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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その12『いざ、至福の園へ』

 与えられた場で死力を尽くしているのは、なにも戦地へ赴く者達だけはなかった。ネクロマンサー、リアン、カレンの3人は、巨大地震の深刻な影響で瓦解しかかっていたアカデミー看護学部と医療班の再編に全力を傾けている。
 地震の後、上下水道設備が深刻な機能不全を起こし、それが原因で公衆衛生環境は一挙に悪化して、中央市街区及び周辺都市群に疫病が蔓延、今や患者は街の辻々にまであふれるようになっていた。そうした人々は、屋外に立ち込める黒い靄『セト』の呪いに触れることで、猜疑と諦観によって心を蝕まれ、この世界に生きることへの関心をすっかり失いつつあった。
 この事態をわずかでも改善しようと、ネクロマンサーたちは、かろうじて機能を残している看護学部旗下の保健施設と、医療班が管理する診療施設の物理的機能をまず回復させるとともに、残った人材をかきあつめて組織として再起できるように力を尽くしていった。

 物理的に破壊された上下水道設備を復旧させるのには、ネクロマンサーとカレンが行使する、召喚術式を軸とする死霊術が実に役に立った。彼女らが行使するよく統御されたアンデッドの群れは、疲労を知らぬ確かな労働力として機能し、およそ3日の内に、上下水道の物理的機能を回復させて見せた。同様に、彼らの力は、保健施設と診療設備の修復にも大いに役立ち、瞬く間にそれらの施設を再び利用可能にしてくれた。

 集められた人材の中に、医療従事者として確かな成長を遂げた、旧知の頼れる存在としてのリズとハンナの姿があったことは言うに及ぶまい。それぞれ優れた内科と外科の医師である二人と、普段から彼女たちと働きを共にしている医療・看護従事者の協力は実に心強く、ようやくにして、疫病患者や地震の被害者を、アカデミー内に再建された保健・診療施設に収容できるようになり、同時に、ネクロマンサーらの天使の力でそこに大規模な聖域を展開することで、『セト』の呪いの影響から患者の心身を解放し、彼らの心の内に、再び生きる希望の灯が戻ってくるようになっていた。

保険診療施設で患者・被害者の救済のために全力を傾けるネクロマンサーたち。

 残る課題は、水、食料、薬剤、機材といった経済的要素に深くかかわる日々の消費財をどう賄うかということである。保健・診療施設は瞬く間に疫病患者と地震被害者であふれかえったが、彼らを治療し、回復までの間、その生命を維持するために必要不可欠の消費財は、常に不足の状態にあった。

 アカデミー最高評議会の評議員たちは、ウィザードの指示によって金策に奔走したが、一個旅団に相当する『ルビーの騎士団』を兵力・兵站として提供したばかりの『ハルトマン・マギックス』社には、こちらにまわせる余力はもはや残されていない。同規模の企業体である『インディゴ・モース』の『グランデ・アクオス』社については、地震によって同社自身が甚大な被害を被っており、苦難に耐えて自存を図るのが精いっぱいという有様であった。
 その他の有力企業体も、程度の差こそあれ、状況は大体にして同じであり、アカデミーの福祉事業に避ける余力はほとんど残されていなかった。また、『セト』の呪いの影響で、そうした善事への関心が社会的にいよいよ薄らいでいることも、大きく関係していた。

「父に手紙を書くですよ。」
 おもむろにリアンが言った。
「チルズ・アイズルズにある私の実家は、幸い今回の地震と疫病の影響をまだほとんど受けていないのです。ですから、父に助けを請うことにします。カレンには大至急、郵送のために足の速い使い魔か死霊を用意して欲しいのです。」
「リアン、それは構わないですが、本当にいいのですか?だって、あなたとお父様は…。」
「今は悠長にそんなことを言っている時ではないのです。父に頭を下げるのは癪(しゃく)ですが、中央市街地及び周辺大都市群の大企業体が不全である今、地方貴族が経世済民のために、力を貸すのは当然の道理なのです。父は、人格者ではないですが、そうしたことを弁(わきま)える分別は持ち合わせています。とにかく、手紙を書くですよ。」
「リアン…。」

 リアンの実家は、南部都市群の中ではタマン地区を凌ぐチルズ・アイズルズ地区の中心市街地、『チェッカー・ベース』にある屈指の有力貴族で、特別富貴な家柄であった。その資力は桁違いで、多くのソーサラー貴族が何らかの事業体を経営することでその富貴を維持しているのに対し、リアンの家は、所有する広大な土地とそれが産出する多種多様な天然法石がもたらす莫大な収入だけで存分に成り立ち、事業体経営など特段必要としない、稀有な存在であった。異国で言うところの、石油王のようなものである。

 リアンは、その家の嫡出令嬢であったが、父、というより、早逝した生母の後釜におさまった後添えの継母(ままはは)との関係がすこぶる悪く、その場にいるだけで息の詰まる思いをする実家を、徹底的に毛嫌いしていた。同時に、自分の生母のことを忘れ、若い後添えの言うがままにしか振舞わない父親に心底愛層を尽かしていたのだ。だから、彼女が実家と積極的に関わりを持とうとすることはまずありえないことで合った。
 しかし、リアンは、今そうした確執を乗り越えて、父親に助力を請うと言っているのである。

 ものの1時間ほどで、手紙は書きあがった。それは、カレンが呼び出した足の速い死霊に託され、どこまでも暗雲に覆われる不穏な空を駆けて行った。2日とかからず、返事が届く。

 箱舟の改修が終わる見込みの日まであと2日。今のうちに資金を得て、大地震の影響を免れた東の隣国からの物資の輸入体制を整備することができれば、状況を劇的に改善することができるであろう。

 返事の手紙にはただ一言、「かわいいリアン、あまり父さんたちを困らせないでおくれ。とにかくお前の希望をかなえられるように、魔術為替でお前の口座に当座の資金を振り込んでおいた。これを自由に使いなさい。」と記されているだけであった。両者の間の溝は、それほど簡単に埋まるものではないのだということを、その返事は暗示していたが、しかし、リアンの魔術為替を確認してみると、都市の鉄道網を1つまるごと買えるほどの資金が振り込まれていた。

「これで、当面の必要は賄えるです!先生にお願いです。魔法学部長先生にこのことを伝えて、東の隣国との緊急貿易の交渉を始めるように促して欲しいです。最初は、せめて水と食料だけでも確保できれば、御の字なのです。」
 リアンがそう言うと、ネクロマンサーはすぐに中央尖塔の5階にある最高評議会の議場へ駆けて行った。

「あいつを頼るのは、今回が最初で最後なのです。」
「リアン…。」
 そういうと、カレンはリアンの背をやさしく支えた。

 最高評議会によるその後の措置は迅速で、東の隣国との交渉はすぐにはじめられ、その翌日には、早くも水と食料の輸入が決定し、その日のうちに荷の第一陣が出荷させれるという電撃的応答だった。実は、東の隣国はいわゆる斜陽国で、ここ20年ばかり、経済成長は衰えるばかりで、近時では異常な人口減と貧困の蔓延に苦しんでいた。天然の水源に恵まれ、豊かな農業資源にだけは恵まれているその東の隣国にとって、豊富に存する水と食料を魔法社会が自ら進んで買い付けてくれるというのは、まさに渡りに船であったのだ。

 箱舟が完成し、魔王と『セト』との全面対決に至ったとしても、これで、魔法社会を引き続き支えることができるだろう。内なる敵の脅威はいまだ去らず、『北方騎士団』とのにらみ合いもなお続いている。なにより、魔王および『セト』との真正面衝突が、魔法社会に引き続きどれだけの災厄をもたらすことになるのか、それを見通すことのできる者など、誰もいなかったのだ。人材、資金、物資、当面の間の、それらの回転を確保できたことは、実に僥倖(ぎょうこう)であった。

* * *

 ここ『時の波止場』でも、『星天の鳥船』の改修による『超時空の箱舟』の建造が、急ピッチで進められている。黄金色の神秘の波止場は、日夜を問わず人の声が止まず、せわしない往来と工事の喧騒が絶えることなく続いていた。キースとライオットもまた死力を尽くし、リセーナとパンツェ・ロッティ人形もまた、その艤装(ぎそう)のみならず、内燃機関や燃料、操舵機構などの構築の為に奔走してる。

 改修と建造が始まってから、明日でちょうど7日になる。船体自体と各種の艤装に十分な強度をもたせることと、複雑で神秘を極める超時空航行のための動力・燃料・操舵機構の実現することにはずいぶんと骨が折れたが、それでも、ブレンダや波止場の技術者たちの惜しみない協力を得たことで、漆黒の虚空に満点の星空を浮かべる神秘の波止場には、その箱舟の威容がついに姿を現していた。

遂に、ほぼ完成を見るに至った『超時空の箱舟』。

 今は、その場にいる者達の総力を結集した、最終調整が行われている。

「ライオット、お前もう3日ばかり寝ずの召喚を続けているだろう?大丈夫なのか?」
「アニキこそ、錬金のしっぱなしで、キリギリスみたいに痩せてるでやんす。まともに飯を食ってないんでやんしょ?空腹は体力を奪うだけでなく、頭の冴えと術式の切れを鈍らせやすから、ちゃんと食うでやんす。」
「そうは言っても時間が勿体ないだろう。あと少しで完成なんだ…。」
「だからでやんす。こんなときほど体調は万全にしないといけないでやんすよ。とにかくおいらと一緒に、波止場の奥の飯屋に行くでやんす。」

「確かに、お前の言うことには一理あるな。じゃあ、俺が飯を食ったら、お前は少し仮眠をとると約束できるか?眠らないのだって十分に身体と頭に悪いんだ。」
 諫めるようにキースが言った。
「わかったっすよ。約束するでやんす。」
「よし、いい心がけだ。もうすぐ午後の2時を回る。昼飯時をすぎて少し経つから、人混みに悩まされずに飯を食えるだろう。行くぞ。」
「へい。」
 そう言うと、二人は作業の持ち場を一時離れて、波止場の脇にある屋台に向かった。

 不眠不休の突貫工事が始まって以降、この波止場を照らすはちみつ色の魔法光が翳(かげ)ることはない。船の発着の有無にかかわらず、常に港全体が、黄金色の輝きをたたえていた。

 屋台で、適当な食べ物と飲み物を注文すると、キースとライオットは店先に置かれているテーブルについた。屋台の給仕が、そこに注文の品々を運んでくる。

昼下がり、波止場の脇の奥まった通路に立ち並ぶ屋台で束の間の休息をとるキースとライオット。

「うまい、とも言い難いでやすが、とにかく腹は満てるでやんす。まずは、しっかり食って、力を取り戻すでやんす。」
 脂っぽい屋台の料理を口に放り込みながらライオットが言った。
「気を遣わせて悪かった、ライオット。お前も疲れてるのにな。」
「何言うでやすか、お互いさまでやんす。」
 ライオットはいつものように元気で陽気だ。
「それにしても、トマスの一件以来、ずいぶん遠くまで来たような、そんな気がするな。」
「で、やんすね。まさか時空を翔けたり、精神の檻に閉じ込められたりすることがあるなんて、考えてもみなかったでやんす。」
「まったくだ。ここ最近、本当に驚くことばかりが続く。」
「そして、ついに今度は魔王と邪神の復活と来たでやんすよ。その後には、神様でも出て来るんでやんすかね?」
「神様か…。トマスを思い出すな。」
「で、やすね。」
 二人の脳裏に、追憶の彼方の懐かしい人物の像がよみがえった。

「なぁ、ライオット。」
「なんでやんす。」
「この一件が一段落したら、どこか遠くに旅行にでも行かないか?」
「いいでやんすね。あっしは食い物が上手くて色んな風呂があるという東に行ってみたいでやすよ。」

「うまい飯に、風呂か。似たようなことは『ケトル・セラー』でもできるし、また、あそこはトマスの思い出の地でもあるが、聞くところでは『北方騎士団』の、事もあろうに本体の侵攻をまともに受けたらしい。街はほとんど壊滅だそうだ。」

「スカッチェもやられたらしいっすね…」
「ああ、そう聞いている。本当にこれからどうなるんだろうな…。」

「まあ、アニキ。考えても仕方ないっすよ。今はただ、おいらたちにできることをひたすらすだけっす!」
「そうだな…。」
「それじゃあ、善は急げでやんす。こいつらをさっさと胃袋に押し込んで、作業に戻るでやんす!」
「いや、駄目だ!」
 急に声のトーンを厳しくするキース。

「なんででやんすか?」
「お前は、少し仮眠をとるのが約束だろ?」
「そんな、もう大丈夫でやんすよ。」
「いや、駄目だ。とにかく少しでいいから寝ろ。」

「わかったでやんす。じゃあ、アニキの言うことを聞くっすから、作業場までおぶっていって欲しいでやんす。その間に眠るでやんすよ。」
「馬鹿をいうな!そんな恥ずかしいことができるか!」
「何を照れてるでやんすか。そもそも兄貴が言い出したことでやんす。」
「わかったよ、しょうがないな。今回だけだからな。」

 残った食事を喉に押し込むと、キースは席を立って、その場にかがんでやった。
「アニキ、ありがとうでやんす。」
 ライオットは嬉しそうに、その背に身を預けた。

波止場まで、ライオットを背負っていってやるキース。

「キース号、出発でやんすー!」
 キースの背の上で、片腕を突き出し、号令をかけるライオット。
「馬鹿!でけぇ声を出すんじゃねえよ。」
「へへ、面目ねぇでやんす。」
「じゃあ、いくぞ。落ちるなよ。」
「がってんでやんす。」
 そうして歩き始めると、よほど疲れていたのだろう、数分の内にキースの背の上で、ライオットはすうすうと寝息を立て始めた。波止場までまっすぐ歩いたのでは、5分やそこらでたどり着いてしまう。せっかく銀の砂に囚われたライオットを、いくらか休ませてやるべく、キースはその小さな身体を背負ったまま、1時間半あまり港を散策した。

 神秘の港に、ゆっくりと陽が落ちる。その間にも『箱舟』建造の音はやむことなく、また波止場には、ひっきりなしに時空を翔ける船が離発着していた。美しい少女のようななりの少年を背負ったまま、キースはどうにも不思議な心持で、その景色の中を巡っていく。
 地平に落ちる陽光が、港全体を包むはちみつ色の魔法光を一層輝かせる。ライオットはその光の中で、やすらかな寝息を立てていた。

* * *

 ライオットを背負ったまま、キースが『箱舟』を係留する波止場に戻った時、時刻はもう夕方4時を回ろうとしていた。何としても明日までには船の調整を終えてしまわなければならない。
 そう思いながら、『箱舟』に近づいて行くと、あたりが俄かに騒然としている。何事かと思い近づこうとすると、ライオットが目を覚ました。

「アニキ、申し訳ねえでやんす。すっかり寝ちまいました。もしかしてずっとおぶっててくれたでやんすか?」
「ああ、まあな。それより、『箱舟』で何かがあったようだ。船内がずいぶんと騒がしい。俺たちも行ってみようぜ!」
「へい、でやんす。」
 キースは、ライオットをそっと背から下ろすと、波止場の切っ先に係留されるその巨大な『箱舟』の中に揃って入って行った。内燃機関、燃料注入、操舵機構の準備もずいぶん進んでいる。今後の一番の緊張と言えば、神秘の燃料を満載した『箱舟』の主機と、それらをとりまく4基の補機がうまく連動してくれるか、ということであった。

「動力関係のトラブルじゃないとよいでやんすが…。」
 心配そうに言うライオットに、キースが言った。
「いや、どうやら、技術的な問題ではないようだぜ。というより誰か客人が来たようだ。ロビーの方みたいだ。行ってみようぜ!」
「へい、でやす。」

 そう言ってふたりが船内に広がるロビー・スペースに足を運ぶと、案の定、ウォーロックとエバンデス婦人が、アッキーナとフィナを連れ立って乗船していた。リセーナとパンツェ人形がその一行を出迎えている。

「よく来たな。なんとか明日の出航には間に合いそうである。」
 パンツェ人形が言った。

「動力の起動実験さえ成功すれば、という条件がありますけどね。それでもあらかたの準備は整いました。みなさんの方も、ご準備が整われたようで?」
「はい。あとは、フィナの『天使化:Angelize』と『熾天使化:Seraphimation』を促すばかりです。天使の卵を、一気に『熾天使』まで覚醒させますから、相当の負担を強いる可能性があるのが心配ですが、彼女は魔王に支配されたルイーザを救い出すための、間違いなく最後の鍵になる存在です。だから、なんとしても力に目覚めてもらう必要があるんです。」
 そう言ったのはウォーロックだ。実は、ウォーロック達が『アーカム』を閉じて出かけてから実に6日を経ていたが、ウォーロックとエバンデス婦人は、魔王と『セト』に確実に対抗できるよう、ウォーロックの力を拡張するための特別の契約の儀式に臨んでいたのだ。既に失われた太古の契約に基づく複数の儀式を遂行するには思いのほか時間を要し、結局全てが終わってここに足を運べるようになるまでに、それだけの日程を要したのであった。それ故に、肝心かなめのフィナの覚醒に後れを生じていた。

「なるほど、君は『魂の座』に『神』を直接宿す準備をしてきたようであるな。キューラリオンと共に、小さな神の名を持つ者が二人そろったわけだ。君とキューラリオンの力に2柱のサンダルフォンの力を加えれば、魔王と『セト』の双方と渡り合うことができるであろう。しかし、もともとが『神』の代理人であるキューラリオンはともかく、君はその座に誰を宿すつもりなのだ?戦力という意味では、キューラリオンを宿すわけにはいかまいて…。」
 パンツェ人形は、何やら不思議なことを話したが、その意味がウォーロックとエバンデス婦人にはわかるようであった。
 意を決して、ウォーロックが言う。

「ロッティ教授、この座にはあなたに座していただきます。」
 それを聞いて、パンツェ・ロッティと、とりわけその妻であるリセーナは動揺を隠さなかった。ウォーロックの神性の力を具現化するためには、彼女の魂の座に、神の神性を直接宿らせる必要がある。太古の儀式を経て、その『魂の座』の準備はすでに整っていた。しかし、戦力を縮小せずに、つまりメタトロンの力を2柱保ったままでいるためには、キューラリオンをその座につかせるわけにはいかないのだ。となると、もう1柱、別の神格が要るということになる。そこで、彼女は『為神』であるパンツェ・ロッティに、その座を明け渡すとそう言っているのだ。
 しかし、リセーナが大いに動揺したように、それは、少なくとも魂の残滓として今存在しているパンツェ・ロッティとの、永遠の別れとなることを意味していた。

 その場をしばしの沈黙が覆う。俄かに駆けつけて来て、偶然断片的に話を聞いただけのキースとライオットは何のことやらさっぱりわからず途方にくれていた。

 しばらくして、その沈黙をパンツェ・ロッティがかつて聞いたことのなる神々しい声で破って言った。

「よかろう。この残滓に宿るかつての神格が君の助けになると言うのならば、躊躇(ためらう)ことはない。我が神性をその『魂の座』に宿すがよい。」
「あなた!!」
 いくばくか涙の染みた声でリセーナが言う。パンツェ・ロッティは静かにそれに応えた。

「我が最愛のリセーナよ。悲しむことはない。そもそも私が今なおこうしていることが神性の摂理に反するのだ。何らかの形で、それはもう一度、解放と終焉を迎えねばならぬ。来るべき時の為に、君の傍にいたいのは言うまでもない。しかし、今愛の火が潰えては、その将来すら暗雲に喰われることとなるだろう。君と、やがて訪れる未来の希望を守るために、私は旅立つことにする。本当に、君には申し訳のないことばかりをして悲しませてしまうな…。この愚かな夫をどうか許して欲しい。だが、リセーナ、君とこの愛を紡げたことは、この私の生涯における最大の慰めであった。心底から感謝している。また、君に会えるよう、運命の糸を紡いでくれたキューラリオン、君にも謝罪と感謝を改めて述べねばならない。君たち二人は、交わり方こそ違えど、わが生涯の極致である。君たちに、とりわけリセーナ、君に出会えて、本当に良かった。ありがとう。後を頼む。」
 神々しい響きを伴なうその声にも、涙の色が載っていた。

 突然の来訪者がもたらした突然の決別の時。だが、かつて自己の全身全霊をその愛に注いだリセーナもまた、覚悟を新たにしていた。

「あなた…。以前にも申し上げた通り、私の全てはあなたです。あなたの願いをかなえることこそ、私の喜び、私の至福です。あなたを再び失うこともまた運命と受け容れましょう。きっとあなたの残してくださったものをこの手で守ってみせますわ。」
 決意を、涙でそう語るリセーナの背を、キューラリオンが優しく支える。

「我が妻に至上の幸福と希望を。どうか、キューラリオン、導いてくれ。」
 キューラリオンは美しい瞳をまっすぐにむけて、それに優しく応えた。

「我が夫が、大望と責任を見事、果たさんことを。それがきっと、未来への道標を成すのですから。」
 その言葉には、ウォーロックがしっかりと頷いて応える。
「あのとき、ただ一人私を気遣い、止めようとしてくれた優しいあなたに、この人を託せることを嬉しく思います。どうか、未来を切り開き、守ってください。」
 そう言うと、リセーナは、手にしていたパンツェ・ロッティ人形をウォーロックに差し出した。その人形に備え付けられた『愛の欠片』は純真無垢な光を煌々(こうこう)と輝かせている。

「必ずや、教授と共に未来を紡ぎ出して帰って来ると、きっと約束いたします。」
 そう言うと、ウォーロックはパンツェの『愛の欠片』を、人形ごとペンダントトップに取り付けて、それを固定した。

 リセーナの美しい黄金色の瞳が、涙の中で美しい光をたたえている。

* * *

「では、残る準備は『箱舟』の最終調整と、フィナさんの覚醒だけですね。」
 キューラリオンが言った。

「『箱舟』の方はもう少し時間を要します。少なくとも明日の未明くらいまではかかるでしょう。ですから、まずはフィナさんの覚醒を急いでください。私どもも最善を尽くして、『箱舟』の完成を急ぎます。そのために、彼らは実に心強い存在です。」
 リセーナは、そう言ってキースとライオットの方を、みなが見るように促した。二人の少年は面はゆい表情をしている。

「本当にありがとう。あなたたちのような若い世代の新しい力が、希望の光を灯してくれることは本当に心強いことです。ひとりひとりの想いが、きっと力強い撚糸となって、運命を望ましい方向に牽引してくれるでしょう。それを信じて、どうか、力を貸してください。」
 エバンデス婦人が二人に言った。
「もちろんです。」
「もとよりっす!」
 二つの希望の光がその灯(ともしび)を大きくして答える。婦人は満足の表情で、いつものようにその美しい瞳を細めた。

「では、フィナさんの為に、一等客室をお借りします。」
 そう言うと、婦人は、ロビーの奥にあるそこにアッキーナとフィナを連れて行った。ウォーロックはこの場に残るようである。

 心配されたフィナの『天使化:Angelize』と『熾天使化:Seraphimation』の同時進行であったが、ルイーザを救いたいというフィナの純粋かつ確固たる思いが、『ライゼン・モア』の魔力も借りて、それらはつつがなく終了した。

 第一段階の『天使化:Angelize』によって現れたのは、天使化したアッキーナにそっくりの穏やかな姿で、人々の願いと祈りを『神』に届けると言う『サンダルフォンの竪琴』を携えていた。

無事に『天使化:Angelize』を終えたフィナこと天使サンダルフォン。
人々の願いと祈りを『神』に届けるという神秘の竪琴。

 その後、暇(いとま)を開けず、ただちに、アッキーナの促しを契機として『熾天使化:Seraphimation』の儀式が執り行われた。これもまた、特段の問題はなく、彼女はルイーザに対する自身の想いと力をしっかりと制御して見せた。今、背に美しい2枚3対計6枚の光り輝く翼をたたえた大天使サンダルフォンが姿を現す。

ルイーザへの想いに絡めとられ底に沈むことなく、それを克己して力を得た大天使サンダルフォン。フィナの決意は本物のようだ。

 その姿は、天使の時とは対照的に、かつて『ライゼン・モア』であったものを核とした光の剣を手にしており、その内心に燃える決意と力を象徴的に物語っていた。
 実は、この『熾天使化:Seraphimation』の過程において、婦人とアッキーナは、ルイーザに対する強すぎる恋慕と執着の情を制御しきれずにフィナが『堕天』するかもしれないことを密かに恐れていたが、それは全くの杞憂だったようである。彼女は実によく自身の内の戸惑いと思慕の念を克己して、見事に熾天使に昇華してみせたのだ。これで、『至福の園』に旅立つ準備は、いよいよ『超時空の箱舟』の起動試験を残すばかりということになった。

 時刻はすでに、日付の境界を静かに跨ごうとしている。

* * *

 リセーナを筆頭に、キース、ライオットを始め、ブレンダと彼女の率いる波止場の職人たちが、せわしなく最後の調整に精を出していた。リセーナは閻魔帳を繰り返し見直しては、特に最大の難題である主機と補機の連携について、接続と設定に誤りがないことを幾度も確認していった。優れた錬金術師であるキースは、今日までのリセーナとの連携によって、『超時空の箱舟』の構造を熟知するに至っており、今ではリセーナの心強い片腕となっていた。起動試験の為に使用する操作コンソールは既に起動して、指示を待ちながら、自己診断をせわしなく行っていた。

『箱舟』制御用の巨大な操作コンソール。実態は、下部の魔法陣状に浮かぶ人型の表象であり、そこから、中央の主機とその脇の4つの補機を制御する仕組みとなっている。

 そのコンソールは、床面に構成された歯車上の領域の中央に魔法光を称える魔法陣で構成されていて、そこに浮遊する人型の表象に働きかけることで、『箱舟』を操船できる構造になっていた。その人型の表象は、そこから少し離れたところに、超大型の魔法ガラスで遮られる形で、中央の巨大な人型から成る1基の主機と、その脇を取り囲む4基の補機とに接続されていた。
 通常の時空航行のためには周囲の補機を用いるが、時空の果ての更にその先に位置する『至福の園』に至るには、主機と補機とを連動させて用いなければならないのである。しかし、それは実に大変な難事で、使用する動力機関も燃料もそれぞれに全く異なることもあって、製造に携わった者達はみな、その連携についての懸念に常に憑りつかれていた。主機はもちろんのこと、補機4機のもつ魔法エネルギーは力も量も尋常なものではない。それを主機のもつ驚異的な魔法エネルギーに接続する際、その過程に失敗があれば、時空の彼方を前にして、『箱舟』は膨大なエネルギーの暴走によって胡散霧消して終わりなのだ。時空を経て現世と隔絶された『創造主の隠れ家』は、それほどまで厳格に、こちら側と隔てられているのである。

 その場に、俄かに緊張が走るのがわかる。もちろんこの連動実験は、実験段階に失敗したとしても、もたらされる結果は結局同じなのだ。万一の事態を引き起こせば、この神秘の波止場の一帯が、時空ごと消滅して終わりである。そうなれば、これまでの準備も、アカデミーのみなの努力も、すべてが灰燼に帰すことになってします。そのことが分かっているからこそ、面々の表情が実に鋭いものになった。
 そして、いよいよその時が来る!

* * *

 管理コンソールから声が響く。
「ワレは『超時空ノ箱舟』ノ管制ナリ。主機ト補機ニ対スル個別ノ起動指示ヲ確認。現在、ソレゾレニ対スル起動後自己診断試験ヲ実行中。…、…、第一補機、燃料充填完了、正常ニ稼働中。第二補機、燃料充填完了、区動圧ガワズカニ正常値ヲ超過。不安定稼働ノ危険アリ。至急点検サレタシ。第三補機、燃料充填完了、異常発熱ヲ検知、三番補機再起動。第四補機、燃料充填完了、正常ニ稼働中。主機トノ接続良好ヲ確認。…、…、主機起動、燃料充填ヲ確認、第四補機トノ接続良好、現在一番カラ三番補機トノ仮接続試験ヲ再試行中、…、…、…、一番、二番補機トノ接続ヲ確認。接続状態良好。…、…、三番補機ヲ再起動、再起動中ノ温度ハ正常、再起動ノ完了マデハ約50秒。…、…、三番補機、再度異常発熱ヲ確認。再度再起動ヲ強行スル。…、…、三番補機、再起動中ニエラー発生、再起動シーケンスヲ中止スル。三番補機、待機モード二移行。主機トノ接続試験ハ一時的停止。」

 リセーナたちの困難を象徴するかのように、それはなかなか旅路を完全には整えてくれなかった。

「リセーナさん、もう一度三番補機の調整をしてきます。併せて念のために二番補機も見てきますから、適宜指示をください。」
 そう言うと、キースは地下通路を通って、補機がそびえる場所にライオットを連れて移動した。それは主機を含めると20メートル近い巨大な構造体で、三番補機の制御システムの場所に至るだけで、ずいぶんな骨折りだった。
 キースは、ライオットに死霊を召喚させ、その大きな機構の全体を確認させる。死霊たちの目を通して集められる情報をつぶさにライオットが整理してそれをキースに伝えた。

「アニキ、どうやら第37番モジュールから第79番モジュールまでの一連のスタックがまるごと接触不良の様でやんす。」
「端子の現状が分かるか?場合によっては部分的に造り直しになるかもな。」
 そう言うとライオットは、死霊の瞳が捉えた情景をそのまま映像的な形でキースに見せた。
「第51番から第62番までが過剰圧力で端子が焼けている。これが原因だな。予備部品はあるから、急ぎ交換しよう。頼めるか?」

「がってんでやんす!」
 そう言うと、ライオットは物理干渉も可能な実体的死霊を幾匹か駆使して、キースが用意したカートリッジ状の端子部品を順に次々と交換していった。その様子を見守る少年二人。そこに、リセーナから連絡が入った。

「こちらでも様子を確認していますが、幸い過剰圧力で焼けたのは端子部分だけで、主機版とその冷却機構に損傷はないようです。接触不良による発熱が原因と判断してまず間違いないでしょうね。そのまま作業を進めてください。」
「わかりました。」
 それから、30分ほどをかけて、損傷を来していた全モジュールの端子部品の交換が完了する。ふとライオットが言った。
「アニキ、再起動する前に、念のため先ほどのモジュール群を管理している水晶発振子の状態を確認するでやんすよ。もしかすると、その設定値がオーバー・クロックになってるのかもしれないでやんす。念には念でやんすよ。」
「確かにそれは一理あるな。水晶発振子の値は管理基板から確認できるはずだ。」
 そう言うと、キースは、管理基板の端子にモニターを接続して、その値を確認した。

「お前は本当に頼りになるな。当たりだ。2048とすべきところが、2096となっている。わずかな差だが、あれだけの数のモジュール・スタックだ。1つ1つにとっては微量でも、全体となった時に発熱に深刻な影響が出ることは、間違いない。お手柄だ。」
 そのキースの言葉に、ライオットは照れて見せた。そう言って設定値を直すと、それを念入りに何度も確認するキース。

 二番補機についても確認したが、幸いにして三番補機に見られたような大きな問題は確認されなかった。管理コンソールの自己診断の通り、今は正常に稼働していると判断していいだろう。二番補機についてのあらゆる設定値を何度も何度も見直しながら、キースはその判断に対する確信を強めっていった。

「リセーナさん、もう大丈夫のはずです。問題の原因は抜本的に修正しました。時間もすっかり押してしまっています。三番補機を再起動してください。」
 キースがそう告げると、リセーナはすぐに三番補機に再び火を入れた。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その12『いざ、至福の園へ』完


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