AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第8章第3節『小さなカリギュラ討伐隊』
『タマン地区』にある宿を出てから、街道沿いにかれこれ2時間近く歩いたであろうか。あたりは相変わらず厚い雲と白い靄に覆われていたが、その雲の裏側で太陽が天上付近まで昇っているらしいことは分かった。湿度はずっと高い状態で、そのむしむしとした気配が3人を大いに汗ばませた。額から首筋にかけて流れる汗をローブの裾でぬぐいながら、3人は『ダイアニンストの森』をめざして歩を進めていく。やがて、街道沿いを木々が覆うようになり、あたりの暗さが一層増してきた。街道はすでに舗装の石畳がなくなって獣道のようになり、そこを取り囲むようにして木々がうっそうとし始める。周囲の湿度は一層高くなり、汗が激しくなってきた。近くに水場があるのだろうか、靄と霧も濃くなる一方である。
やがてその獣道もついえて、3人は完全に森の中に踏み込んでいった。足音は、ざくざくと落ち葉を踏むものに変わり、腐葉土の匂いがその嗅覚を捉え始める。そのとき、カレンが、地面に足跡のようなものを見つけた。
「これを見て。」
その指が示す先には、およそ人間のものとは異なる、長さにして50センチはあろうかという巨大な足跡が刻まれていた。しかしその形は人間のものに似ており、いかにも巨人の足跡という様子であった。
「この辺りにいそうね。周囲を十分に警戒しましょう。」
そういうシーファの言葉にリアンはおびえて、あたりをしきりに見回している。カレンがみつけた足跡をたどるようにして、3人は森の更に奥へと踏み込んでいった。木々の上の方の枝では、鳥たちが何やらにぎやかに鳴き声をあげている。カレンは、道に迷うことのないようにと、目印にできそうな大きな木々に、魔法の呪印を刻んでいた。その慎重な準備の良さはさすがである。
更に歩みを進めていくと、腐葉土のものとは異なる、動物的な糞尿の匂いを織り交ぜた不快な臭気があたりに立ち込めてきた。耳を澄ますと、ズンズンという重い足音がかすかに耳に届くようになってきた。どうやらこの先にカリギュラがいるようだ。
3人は、一層を警戒を強め、おのおの得物を取り出して身構えては、不測の事態に備えながら、ゆっくりと一歩ずつ足を繰り出していった。そうして進んでいた3人の視界が、やがてひとつの大きな人影が捉えられた。巨人は、森の真ん中で、ひとりたたずんでおり、その手には大きな石造りのメイス(棍棒)が握られていた。
近くの岩陰に身を隠しながら、3人はその動向をじっと見守る。
「あれね。」
そう言うシーファに、
「間違いなさそうですね。」
カレンがそう答えて見せる。リアンはいよいよ恐怖で肩を震わせていた。
「大丈夫よ。」
小刻みに振動する肩に両手を置き、シーファはリアンの顔を見た。その顔は今にも泣きだしそうであったが、シーファの微笑みを見てが、いくばくかの冷静を取り戻したようでもある。
「でも、どうしますか?」
カレンが作戦を問う。
「そうね…。まだ気づかれていない今がチャンスと言えばチャンス。奇襲をかけて一気に勝負をつけるというのはどう?」
シーファは状況をそう判断した。
「悪い選択ではないと思いますが、せめて先に動きを止めるようなことはできないでしょうか?」
カレンはやはり慎重な姿勢を崩さない。
「動きを止めるか…。そうね。なら、やっぱり奇襲が一番よ!」
そう言うが早いか、シーファは法具を用いて砲弾火球の術式を引き出し、目の前の巨体に向かって複数の火球を繰り出した。
『火と光を司るものよ。法具を介して加護を求めん。水と氷を司るものとともになして、わが手に力を授けよ。火と光に球体を成さしめて我が敵を撃ち落とさん!砲弾火球:Flaming Cannon Balls!』
十分に輻輳を効かせたのであろう、その威力は高く、速度も早い。3発ほどがカリギュラの巨体を捉えた。その巨躯は慄き、命中箇所にはやけどのような跡が浮かぶ。しかし、致命傷というわけにはいかなかったようだ!
その大きな者が、ゆっくりと彼女たち3人を見据える。見つかった!刹那、それは右手に持った石造りの巨大なメイスをゆっくりと持ち上げると、勢いよくそれを振り回し始めた。複数の木々にぶつかり、それらをなぎ倒す。けたたましい音がして、倒木が大地を揺らした。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
少女たちは岩の後ろで身を小さく固くする。あれだけの巨体が振り回す巨大な石のメイスである。直撃すれば即死は免れない。一気に緊張が高まった!カリギュラは得物を高く掲げながらゆっくりと3人に近づいてくる。どうやら、すでに召喚者の制御は完全に失われているようで、魔法生物の本能のままに、外敵を排除しようとしているようであった。
「あぶない!散って!」
シーファの掛け声とともに、3人はそれぞれ三様に素早く身をかわした。その瞬間、巨大なメイスが先刻まで3人が身を隠していた岩に直撃して、それを粉々に砕く!間一髪であった。3人はカリギュラを取り囲むように位置取って、魔法を繰り出していく。
『水と氷を司る者よ。法具を通して加護を求める。我が呼び声に応えよ。水流を圧して力と成せ。いまそれを解き放たん!加重水圧:Hydro Pressure!』
リアンが、その巨大な背中に向けて加重水圧の術式を放った。その高圧の水塊はまっすぐに命中し、その巨躯を大きく前につんのめらせる。間髪入れずにカレンも詠唱を始める。
『天候を司るものよ。法具を介して加護を請わん。わが手に閃光をともせ。雲を呼び集めよ。雷光をもってわが敵を打ち払わん!雷:Lightning!』
人為のオパールのワンドからほとばしるその雷は、前のめりになるカリギュラの胸元を捉え、今度は反対に大きく後ろ手に身体を反らさせた。そこに、立て続けにシーファが高出力の『火の玉:Fire Ball』の術式を見舞う。それはカリギュラの頭部に命中し、その巨躯は周囲の空気をすべて振動させるような大きな悲鳴を上げて、片膝をついた。
やった!
しかし、そう思ったのは一瞬で、巨体はすぐに立ち上がり、その大きなメイスでシーファの身体を薙ぎ払った。すんでのところで防御障壁の展開が間に合ったため、直撃こそ避けることができたが、その小さな体は大きく後ろに吹き飛ばされ、立ち木に背中を強烈に打ち付けた。衝撃で息ができない。全身が激痛に襲われる。相当な損害を負ってしまった。そこにカレンが駆けつける。
「大丈夫ですか?」
シーファは、背中を強打した影響で話すことができない。
「待っていてください。」
『生命と霊の均衡を司る者よ。法具を介して助力を請う。傷を癒し、安らぎを与えん。癒しの光:Healing Light!』
回復術式によってシーファの傷を癒すカレン。シーファはようやく息ができるようになった。身体の痛みも幾分かは軽くなる。
「ありがとう。」
彼女がそう言いかけた瞬間に、今度カレンは横手に思いっきり飛んだ。巨大なメイスがリアンを捉えようとしていたのだ。ぎりぎりのところでその体を腐葉土の上に横倒しにして、なんとか直撃を免れた。体を起こして、リアンを立ち上がらせる。彼女は大きく恐怖に震えていた。
カリギュラが、ゆっくりと仕留め損ねたカレンとリアンの方に向きを変える。その時だった。ちょうどシーファに背中を向ける格好になったのである。
今しかない!
そう思うと、咄嗟に魔力拡張したエペを手に、彼女はその巨体に飛びかかり、得物をその右脚に勢いよく突き立てた!カリギュラは、再度大きな悲鳴を上げてその場にひざまずき、痛みにうめく。しかし、その骨肉は相当に固いのであろう、刺した時の勢いでエペは持ち手の所から刃が折れてしまった。だが、それに構わず声をあげる!
「今よ!」
シーファのその声に合わせるようにして、カレンとリアンが術式を繰り出した。カレンの撃ち放った電撃は、その巨躯を捉えてしびれさせ、大きな頭をもたげさせた。その頭部をリアンの繰り出した複数の氷礫が繰り返し殴打し、ついにはその頭蓋を割ることに成功した。巨人の身体は、その割れた額から地面に落ち込むように倒れこみ、それきり動かなくなった。
3人はその周囲で膝をつき、肩で大きく息をしている。なんとか仕留めることはできたが、本当にぎりぎりだった。古城以来の恐怖が3人の少女を襲っていた。その時だった。カレンの通信機能付光学魔術記録装置に着信があった。マジック・スクリプト(発信相手を示す番号のようなもの)は知らない相手のものであったが、応答すると、それはリリー店長からの通信であった。
「あんたたち、大丈夫なの?」
そういうリリーの声を聞いて安堵したのか、3人の身体から力が抜ける。
「ええ、大丈夫です。今、カリギュラを仕留めたところです。」
「そう、すごいじゃない。で、怪我なんかはしてない?」
「シーファが怪我をしましたが、もう大丈夫です。」
「そう。それはよかった。」
「それで…。」
カレンがカリギュラの哀れな遺体を見やってリリーに訊いた。
「この巨大な身体を、私たち3人で運搬することはできません。血清を錬成するにはどうするのがいいですか?」
「そうね。どこか適当に身体の一部を切り取って持ってきてくれるのでもいいんだけど、もし『転移:Magic Transport』の術式が使えるなら、全身をここまで送ってちょうだい。あて先は、このマジック・スクリプトのところで大丈夫よ。全身が手に入れば、十分な量の血清を作ることができるわ。」
リリーはそう提案した。
「わかりました。試してみます。それにしてもどうしての私のマジック・スクリプトが分かったのですか?」
不思議に思ってカレンが訊ねる。
「あたくしを誰だと思っているのかしら?これでもいろいろと精通しているのよ。」
リリーは、そう言ってから通信を切った。
さて、3人の中で『転移:Magic Transport』の術式を修得しているのは今のところリアンだけでる。彼女は最後に『氷礫:Ice Balls』の術式を使用したことでずいぶんと魔力を消費してしまっていた。3メートルを超える物体を転送するとなると、更に多くの魔力が必要になるのは必至であった。そこでふたりは、リリーから預かった急速魔力回復薬を、まずリアンに飲ませてから少し休ませることにした。やがてリアンの身体に魔力が戻ったことを示す魔法光がほんのりと灯る。
「じゃあ、お願いね。リアン。」
シーファが呼び掛ける。リアンは制御になんとも自信がないようであった。
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ。」
そう言ってカレンもリアンを励ます。
やがて、彼女は小さくうなづいてから、
「こんなに大きなものを転送したことないけど、やってみる。」
そう言って詠唱を始めた。
『時と空間を司る者よ。法具を介して助力を請う。我が目前にある者を指し示す彼方に転送せん。転移:Magic Transport!』
魔法光がカリギュラの遺体の全体を包み、その色を複雑に輝かせる。やがてその巨躯は足先から光の粒となって空中に消え始め、最後にはそのかち割られた頭蓋が光の中に消えた。どうやら無事に転送は成功したようである。
「やったね!」
シーファがリアンの手を取った。カレンもその小さな体を後ろから抱きしめている。
「できた!」
リアンも嬉しそうに声をあげる。彼女は十分な魔法的素質を持っているが、その精神的な未熟さもあり、魔法制御が著しく苦手で、特に出力制御には多くの課題を残していた。しかし、少しずつ確実な成長を見せていることはどうやら間違いないようである。
* * *
「まだ、他の魔法生物がいるかもしれないわ。早くここを離れて急いで『タマン地区』に戻りましょう!」
シーファがそう言って立ち上がったその時だった。
「もし…。」
森の奥から3人を呼び止める声が聞こえる。こんなところに人がいるとすればそれは『裏口の魔法使い』に違いない。3人の間に一気に緊張が走る。声の方を振り向くと、そこにはローブをとフードで顔をしっかりと隠した魔法使いらしい人物が姿を現した。
「あなたたち、あのカリギュラを仕留めるとは大したものだねぇ。その力を見込んでひとつ頼みがあるんだが、聞いてみちゃあもらえまいか?」
どうやらその声に敵意はないようである。
「あなたは、どなたですか?」
訝しがって訊ねるカレンに、
「私のことなんてどうでもいいじゃあないか。もちろんただでとは言わないよ。この『真石ルビーのレイピア』をあげるから、頼まれておくれよ。」
その手に握られていたのは、真石のルビーを配し、刀身の真ん中にまばゆい魔法光をほとばしらせる、それはそれは美しいしつらえの細剣だった。
「あんた、せっかくのエペを折ってしまっただろう。それでは、この先、さぞかし不便だろうて。さあ、悪いことは言わないよ。頼まれておくれな。」
そう言うと、その人物は背後から大きな包みを取り出した。
「それは?」
シーファが訊ねると、
「これを『アーカム』に届けてほしいんだ。今これを必要とする人がいてね。私は事情があって市街区に戻ることはできないんさね。お願いだよ。」
そう言うと、その魔法使いは荷をカレンに無理やりよこし、それじゃあといって、シーファに先ほどのルビーのレイピアを手渡した。
「これで、交渉は成立だからね。頼んだよ。」
そう言って姿を消そうとする人影に、カレンが声をかけた。
「でも私たちは、その『アーカム』がどこにあるのか知りません。行き方を教えてもらえませんか?」
その声を聞いて、魔法使いは意味深な言葉を残した。
「大丈夫。大丈夫。あんたたちが本当に運命の輪にとらわれているのなら、必ずやそれを知る者と縁(よすが)を結ぶよ。だから心配しなさんな。」
そいうが早いか魔法使いはまるで立ち消える煙のように、そこからいなくなってしまった。
「一体、何だったのかしらね。」
シーファがそのレイピアを見つめながら言う。
「いずれにしても一つ用事が増えましたね。とにかく『タマン地区』まで帰りましょう。」
そういうカレンの言葉に、シーファとリアンは頷いて答えた。
陽はもうずいぶんと西に傾いていたが、それでも、夏の陽はなお夜までにはまだ時間があることを示していた。相変わらず鉛色の空に覆われた重苦しい空模様であったが、朝方よりは幾分かましになったようにも思える。厚い雲の裏でゆらゆらとその身を揺らす西日が、3人の背中を見送っていた。
* * *
タマン地区の宿屋に戻ってきたのは、それから2時間ばかり歩いた後である。陽は地平線付近まで移動し、光線の色を茜色に変えながら、なおも雲の裏で鈍い色にくすぶっていた。
3人は宿に入って、部屋に向かうと、カリギュラとの戦いですっかり汚れたローブと服を脱いで、真っ先にシャワーを浴びた。あたたかいお湯が疲れた体に心地よい。お湯に溶けたシャボンの香りが浴室を満たしていく。汗とともに疲れもまた洗い流されるようであった。シャワーを終えた3人をあたたかい食事が迎えてくれる。
その日のメニューは羊肉を焼いた料理に、種々の焼き野菜が添えられたものであった。それには新鮮な野菜サラダとジャガイモのスープが添えられていて、3人の疲れた身体を存分に癒してくれた。
「まだ傷が痛みますか?」
カレンがシーファに訊ねる。
「いえ、あなたのおかげでもう大丈夫よ。それにしても手ごわい相手だったわね。」
「本当に強敵でした。3人いて、かろうじて勝てたという感じです。」
「シーファのくれたリボンのおかげでとどめを刺せたよ。」
リアンがそう言って頭のリボンをなでる。
「今日のあなたは大活躍だったわね。」
優しく微笑みかけるシーファ。リアンは照れくさそうにプレートの野菜をつついていた。
「明朝、ここを発ったらまっすぐにリリーさんのお店に向かいましょう。血清の錬成にどれくらいの時間がかかるのかわかりませんが、リアンのおかげですでにリリーさんの手元にカリギュラの遺体があるはずです。それを考慮に入れれば、先生方がお戻りになるまでには十分に間に合うでしょう。」
カレンがそう提案した。
「そうね。賛成だわ。」
「あの魔法使いから預かった荷物はどうするの?」
リアンが小首をかしげて訊いた。
「そうね。あれはひとまず、学園に持ち帰って、先生方のご指示を仰ぎましょう。場合によっては荷の中を調べる必要もででくるわ。」
シーファのその言葉にふたりも賛同し、今後の段取りが決まった。夏の夜はまだまだ始まったばかりであったが、3人は、その日一日の疲れから、もう眠気に襲われていた。シャワーの心地よさと羊肉の美味がそれに拍車をかけていた。
「ちょっと早いけど、もう休みましょうか?」
そう言って、シーファは床に就いた。
「そうですね。」
「はい。」
カレンとリアンも彼女に続いてベッドにその疲れた身体を沈めた。
朝以来の重い雲は幾分なりを潜め、夜空にちらちらと星が輝いている様子が窓からのぞき見える。明日も忙しくなりそうだ。そんなことを思う意識はすぐに夜の沈黙に飲み込まれていった。
* * *
あくる朝は昨日と打ってかわって美しい晴天であった。しかし日差しと熱さは一層厳しい。ぎらぎらと照り付ける太陽で肌が焼けそうである。3人は預けていたすべての荷物を受け取った後、朝9時に宿を出て、リリーの待つ『スターリー・フラワー』へと急いだ。サンフレッチェ大橋で魔法の裏路地の暗号を実行すると、気温がいくばくか下がるはずであったが、その日は周囲の暑さの方が勝っており、立ち込める霧とあいまってなんともむしむしと、舌が出るような心持ちであった。
店に到着して扉を開けたが、リリー店長の姿が見えない。おそらくは奥で血清の錬成をしているのであろう。3人は、戸口で挨拶をしてから、奥へと歩みを進めていった。以前と同じく、魔法具の陳列部屋の奥には広いホールが続いていて、その奥には『Jewelry Division』と『乙女のひ・み・つ』のコーナーがあり、従業員控室を経た更にその先がリリー店長の私室へとつながっていた。リアンは乙女のひ・み・つに興味津々であったが、そこがどういう場所であるのかを知っていると思しきシーファが、そんなものに関心を寄せてはいけないというふうにして、リアンの手を無理やり引いて奥へと進んでった。その後をカレンがついていく。
戸口をノックすると、
「おかえりなさい。どうぞお入りにさないな。」
そう言うリリー店長の声が3人を迎えた。ドアを開けて中に入ると、そこは非常に瀟洒な執務室で、センスの良い調度品に美しく彩られていた。
床には、その部屋にはどうにも不釣り合いな醜い魔法生物のむくろが横たえられていた。その腕には管付きの針が刺されており、その管をたどると、おおぶりのフラスコにつながっている。そのフラスコに対してリリー店長がしきりに魔法を行使していた。
「つまづいて、針を抜かないように気を付けてちょうだいね。」
魔法の作業を続けながらリリー店長が言う。
3人はその言葉に従って、注意深くそのむくろを避けて、作業が行われている机の周りに集まった。
「今ちょうど血清を錬成しているわ。もうすぐよ。」
そう言うと、店長はそのフラスコから管を抜いて、別のフラスコに刺しなおした。むくろの血液と思しきものが別のフラスコをゆっくりと満たしていく。リリー店長は、先ほど魔法処理を加えていたフラスコに、更にいくつかの水薬を加えて小刻み振った。するとその中身は、どす黒い赤色からオレンジがかった黄色にその色を変え、ほんのりと魔法光を放つようになった。
「できたわ。これが『カリギュラの血清』よ。」
そう言うと、店長は、血清を薬瓶に移してくれた。
「さぁ、これでご注文の品は全部揃ったわよ。他のものについては、店の方にまとめてあるから、一緒にお持ちなさいな。お見事だったわね。」
そう言って、リリー店長は、3人の顔をまじまじと眺めた。
「ありがとうございました。すっかりお世話になりました。」
そう言ってシーファが頭を下げる。
「いいのよ。あんたたちの先生方には大恩があるしね。あなたたちの勇気と実力にも感動したわ。」
「そう言っていただけると励みになります。」
カレンも照れくさそうに頭を下げる。
「そう言えば、お嬢ちゃんたち。夏は忙しいの?」
不思議とそんなことを訊ねるリリー店長。
「この子はウィーザード科の代表選考試合を控えています。」
カレンがそう答えると、
「もうそんな時期なのね。でもそれが終わるとしばらく夏期休暇でしょ。よかったらアルバイトにでもいらっしゃいな。歓迎するわよ。」
リリーは、そういって微笑みかけた。
「ありがとうございます。またきっとお会いしたいです。本当にありがとうございました。」
そう言って3人はリリーに深々と頭を下げ、スターリー・フラワーを後にした。その後ろ姿をリリーがあたたかく見送っている。
3人がアカデミーに帰着したのは、その日の昼下がりのことであった。夏の陽はまだまだ高く、容赦ない光で学内をまぶしく照り付けていた。石畳がその熱で焼けている。
3人は、さっそく『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所に寄って、今回の旅について口頭での報告を行った。同局の職員が言うには、本件については、ウィザードから書面での報告が求められているとのことであったので、3人はそのために必要な書類を預かって引き上げた。聞いたところでは、先生方はまだ帰ってきておらず、その帰還時期はその時点ではまだ未定ということであった。それまでの間、調達してきた物品は、同局が慎重・適切に管理・保管してくれるとのことであった。
こうして、3人の少女の新しい冒険がひとつ幕を閉じた。彼女たちは無事に託された使命をやりおおしたのである。
そのころ、リセーナ・ハルトマンを伴った先生たち3人は、『バレンシア山脈』に向かって東の荒野を進んでいた。バレンシア山脈は、中央市街区のほぼ真北(やや北東より)にそびえる険しい山脈で、『プリンス・ピーク』と呼ばれる一段高い尾根には、人の叡智を試すと言われる古の竜の住処がああると言われていた。その竜の瞳は、すべてを見通し、次元をも超えて万物を眺めることのできる力を持つとされている。今、彼女たちは、その『竜の瞳』を求めんがために、その居場所へと先を急いでいた。
東の荒野は夏でも強い北風が吹きつけ、中央市街区やその他の地域よりもぐっと気温が低かった。嵐と言うほどではなかったが、その日も4人の旅人は襲い掛かる肌寒い北風に抗いながら、北上を続けていた。その山脈が近づくほどに気温は下がり、風はその強さを増していった。
夏の日差しが、北風に押し返されていく。
to be continued.
AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第8章第3節『小さなカリギュラ討伐隊』完