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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その2『闇を探る』

 ウィザードが指定した日、ネクロマンサー、リアン、カレンの3人は、早朝6時にアカデミーのゲート前に各々荷物を持って集合した。ネクロマンサーの指示が的確であったため、今回はリアンが荷物達磨になるといったこともなく、当面の宿直生活に耐えられるだけの合理的な荷物量を備えていた。また万一に備えての得物もめいめいきちんと携えているようである。
 ずいぶんと早い時間の集合ではあったが、7時半に実施されるという朝の申し送りに間に合う必要があるために、この時間から行動を開始する段取りとなっていた。ウィザードの事前の説明の通り、患者の失踪や病気の経過推移からして不自然な突然死の連続など、不審な状況が続いているとのことだが、表向きは病院機能は正常に果たされており、調査もまた、建前としてはあくまでも当該病院からの要請に応える形で、臨時の医療チームを派遣するという格好にする必要があることから、病院側との合流もまた、その指定する方法と時および場所においてなされる必要があったわけである。
 『シメン&シアノウェル』病院は、中央市街区を管轄する総合病院のひとつで、あらゆる診療科を備えてはいるが、脳神経外科、同内科と精神科で特に知られるところであった。それは、アカデミーを地図の中心に見ると、クリーパー橋の先を更に北東方向に言ったところにあり、例のM.A.R.C.S.の通路暗号を逆回りにたどって到達するような位置関係にあった。アカデミーからは徒歩で20分ばかりの場所にあり、往来にさほどの手間はかからなかった。

 10月に差し掛かろうかという時期を迎え、通りを吹き抜ける風はより深く秋の色に染められ始めていた。陽の出の時刻は日増しに遅くなるのに、太陽はせっかちにも西へ向かう速度を速めていた。道すがら、3人は相互連絡用の通信機能付携帯式魔術記録装置とその動作状況を再度念入りに確認し、不測の事態に備えながら病院までの道を進んで行った。また、時計合わせも正確に実施した。

 ほどなくして、シメン&シアノウェル病院に到着した。そこは中核病院の一つだけあって大きな構えであり、これだけの規模を持つ病院で頻繁な転院を構造的に推し進めなければならないという病院側の説明に強い違和感を覚えつつも3人は建物内に入り、2階にあると言われる事務室を訪ねて行った。

『シメン&シアノウェル病院』の外観。巨大な入院病棟を備えた大きな総合病院である。

 事務室の扉は開放されていたため、ネクロマンサーは開かれたドアに向かって軽くノックをしてから、中にいる事務員に声をかけた。
「臨時人員補充の依頼を受けてアカデミーから派遣されてきた者です。お取次ぎを願いたいのですが。」
 それを聞いた事務員の女性は、3人に向かってお辞儀をして挨拶をしたあと、
「承っております。事務長を呼んで参りますので、しばらくそちらでお待ちください。」
 そう言って、事務室の奥に向かって行った。
 3分ほど待たされたであろうか、先ほどの女性が恰幅のよい中年の男性を伴って3人の所に戻ってきた。
「どうも、ようこそおいでくださいました。アカデミーの衛生部門から人員を割いていただけるとは誠に有り難いことです。」
 そう言って、男は手を差し出した。
「申し遅れました。私は、当病院の事務長を務めておりますリック・マーティンです。アカデミーの皆様のご協力に感謝申し上げます。さぁ、奥へどうぞ。」
 そう言って、3人を事務室の奥に設置された応接室と思しき場所へ案内した。時間は7時にはまだ間があって、事務員の姿はまばらであったが、それでも朝の開院の準備に追われている様子は確認できた。建物の外が少しずつ明るさを増していく。

* * *

 応接室に通された3人は、ソファにかけるように事務長から促された。ここまで同行した事務員の女性は軽く会釈をして先に部屋から出て行き、3人に向かい合う格好でリック事務長が席に着いた。
 5分ほど取り留めもなく自己紹介と世間話をした後で、事務長が言った。
「本当によくおいでくださいました。今、この病院では特に精神科のスタッフの不足が顕著でして。お力添えいただけるのは本当にありがたい限りなのです。」
 事務長がそう話し始めたところで、先ほど部屋を出た事務員が、コーヒーを携えて戻ってきた。
「どうぞ。」
 彼女はそう言って、めいめいにコーヒーカップを差し出した。あたりの無機質な匂いをコーヒーの芳醇な香りが染めて行く。
「ありがとうございます。いただきます。」
 ネクロマンサーのその言葉に従って、それぞれにカップを傾けた。あたたかく苦みのある味が、口元を引き締めてくれた。
「臨時派遣スタッフといっても、私たち3人だけですが、お役に立てますか?」
 ネクロマンサーがそう訊ねると、
「もちろんです。特に最近は医療看護の有資格者の確保が本当に大変でして、数名加入していただけるだけでも本当に助かるのですよ。また、膨大な医療事務で事務方も逼迫状態にありまして。内情を明かすようでお恥ずかしい限りですが、皆さんのご助力は本当にありがたいのです。」
 リック事務長は事情を説明した。
「それで、医療行為がおできになる方は、おそらく先生のみということでよろしいでしょうか?」
「はい、私は魔法的な医療行為を行う専門のライセンスを取得していますから、医療の分野でお役に立てます。」
「それは心強い。では先生には、脳神経外科の医療のお手伝いをお願いしたいと思います。」
「わかりました。」
 そう言うとネクロマンサーはソーサーからカップを持ち上げて一口運んだ。
「それから、派遣された2名の学徒さんのうち、あなたが看護学部の方だと思うのですが、間違いありませんか?」
 事務長は、カレンの方を見てそう訊いた。
「はい、そうです。『アデプト:熟練』の1年生で、回復術式は中等まで、治癒術式は高等までこなすことができます。また、脈診の他、シリンジなど看護に必要な一般的な器具の扱いが一通りできます。」
 事務長はカレンのその答えに非常に満足であったようで、
「それは素晴らしい。勤勉な方を派遣していただけてありがたい限りです。あなたと、それからそちらのソーサラーの学徒さんには、精神科の看護と事務をお願いしたいのです。基本的に、二人一組になって、患者さんのもとを順次回って、バイタルデータのとその日の症状の概要の記録、それから検温や投薬、終わった点滴の引き上げなどを医師の指示で行っていただきます。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
 リアンとカレンは、その説明に対して頷いて答えた。
「皆様の担当医師と、看護師長は後ほどご紹介しますが、詳しい仕事の内容については彼らからの指示を待っていただくとして、何か今の時点でご質問などおありですか?」
 その問いに、カレンが口を開いた。
「精神科にご入院の患者様は現時点で何名くらいいらっしゃるのですか?」
「現時点で、約60名の患者様が入院しておいでです。ご病状は様々ですが、おふたりにはそのうちの5名の患者様をご担当いただく予定になっています。」
「ありがとうございます。わかりました。最善を尽くします。」
 事務長の説明に対してカレンはそう答えた。
「私は医療看護の資格がないのですが、どのようにお手伝いできますか?」
 続いてリアンが訊いた。
「はい。あなたは、こちらの方と二人一組のユニットになって、患者様のもとを回っていただき、こちらの方が収集された医療情報や患者様の現在の様子の概要などを、魔術式電算装置のカルテに記録していただきたいのです。そういった事務処理に大変長けた方だと伺っておりますので。」
 そうなのである。リアンは、光学魔術記録装置や魔術式電算装置の扱いに非常に長けており、文書の作成から、帳簿等の記録や計算処理、配布資料の設計からデザインまで、年齢不相応にかなり広範に事務作業をこなすことができる人材であった。彼女のその特技はもちろんアカデミーでも、教職員も含めて皆が一目を置いており、錬金学部のデザイナー科の学徒が、課題をこなすためにリアンに教えを請いに来るというようなことも日常茶飯事であった。
「わかりましたのですよ。作業は魔術式電算装置上で完了していいのですか?」
「はい。適切に入力いただければ、自動的に通信され、中央で集約的な処理がされます。基本的に書面等への出力や提出は必要ありません。」
「はいなのです。」
 リアンはそう返事をした。

* * *

 室内の時計は、まもなく7時15分を指そうとしていた。
 事務長は自分の腕時計を見やってから、
「先生方もまもなくここに来られるはずですので、もう少々お待ちください。」
 そう言って、3人に楽にするよう促した。
 それからほどなくして、リック事務長の胸元の通信機能付魔術記録装置に着信があった。
「はい、私です。ああ、先生方。そうですか。すぐ参ります。」
 そういうと、リック事務長は立ち上がり、応接室の戸口のところに行って、外で待つ3人の人物を室内に招き入れた。彼らが、今回派遣されてきた3人を担当する医師と看護師長のようである。
 彼らが、ソファにかけている3人の前に来た。挨拶の為にソファから立ち上がる3人。事務長のリックが話始めた。
「こちらが、今回みなさんを担当していただく、先生方と看護師長です。ご紹介しましょう。白衣を着ておられるのが、脳神経外科のシン・ブラックフィールド先生、スーツを身に着けておいでなのが精神科のアブロード・シアノウェル先生、当病院の副院長でもいらっしゃいます。そして最後が、看護師長のエヴリン・シンクレアです。彼女にはアブロード先生の下で、学徒の皆さんのお世話をさせていただきます。それから、先生方にも。こちらが、今回アカデミーから派遣されて来られた、ネクロマンサーの先生と、看護学部のカレンさん、それから純潔魔導士科のリアンさんです。先生にはシン先生のサポートを、カレンさんとリアンさんにはアブロード先生の下で看護実務と事務を担っていただきます。」

左から順に脳外科のシン・ブラックフィールド医師、エヴリン・シンクレア看護師長、精神科のアブロード・シアノウェル医師である。

「初めまして、脳神経外科のシン・ブラックフィールドです。」
 差し出された手を取り、
「こちらこそ、初めまして。」
 と言ってネクロマンサーは応えた。
「ようこそおいでくださいました。精神科のアブロード・シアノウェルです。お手伝いに感謝します。」
 シアノウェル医師と、カレン、リアンが交互に握手を交わす。医師たちの前で、エヴリン師長は握手を遠慮しているようで、
「慣れるまではいろいろ大変だと思いますが、よろしくお願いします。」
 と二人の少女に言葉をかけるにとどまった。
「ご挨拶が終わられたところで、少々急がせて申し訳ないのですが、そろそろ朝の申し送りの時間になります。それぞれ、ご担当の詰め所に向かっていただけますでしょうか?」
 リック事務長の促しに応えて、ネクロマンサーはシン脳神経外科医の後に、リアンとカレンはアブロード精神科医の後について応接室を出、それぞれの持ち場に案内されていった。エヴリン師長はアブロード医師たちと行動を共にした。
 皆が出た後、事務員の女性が入ってきてコーヒーのカップとソーサーを引き上げ、その後を追うようにして部屋を出た事務長は、応接室を施錠すると事務室の奥へと姿を消して行った。
 忙しい病院の朝がまもなく始まろうとしている。ついさきほどまで薄明かりだった屋外はすっかり朝日に照らされ、窓の外では朝露に濡れた木々の葉が美しいきらめきを揺らしていた。

* * *

 脳神経外科は3階にあった。詰め所に着くまでの間、ネクロマンサーとシン医師が言葉を交わしている。
「事務長からあなたの経歴を教えてもらいましたが実に素晴らしい方ですね。ハイ・マスターまでお進みになり、これだけの魔法医療資格とスキルを身に着けておられるのには正直驚きました。ぜひ、先生と呼ばせてください。私のことはシンで構いませんので。」
「恐れ多いことです。では、シン先生と呼ばせてください。」
「はい、それで構いません。この病院の脳神経外科は忙しいので、大変だと思いますが、先生ならきっと辣腕を振るっていただけるでしょう。」
「最大限努力します。」
 そんなことを話しながら、二人は3階詰め所に入っていった。そこには所属の医師と看護師たちがすでに集合しており、二人の到着を待っているようだった。一通りの紹介とあいさつの後、朝の申し送りが始まり、その場は急ににぎやかになる。数々の患者の夜の状態と現状が報告され、朝の任務と注意事項が次々に申し送りされていった。同じような光景はアカデミーの保険部門でも行われるもので、ネクロマンサーにとっては慣れたものといえばそうであったが、大きな総合病院のその光景を目の当たりにして、彼女は背筋が伸びるような感覚を覚えていた。
 少しずつ、朝日の位置が高くなる。

 一方、5階にある精神科の入院病棟の詰め所に案内されたリアンとカレンもまた大きな緊張の中にあった。カレンは看護学部において、病院の仕事のやり方というのをある程度は心得ていたが、それでも普段は先生たちの指示に従っていればそれでよく、自分たちだけで、詰め所における申し送りに参加するというのは新鮮な経験であった。医療看護の分野における経験が全くないリアンに至っては、ただ固くなるばかりで、しきりにあたりをきょろきょろとしていた。途中、エヴリン師長から魔術式カルテを格納した魔術式電算装置の操作に関する説明があったが、リアンにとってそれは難しいものではなかったようで、師長が試しにやってみるようにと示したいくつかのタスクを難なくこなして見せた。その手際の良さに師長も関心ひとしおである。
 全員集まっての申し送りが終わった後で、実際に二人のサポートを行う人物として、リンダ・グッドウィル看護師が紹介された。彼女が日勤の時は、具体的な指示は彼女から出されることで段取りが決まったようだ。リンダは、二人に担当する患者の氏名と病室、日勤中にすべきこと、緊急時の対応について詳細を伝達してくれた。
 リンダは、看護学校を卒業したばかりの20歳そこそこのまだまだ若手の看護師で、気さくで接しやすい感じの人物であった。そのため、慣れない環境で緊張に凝り固まっていたふたりは幾分かの安堵感を感じたようである。

二人を担当してくれることになった若手看護師のリンダ・グッドウィル。

 この魔法社会における教育機関の中で、アカデミーは中核的な機能を果たしてはいるが、そこはあくまでも魔術と魔法の教育および実務現場であって、錬金術を含まない純粋な自然科学的な専門教養については、各種学校でも執り行われていた。例えば、治療と治癒は魔法的なアプローチからも可能であるが、自然科学に立脚した内科的・外科的手法もまた有効であり、病院では双方の技能を併用する形で療養と治療の基盤が成立している。総合病院の場合、勤務するスタッフの多くは医療専門学校を終了した医師や看護師であるが、もちろんアカデミーの医療部門や看護学部の卒業生も少なからず雇用されている。外科的回復治療や内科的疾病治癒は魔法が有効な場合が多いが、同じ外科でも整形外科や形成外科の領域、あるいは人間の精神や心理の分野を取り扱う精神科や診療科などでは、医療専門医師の方が一般に長けており、分野によって分業と協業が効率的になされるように工夫されていた。かつて、キャシー・ハッターが披露したような、精神や心に作用して心理面を操作する術式分野も確かにあるにはあるが、精神的な負担を軽減し、心理的病巣を取り除き治療につなげるためには、魔法的よりも親密な人間的アプローチと粘り強い心の交流が必要であり、医学的経験と知識の方が役立つ場合が多かった。精神科においては、カレンのもつ看護関連全般の知識と経験は非常に有用で、リアンの高い事務処理能力がそれをよくサポートすることが期待できた。ただ、魔法の発現によって事態の打開をはかるのとは全く違う形での関与を現場で求められることに、彼女たちが当初当惑の念を禁じえなかったこともまた事実である。二人は、入り混じる不安を払拭するかのように、リンダの説明に真剣に聞き入っていた。

 午前中は、担当する5名の患者への自己紹介と彼らの状況を確認することから始まった。抑鬱の患者が3名、不安障害の患者が1名、双極性障害の患者が1名で、それぞれに深刻な状況を抱えていたが、挨拶とバイタルの測定、検温、脈診、睡眠と朝食の摂取具合の聴取など一通りの任務はつつがなくこなすことができた。5名の患者の内、特に二人に好意的に感じられたのは、マーク・ヘンドリクソンという名の中年の男性であった。

二人が担当することになったマーク・ヘンドリクソン氏。

 彼は、魔法鍛冶(マジック・スミス)の有能な技師であったが、勤めていた会社の職務が数年前から多忙を極め、また管理職からの要求される成果水準の高さとその圧力の厳しさから抑鬱症状を呈することとなったため、心身の回復の為にここに入院しているのだと話してくれた。心理的な面での不調から、自己肯定感と自信の持ちようには懸念される側面が多分に感じられたが、その話し方には知的水準の高さと洗練された人間性が現れていた。また人当たりもよく、社交的な一面を残していた。そのため、リアンとカレンは相談して、当面は手持ちの情報をもとにし、このマークから少しずつ聞き取りを進めて行こうということを取り決めた。いよいよ、この病院で起こっている怪異についての調査が始まるのだ。二人は、収まらない緊張を自身の内に確かに自覚しながら、病院食堂で昼食をとっていた。

「なかなかこういうところは慣れないですよ。カレンはさすがですね。」
 いかにも栄養を管理された身体によさそうだが口には好ましいと言い難い食事を口元に運びながらリアンが言った。
「そんなことはないわ。アカデミーとは勝手が違って緊張しっぱなしなの。担当の看護師さんがリンダさんで本当によかったわ。彼女にならいろいろ訊ねることができそうだもの。」
「そうですね。いきなり核心に迫る訳にもいきませんから、世間話の延長にちょっとずつ病院の状況を探っていくのですよ。患者さんでは、マークさんがお話ししやすいように思うのです。転院の名目で姿を消していくと言われる患者さんのことについて、機会を見てそれとなく訊ねてみるです。」
「そうね。まずは病院の全体像を把握することも大切になるし、先生との連絡手段や報告手段も確立しないとね。忙しくなるわ。」
「そのためにも、しっかり食べて備えましょう!」
「ええ。」
 そう言って、二人はつつましい食事を終えた。

 詰め所に戻ると、リンダが待っていて、午前中と同じ手順で担当患者さんを見回って欲しいと言うことであった。その日は初日ということで、午後の見回りにはリンダも同行することになっちた。しかしそれは、早速聞き込みを始めようとしていた二人にとっては都合の悪いことで、結局その日は踏み込んだ話をするのは諦めて、病棟内の様子を見て回ることに集中することにした。
 シメン&シアノウェル病院は大きな総合病院であるため、その全容を把握するだけでも実に大変であった。勤務中は病院内といえどもうろうろすることはできないため、二人は患者の見回りの機会を活かして、5階の入院病棟をまずは把握することにした。そこは、通路が三角形に配置されていて、辺の外側に一般病室(大部屋)がずらりと並び、辺の内側には廊下をはさんで、個室が置かれ、それに隣り合うようにしてシャワー室と処置室が配置されており、残りのスペースが詰め所と面談用の談話室という格好になっていた。二人が気になった場所としては、三角形を描く廊下の一片の行き止まりが大きな鏡張りになっていて、廊下を映す鏡の像が、あたかも更にその奥に続く場所があるかのように見える箇所があった。

奥の壁がそう鏡張りになっていて、そこに映り込む壁と廊下はあたかもその先にまで続いているような景色を描いている。

 もちろん、単に廊下と壁が鏡に映りこんでいるだけであるわけだが、魔法使いである二人には何か魔法的な空間拡張があるかのような感覚が離れなかった。好奇心旺盛なリアンは、一度その鏡に触れてみたが、それま間違いなく金属とガラスできた普通の鏡で、そこに映る廊下は廊下の像にすぎず、さらに奥に進むということは当然にできなかった。不思議そうに鏡をのぞき込んでいるリアンに、リンダが先を急ぐように促している。

* * *

 午後の見回りが終わってから、その日は初日ということで、二人は職務から解放された。リンダが、二人を宿直する部屋へと案内してくれり。そこは小型の病室を使って準備されたのであろう宿直室で、患者が使用するのと同じタイプのベッドが2つ等間隔に並べられており、小ぶりのテーブルと椅子が2組、大型のクローゼットが2竿置かれていた。幸いにして、シャワー室とトイレも室内に設置されており、ちょっとしたホテルの部屋のようであり、便利はすこぶるよさそうである。二人にとっては、その部屋が調査のための拠点となった。ただ、病院の怪異を調査することは、表向きには秘密であるため、その部屋を大っぴらに調査拠点として使うことははばかられた。二人は、とりあえずクローゼットに着替えと衣類を入れ、ベッド脇に置かれた簡易チェストに得物を仕舞って、居住できる状態を整えた。
 窓の外では、天空を駆けるようにして西日が地平に沈んで行き、赤くゆらゆらと揺れる太陽に蓋をするように、濃紺の帳が天上から降り始めていた。あたりは急速に暗くなっていく。病院や学校という施設は昼間はそうでもないが、夜を迎えると急に不気味な雰囲気を醸し出すようになるのは不思議なものである。ここもまた例外でなく、殺風景な二人の部屋は、なんとなく居心地の悪い空気感に包まれていた。
 しばらくして、二人の元にも病院食が配膳されてきた。患者と同じベッドで病院食を食べるというのは、なんとも自分たちまで入院したような感じがして落ち着かなかったが、当面はこの生活に慣れるしかない。二人は、味気ない食事を進めながら、明日以降のことを思った。
 カレンは、ウィザードへの報告のための日誌を広げて、今日あったことを記録しながら、同時に今後の予定を書き連ねている。リアンは隣のベッドで魔法書を開いてあるページを真剣に読み込んでいた。彼女はどうにもあの行き止まりの鏡のことが気になるようで、それに関することを魔法書で調べているようであった。
 そうこうしている間にあたりはすっかり真っ暗になった。天上に据え付けられた魔法照明の明かりが、間接的に二人の姿を照らし出している。

 カレンは、通信機能付魔術記録装置を取り出して、ネクロマンサーに報告の連絡を入れた。リアンも彼女のそばに寄ってきている。
「先生、今日の仕事は無事に完了しました。担当の患者さんに一通り挨拶を済ませましたが、今日は担当の看護師さんがずっと一緒だったので、具体的な聞き取りはまだできていません。また、精神科の入院病棟をひととおり見回りましたが、今のところ明らかに変わったこと、気づいたことはありませんでした。明日以降、調査を更に進めていきます。」
 カレンは、その日一日の動向をつぶさにネクロマンサーに伝えた。
「カレンさん、ご苦労様でした。リアンさんもそこにいますね。今日は大変でしたね。」
 リアンはそれを聞いてこくこくと頷いている。
「私の方もおおよそ同様です。脳外科のシン医師とともに、彼の担当患者さんの治療にあたっていますが、今のところ変わったことはありません。ただ、シン医師の執務室に、勤務中は私も詰めているのですが、そこには普段使いの書類棚の他に、鍵のかかった大がかりな書類キャビネットがあります。その他のカルテホルダーなどとは少し違った雰囲気の、金庫のようなキャビネットで、厳重に施錠されているので少し気になっています。おいおい調べてみようと思っていますが、単なる診療上の重要書類入れというだけかもしれません。詳細が分かり次第また改めて連絡します。それから、音声連絡が取りにくい時は、私のマジック・スクリプト宛てに文字と画像メッセージを送っておいてください。必ず確認して必要な返信を行います。何かあればこちらからも送るようにしますから、そちらもいつでも受信できるように準備しておいてください。」
「わかりました。きっとそのようにいたします。」
 そう言って、その日の定時連絡は終わった。
 初日ということもあり、ネクロマンサーの方でも確信的に調査対象とすべき対象を見出すことはできずにいたようである。
 二人のほうでまず確かめるべきは、病院側がアカデミーの調査に対して行った、精神科で頻発する患者の失踪は、事件などではなく単なる転院数の増加であるという説明が真実であるのかを確認すること、万一失踪であるとすれば患者たちがどこに消えているのかを確かめることであった。
 一方のネクロマンサーの課題は、病状推移と無関係に思える患者の突然死の原因と実態をを医療的・医学的見地から見極めることである。
 いずれの任務も容易ではないが、一刻も早く真相を究明しなければならない。ネクロマンサーはウィザードとも定時連絡を取ったが、彼女の話では、病院の異変は日増しに顕著になるようで、アカデミーに対して寄せられる調査依頼が後を絶たなくなってきているということであった。
 それぞれの使命感を胸に秘めながら、3人はその病院で初めての夜を過ごした。あたりは雲が覆っており、月明かりはほとんど深夜の病院には届いていなかった。消灯の時間を迎え、あたりは闇に包まれていく。廊下と詰め所だけが魔法光に照らされていたが、あてがわれた部屋からは、その明かりはぼんやりとしか見えなかった。
 やがて、秋の夜が3人の精神を静かに閉ざしていく。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その2『闇を探る』完


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