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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第1集01『新しい依頼』
ログエルの満1歳の誕生日を皆で祝ったあの日から、早くも2週間あまりが経過して、時は静かに5月の初旬を迎えようとしていた。ここアカデミーでは毎年4月に新学年がスタートするが、2月に実施される進級試験の心労から始まって、新環境への円滑な適応のために要する過剰な心遣いへと続く、一連の慌ただしさによってすり減らしてしまった心身に活力を取り戻すべく、この時期には1週間程度のまとまった休暇が与えられることになっていた。とはいっても、大抵の場合には、更なる親睦を深める機会として校外学習が計画されたり、休暇後から本格的に始まる学術教練のための準備に追われたりなどするので、誰もがその束の間の休日を大いに満喫して羽を伸ばす、というのはなかなか難しいのも実情である。
みな、進級試験を無事に乗り切り、シーファ、リアン、カレン、アイラの4人はそれぞれ中等部の最高学年に席を得た。また、魔王事変を経て天使の存在がもはや公然の秘密となったことから、ユイアもアカデミーに復帰して、相変わらずのギリギリ低空飛行ではあったが、どうにかこうにか高等部2年への進級を果たしたのである。
ウィザードは正式に魔法学部長に昇進するだけでなく、この機にアーク・マスターの学位を得て『アカデミー最高評議会』の常任理事となった。ソーサラーも同様である。ネクロマンサーは、本人にそのつもりは全くなかったようではあるが、魔王事変の際、瓦解しかけていたアカデミーの医療福祉機能を見事に再建して支えて見せたその手腕を買われ、周囲から請われるようにして看護学部長に昇進した。彼女もまた、近いうちにアーク・マスターへの進級試験に臨む予定のようである。
このようにして、愛と信頼を取り戻した魔法社会全体が、アカデミーを中心として力強い復興の歩みを前へと繰り出していた。失われた日常と平和が、再び着実にその居場所を得はじめていたのである。
そんな趨勢(すうせい)の中、今日もまた、秋の『全学魔法模擬戦大会』に向けて、ウィザードとシーファは朝練習に取り組んでいた。春を抜け初夏に差し掛かろうとうとする陽は、青く透き通る天上に輝いていて、この地に希望と活力を授けているようである。
* * *
新しい葉を枝に蓄えた木々のゆらめきの間から零れるまばゆい木漏れ日の中、練習用競技フィールドの上でウィザードは肩で息をしていた。健全な汗が止むことがない。そのルビーの瞳の先には、シーファがいる。
「お前、ここしばらくの間に本当に強くなったな。相手をするこっちが参るぜ。」
なにか満足の響きを含む声色で、ウィザードがそう言った。シーファは気恥ずかしそうにその言葉を受け止めている。
「ありがとうございます。全ては先生のおかげです。きっと、もっと強くなってみせます。」
「それはなんとも心強いことだ。お前なら、まだまだ成長できるだろう。ちょうどこの季節に木々の枝を彩っている若葉の新芽のようなものだ。お前の将来を楽しみにしているぜ!来年はもう高等部だしな。」
いくぶんか、ウィザードの息も整ってきた。
「もちろん高等部の進級試験は受けるんだろう?」
「はい、そのつもりです。同時に『アカデミー治安維持部隊』の昇進試験にも挑もうと考えています。巡査部長の職位にふさわしいことを、自分の手で証明したいですから。」
若いその瞳を爛々(らんらん)と輝かせて、シーファが応える。
「そうか。知っての通り、高等部への進級試験は論文試験だ。お前はこの1年の殆どを資料の蒐集(しゅうしゅう)整理と執筆に費やすことになる。それに加えて『アカデミー治安維持部隊』の昇進試験にも挑むのならば、相当に骨が折れることになるぞ。論文は書きっ放しではダメで、本当にその研究分野を理解しているのか、口頭試問できっちり試されるからな。お前の論文の採点と口頭試問を担当するのはおそらくあたしだろうが、もちろん手心を加えるつもりはまったくない。それはお前に失礼にあたるからな。だからこそ、最善を尽くしてほしい。」
この時期特有の、満ち溢れる自然の生命力が自然と背を押すのか、愛弟子を前にして、ウィザードは普段はあまり口にしない内心に言葉の象(かたち)を与えていた。
「ありがとうございます、先生。これまで何度も先生に助けていただいたこの生命です。きっと、先生のご期待に添えるような結果を出してみせますから。」
シーファに迷いはないようだ。
「そうか、それでは来たるべき時を楽しみにしているよ。悔いのないよう、精一杯頑張ることだ。」
「はい!」
師弟の間を爽やかな風が吹き抜けていく。すがすがしい朝のひとときであった。
* * *
「それは、それとしてだ。」
おもむろに話を移すウィザード。なにかあるようだ。
「どうされましたか、先生。」
「実は、例によってまたお前たちに頼みたいことができた。依頼主はお馴染み『南5番街22ー3』ギルド、というか早い話が『アーカム』だな。もうお前たにちは隠す必要もなくなった。」
そう言ってウィザーは笑顔を浮かべる。
「そうですね。」
シーファもまた、笑みを返して応えた。
「それで、どのようなご依頼なのですか?」
「なに、今のお前たちにはそれほど難しいことではない。害獣魔法生物の調査と駆除だ。連休前に面倒を言ってすまないが、あとで、リアンたちを連れて、あたしの執務室を訪ねてくれないか?詳細はその時に話すよ。」
「わかりました。お時間はいつくらいがご都合よろしいですか?」
「そうだな、お前たちがよければ午後3時でどうだろう?」
「大丈夫だと思います。幸い今日は連休前の半ドンですから、これから3人に声をかけて、その時間にお伺いいたします。」
「無理はしなくていいからな。皆の都合が悪ければ連絡してくれ。時間は柔軟に調整しよう。」
「ありがとうございます。それでは、私はこれからリアンたちを探しに教室棟に移動します。今朝も、ご指導いただき、感謝いたします。」
そう言うと、シーファは軽く頭を下げてからフィールドを降りて、教室棟の方に向けて駆けていった。ウィザード黙ったまま片手を上げて、たくましくなったその背中を見送っている。立派に成長したものだ。その麗しい茜色の瞳には、あたたかい潤いが込み上げていた。
* * *
リアン、カレン、アイラとの連絡と調整は、昼までには整った。年末年始にかけて思いがけない贅沢を楽しみ尽くした彼女たちの若い魂は、そろそろ新しい冒険を求めていたようで、みな二つ返事でシーファの話を了承した。
それから瞬く間に、ウィザードとの約束の時間となり、4人は今、教員棟3階にある彼女の執務室の前にいる。ノックをすると、中から声が聞こえた。
「忙しいところ、すまんな。入ってくれ!」
それを受けて、4人は入室する。
「4人揃っているということは、引き受けてもらえるということでいいのかな?」
ウィザードはそう言って両目が動くいつものウィンクらしき合図を送った。4人はそれに頷いて応える。
「はい、先生。ご依頼をお引き受けいたします。つきましては、その詳細を教えて下さい。」
代表してシーファが申し出ると、ウィザードは、応接スペースに4人を案内して腰掛けるように促してから、自分はその向かいの席についた。
「毎度毎度すまないな。」
「いえ、大丈夫です。私たちもそろそろ何かの任務をこなしたくてうずうずしていたところなんです。」
そのシーファの言葉に、他の三人も同意して頷いている。
「そう言ってくれると助かるよ。実は、今年に入ったあたりから、お馴染み『タマン地区』南東の『イースト・ハロウ』という地区に、『ポルガノ族』が頻繁に現れては、民家に害をなすようになってな。どうやら、昨冬の繁殖期に大幅に数を増やしたらしいんだが、それを賄うだけの食料が山間部には不十分のようで、それで人里まで降りてきているらしいんだ。」
ウィザードの言葉に、少女たちは瞳を輝かせて聞き入っている。
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「今のところは、ごく少数の群れが、民家の畑を掘り返して作物を漁(あさ)ったり、家畜を襲ったりする程度で深刻な事態には至っていないが、諸君たちも知っての通り『ポルガノ族』は政府環境省に害獣指定される凶暴で危険な魔法生物だ。知能もそれなりで、独自に武装することもある。当局の調べによるとその数は増える一方のようで、群れがこれ以上大きくなって、『イースト・ハロウ』地区の全域が襲撃されるような大事になることを中央政府と同地区の長が随分と懸念しているというわけだ。
そこで、諸君たちにはこれから『イースト・ハロウ』地区に赴き、そこに拠点を構え、東部『苦みが原平原』の更に西、『ハロウ・ヒル』に棲息する『ポルガノ族』の群れの監視と、万一の場合の駆除を行ってもらいたい。質問があれば聞かせてくれ。」
ウィザードの言葉を受けて、少女たちは互いに視線を交わす。ここでもシーファが代表して応答した。
「わかりました。それで、ご説明によりますと、『イースト・ハロウ』地区に拠点を構えよということですが、作戦日程としてはどれくらいの期間を想定しておられるのですか?」
「いい質問だ。さすがだな。諸君らには非常に残酷な話をするが、作戦期間は今年の初夏節連休の全て、次にアカデミーの講義が再開となる日の前日までだ。今年は暦の都合で、都合8日の連休となるが、その全日を任務に当ててもらいたい。」
ウィザードはそう答えたあとで、更に話を続けていく。
「ただ、8日間宿を使うとなると流石に経費がかさんでいかん。それに、諸君らは目を離すとすぐに贅沢に走る前例もあるしな。そこで、今回は『週限賃貸』物件(遠い東国で言うウィークリー・マンションのような賃貸物件)を利用して、4人でそこで共同自活をしながら、任務にあたってもらいたい。食事その他の生活部面は、すべて各自で賄(まかな)ってもらうことになる。
幸い、この依頼の大元は中央政府と『アカデミー最高評議会』だ。面倒が増える分報酬ははずむつもりだ。前金は『アーカム』から、残額は任務完了後に当局から支払われることになっている。というわけで諸君らにはこれから前金を受け取り次第タマンに出向いてもらい、『週限賃貸』の契約から生活物資の調達等々任務遂行に必要な準備に、すぐに取り掛かってもらいたい。あたしからは以上だ。他にも何かあるか?」
「お話よくわかりました。任務中の生活部面については問題ないものと思います。ただ、先程のお話では万一の際の駆除も任務に含まれているようですが、駆除に打って出る場合、その判断はどのようにして行いますか?」
そう質問したのはカレンだ。
「そうだった、その点を説明しておかないといけないな。本件について、諸君らの任務はあくまでも『ポルガノ族』の監視と、個別具体的な被害防止活動に限定される。特に、『ハロウ・ヒル』で増殖を続ける同族の数がどれくらいに及んでいるかをつぶさに調査して逐次報告してもらいたい。知っての通り、群れが少数であるときには、『ポルガノ族』の脅威はそれほどでもないが、やつらは群れが大規模になると凶暴性を増す傾向がある。さすがに元が魔法生物だけあって、自ら武装して統率の取れた集団行動を取れるだけの知力も備えているしな。大規模な駆除作戦が必要となった場合、原則としては、中央政府環境省の指揮・監督のもとで『連合術士隊』が駆除作戦を実施する計画となっているが、万万が一、大規模集団が緩衝地帯である『苦みが原平原』を超えて『イースト・ハロウ』地区に広がる居住区に移動する兆候が監視中に確認され、かつ、『連合術士隊』を派遣する暇(いとま)のないときには、諸君らにその大規模駆除の先陣を切ってもらわなければならない。
現時点での見通しの限りでは、その差し迫った危険はまだ確認されていないが、万が一のときの判断はあたしが直々に行うことになっている。だから、諸君たちにはとにかく連絡と報告を怠らず、緊密にして欲しい。」
ウィザードのその言葉を受けて、少女たちは得心がいったようである。
「他には?」
「いえ、ございません。我ら、謹んで任務を拝命いたします。」
『アカデミー治安維持部隊』でする敬礼の仕方で、シーファがそう応えた。残る3人も心の準備は十分のようである。
「結構。それでは、諸君らは直ちに『全学職務・時短就労斡旋局』の事務室に赴き、作戦指示書と前金を受け取って、準備にかかり給え。吉報を待っている。以上だ。」
「はい!」
少女たちは声を揃えて返事をすると、ウィザードの執務室を後にした。
窓からは5月の明るい日差しが差し込んでいる。その角度は少しだけ斜めになって、斜陽の彩りを乗せていた。西の空が薄っすらと染まっていく。
* * *
『全学職務・時短就労斡旋局』の事務室に向かいながら、少女たちは新しい冒険に胸を踊らせていた。実に8日にもわたって4人で共同生活をすることになるのだ。任務の重要性は、もちろん各々がしっかりと理解はしていたが、来たるべきその新しい経験に、否応なしにも期待が高まっているのが見て取れる。
「1周間以上も4人で一緒に過ごすなんて、なんだか楽しみですね。」
歩きながらアイラが言った。
「そうですね。期間だけで言えば、年末年始の『東の隣国』での温泉旅行でも同じくらいの時間を一緒に過ごしましたが、ずっとみんなで共同生活というのは、実は初めてかもしれません。」
カレンがそう応じる。その濃紫の瞳は、差し込む夕日に輝いていた。
「でも、食事係はぜひともアイラにお願いしたいですよ。シーファだけはいけません。」
突然、そう言ったのはリアンだ。彼女は、いたずらっぽい笑みを浮かべてシーファを見る。
「まぁ、リアンたら随分ね?そんなに不味い料理を食べさせた記憶はないんだけど?」
シーファはそう応じた。軽口の中にも互いへの信頼が見える。
「自覚がないのはなおさら困ったものですよ。とにかくシーファに胡椒(こしょう)は禁忌なのです。」
なお、冗談めかして言うリアン。
「それはまた随分と昔の話を持ち出してくるわね。食べ物の恨みは恐ろしい、とはこのことかしら。でも大丈夫よ。あれからもう2年も経つのよ。こうみえて、料理の腕だってずいぶん上達してるんだから!」
「そうであればよいのですが、私はアイラ料理長に1票なのです。アイラの料理は本当に美味しいのですよ。」
そのリアンの言葉を聞いて、アイラが面映ゆい表情をしている。
「たしかにね。ここのところ、料理についてはアイラとカレン頼みだもの。でも私だって捨てたものではないわよ?
そういえば、アイラにはこれまで料理をしてもらうばっかりで、一度もご馳走を振る舞ったことはないわね…。」
そう言うと何事かに思いを馳せるようにして、シーファは視線を虚空に送った。
「ねぇ、リアン?」
「なんですか?」
「こうしない?先生の提示した日程によれば、明日が任務の初日よ。日中は、移動はもちろん事務手続きに買い物と奔走することになるでしょうから、最初の食事は明日の夕飯になるわ。」
「その通りですね。それがどうかしたですか?」
「ええ。だから明日の夕飯は私に作らせてよ。食事係を誰にするかは、その味を見てから決めるってのはどう?」
シーファがにこやかにそう言った。
「まあ、私はそれでもいいと思うですが、カレンたちはどうですか?」
カレンとアイラの顔を見て言うリアン。
「私は、食事についてはみんなで交代で、というのが一番いいと思いますが、シーファがそこまで言うのなら試してもいいかもとは思います。」
「そうですね。私もカレンの言う通り、当番は交代制でと思いますが、私はまだシーファの手料理を食べたことがないので、楽しみに感じます。」
カレンとアイラはそう言って応えた。
「でしょ!いつかアイラに手料理を振る舞いたかったのよね。ちょうどいい機会だから、だれも反対がないなら、明日の夕飯は私が作るわね!」
シーファは皆で過ごす時間がよほど楽しみなのであろう、その声は揚々(ようよう)としている。
「まあ、『手料理を振る舞いたい』だなんて、二人はもうすっかり仲良しですね。」
そういうカレンに、
「あら、あなた達には負けるわよ。」
朗らかにシーファはそう応じた。
夕焼けに染まった赤い光を零しながら、窓の外では木々が枝をしきりに揺らしている。それが廊下に織りなす光と影の、刹那刹那に姿を変じる彫刻は、彼女たちの友情の美しさをそこに映し出すかのようであった。まもなく日が暮れる。
夜が明ければ、新しい任務が待ち受けることになるだろう。年頃の少女たちの、鈴を転がすような声が廊下の奥に溶けていった。
to be continued.