AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第２集その１『怪奇の病棟』
『全学魔法模擬戦大会』も終わり、アカデミーは秋の健康増進週間へと至っていた。それは、看護学部を中軸とする衛生部門全体で、学徒および教職員の健康増進のためのさまざまな取り組みが行われる時期であり、健康診断から、孤児たちや学徒たちのための予防接種の実施など実にさまざまの方策が取られていた。かつては、『天使の秘薬』という曰く付きの禁忌の魔法薬が無差別に摂取されて、かの『天使の卵』事件の引き金を引いたりしたこともあったが、いまではそれらは『万能薬』と『エリクサー』の組み合わせに変更されており、文字通りに孤児や学徒の現在の疾病の治療と将来の病気の予防が純粋に図られることとなっていた。
今日も看護学部の教職員と学徒達によって、孤児たちに対する『万能薬』および『エリクサー』の摂取処置が実施されている。現在何らかの疾病を持つ孤児には『万能薬』と『エリクサー』の両方が投与され、現時点で病気を抱えていない健康な孤児たちには、万能の予防薬として『エリクサー』が処方されることになっていた。今日もかのネクロマンサーは、医務室に出勤して、孤児たちへの薬剤の投与作業に勤しんでいた。
カレンをはじめとする看護学部の学生たちがその作業をさまざまな側面から手伝っている。
「先生、薬瓶はこちらに置きますね。」
カレンがネクロマンサーに言った。
「カレンさん、ありがとう。重いから無理をしないようにしてくださいね。」
「はい、ありがとうございます。先生もご無理ありませんように。」
ふたりはそんな言葉を交わしていた。
ネクロマンサーは列をなす孤児たちに次々と薬瓶の中の薬剤を注射していく。かつて、『天使の卵』の影響を確かめるためにこの作業に出ていたときには、周囲に気取られぬように秘密の術式を行使して天使の卵の体内形成の有無を秘密裏に確かめていたものであるが、今となっては、そうした特異な緊張と負担からは解放されて、のびのびと職務にあたることができるようになっていた。
「いい子だから、一列に並んでくださいね。痛くないですよ。」
そう言って、シリンジから薬液を注射していく。幼い孤児たちの顔が痛みと恐怖にゆがむが、その不快さを拭い去るように笑顔を向けて、次々に注射を続けて行った。
＊ ＊ ＊
かれこれ、２時間も作業を継続したであろうか、ようやく午前の作業が一区切りして休憩ということになった。ネクロマンサーとカレンは、器具や薬剤の片づけを共に行っている。
「カレンさん。」
「はい、先生。」
ふたりは言葉を交わす。
「ギルドからの依頼というわけではないのですが、私の個人的な仕事を手伝ってもらえませんか？」
「どのようなことでしょう？私でお役に立てるなら。」
「実は、今ある企業から頼まれて魂魄の魔術記録を作成しているのですが、召喚しながら魔術記録装置を操るというのは思いのほか難しくて。それで、魔術記録装置を操作して私が召喚した魂魄を記録に収めて欲しいのです。」
ネクロマンサーは依頼の概要をかいつまんで説明した。
「私は、魔術記録装置にそんなに詳しくないのですが、大丈夫でしょうか？」
カレンは少し心配そうだ。
「大丈夫ですよ。カレンさんたちがよく使っている携帯式魔術記録装置と仕組みは基本的に同じです。光の瞳が大きかったり照明の瞳の数が多かったりするだけなので、慣れればすぐにできますよ。それにもちろん、作業前にはきちんと手ほどきします。どうでしょう？おねがいできませんか？」
「わかりました。どこまでお役に立てるかわかりませんが、ぜひお手伝いさせてください。」
「ありがとう。とても助かります。それじゃあ、午後の作業が終わったら、医務室の奥にある私の私室を尋ねてくださいね。そこで作業に取り掛かりたいと思います。」
「かしこまりました。それでは、午後の作業後にお訪ねします。」
そう約束をしてふたりはそれぞれに昼食に出かけた。
午後からも午前中と同様の作業が続いた。ネクロマンサーは、孤児たちを並べて順次薬剤の投与を行い、カレン達学徒はそれに必要な薬剤や注射器、注射針や消毒用の綿布などを切らすことのないように補充している。時に、泣き止まない幼子の面倒を見るのも看護学部の学徒の務めだった。彼女たちは午後も３時間ばかり、忙しい時間を過ごしていった。
秋の陽が、天頂から大きく西に傾いて、その光線にほのかに茜色の輝きが乗り始めた頃、午後の作業がようやく終わった。ネクロマンサーは、薬瓶と使用済みシリンジと針の数を慎重に合わせてから記録簿の記録を確認し、残りを鍵のかかった棚へと戻した。カレン達学徒は、医務室の整理整頓と清掃を行っている。棚を施錠したネクロマンサーがカレンに声をかけた。
「カレンさん、それじゃあこの後お願いします。私は一足先に、私室に戻って準備していますから。」
「はい、先生。私もここが終わったらお部屋にお伺いします。」
そう言って、ネクロマンサーは執務室の中に消えて行った。
まだ日暮れには早いが、それでも秋の陽はせっかちで、あたりはすっかり橙色のひかりに包まれている。教室の窓枠が影を長く落としていた。掃除道具を片付けてから、カレンは医務室の奥にあるネクロマンサーの私室のドアをノックした。
＊ ＊ ＊
「どうぞ、入ってください。」
ネクロマンサーの声に促されて、カレンはドアを開けて入室する。
「失礼します。」
そう言って、室内を見渡すと、ネクロマンサーの私室は一般的な事務室であったが、その一角にはかなり本格的な撮影ブースが設置されており、大ぶりの背景布の周りを大きな複数の照明が取り囲んでいた。その手前には、高級そうな本格的かつ大型の魔術記録装置が据えられていた。どうやらここで魂魄の撮影を行おうということらしい。
「手狭でごめんなさいね。」
背景布を、しわを取るようにまっすぐになおしながらネクロマンサーが言った。
「いえ。」
「本当は、どこかにスタジオを借りられるといいのだけれど。この仕事をしているとなかなか医務室を離れるということもできないので。」
そう言いながら、照明の設定から、魔術記録装置の調整まで様々なことをネクロマンサーは手早く行っていく。
「その撮影はお仕事でいらっしゃるのですか？」
カレンが訊ねた。
「そうなの。あなたもよく知っている『ハルトマン・マギックス』社のカリーナ社長さんからの直々のご依頼で。あなたのお友達の、アイラさんのお店ね。なんでも、私の召喚する魂魄の姿かたちがとてもかわいらしいとかで、新しい魔術グッズのデザインになさりたいんですって。それで、魂魄の写真を何枚か撮って送ってほしいとそうおっしゃられて…。」
そう言いながらも手はどんどんと動いていく。やがて、撮影ブースの準備がすっかり整った。
「先生、でも、魂魄って魔術記録に映るのですか？」
カレンが不思議そうに訊ねる。
「そうね、そのままでは映らないのだけれど、召喚時に魂魄の外形に不純物を混ぜて実体化させることで、その姿かたちを魔術記録に収められることがわかったの。でもね、その召喚処理をしながら魔術記録装置の操作をするというのがなかなか難しくて…。死霊を使う手も考えたのだけれど、死霊はこの照明の明るさを極度に嫌うのよ。だから、あなたにお願いしたわけなのです。よろしくねカレンさん。」
ネクロマンサーは事情を説明した。
「そうだったのですね。わかりました。お手伝いさせてください。」
「ありがとう。本当に助かります。」
そう言って、ふたりは魔術記録装置のところに集まった。
「これが、今回の魔術記録に使う魔術記録装置よ。微粒子からできた液体の『因果の素子』を使っているから装置としては大がかりだけど、搭載している『魔術回路』によってピントや明るさはほとんどオートマチックで調整されるから、携帯式魔術記録装置と同じ感覚で魔術記録を収めることができるわ。だから、気負わないで、気軽にやってくださいね。」
「ここから覗けばいいのですか？」
カレンが訊ねる。
「ええ。ここから覗くと、光の瞳がとらえた情景を見ることができます。先ほどもお話ししたようにピントと明るさは魔術回路が自動で調整してくれます。なので、あなたは、召喚した魂魄がちょうど真ん中に来たところで魔術記録を作成してくれればそれで大丈夫です。」
「わかりました。それならできそうです。」
そういうと、カレンは大型の魔術記録装置の小窓を覗き込んだ。携帯式のものとは異なり、そこを通して見える景色は非常に高解像で十分に明るい世界の像の切り取りであった。
「位置が決まれば、これを押すのですね？」
「ええ、そうです。さすがですね。若い方は飲み込みが早いです。」
ネクロマンサーのその言葉にカレンは機材に向かったまま恥ずかしそうにはにかんでいた。
＊ ＊ ＊
「それでは、試しに何枚か撮ってみましょう。部屋を暗くしますね。」
そういうとネクロマンサーは室内の照明をほとんどすべて落としてしまった。あらかじめ暗幕で窓を遮蔽されていたその執務室はほぼ真っ暗という状態になった。ぼんやりと漏れてくる光で、かろうじて魔術記録装置の諸所の部分を確認することができた。
『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん！魂魄召喚：Summon of Ghost(s)！』
ネクロマンサーが詠唱を行うと、死霊とは思えない非常に愛らしいシルエットの魂魄が召喚され、その外形が形成されていった。それは頭から白いシーツをかぶったようなシルエットで、目は丸くてくりんとしており、頬を赤らめて笑顔を浮かべていた。ちょっとしたマスコット・キャラクターといった面持ちである。
カレンは、真剣に魔術記録装置の小窓を覗き込む。その愛らしいゴーストがちょうどそのフレームの真ん中に収まった時、魔術記録用のスイッチを押した。刹那、照明機器から、不思議な色のぼんやりとした魔法光が光り輝き、撮影ブースの中心を照らした。おそらくその光が、魂魄の外形に混ぜる不純物ということなのであろう。すなわち、魔術記録装置は、魂魄それ自体ではなく、その姿をかたどるこの不思議な魔法光を記録しているのであった。液体状の因果の素子を用いた魔術記録では、固体状のものを使う場合よりも解像度の高い鮮明な魔術記録を得ることができるが、その代わりに、撮影後すぐに像を確認するということができず、『記録の書』や『魔術記録再生の水鏡』に注ぎかけて現像する必要があった。
カレンは、うまく撮影できたかどうか気がかりであったが、ネクロマンサーは次々に召喚を行うので、その記録機会を逃さないようにどんどんと魔術記録を生成していった。１０枚ほどの魔術記録を生成した後で、ネクロマンサーが言った。
「いいですね。やっぱり二人だとはかどります。一度、『記録の書』に『因果の素子』を流しかけて像を確認してみましょう。」
その言葉に、カレンは少し緊張した。うまく撮れているといいのだけれど…。
ネクロマンサーは、魔術記録装置から大ぶりな光の瞳を外し、その下に接続されたゴブレットに入れられている因果の素子を、開いた記録の書にゆっくりと注ぎかけて行く。やがて、記録の書のページの上に記録された像が姿を現してきた。実に様々の姿形の魂魄が撮影されていた。ネクロマンサーはそのどれもが気に入ったようで、複数枚を手に取って選ぶように眺めている。
「カレンさんは、魔術記録の才能がありますね。どれもいい出来ですが、今回はこれにしましょう。」
そう言って、１枚の魔術記録を見せてくれた。
それは、カレンが最初に撮影したものであった。出力された魔術記録に収められた魂魄の像は、文字通り「愛らしいゴースト」といった感じであり、ネクロマンサーはこれを求めていたようである。
「これが魔術グッズになるのですか？」
そう訊くカレンの声は少し興奮で上ずっていた。
「ええ、なんでも携帯魔術記録装置用の保護カバーのデザインになるそうですよ。他にもぬいぐるみやマスコットなどのいろいろな商品展開が予定されているそうですよ。」
カレンは、自分の記録した像が商品化されるかもしれないという事実に興奮を隠しきれないような様子であった。
「そうえば。」
ネクロマンサーが言った。
「カレンさんは、召喚術式を使ったことがないと言っていましたね？」
「はい。もしかすると以前にもお話したことがあるかもしれませんが、私はもともとが看護科正科のプリースト志望で、死霊科併科になったのは中等部に上がってからでしたから、基礎的な召喚術式を学ぶ機会を逸してしまったのです。」
「そういえば、そうでしたね。」
頷くネクロマンサー。
「もしよかったら、やってみませんか？カレンさんの信仰心の強さとガブリエルからの加護があれば、『魂魄召喚：Summon of Ghost(s)』くらいならすぐにできると思いますよ。興味はありませんか？」
彼女はそう提案した。
「私にできるでしょうか？」
突然のことに少し当惑しているカレン。
「大丈夫ですよ。この際ですから、法具の力も借りてみましょう。」
そう言うと、ネクロマンサーは、人為のロードクロサイト製の短刀を取り出した。
「あなたの得意は、確か短刀でしたね？」
そう言うと、その短刀をカレンに差し出した。カレンは、ネクロマンサーの手からおずおずとそれを受け取りながら、じっとそれに見入っている。
「知っての通り、ロードクロサイトは生命と霊性の均衡の領域における魔法特性を高める働きがあります。これを使えばきっと召喚術式を成功させることができますよ。」
それを聞いてカレンの瞳は輝いていた。
「やってみます。先生、教えてください。」
「ええ、ぜひやってみましょう。」
そう言うと、ネクロマンサーは短刀を持つカレンの手を彼女の背の側から取った。
「術式はわかりますね？」
「はい。」
「では、唱えてみましょう。召喚術式は回復術式で慣れ親しんだガブリエルの加護の下にありますから、そんなに難しく考えることはありません。大切なのは、精神、つまり頭の中で具体的な像をしっかりとイメージすることです。そのイメージした像の輪郭をこの世界に彷徨う魂魄に与えるように意識します。やってみましょう。」
『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。法具を介して我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん！魂魄召喚：Summon of Ghost(s)！』
詠唱が終わると、短刀の刃が赤白い魔法光を放ち、そこから白い靄が現れた。カレンのイメージ化が十分ではないのか、明確な輪郭を成してはいないが、それでもこの世に彷徨う魂魄をウィル・オー・ウィスプ（鬼火、火の玉）の形で召喚することには成功した。初めてにしては上々である。
「いい感じです。基本はそれでいいんですよ。あとは魂魄に明確な輪郭を与えましょう。いきなり複雑な死霊を形成するのは困難ですから、先ほどの魔術記録を参考にして。あれに似た姿形の魂魄を召喚してみましょう。」
ネクロマンサーの促しを受けて、カレンは再び詠唱を始めた。
『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。法具を介して我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん！魂魄召喚：Summon of Ghost(s)！』
先ほどと同じように、短刀が赤白い魔法光を放つが、今度はそこから生み出される靄がよりはっきりとした輪郭をもっていた。短刀を通して魔力が供給されるに従って、その姿は明確となり、やがてひとつの魂魄が召喚された。
それは、丸いあたまにふわふわとした雲のような胴体をもっていて、つぶらな瞳に小さな両手を備えた、愛らしいシルエットのゴーストであった。先ほどの魔術記録にとらえられた像のイメージを召喚術式に見事に反映することに成功したのである。
「このまま、続けててくださいね。」
そう言うと、ネクロマンサーは、魔術記録装置のところに小走りに駆け寄って、ゴブレットに光の瞳を据え付けると、カレンの召喚した魂魄を魔術記録に収めて行った。その間も、カレンは召喚した魂魄の姿形を保つのに必死であったが、彼女には召喚術式の素養があるようで、ゴーストが胡散霧消するということはついになかった。
「いいのが撮れましたよ。」
そう言って、ネクロマンサーが先ほどの魂魄を収めた魔術記録を見せてくれた。
「これを私が召喚したのですか？」
驚きを隠せないカレン。」
「そうですよ、カレンさん。あなたが自分の力で召喚したんです。」
カレンは興奮を隠しきれないでいた。
「先生、ありがとうございます。まさか、召喚術式を教えていただけるなんて思ってもみませんでした。」
上ずった声で話すカレン。
「すべてあなたの実力ですよ。召喚術式は実際に場に赴く際には非常に重要になることがあります。特にアンデッドの群れを相手にするときには、使えるかどうかは死活問題にもなります。いきなり上達するのは難しいですが、先ほどの感覚を忘れないように、腕を磨いてくださいね。」
ネクロマンサーは優しく微笑んでそう言った。カレンの瞳は輝やいている。
＊ ＊ ＊
「先生、これ、ありがとうございました。」
そう言ってカレンは、人為のロードクロサイトの短刀をネクロマンサーの前に差し出した。
ネクロマンサーは小さく首を横に振って、
「それは今日手伝ってくれたお礼にカレンさんに差し上げます。持っていてください。きっとあなたの力になるでしょう。」
と言った。
「でも、こんな高価なもの、いただくわけにはいきません。」
カレンは恐縮している。
「いいんですよ。若くして実戦に臨む機会の多いあなたたちには、力の強い法具があって困るということはありません。それに、お礼をしなければいけないのは事実ですから。気にしないで。」
その言葉を聞いて、カレンはまだ思い定まらないような表情を浮かべながらも、
「それではお預かりします。ありがとうございます。」
深々と頭を下げた。
「そんな、いいんですよ。それより…。」
そう言うと、ネクロマンサーは自分の人為のロードクロサイトの杖を取り出した。死霊召喚術式にはこんな使い方もあるんですよ。
『現世に彷徨う哀れな死霊たちよ。法具を介して我と契約せよ。我がもとに集い、その身を刃となせ。怨念と怨嗟に形を与え、その恨みを存分にはらすがよい！武具憑依：Possessed Weapons！』
ネクロマンサーの詠唱に従って、彼女が持つ杖の先端部に死霊が群れなして刃を形作っていった。つい先刻まで杖であったものは、死霊の力によってたちまち強力な対霊武具として、剣の形を成したのである。
「私たちは普段、杖や鈍器を用いることが多いですが、そうしたものは一般に対霊効果がありません。また普通の刃でも、霊体を損傷することができないのはすでにおなじみですよね。そんな時、この術式を用いると、携えている獲物の種類や形状に関わらず、対霊用の剣を生み出すことができます。召喚術式にはこんな応用もあるので、きっと楽しいですよ。これからのあなたの成長に期待しています。」
ネクロマンサーはそう言って、カレンに微笑みかけた。高度な召喚術式の応用を目にして、カレンは驚きと興奮を隠せないでいた。
秋の陽がすっかりと地平線近くまで落ちている。暗幕を開けると、あたりは茜色に焼けていた。太陽は地平線でゆらゆらとその残光を輝かせていた。
「今日はありがとうございました。カレンさんのおかげでとてもいい魔術記録がとれました。カレンさんの召喚した魂魄も素敵です。ぜひこちらも商品化できるように働きかけてみますね。」
執務室の撮影ブースを手早く片付けながら、嬉しそうに言うネクロマンサーの言葉を聞いて、カレンは照れくさそうにしていた。
「また、医務室で会いましょう。それでは。」
「今日はいろいろ教えていただいて本当にありがとうございました。」
ふたりはそう言葉を交わして、その場を後にした。
太陽はいよいよ地平線にその顔を隠し、橙色の残光を揺らしながら、天頂から覆いかぶさる濃紺の帳に覆われていった。過行く風には秋の涼しさと寂寥が感じられる。その日も静かに暮れていった。
＊ ＊ ＊
その二日後のことである。ネクロマンサーとカレン、そしてリアンの３人は、『全学職務・時短就労斡旋局』を通じて、ウィザードから呼び出しを受けた。今、３人は同局の面談室でウィザードを待っている。
ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ、揃っていますよ。」
そう答えるネクロマンサー。
「遅くなってすまねぇ。教授会が長引いてな。申し訳ないことをしたよ。」
会議場から走ってきたのか、ウィザードは肩で大きな息をしていた。
「それで、今日はどうしたのですか？」
「実は、頼みたいことがあって。」
ウィザードが切り出した。
「実は、中央市街区のはずれにある『シメン＆シアノウェル病院』なんだが、どうにも悪いうわさが絶えない。」
「どんな噂なのですか？」
ネクロマンサーが訊ねた。
「ここ最近、次々と患者が失踪しているんだ。失踪という表現が正しいのかどうか分からないが、とにかく忽然と姿を消す患者、病状推移と脈絡なく突然に命を落とす患者など、異変が絶えない。病院側の説明では、医師と看護師の不足が深刻で、転院を積極的に進めているだけであり、また超過死亡は誤差の範囲だということになっている。しかし、こちらで調べた限りでは、この３か月で、病院から姿を消した患者と死亡した患者の数は明らかに異常な数に上っている。転院先とされる病院にも確認をしてみたが、転院受入数より失踪数の方が多いんだ。しかも失踪は精神科が中心になっている。そこの病院で何事かが起こっているのは間違いない。」
ウィーザードの説明を聞きながら、ネクロマンサーが怪訝そうな表情を浮かべている。
「そんな時にだ。当の病院から、アカデミーの衛生部門に対して、不足する医師と看護師の応援を請いたいという依頼があった。こんな好機を逃す手はない。そこでだ。衛生部門と看護学部を代表して、あんたと、それからカレンに、またどんな危険があるかわからないから応援としてリアンに、アカデミーから派遣された応援医療使節として同病院に出向いて、現状を確認するとともに調査にあたって欲しい。」
「なるほど。状況はわかりました。それで、危険の程度はわかりますか？」
ネクロマンサーが訊ねた。
「消えた患者と、増える死者が同病院の中でどう扱われているのかが不明である以上、危険の程度は現時点でははっきりとはわからない。でも、尋常でないことだけは確かだ。それでこの手の、生死の専門家であるあんたとそれから看護学部のカレンの特別に頼んだというわけだよ。」
「それはもっともですね。」
「また、リアンには、ふたりのバックアップをしてもらいたい。タイミングの悪いことに、シーファとアイラ、それからユイアには今別のことを頼んでいて、サポートはリアンにしか頼めないんだ。引き受けてもらえるか？」
「もちろんなのです。」
リアンは、美しい青色の瞳を輝かせて返事をした。
「ふたりはどうだろう？ひきうけてもらえるだろうか？」
「もちろんです。それに、あなたの説明を聞いてどうにも嫌な胸騒ぎがします。何か良くないことが起こっているのは間違いないでしょうね。」
「さすがだな。あたしも同感なんだよ。事柄の性質上、医療関係者でないとうまくいかない話だし、その中でいろいろ話せる相手と言えば、あんたしかいなくてな。」
「わかりました。お引き受けします。カレンさんも手伝ってもらえますか？」
そう訊ねるネクロマンサーに、カレンは力強く頷いて答えた。
「ありがとう。これで話は決まりだな。依頼ギルドはお馴染み『南５番街２２－３番地ギルド』、責任者はあたしだ。報酬は『全学職務・時短就労斡旋局』経由での支払い。すまないが、今回は後払いにさせてくれ。もちろん、必要経費は事前受け取りにするから。」
そう言って、ウィザードは保険関連書類を３人の前に差し出した。めいめいに書類に必要事項の記入とサインを施していく。
「とんでもないものをひきあてるかもしれねぇから、連絡は密に頼む。」
書類を受け取りながらウィザードが言った。
「わかりました。学徒達の安全は任せてください。」
「頼りにしてるよ。お前らは、頼むから、先生の言うことをよく聞いて、くれぐれも無理はしないでくれよ。まぁ、今回はイノシシガールはいないわけだけど…。」
そう言って、ウィザードはリアンとカレンに目配せした。イノシシガールというのはきっとシーファのことだろうが、その表現がおかしくて顔を見合わせて笑いをこらえていた。
「病院側には、２日後に人員を派遣すると連絡しておくので、その日に直接現地を訪ねて欲しい。とにかく、くれぐれも用心して調査にあたってくれ。」
よほど心配なのか、念を押すウィザード。
「わかりました。連絡を密にして、安全最優先で遂行します。」
ネクロマンサーはウィザードを気遣うようにして言った。
シメン＆シアノウェル病院は、中央市街区にある大きな総合病院で、当該区画の中核病院の機能を果たしていた。そこで患者の失踪や急死事件が相次ぐというのは、俄かには信じがたいことであったが、ウィザードの言葉に間違いがあるはずもない。医療スタッフの派遣という名目で赴く以上、当面の間、同病院に泊まり込んでの生活となることが見込まれた。ネクロマンサーは当面の生活に支障のない範囲の着替え、作業服、水薬、手拭いなどの必需品を揃えて持ち寄るようにリアンとカレンに言い含めた。また、不測の事態に備えて、使い慣れた武具を術式媒体と持参するように伝えた。
中央市街区において公共性の一端を担う病院においてどのような秘密が展開されているというのか？また、そこにどのような危険が待っているのか？３人の派遣日がゆっくりとせまっていた。
to be continued.
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第２集その１『怪奇の病棟』完