彼女の身の安全をお願いします。私たちは退路を確保しますから!」
 そう言ってカレンも檄を飛ばすが、喪失に打ちひしがれるアイラには、もうその場を動く気力は残されていないようだ。ただ取り付かれたようにシーファの白い頬を撫で、光を失ってしまったその瞳に見入ることしかできなくなっている。

「急ぐですよ、アイラ!!このままでは、私たちも終わりなのです!!」
「そうです、これ以上悲しみを広げないためにも、シーファの亡骸(なきがら)を守るためにも、とにかく立って!さあ!!」
 しかし、背を向けたままの嗚咽以外に返答が返ってくることはなかった。そうこうしている間にも、体制を立て直し、新たに転送されてきた『ポルガノ族』に完全に包囲されてしまいそうだ。リアンは、一か八か、退路に該当する西側一帯に形成されつつある包囲網に向かって、大規模集団攻撃術式を繰り出そうと構えている。しかし、連日連夜の監視作業に魔力を割き続けてきているその身に残された魔力はさほど多くない。それを知るカレンにも焦りが滲む。急速魔力回復薬でリアンの魔力を取り戻し、彼女の転移術式でこの場を離れるという方法はあるにはある。しかし、その選択をするには時すでに遅いのだ。魔力が回復し詠唱が整うより先に、彼女たちが蹂躙される方がよほどに速いであろう。もう一度、大規模死霊召喚を行って時間を稼ぐべきか、そんな逡巡がカレンの脳裏を支配している、その時だった!

* * *

 虚空に大きな転移の門が描写され、そこから何者かが姿を現す。ネクロマンサーだ!

「先生!!」
 絶望と希望の狭間に囚われていたカレンが思わず涙の声を上げる。どうやらウィザードは、事態の急を見て彼女を救護に派遣してくれたらしい。

高度な転移術式で、この場に助け手として介入してくれたネクロマンサー。

 その姿を見て、アイラの瞳に一条の灯が戻る。震える唇から声を絞った。
「あ…、あ…、先生。シーファが、シーファが…。お願いです。どうか助けてください。」
 雨音に途切れるか細い声の主のその小さな背中に優しく手を載せながら、ネクロマンサーはシーファの状態をつぶさに確認した。

「すぐに『死者蘇生:Resurrection』を行使しなかったカレンさんの判断は的確です。想像以上に身体の損傷が激しいと言わねばなりませんね。いずれにしても、これ以上ここにいるのは自殺行為です。一緒に『アーカム』まで撤退しましょう。さあ、シーファさんを抱きかかえて。早く!」
 いつもならぬネクロマンサーのその切迫した声に、リアンとカレンがシーファの移送の準備を直ちに終えた。アイラはなお虚ろな表情のまましなだれている。

「準備はいいですね!では行きますよ!」
 ネクロマンサーがそう言うが早いか、転移の門を中心として夥(おびただ)しい魔法光が拡散し、あたりを瞬く間に包み込んだ。そして、そこにいるすべての者を神秘の空間へと送り返し始める。ひとまず、火急の危機だけは回避できたようだ。あとわずかでその手が届くというところで、乱入者に理不尽に得物をさらわれた『ポルガノ族』のけたたましい嘶(いななき)だけが、重い雨音と共にその場になお混乱と騒動の足跡を刻んでいた。

* * *

 やがて、その光は、『アーカム』のいつもの店内に5つの光の影を結んだ。そこには、アッキーナと貴婦人たちの他、ウィザードが駆けつけている。リアンとカレンの手によって、シーファの遺体は静かにカウンターの上に寝かせられた。ウィザードとネクロマンサーが、その身を痛々しく貫く矢を静かに抜き取ってやっている。
「先生…、どうか、シーファを。シーファを助けてください。」
 涙に曇るくすんだ瞳で壊れた蓄音機のように切望を伝えるアイラ。その背をリアンとカレンが支えていた。

「損傷が激しすぎるな…。中枢神経系が無事なのは奇跡としか言いようがない…。」
「はい、でもこの重傷ですから、このまま『死者蘇生:Resurrection』を行使するのは寧ろ危険です。」
 ウィザードとネクロマンサーが言葉を交わす。
「あんたがそう言うなら、その通りなんだろうな。で、実際どれくらいの危険があるんだ?」
「そうですね…。遺伝情報は十分に残されていますから蘇生自体は可能です。しかし、循環器と消化器が全身にわたってこれだけ損傷していることを考えると、おそらく数十年単位で加齢するでしょう。それをシーファさんだと言えるかどうか、難しいところです。」
「そうだな…。あたしらより上になるほどに年を取っちまうってことだろ?それは仮に蘇生ができたとしても、酷が過ぎるってもんだぜ…。」
 二人の会話を聞いたアイラの膝が大きく震える。リアンとカレンは、アイラの怯える心身を懸命に支えていた。

「シーファさんをアンデッドにして、ご遺体を保存しましょう。」
 カウンターの裏で事態をじっと見守っていた貴婦人が、おもむろにそんなことを告げた。一同振り返ってその顔を見るが、貴婦人の表情は真剣そのものだ。しかし、更に驚いたのは、アッキーナが一層大きな声を上げてそれを拒んだことである。

「マダム、まさか!!いけません!!アレは、あの禁忌の魔導書はもうここにはないのです!手に入れるにしても、困難と代償が大きすぎます!」
 その慌てぶりは少々尋常を欠いていた。その他の面々には貴婦人たちの言わんとするところが直ちには理解できないままのようだ。

「わかっていますよ、アッキーナ。しかし、シーファさんを傷つけることなく蘇生するためには、アレしかもう手がないでしょう…。」
「それはそうですが、しかし、今やあの呪われた魔導書を手にしているのは、『三魔帝』をはじめとする名だたる邪王や堕天使ら冥府の住人だけです。もし入手を試みてそんな場所に踏み込めば、これ以上の惨劇を招きかねません。マダム、考え直してください!」
 いつになく、アッキーナの声色が強い。その諌言(かんげん)を聞いてもなお、貴婦人は顔色を変えないでいた。何か考えがあるのだろうか?
「冥府に赴くのが危険すぎるのはもとより承知していますよ、アッキーナ。たとえそこが煉獄であっても同じことです。」
「はい、それならばなぜアレを用いるなどと…?…!!もしや!!」
「そうです。あなたも気が付きましたね。現在のアレの所有者に『三魔帝』のアザゼルがいます。彼女は確か、タマンの中央山地にある今は唾棄(だき)された古城に住み着いているはずでしょう?現生に住まう彼女と取り引きを試みてみることは、意味があることだと思いませんか?」
 貴婦人は、静かにそう言った。
「それはそうですが、しかし、相手は名うての『三魔帝』の1柱です。おいそれとアレを差し出すとはとても思えません。冥府や煉獄に赴くのと同じくらいの危険があるのは明らかです。」
 事の次第の先がのぞき見えてなお、アッキーナは慎重な姿勢を崩さない。後の者は全く話について行けず、ただただ戸惑っている。アイラに至っては、シーファを救える手立てがまだあるかもしれないという、その新しい語らいさえ、もはや聞こえないほどにその心は憔悴しきっていた。指に嵌められた『黄竜』の加護を証する指輪は、もうその輝きのほとんどを失っている。重苦しい空気が店内を支配した。

* * *

 黴臭い神秘の空間の中で、鈍重に時の歯車が回る。しかし、シーファの身体はその緩慢な時の流れにあってもなお、刻々とその鮮度を失っていた。何事を選択するにしても、急がなければならない。
 『アーカム』の住人たちはいま、重い決断を迫られていた。無情に運動を繰り返す古時計の振り子の音だけが、店内の空気を振動させ、それに呼応するようにして、アイラの肩はおぼつかなげに震えていた。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1集10『雨と土と』完

ー 続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1集 完 ー

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