AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第3集その2『決意と逡巡と』
翌朝、フィールド・インに駐留する敵兵力はなおも不気味な静けさを保っており、クリーパー橋に設置されたアカデミー側の最終防衛ラインから少し距離をおいて相互ににらみ合う状況が続いていた。臨戦態勢を解くではないが、しかし仕掛けてくる様子もまたなく、両軍の間には鋭い緊張が張り巡らされていた。タマン地区を攻略して後、一気に挟撃を仕掛けてくるつもりなのか、ウィザードたち防衛側の参謀たちは敵軍の真意を測りかねていた。
一方で、南部の要衝タマン地区では、早朝からついに両軍の衝突が始まった。『トレス・レヴォルティオニス』率いる機械化された人為の兵団は、恐怖や猛りといった人間的感情を持たない一個の金属の塊であるかのように、統率の取れたやりかたで南北のちょうど中央部に敷かれた防衛戦に対して果敢に攻撃を仕掛けてきたのだ。
数の上ではほぼ拮抗しているが、やはり魔法が通用しないという事実は防衛側を窮地に追いやっていた。かろうじて、術士団が駆使する錬金銃砲の法弾こそ抑止的効果を発揮するものの、増援として派遣された『常設魔法国防部隊』による攻撃は全くというわけでこそないが、ほとんど有効性を見いだせずにいた。防衛線はかろうじて維持されてはいたが、しかし、このままではジリ貧になることは明らかであった。『連合術士隊』もまた奮闘し、果敢に前線で応戦したが、その損耗は激しく、正午前には大部分が後退を余儀なくされた。タマン地区の最北部地区であるウーナ地区に開設された野戦病院には、重症患者が次々と運び込まれてきていた。そこには見知った懐かしい人物の姿もあった。
それは、リズとハンナである。彼女たちはともに高等部進学を期に魔法学部から看護学部に転籍して、魔法医療従事者としてのキャリアを着実に積んでいた。今ではアカデミーのエリート部隊である『アカデミー遺体回収特務班』のメンバーとして、特に今作戦では、開設された野戦病院のスタッフとして辣腕を振るっている。
「ハンナ、要処置最優先者が2名搬送されてくるわ。すぐに手術の用意を!」
「ええ、心得ているわ。搬入され次第執刀します。麻酔等必要な薬剤をすぐに準備して!」
「もちろんよ。まかせておいて。」
心強いやり取りが現場でなされている。ハンナは『ケレンドゥスの毒』の依存を見事克服し、今では極めて優れた魔法外科の医師として活躍している。リズもまた、魔法医師の資格を得て、彼女とともに多くの生命を救っていた。かつて大きな遺恨を抱えていた彼女たちの間に、本物の連帯と信頼の絆が築かれたことには、人の縁(よすが)の妙を見る思いである。南部防衛戦線から搬送されてきた術士団所属の重傷患者について、リズがバイタルを確認して手早く麻酔を施すとともに、ハンナが適切・迅速な手術を行っている。こうしてまたひとつの生命が救われるのだ。慌ただしい喧騒の中で、確実に救命措置が講じられていく。
* * *
錬金銃砲の効果を了知した作戦参謀本部では、より効果を高めるために、使用法弾を『白銀の法弾』から『徹甲法弾』に変更する方針を決定し、直ちに南部への輸送を開始した。その補給物資第一陣は、昼前には南部防衛戦線に到達し、術士団は直ちに使用法弾を変更した。セリアンのその慧眼は見事なもので、午前中は侵攻を抑制するのが精一杯であった防衛戦線は息を吹き返し、徐々にではあるが敵勢力の撃退に成功し始め、勢力的には均衡を取り戻しつつあった。『連合術士隊』も直接武具による白兵戦をやめ、錬金銃砲による応戦へと切り替えたが、それは奏功したようで、午後2時過ぎ頃には、敵の攻撃の第1波を退け、後退させることに成功した。とはいえ、防衛側が被った被害は甚大であり、兵士たちはみな疲労困憊であった。
早朝からの喧騒がようやく一段落をみたときには、時計の針はすでに午後3時を回ろうとしていた。実に、『白銀の銃砲部隊』2個中隊のうち1小中隊と『連合術士隊』2個小隊のほぼすべてが壊滅という有り様で、同じ規模の攻撃が繰り返された場合に再度防衛できるかどうかは厳しい局面となっていた。司令部は急遽、多数の錬金銃砲を南部防衛戦線に支給し、『常設魔法国防部隊』にもその装備による攻撃に従事させる方針を採択した。幸い、機材と弾薬を豊富に供給することは可能であったが、錬金銃砲の取扱いに関する練度という点では甚だ心もとないところがあった。しかし、満足に通用しない魔法を駆使するよりは遥かに効果が期待できるであろうという、そんな目論見による作戦の変更であった。
夕方に、再度敵の小規模な突撃があった。司令部の作戦変更には一定の効果が認められ、防御側はこれも退けることができたが、やはり、魔法使いによる銃砲攻撃の練度には大いに問題があり、相対的には攻撃効果よりも損耗のほうが激しい状況を呈していた。多くの人員が次々と北部の野戦病院に送られていく。これ以上は増援なしには耐え難いというというところまで追い込まれていた。
時刻は午後7時を回っていた。敵方はオッテン・ドット地区からの増援を待っているのか、その日はそれ以上の攻勢をかけてくることはなかった。しかし防御側もまた、これ以上の攻撃には耐えられる状況にないというのが実情であった。戦場での夜が更けていく。作戦参謀本部としては、東部防衛に回した部隊の一部を南部に振り向けたいところではあったが、東部を手薄にすることもできないため、頭を抱えている。『魔法使い緊急即応部隊』の派遣準備こそ整ってはいたが、魔法の効果が薄いことが明々白々となりつつある中、魔法使いの一隊を南部に送ったとしてどの程度の戦果を見込めるかという深刻な問題があった。少なくとも、魔法を有効的に行使できるようにするための、何らかの戦術の開発がまず求められていた。
更け行く初夏の風は、雨季のはじめを思わせる不快な湿気を含んでおり、それが首脳陣に嫌な汗をかかせていた。現場では、明日の攻撃をどう凌ぐか、そのことが盛んに軍議にかけられていたが、攻撃効果の薄さと数の絶対的不足という深刻な問題が、彼らの頭上に重くのしかかっていた。ゆっくり、ゆっくりと夜が更けていく。
* * *
夜半、アカデミー最高評議会の議場では、ウィザードとダリアン、セリアンが学徒出陣に踏み切るかどうかで議論を交わしていた。その様子をソーサラー、ネクロマンサーとユイアが見守っている。
「南部防衛戦が一進一退ですが、じわじわと追い詰められつつあります。幸い、徹甲法弾を軸にした錬金銃砲には確かな効果があることがわかってきましたから、『熟練:Adept』以上の学徒を、まずは術士を中心にして動員し、防御線を数の上で強化しましょう。」
戦略地図を眺めながら、ダリアンが提案する。
「学徒出陣は本来あるべきではありませんが、ここで防衛戦が瓦解することは何としても避けなければなりません。私も参謀顧問に賛同します。」
やむ方なしという調子でセリアンも同意する。ウィザードだけが険しい顔をしていた。
「先生、ここはご決断を。明日の朝までには増援を回さなければ、防衛線が突破されかねません。」
決断を迫るダリアン。
「…。」
ウィザードは、意を決しかねていた。
その時だった。おもむろにユイアが声を発した。
「お願いがあります。少しの間で良いので、私と教授を2人だけにしてください。」
思いがけないその申し出に、みなユイアの方を見た。
「ユイア君、ここは君が口を出すところではない。控えてい給え。」
ウィザードは厳しい調子で一蹴しようとしたが、ユイアは真剣そのものだ。
「いいえ、譲れません。お願いです。教授と話をさせてください。」
その声色を聞いて、ダリアンたちが先に譲った。
「先生、彼女の話を聞いてあげてください。私は副官とともに他にできることがないか向こうで再検討してきます。しばらく休憩としましょう。」
そう言うとセリアンを連れて、評議場を後にした。ネクロマンサーとソーサラーもそれに続く。議場にはウィザードとユイアだけが残された。
「ユイア君、分を弁え給え。」
ウィーザードはなおも厳しい姿勢を崩さない。だがユイアも負けてはいないようだ。
「あら、私たちに分なんてあるの?今はユイアではないわ。私よ。私を見て。」
そう言って、ユイア、いやウォーロックはウィザードの瞳をまっすぐに見つめた。
「な、なんだよ。ったく、しょうがねぇな。わかったよ。話を聞くよ。で、どうしろというんだ?」
観念したように言うウィザード。
「教授、私に禁忌術式の使用命令付き使用許可を出してちょうだい。」
それを聞いてウィザードの茜色の瞳がこれ以上ないくらいに大きく丸くなる。
「あんた、自分の言っていることの意味が分かっているのか?」
「ええ、もちろんよ。要するに、クリーパー橋に配備している兵力を南部に回すことができれば、当面の防備は盤石なわけでしょ?」
「それは確かにそうだが、だからと言って東を丸裸にはできないんだぜ。」
「もちろんよ。東の敵勢力を殲滅できればいいわけよね。なら、禁忌術式を使わない手はないでしょ?」
ウォーロックもまた、まっすぐにその茜色の瞳を見つめる。
「しかし、相手は大隊規模だ。少なく見積もっても1000はいる。禁忌術式を使うという事は、そいつらをあんた一人で相手にしなきゃならないってことだぜ。いくらあんたが破格にバカ強いといっても無茶が過ぎる。しかも禁忌術式といってみたところで、魔法が効く保証はどこにもないんだ。」
ウィザードは動揺に震えている。
「ねぇ、私が考えなしにこんなことをあなたに頼むと思う?」
彼女を落ち着かせるように声のトーンを落として言うウォーロック。さまざまな想いを巡らせながらも、何かを断ち切るようにしてウィザードは首を横に振って言った。
「駄目だ、許可できない。むざむざあんたを死地に送るようなことはあたしにはできないよ。確かに、あんたならやってのけるかもしれない。でも、いくらなんでも危険すぎる。駄目だ。許可はできない。」
「そう…。とにかく時間がないわ。もう少しだけ考えてちょうだい。」
そう言って、ウォーロックも議場を後にした。残されたウィザードはうなだれながらも必死に思いを巡らせていた。
初夏の夜は、刻一刻と決断の時を迫って来る。ダリアンたちがノックをしたが、
「すみません。すぐにお呼びしますから、しばらくもう少しだけ一人にしておいてください。」
そう言って、ウィザードは椅子に腰を下ろした。
* * *
彼女は、テーブルに両肘をつき、組んだ両手を額に当てて祈るような姿勢でじっと考え込んでいる。その美しい唇がか細い声を紡ぎ出した。
「なぁ、教授。あんたならこんな時どうする?あいつのいうことはもっともだ。あいつの力ならきっと殲滅をやってのけるだろう。けれど相手はおぞましい機械化兵の大軍だ。そこにむざむざ送り出すなんて、あたしが引導を渡すも同じだぜ。そんなことできねぇよ。いったい、どうすりゃいいんだ…。なぁ、あんたなら、もし、あんたが今ここにいたらどうするよ?教えてくれよ、頼むよ、教授。」
その時、聞き覚えのある声が脳裏にこだまするような気がした。
「君たちの友愛の深さというのはその程度だったのかね?相手の想いを、自分の心を、もっとまっすぐに信じてみるがよかろう。彼女は、君は、あのとき見事に愛を紡いだではないか?なぜ、今回それができないと思うのか。信じた先に、道はきっと開かれるだろう。思い定めた道を行き給え!」
「教授!」
ハッとしてあたりを見回すが、そこにはがらんどうの議事堂が広がっているだけだった。その声は、今は亡きパンツェ・ロッティ教授のもののように思えた。決断を迫られる教え子の背を押しに来たのか、その声は、今まで聞いたことのない温かみをそなえているように思えた。ほんの一瞬、夢を見ていたのだろうか?そんな不確かさを抱えながらも、しかしその茜色の瞳は、確固たる決意の色を輝かせていた。
「信じた先に、道が開かれる、か…。」
「お待たせしました。皆さま、お入りください。ユイア君、君も入り給え。」
その声に導かれて、ダリアンとセリアン、そしてネクロマンサー、ソーサラー、ユイアが議事堂に入って来る。各々が所定の位置に着いたところで、ウィザードはその決意を述べた。
「今日の時点では学徒出陣は見送ります。もちろん、そう長く持つわけではありませんから、準備は引き続き進めます。」
「では、具体的に、どのように南を防備しますか?」
ダリアンはあくまで冷静だ。
「今晩中に、クリーパー橋に駐留する全部隊を『漆黒の渡鴉』の精鋭部隊を含めて南部に派遣します。これにより南部戦線は相当に強固になるでしょう。」
ウィザードは言った。
「それはよいのですが、しかし東の防備はどうなさいますか?」
ダリアンが問う。
「それについては、秘策があります。ユイア君!」
その言葉に従って、ユイアがウィザードの隣に歩み寄った。
「彼女には卓越した能力があります。説明は難しいのですが、とにかく人智を超越した奇跡的な力を有していると言って過言ではありません。今夜の内に、フィールド・インに駐留する全兵力を彼女が禁忌術式により殲滅します。その結果を確認次第、クリーパー橋の全兵力を南に回します。」
その声はゆるぎなかった。
「正気ですか、教授!一個大隊相手にたった一人で向かわせるというのですか?」
ダリアンとセリアンは驚きを禁じ得ない。
「そうです。」
しかし、ウィザードもまた動じることをしない。
「万一、失敗したとしてもこちらの損失は1兵卒です。大勢に影響ありません。他方、成功の暁に得られるものはあまりにも大きいと言えます。私は、学徒出陣の準備を着実に進めながら、まずは彼女の力量にかける選択をしました。」
「ユイアさんは、それでよろしいのですか?それに勝算は?」
ダリアンは、半信半疑でユイアに問うてみた。
「もちろん勝算はあります。ただ1つ。敵は確実に殲滅しますが、フィールド・イン市街地も壊滅します。その点だけあらかじめご承知おきください。」
「都市ごと殲滅ですか?」
「そうです。かならず任務を果たして帰還します。」
ユイアもまた、毅然として決意を表明する。
「わかりました。とにかく、この作戦は無謀ではありますが、失敗の際のリスクはほとんどありません。教授とユイアさんがそこまでおっしゃるのならば、我々としては口を挟む余地はありません。お二人の決断を尊重しましょう。」
ダリアンは理解を示した。セリアンも同様のようだ。
「では、これから略式ですが、禁忌術式の使用命令付き使用許可を下します。時間がないので辞令書を用意できません。ここにご同席の皆さんは、立会人としてお見守りください。」
一同は頷いてそれに応えた。
* * *
本来、禁忌術式の使用許命令付き使用許可はアカデミー最高評議会によって下されるが、戦時下の緊急時という事で、魔法学部長代行のウィザードがその命令下賜の司式を執り行うこととなった。それが恣意的なものとならないよう、そこにいる全員が立会人となることが求められたわけだ。いま、荘厳な雰囲気の中で、儀式が執り行われる。
「ユイア・ハーストハート。汝に『禁忌術式』の使用命令付き使用許可を下す。これから汝はフィールド・イン市街区へ赴き、そこを不法に占拠する敵大隊約1000を許可された禁忌術式の使用により撃滅せよ。なお、使用する術式の選択は汝に一任する。これが今回の、魔法学部から汝への特別辞令である。最高評議会の追認はおって取り付けるから、汝は直ちに任務にあたれ。質問はあるか?」
お決まりの辞令が交付される。
「ございません。ユイア・ハーストハート、謹んで辞令を拝領いたします。」
緊急のことであったため、今回は辞令書の交付はなく、口頭での交付のみとなった。その様子を立会人たちが厳粛に見守っている。
「それじゃあ、行ってくるわね。朗報を期待していてちょうだい。」
そう言うが早いか、ユイアは議事堂を後にした。一同は、静かにその背中を見送っている。時刻は夜11時に差し掛かろうとしていた。
ユイアが議事堂のある中央尖塔の5階から1階に降りると、寮棟の近くでカレンを見かけた。ユイアはカレンに声をかける。
「こんばんは、カレンさん。ご機嫌いかがかしら?」
いつもの調子だ。
「ユイアさん。作戦立案は順調ですか?」
カレンが問う。
「ええ、これから、魔法学部の特命を帯びてフィールド・インまで行ってくるわ。いい知らせを届けるから、楽しみにしててね。」
いたずらっぽい調子で言うユイア。それを聞いたカレンの目は点になる。
「フィールド・インにおひとりでですか!?」
「そうよ。あの不届きな連中をちょちょいと一掃してくるわ。」
「でも、そんな。そんなの危険すぎませんか?」
カレンは心配でならないようだ。
「大丈夫よ。幸い誰もいないわね。あなたにだけ特別よ。」
そういうと、ユイアはアッキーナの卵を使って、天使の姿を取った。
「私のこと、覚えているでしょ?」
その言葉を聞いて、カレンはますます驚きを大きくした。
「あなたは、あのときの!」
「そう、あなたたちの先生を天使に変えた悪い天使よ。」
そう言ってユイアは舌を出した。カレンは完全に言葉を失っている。
「でも、でも…。」
「驚くのは分かるわ。いまこそこの力を使わないとね。そして、あなたにもいつか、そんな決断をする日が来るのかもしれないわ。」
ユイアは意味深なことを言ってカレンの手を取った。
「これは?」
てのひらの中に何かを握らされたカレンが問う。
「これは、天使の卵よ。実はこれを渡そうとあなたを探してたのよ。あなたや、あなたの大切な友達が窮地に陥った時、これがきっとあなたたちを助けてくれるわ。だからこれを持っておいて。使わないに越したことはないけれど、お守りだと思って。ね?」
そう言って、ユイアはウィンクをした。
「使い方は分かるわよね?」
「はい、確か、卵に術式が刻んであると、あの時…。」
「賢い子ね。その通りよ。」
あたたかい微笑みを向けるアイラ。
「お願いね。これで、あなた自身とあなたの大切なお友達を守ってちょうだい。きっと約束よ。」
そう言って、小指を差し出した。そこにカレンの華奢な小指が重なる。
「頼んだわよ。」
「は、はい。」
まだ状況がよく呑み込めないながら、カレンが返事をする。
「じゃあ、行ってくるわね。」
「あ、あの。ご武運を。」
「ありがとう。」
そう言うと、ユイアは正面ゲートの方に消えていった。闇に溶けていくその後ろ姿を、両手に卵を載せたカレンが静かにじっと見送っていた。
ゲート前の通りを5月の風が吹き抜けてゆく。涼しさの中に夏の湿気を伴なった複雑な装いの風があたりの木々の枝を揺らしている。ざわざわという音が夜の闇がもたらす静けさを一層際立たせていた。ユイアは今、マーチン通りを抜け、クリーパー橋をフィールド・イン市街区に向けて駆けていた。
* * *
クリーパー橋の東端で、ユイアは守備隊の隊長に呼び止められた。
「おい、ここで何をしている。この先は危険だ。すぐに戻れ。」
「魔法学部の特命を帯びてフィールド・インに向かいます。特命の詳細については作戦参謀本部に問い合わせてください。」
毅然と言い放つユイア。しかし、少女がたった一人で敵地へ乗り込むという命令の意味が、隊長には直ちに理解ができなかったようだ。
「とにかく、一時待て。作戦参謀に確認する。」
「わかりました。」
ユイアの返事を聞くが早いか、隊長は作戦参謀本部に連絡を取り始めた。
「…。そうですか。わかりませした。通してよろしいのですね?かしこまりました。命令の通りにいたします。」
そうして通信は終わった。
「君は、ユイア・ハーストハートだな。作戦参謀本部の確認が取れた。行ってよい。しかし、護衛もつけずに大丈夫なのか。必要なら、数人回すが…。」
そう言って、合図しようとする隊長をユイアは制止した。
「大丈夫です。これは『禁忌術式』の使用許命令付き使用許可ですから、私がひとりで赴く必要があります。それよりも、おそらく皆さんにはまもなく移動命令が出ると思いますから、あらかじめその準備をお願いします。」
「わかった。逐次作戦参謀本部の指示を仰ぎつつ最善を尽くす。貴下の武運を願っています。」
「ありがとうございます。みなさんにもご武運を。」
そう言うと、ユイアはクリーパー橋を越えて、敵に占拠されたフィールド・インの市街地へと脚を進めていった。
同市の西部の住民たちは、かろうじて隣接する中央市街区への避難が間に合ったが、中央部から東部の住民たちの多くは侵攻の犠牲となっていた。この街に残る市民はもういないようで、中央部あたりに布陣された敵拠点の灯す魔術光が妖しく夜を照らしている他に人の気配は皆無だった。ユイアはそこに向かって懸命に駆けていく。やがて、その陣営が間近に視界にとらえられた。
「動くな!貴様ここで何をしている!?」
人間のものとは到底思えない、重く輻輳する機械的な声に呼び止められた。ユイアは臆することなく前進を続ける。
「おい、警告が聞こえないのか?それ以上行くと発砲するぞ!二度はない!」
その声にもお構いなしにずんずんとユイアは進んで行く。
「撃て!構わん。排除しろ!」
その声とともに、機械化兵が手にした錬金銃砲を一斉に撃ちだしてきた。深夜の市街地に幾重にも銃声がこだまする。
ユイアは、小さな魔法盾を多重的に輻輳的に展開し、その銃弾の雨を全て防いでいく。ちょうど、シーファとの模擬戦で繰り出したのと同じ防御術式だ。しかし、あの時とは、同時展開の数も1つあたりの強固さも全く違う。守備隊が放った弾丸は、結局全てはじかれてしまった。
「それで終わりかしら?おはなしにもならないわね。」
そう言うと、ユイアは『光の剣:Photon Blade』の術式を展開して、生成した光の剣を大きく水平にないだ。たちまち、機械化兵の上半身と下半身は別れを告げ、切断面に赤熱を放ちながら、その場に躯(むくろ)を横たえた。ユイアはそれを踏み越えるようにしてなおも前進していく。
やがて、一層重苦しく輻輳する非人間的な声があたりにこだました。
* * *
「なんの騒ぎかと思えば、魔法使いがひとりでのこのこ死にに来たか?」
それは、かのアブロード・シアノウェル医師の声であった。
「死にに来る?冗談はそのバカみたいな身体だけにしてくれるかしら?私はフィールド・インを奪還しに来たのよ。」
いつもの皮肉な調子でユイアは言った。冗談みたいな身体、彼女がそう形容した通り、アブロード医師の身体は5メートルはあろうかという巨躯を重厚な錬金金属の外装が覆っており、もはや人間の面影はかろうじてその声に残されているだけであった。巨大な錬金銃砲を携え、もう片方の手の拳にはおそるべき魔術光をたぎらせている。
「そうね。前言撤回。その哀れな格好のあなたに同情しに来たのよ。すぐに引導を渡してあげるから、ちょっとだけおとなしくしていてね。」
相変わらずひょうひょうとした態度を崩さないユイア。アブロード医師はそれにいくばくかいらだっているようだった。
「小娘が。跡形もなく消し飛ばしてやる!」
そう言うと、彼は右手に携えた巨大な錬金銃砲から、まばゆいばかりの高圧縮された魔術光を解き放った。あたりはまるで一瞬真昼のようになり、先ほどユイアが金属くずに変えた機械化兵の躯(むくろ)を瞬く間に蒸発させた。その光線の通った後は空気がびりびりと振動し、高熱で陽炎が立っている。彼女はその魔術光のど真ん中にいた!やがて、あたりをまばゆく照らしていた魔法光の滾りがなりをひそめる。その中に、ユイアはしっかりと立っていた。彼女は高密度の魔法光が集積した障壁によってその全てを防ぎ切ったのだ。
「ば、馬鹿な。貴様いったい何者だ!?」
動揺を隠せないアブロード医師。
「私、そうね。冥途の土産に教えてあげるわ。もっとも、そんな成りになったあなたの行く冥途がどこなのか見当もつかないけれどね。」
そう言うと、アイラは詠唱を始めた。
『契約に従い、我に力を。我は汝の力を継承する者なり。天使化:Angelize!』
詠唱が終わるや彼女の足元には大きな魔法陣が展開され、そこから夥しい量の魔法光が放たれて彼女を包む。彼女は人型の光のとなってその周囲の光と溶け合った後、ゆっくりとその真の姿を現した。
「私はこういう者よ。」
なおも調子を変えないユイア。
「天使だと!ふざけるな。そんなものが存在するはずはない!!」
一方、動揺を隠せないのはアブロード医師の方だ。やはり、彼らは天使の実在を知らないらしい。ということは、彼らの師(プレプトル)というのはやはりパンツェ・ロッティではないのか?
「目の前の事実も受け入れられないほどのおつむになっちゃったのね。かわいそうに。あなたが認めようが認めまいが、存在するものは存在するのよ。」
ユイアが言い放つ。
「お、おのれ。天使であれ、なんであれ、退けてしまえば問題はない。消えてしまえ!」
再び、錬金銃砲を乱雑に撃ち放ってきた。それはユイアの身体をとらえこそするが、彼女はそれを意に介するでもなくその場に静かにたたずんでいる。
「もういいかしら?そういえば、人間の自然性を知りたいと、そう言ってたわね。いいわ、教えてあげる。これが、人間の自然、縁(よすが)の力よ。あなたがたのしていることはただの力の横暴だわ。人間は、力だけで従わせることができるほど単純な存在ではないの。それがわからないあなたたちに未来はないのよ。」
そう言って、ユイアは詠唱を始めた。
『時空と空間を司る者よ。その胸襟を開き、我に神秘をなさしめよ。それは絶対の禁忌なり。空間の存在を否定し、在るものを悉く無に帰せ。小さな神の名によって命ず。時間の法則を破り、全てを飲み込まん。時則崩壊:Ruin the Rule of Chrono!』
それは魔法というより、文字通りの奇跡であった。空間それ自体が歪み、何もない虚空に亀裂が生じて、その場に存在するありとあらゆるものを粉々に砕きながら飲み込んでいった。
都市も、機械化兵も、そして哀れな巨躯を晒したアブロード医師も、全てを瓦礫屑に変えながら、時空の割れ目と思われるところに吸い込んでいった。あたりは星も月もないかのように真っ暗になり、ただ、ずたずたに引き裂かれた大地だけが心細げにその表面を平らげていた。ひょうひょうという風音だけが、そこに空気が存在し、まだこの世とその空間が連続していることを、かろうじて物語っていた。
ユイアは、その言葉の通り、フィールド・インに駐留していた敵の全軍を指揮官のアブロード医師ごと消し去ったのである。
そのことは、参謀本部が放った監視用の使い魔によってすぐにアカデミーの指揮官たちに伝えられた。それを聞くや、速やかに部隊の再配置が実施され、南部戦線は一層強化された。これで当面の侵攻、すくなくともオッテン・ドットからの増援が合流するまでの間は耐え忍ぶことができるであろう。一同は安堵するとともに、作戦を終えてなお帰還しないユイアの身を案じていた。
初夏の夜が次第に明け方へと向かう。遠い東の空がほのかに白み始めた。再び、南部戦線において激戦が始まることが予感される。時を刻む時計の音だけが、乱れることなく夜から朝へと時を運んでいた。
to be continued.
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その11『決意と逡巡と』完
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?