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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その1『兄と妹』

 ウィザードたちが星天の世界を翔け、『時空の檻』からこちらに戻って来てから、はや数日が経った。時はいよいよ10月になろうかというそんな頃合いで、空は高くなり、陽はいくばくか斜めになって、窓の外では、柔らかな木漏れ日が揺れている。

 そんなある日の、ここは教員棟東側3階のお馴染みの部屋である。帰還後ウィザードは、従前と同じくここを使用しており、また、かつての住人、パンツェ・ロッティの『愛の欠片』で彩られた例の人形は、ここの執務机の上に置かれ、普段はウィザードがそれを管理していた。

 そんな場所に、今緊張の面持ちでウィザードと向き合う一人の少女の姿があった。

「急に、こんなところまで呼び出してすまなかったな。」
 執務机のところに着座して、彼女はその前に立つ少女に声をかけた。

「あの、魔法学部長先生、ここに呼びだされたということは、私はなにか過ちをしたのでしょうか?それとも、あの愚兄のことでのお叱りがおありなのでしょうか?」
 少女は、その小さな体を一層固く小さくして、絞り出すように恐る恐るそう口を開いた。

「いや、そういうことではない。要件の趣旨とすれば教務員室でもことたりたのだがな。ただ、今はちょうど難しい時期なので、できれば人目を避けたかった、ただそれだけのことだ。だからそんなに恐縮しなくてよい、フィナ君。」
 少女の内心を察して、ウィザードが優しくそう語り掛ける。

 少女の名はフィナ・ブルックリン、そう、かのトマス・ブルックリンの妹である。トマスが肌着泥棒として全国指名手配を受けたことで、彼女はアカデミーにおいて非常に複雑で繊細な立場に置かれていた。いつのまにか、何事に対しても過度に身構える、そんなことが習慣になりつつあった。しかし、ウィザードの言葉を受けて、ほんのわずかにその美しいエメラルドの瞳に安堵の色が戻ったようだ。

トマスの妹、フィナ・ブルックリン。

「ということは、やはり兄のことですか?」
 しかしその声は恐怖と不安の色を完全には払拭しきれてはいない。少女は探るようにしてそう訊ねた。

「その通り、今日君にここまで来てもらったのは、君の兄、トマス・ブルックリン君のことだ。しかし、君が今心配しているようなことではないから、とにかく安心したまえ。」
 そう言って、そのルビーの瞳は優しい色彩を奏でた。ウィザードは続ける。

「実は、君の兄上とは特別な縁(よすが)があってな。奇しくも先日、彼の最期に立ち会うこととなった。きっと兄上のことで君は今ここアカデミーにおいて非常に難しい立場に立たされていることだと思う。しかし、あたしたちは、トマス君が世間一般で言われているような人物でないことをつぶさに知っている。彼には彼の矜持があり、立派な最期をとげられた。そのことを君に伝えたかった、というのが一つ。もう一つは、君の兄上の形見を君に引き渡したかったのだ。それで、ここまで足を運んでもらった。だから、繰り返すが、そう心配することはない。我々は、君の兄上のことをよく知っているのつもりだ。」
 そう言って、三度、フィナの不安と緊張を解こうと努めて見せた。

「兄の最期とは、どのようなことでしょうか?」
 少女はおそるおそる訊ねた。

 トマスがダーク・サーヴァントであり、時空をかけて『愛の欠片』に変じた一連の事件は、魔法社会では実際には公になっていない。そのため、肌着泥棒として全国指名手配されたトマスは、これ以上の逃避は不可能であると悟って、覚悟の自殺を図ったと、そのようなことにされていたのだ。十代の、心身の成長にともなって新たに発現する性徴とその意味をいやおうなしにも意識してしまう世代が織りなす学園社会において、トマスの表向きの行状は耳目を集めるに十分であった。またその批判は、彼が亡くなった今、彼自身よりもむしろ、残されたその家族に向けられることが多くなっていた。アカデミーという閉鎖的な空間において、その矢面に日々立たされていたのが、このフィナという無垢な少女であった訳だ。

「そのことについては、すまないが、今はあまり詳しく話すことはできないんだ。ただ、世間一般に流布されているようなこととはまるで違い、君の兄上は尊厳ある立派な最期を遂げたのだということを君には知っておいて欲しい。彼の最期は勇敢かつ、極めて潔いものであった。その人生は実に立派だったよ。」

「ありがとうございます。それは私どもにとっては救いとなります。」
 少女は言った。

「それから、これが兄上の残された遺品だ。君が持っているのが相応しいと思ってな。実はもう一つ、もっと遥かに大切なものを兄上から預かっているのだが、それは本当に大切なもので、しばらくこちらで預からせてもらわなければならない。勝手は重々承知しているが、今はまず、こちらを受け取ってくれないだろうか?」
 そう言うと、ウィザードは、トマスが『愛の欠片』とともに残した純白のローブをフィナの前に差し出した。フィナはおずおずとそれを受け取る。

「これを兄が?」
「そうだ。君の兄上が残したものだ。大切に偲んでやるのがよかろう。」
「はい。先生、本当にありがとうございます。先生の今のお話は、本当に私たち家族にとっての、今後の支えになるものと存じます。」
「ああ、そうだな。ぜひ、そうして欲しい。世間というものは好き勝手を言うものだが、君の兄トマスは決して彼らの言うような人間ではない。それは私が保障するから、ほとぼりが冷めるまでの間、彼が残したそのローブをなぐさめとして欲しい。」
「はい、謹んで感謝申し上げます。」
 フィナは深々と頭を下げ、礼を述べた。それからゆっくりと上体を起こして言葉を続ける。

「それで、魔法学部長先生。」
「何かね。」
「私が、アカデミーでこれを身に着けることをお許しいただけませんか?」
 彼女はウィザードにとっては思いがけない願いを申し立ててきた。

 フィナは今年12歳になる初等部後期課程の最終学年に所属しているが、学則では、初等部の学徒は、儀式等の場面で(術具や法具でない)儀礼的なローブを着用する事こそ認められてはいるものの、魔術的または魔法的な作用を持つ本式のローブを身に着けることは禁じられていた。彼女はそれを許してはくれないかと問うているのである。

「フィナ君、君の気持はよくわかるよ。本当であれば、魔法学部長代行として正式に許可を与えてやるべきなのだろうなとも思う。しかし、あたしの立場で、私情から学則を曲げることができないのもまた本当だ。…。そうだな、正式な許可を与えてはやれないが、君の担任の先生の裁量に任せる、ということにするのはどうだろうか。確か、君の先生は魔法学部のマリクトーン先生だったね?」
「はい、その通りです。」
「そうか。あたしの方からも先生に君の希望を伝えておく。君からも先生に頼んでみたまえ。先生がお許しになるなら、私は魔法学部におけるそのローブの着用については大目に見ることにしよう。すまないが、それでどうかな?」
 ウィザードは少々申し訳ない、という感じを滲ませながらそう訊いた。しかし、その言葉を聞くエメラルドの瞳には、幾ばくかの希望の光が感じられた。

「ご厚意に謹んで感謝申し上げます。今、先生は、兄は尊厳ある最期を迎えたと、そのようにお話しくださいました。そうであるならば、その尊厳を私がこの身で守り証明してやりたいと思います。本当にありがとうございます。」
「そうか、それは兄上もお喜びになるだろう。しかし、必ずマリクトーン先生の許可はとるのだよ。先生に背いてそれを着用することはしないように。いいね?」
「はい、きっと。」
 そう言うと、フィナはその小さな胸に兄の形見を抱きしめながら、再び深々と頭を下げて謝意を示した。

「フィナ君。世間というものは難しい。きっとそれが新しい困難を君にもたらすこともあるのかもしれん。その意味では、ここであたしが『ダメだ』と言ってやるほうがいいのかもしれないという逡巡(しゅんじゅん:ためらうこと)は今なおある。しかし、あたし個人としては、トマス君と君の心意気を最大限に尊重したいと思っている。いいかい、フィナ君。少なくともあたしたちは、君と兄上の味方のつもりだ。どうしても困ることがあれば、直接あたしを訪ねてきてもいいし、中等部の2年にシーファというウィザードがいるから、彼女を頼ってもいい。彼女もまた、君の兄上の最期に立ち会った者のひとりとして、君のよき理解者となるだろう。いいね。つらいことが多いだろうが決して無理をしてはいけないよ。それを約束してほしい。」

「わかりました。魔法学部長先生。」
「そうか、きっと約束だよ。困ったことがあったら、またいつでも訪ねてきなさい。」
「ありがとうございます。」
「よろしい。ではフィナ・ブルックリン君。あたしからの用は以上だ。行ってよろしい。」
「かしこまりました。失礼いたします。」
 そう言うと、フィナは兄の形見を愛しむように両手に抱いて、その部屋を後にした。

 秋の風が窓に差し込む光を揺らしている。木漏れ日が、部屋の床と壁に複雑な陰陽模様を描いていた。ルビーの瞳に一抹の躊躇いを漂わせつつ、ウィザードは執務机に視線を落とした。

* * *

 その視線に対して、パンツェ・ロッティの『愛の欠片』を備えた人形が応える。
「君の気持は分からんでもないが、断ってやるべきだったのではないかね。そいう優しもあると思うぞ。ここアカデミーのような閉じた社会では、規則に従わないことは余計な軋轢を生じるものだ。彼女とトマスの絆を尊重してやりたいという君の想いは分からんではないが、きっと事態を難しくするだろう。大丈夫なのかね?」

「それはあたしもわかってるんだ。でも、あのトマスの最期の潔さは本物だったし、あいつにはあいつなりの愛への矜持があったこともよく分かった。それをただ規則で縛り付けるようなことは、どうにもあたしには出来かねるんだよ。ただ、あんたの言うとおり、面倒ごとにはなるかもしれないな。そのときには、あたしが責任をとるよ。」

「そうか。それならばよいが。しかし、賽を投げた以上、かげひなたに助けてやらねばならんぞ。」
「ああ、わかってるよ。あんたは本当に、助平な割には昔から学徒と思いだな。」
「何を、今更である。私ほどの聖職者はそうそうおらんよ。」
 パンツェ・ロッティが言った。
「聖職者か…。教職はそれほどの聖職なのかな?正直わからなくなることがあるぜ。あんたが退いた後、最高評議会では、ゼン・サイファという人物が後任の議長に就いた。政府からの外部招聘らしい。あたしもまだそれほどの面識があるわけではないが、聞くところでは子煩悩で、子どもの悩みや葛藤に理解のある人物だそうだ。あんたの理不尽学則も明日の『制服検討委員会』でついに手が入るそうだしな。」

「なんということだ!あの条項を入れるのに私がどれほど骨を折ったかわからんとは…なげかわしい。不埒な学徒どもにここに侵入までされて、ひどい目にあわされたものだ。しかし、あれは断じて不正な目的を有しているものではないのである。」
 懐かしい話を口にするパンツェ・ロッティ。

「まあ、それはあんたの残した『パンツェ・ロッティの閻魔帳』を見ればわかることだぜ。だろ?」
 少しいたずらっぽい表情で、ウィザードは言った。それを聞いて、驚いたのはパンツェ・ロッティの方だ。
「なんと!?あれがまだあるのか?どこにある。もし君の管理下にあるならすぐに焼き捨ててしまいたまえ。あれは絶対に誰の目にも触れさせてはならない文字通りの閻魔帳なのだ。いいな、きっと焼き捨てるのだぞ!」

「おやおや、その慌てようからするに、よほどの傑作が収録されているようだな。まあ、あんたにはあんたの、愛への矜持があったことはあたしたちも知っている。だから、あんまりとやかく言うつもりはないけどな。焼き捨てについては、まあ、考えておくよ。」
 そう言うと、ウィザードは指で軽くその人形を小突いてみせた。

「まったく、君は相変わらずだ。目上に対する尊崇というものをいつになったら身に着けるのだ。私は君をそのように育てた覚えはないのだが。」
「あたしもあんたにそんなに手厚く育ててもらった覚えはねえよ。」

 少しずつ翳り行く秋の陽の中で、不思議な縁(よすが)で結ばれた子弟が言葉を交わしている。そこには穏やかな時間が流れていた。

* * *

 秘密主義を象徴していた、かつてのアカデミー最高評議会議長パンツェ・ロッティが退いた後、その組織は随分と開放的になった。新議長のゼン・サイファは一人娘をもつ子煩悩な父親で、多感な時期の学徒達のよき理解者でありたいとして、各種の改革に取り組んでいた。それらは約1年の時を経て、少しずつ結実しつつあるようである。

 まず、これまでは、初等部においても魔法学部では、術士科、魔術師科、暗黒魔導士科、純潔魔導士科、死霊術師・屍術士科の専攻科ごとに教室と学習過程を別にしていたが、ちょうど本年度から、学徒達ひとりひとりの多様性と可能性に配慮して、科目別教室性を廃止した共有型編成が実施されることとなっていた。そこでは、魔法学部魔法学科として、5科の学徒達を教室内で混成し、科目横断的な柔軟かつ広範な指導が展開する形に再編されたのだ。この混成体制は初等部のみで、中等部以降は相変わらず専攻科ごとの教室編成となるが、混成教室で学ぶ初等部の学徒達には、中等部進級の折に、学習経験と成績、および本人の希望を総合考慮して進級科を選択できるように制度が改められたのは、実に大きな改革の1つであった。

 また、明日には『制服検討委員会』が開催され、そこで悪名高き学則『8章6節:スカートはできるだけ短くあるべし』はついに改訂されることになっている。また同時に、『全学魔法模擬戦大会』をはじめとする魔法模擬戦で使用される指定制服の諸規定も一新され、早速にして今年10月開催の大会から、新体制が導入されることが予定されていた。

 『天使襲撃事件』として認識されたかつての出来事の後、新議長の下で、アカデミー改革は着々と進められていた。ウィザードがその若さで魔法学部長代行にまで出世できたのも、彼女の実績の他に、改革における旧制度の解体と再編が大きく影響していたことは言うまでもない。

 変化と前進、それは中秋から晩秋を経て初冬へと至る季節の遷移の投影であるかのようでもあった。時間は刻々と、ただ一方向に刻まれていく。

* * *

 それから2日を経た10月初日のある日、初等部混成教室のひとつにおいて、秋の各種行事について説明する学級会が開かれていた。それは、マリクトーンという、新任ではないがまだ若い女性教諭が担任する後期課程の最高学年の教室である。それはフィナ・ブルックリンの教室でもあった。マリクトーン教諭が教壇に立つ。

「はい、みなさん。静かに。ほら、そこ!早く席に着きなさい。」
 その凛とした声が教室内に響き渡る。学徒達はしぶしぶとその声に従っていく。

マリクトーン教諭。若いが将来を嘱望される成長株の一人で、新議長の覚えもよい。

「『みなさんが静かになるまで、何分かかりました』なんてつまらないことを言うつもりはありませんが、少々やんちゃがすぎます。いいですか。来年にはもう中等部に進級する段階なのですから、いい加減に自律ということをおぼえましょう。」
 どうやら学徒達を教室においてきちんと掌握できているようで、彼女の教育手腕は確かなもののようである。

「初等部後期課程最終学年の秋は行事が盛りだくさんです。いうことを聞かない人は参加させませんから、そのつもりでいるように。それでは、まずまもなく開催される『全学魔法模擬戦大会』について、今大会から適用される新しいルールについて説明します。
 これまで、女学徒のみなさんには、残留魔力からくる鬱熱の早期発散を促す意味で、スカートの下にスパッツやショートパンツといったオーバーパンツを身に着けることが禁止されていましたが、今回からそれが解禁されます。また、普段の生活においてもこれらを常時着用することが許されることになりました。ただ、気をつけて欲しいことがありますからよく聞いてください。
 普段の学園生活では、着用する衣類のブランドは問いません。みなさんがアカデミーの外のお店で購入したものでも着て過ごすことができます。ですが、『全学魔法模擬戦大会』をはじめとする各種の魔法模擬戦大会では、公正を期すために、『アカデミー専売所』で販売されているものに着用が限られます。これを守らないと、ペナルティとして最初から30点を失った状態で試合が始まることになりますから、十分に気を付けて準備をしてください。
 もう一度言いますよ。今大会から、スカートの下にオーバーパンツを身に着けてよいことになりましたが、試合に臨むときには『アカデミー専売所』で販売されているもの以外を着ると、ペナルティーを受けます。いいですね?」

 教諭の声が教室内をめぐる。学徒達は、配布された注意事項の用紙に、線を引いたり、書き込みをしたりしながらその教諭の言うことに、めいめい注意を払っていた。

「では次に、みなさんがきっと一番楽しみにしているであろう『初等部修学旅行』についてお伝えします。」

 それを聞いて、教室内が俄かに色めき立つ。全寮制の極めて閉鎖的なアカデミーにおいて、みなで学外活動にでかける、しかもその目的が必ずしも勉学や教練ではなく「旅行」である行事はほぼこれだけであることから、誰しもが心待ちにしているのだ。

「最初に行き先です。今年は『アンタエオ・アイランド』にある『聖天使の墓標』を観光することに決まりました。日程はこれから約1か月後の11月中旬です。準備期間は十分にありますから、各々しっかりと必要なものを揃えるように。詳しくは今配布した、『修学旅行のしおり』を参照してください。今年はみなさんの期待を裏切らない有名ホテルに宿泊することになりました。知っての通り、『アンタエオ・アイランド』は、ここ魔法社会を代表するリゾート観光地の一つです。11月の時期でもプールや海水浴を楽しむことができますから、自由時間にそれらを計画する場合には、特にしっかり備えをしておくとよいでしょう。ただし、海水浴は団体行動になります。班別行動として勝手にはできませんので、その辺りのことについても、しおりにしっかり目を通しておくように。いいですね?」

「はい!」
 学徒達は声を揃えてそう答えた。

「『修学旅行』については別の日に改めて説明会を開きますから、まずは、目前に迫っている『全学魔法模擬戦大会』について、しっかり変更点を確認しておくようにしてください。それでは、何か質問はありますか?」

 特に手が上がる気配はないようだ。

「大丈夫そうですね。それでは、これからの時間は自由時間とします。ただ、あまり大きな声でおしゃべりしないように。また、教室から出てはいけません。私はここにいますから何かあればいつでも来てください。それでは、自由に行動してよろしい。」

 そう言うと、マリクトーン教諭は資料をまとめていたバインダーを閉じて、教室の脇にある教諭用の席に移った。教室内が俄かに騒然となる。特に女学徒たちは、大会と『修学旅行』のためにどこに何を買いに行こうかということで、大いに会話に花を咲かせていた。

* * *

「よう、フィナ。お前はオーバーパンツなんか履いたりしないよな。なんせ、お前のアニキはパンツ大好き変態トマスだからな。その妹がそれを隠したりしたら、おっちんだアニキが草葉の陰で泣いちまうってもんだぜ。あはは。」
 そう言ったのは、ルシアン、ダミアン、アベルの3人組男子の一人で、とりわけ底意地の悪いダミアンだった。

左から、ダミアン、アベル、ルシアンである。いわゆるやんちゃな少年たちだ。

 この3人組は、いわゆる少しばかりやんちゃな集団で、トマスの一件が明るみに出てからは、その妹であるフィナをことあるごとにからかうようになっていた。しかし彼らは、ただの悪童という訳ではなく、名門ソーサラーの嫡出でリーダー格であるルシアンをはじめ、学業成績的には優等生で、ダミアンはネクロマンサーとして、アベルはウォーロックとして、優れた才を発揮していた。いわば、優秀であるがゆえの傲慢が彼らをやんちゃにしている側面があったわけだ。ただ、自分の担任する教え子の学業成績が自己の職務裁定評価に直結するマリクトーンは、彼らの行き過ぎにあえて目をつむっているようなところがあり、彼らの行状は少しずつエスカレートの傾向を見せ始めていた。

 そんなダミアンを一瞥することもなく、フィナは席を立つと、黙ったままで、マリクトーン教諭のところにいった。

「ちっ、変態の妹のくせに気取りやがって…。今に見てろよ。」
 悔しそうなダミアンの捨て台詞が、フィナの背中を見送っている。その一連を透き通る美しいサファイア・ブルーの瞳が見守っていた。

「あの、先生…。」
 絞り出すようにして、フィナはマリクトーン教諭に話しかけた。マリクトーンは手元の資料から彼女の方に視線を移して言った。
「あら、フィナさん。どうしましたか?」
「実は、あの、先生にご相談したいことがありまして。」
「そうでしたか。それは今すぐでないといけませんか?」
 マリクトーンは、そう応じた。

 アカデミーのような社会はトラブルを極端に嫌う。トマスの一件の後、本人にその責がある訳でないとはいえ、問題行動のあった兄を持つ妹という立場におかれたフィナの扱いにマリクトーンは手を焼いていた。そのため、彼女は、傍目にもわかるくらいに明らかに、意図的にフィナとは距離を置いていた。

「いいえ、先生。それほど急ぐわけではありません。…、あの…。」

「そうですか。それでは、この時間で今日は終わりですから、放課後に教員室まで訪ねて来てください。そこでうかがいます。いいですね?」

「はい、先生。ありがとうございます。それでは、放課後に教員室までお伺いします。」

「ええ、そうしてください。」
 そう言うと、マリクトーンは手元の資料に視線を戻して、それきりフィナの方を見やることはなかった。フィナは仕方なく、自分の席に戻って、うつむいたままその時間が終わるのをじっと待っていた。しかし、その瞳にはある決意の色が載っていた。

* * * 

 それから放課後までの時間は、ずいぶん長いものに感じられたが、終礼の鐘がようやくその刻(とき)からフィナを解放してくれた。彼女は唇をきつく結ぶと席を立って、教員棟の1階にある教務員室に駆けて行った。やはりその背をサファイアの瞳が見送っている。

 フィナは教務員室の戸をノックしてからそれを開いた。
「初等部6年のフィナ・ブルックリンです。マリクトーン先生はおいででしょうか?」
 意を決して、入り口から声をかけると、魔法学部初等部の教員たちの席がある方から、マリクトーン自身の声が聞こえた。

「フィナさん。どうぞ。私の席までいらっしゃい。」
 その招きに従って、教務員室に入って行くフィナ。そこにいる誰もが兄トマスのことを知っており、またトマスを直接指導した高等部の教員も席を連ねている。フィナは胸を締め付ける緊張をおぼえながら、左手奥にあるマリクトーンの席に向かった。

「それで、フィナさん。どうしましたか?」
 おもむろにマリクトーンが訊ねた。
「はい、先生。すでに魔法学部長先生からお聞きのこととは思いますが、教室で、兄の形見のローブを身に着けてもよろしいでしょうか?アカデミーの共用スペースでの着用は控えますので、せめて教室内でだけ、何卒ご許可を戴きたいのです。」
 か細い声をなんとか繰り出して、フィナは決意を告げた。

「そのことでしたか…。」
 マリクトーンの瞳が明らかな翳りを見せる。

「確かに、魔法学部長先生からそのことは伺っています。私が許可すれば、ということになっているようですね?」

 フィナは頷いて応えた。その小さな手は震えている。

「あなたも学則は知っているでしょう?」
「はい…。」
「では、許可できません。ましてあなたのお兄さんは…。いえ、それはあなたに直接関係ありませんからいいでしょう。しかし、教室内だけとはいえ、学則違反を特例することはできません。あきらめてください。」
「どうしても、だめでしょうか…。」
「はい、いけません。それを持って来るなとまでは言いませんが、着用を許可することはできません。いいですね?」
「わかりました…。」

 マリクトーンの、実質的な叱責を受けて、フィナはそう返事をした。「わかりました…。」と。しかし、このとき彼女は「はい。」とは応えなかったのである!それが、全ての始まりとなるとは、このときはまだ誰にも知られていなかった。当のフィナさえ、予想だにしていなかったはずである。
 しかし、その「わかりました…。」という決意の宣告は、間違いなく、もう一つの刻の歯車のネジを巻いてしまった。

 フィナは小さく頭を下げたが、マリクトーンは先程同様もはや一瞥もくれなかった。しかし、フィナはそこに来た時よりも幾分か力強く感じられる足取りで、教務員室を後にした。その背を見送るのは、大きなため息一つだった。

 荷物を取りに教室に戻ると、ひとりの少女が声をかけてきた。またか…、失意とともにその声を無視しようとすると、
「お疲れ様。大会、楽しみましょうね。また明日。」
 その声はそれだけ言った。その意外な内容にフィナは内心驚きを禁じ得なかったが、やはり何も言わぬままに荷物をまとめると、そそくさと教室を後にした。先ほど来とおなじくして、その背を、美しいサファイアが見送っている。その瞳は本当に美しく、慈愛と優しさを秋の陽の中に浮かべていた。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その1『兄と妹』完


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