AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その13『時空の果てのその先で』
「三番補機ノ手動再起動ヲ確認。三番補機再起動中…。」
管制が発する声に、修理に当たったキースとライオットに緊張が走る。
「起動後自己診断試験ヲ実行。…、…、動力安定、発熱正常。起動終了。主機トノ接続良好。一番補機カラ四番補機マデノ主機トノ接続状況ヲ再確認。…、…、確認修了、ステータス、オール・グリーン。」
それを聞いて、場の緊張がようやく幾ばくかとけるのが分かった。しかし肝心なのはこれからである。主機とそれに連なる4つの補機が正常に連動してする、時空の果てを越えるための特殊航法『ゼロ・ドライブ』に耐えるかどうか、全てはそれにかかっていた。
「全補機、起動完了。主機起動完了。主機ト補機トノ正常接続ヲ確認。コレヨリ、主機ト補機トノ連動試験ヲ開始可能。次ノ実験フェーズ二移行スルカ?」
管制のその問いに、リセーナは実験続行の指示をもって応えた。
「命令ヲ受諾。実験フェーズ移行。連動試験前状態確認テスト開始。
第1補機カラ第4補機ノ正常スタックヲ確認。補機、出力調整。
補機、通常航行試験、…、…、オール・グリーン。
補機、フル・ドライブ航行試験、…、…、オール・グリーン。
補機、オーヴァ・ドライブ航行試験、…、…、オール・グリーン。
続イテ主機、出力調整。
主機、通常航行試験、…、…、オール・グリーン。
主機、フル・ドライブ航行試験、…、…、オール・グリーン。
主機、オーヴァ・ドライブ航行試験、…、…、オール・グリーン。
独立可動試験オール・グリーン。続イテ、連動試験ニ移行。」
管制のその声に、みな息を飲む。いよいよだ。これに失敗すれば動力機関群の暴発により周辺時空ごと消え去って終わりとなる。
できることはすべてやった。キースとライオットは互いの手を握りしめ、固唾を飲んで進行を見守る。
「実験フェーズ移行。連動試験開始。試験開始後ノ中止不可。強行スルカ?」
リセーナは、震える手で、続行の指示を出した。
「了解、命令受諾。安全装置解除、…、…、全リミッター解除完了。
全補機トノ接続良好。主機安定。
主機内、圧力上昇。第一臨界突破…、…、第二臨界点ヘ。
主機、第二臨界突破、…、…、最終臨界点ヘナオモ出力上昇中。
主機、最終臨界到達。超時空航行、準備完了。」
ついにここまで来た。その成否で全てが決まる!
「超時空航行モードヘ移行。…、…、モード移行完了。カウントダウン開始。…、5、4、3、2、1…、超時空モード仮想発現。『ゼロ・ドライブ』始動実験開始!…、…、…、」
はちみつ色の魔法光に染まる波止場全体の空気が次の瞬間に向けて引き締まる。
「『ゼロ・ドライブ』安定稼働中。仮想時空限界点ノ通過を確認。
システム、オール・グリーン。連動試験終了。第一カラ第四補機、異常ナシ、主機トノ連係、解除開始、主機安定。全可動試験通過、本船ハ、超時空航行可能状態ニアリ。全システム、待機モードニ移行。」
わあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
その場に集って、可動試験を見守っていた全員から拍手喝さいが巻き起こる。時刻はもう夜明けに差し掛かっていた。神秘の空がいくばくか白んでいるのが分かる。遂に、『超時空の箱舟』は完成した。
* * *
「ありがとう、みなさんのおかげです。」
リセーナは感動と安堵で震えている。
「うまくいってよかったでやんす。」
「ああ、本当だな。あとはあの4人に全てを託そう。」
そう言って、管理コンソールの方に目をやると、起動試験を共に見守っていたウォーロック達が、波止場の技術者たちから、コンソールの操作方法についての説明を受けており、また『時空の波止場』の管理人である黄金のブレンダが、時空航行のための波止場の使用許可を正式に授与していた。
魔法社会が危機的状況にあるのは今なお変わらなかったが、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサー、そして、シーファ、リアン、カレン、アイラらの奮闘と努力によって、希望の灯をつないでいた。
あとは、ウォーロック、キューラリオン、アッキーナ、そしてフィナの4人が魔王および『セト』を止めることができるかどうか、あとはすべて、それにかかっていた。
約束の7日目からを過ぎ、新たに8日目の夜明けを真直に控え、4人と、そしてウォーロックの胸元に輝くパンツェ・ロッティの欠片は、そのまますぐに、時空の旅に出発することに決まった。
今回は、時空を翔けるだけでなく、時空の果てを越えるという荒業をやってのけることになる。箱舟の機能の正常が確認された今、あとは、実践するのみである。
「では、リセーナ。行ってくる。」
「ええ、あなた。きっと新しい未来を、この子達とともに紡いでください。」
「心得ておる。今生の別れであるな。達者であれよ。すべての幸福と感謝を君に。」
「本当にありがとう、あなた。この先の未来はきっと私たちの手で。」
「うむ、信じておる。任せたぞ。」
パンツェとリセーナが最後の別れを惜しんだ。
「みなさん、今日まで本当にありがとうございました。」
「それでは、行って参ります。」
ウォーロックとキューラリオンが波止場に集うみなに謝意を送る。
「じゃあ、いきますよ、っと。」
そう言って、アッキーナはフィナに『箱舟』に乗るよう促した。すべての協力と誠意に対して心からの謝意を示すと、彼女は、そのエメラルドの瞳にルイーザ救出の決意を新たにして、乗船した。
いよいよその時が来たのだ。ウォーロックは改めて、待機モードに移行したシステムを起動する。コンソール全体がまばゆい魔法光に包まれ、再び全補機と主機に火が入った。
「全補機起動完了。主機正常ニ稼働中。本船ハ時空ノ果テヲ目的地トスル。『至福ノ園』ヘ向カウカ?」
管理コンソールが改めて、乗船した全員の覚悟を確かめる。互いに顔を見合わせ、その意志を確かにしてから、ウォーロックは管制に出発の意思を伝えた。
すでにリセーナ達と波止場の協力者はみな下船をすませており、桟橋から出航を見守っている。船体が小刻みに振動し、夥しい魔法エネルギーが全体にいきわたっていることを伝えていた。巨大な船体が出航の為に向きを変えているのが分かる。
「補機安定。出港準備完了。総員、対重力防御。『超時空ノ箱舟』離岸!」
管制のその声がするや、乗船している4人を強い重力波が襲う。時空の大海原への旅が遂に始まったのだ。やがて、重力の戒めは次第に解かれていき、4人は身体の自由を取り戻した。巨大な船体はずんずんと星天の大海原を、時空の果てに向けてまっすぐに駆けていく。窓のない箱舟の中では、その静かな振動だけが、航行の順調を語っていた。
* * *
『箱舟』には、『恒星間通信機構』という魔法なのか超古代錬金技術なのかよくわからない、おそらくは空間移動ポータルと基礎を同じくすると思わしき特別の装置が搭載されており、それを通じて常時波止場とやり取りをすることができていた。
そこからは、魔法社会が、希望と絶望が交錯する複雑な状況に置かれていることをつぶさに感じ取ることができた。
まず、魔法社会の裏切り者は、魔物を伴なう不気味な軍団を引き連れて、毎晩のように中央市街区に対し攻勢をかけてきていた。ソーサラー率いる『連合術士隊』の決死の抵抗によってアカデミーと政府庁舎群の防衛線は維持されていたが、いつまで持つかは甚だ不透明な状況にある。総指揮官のウィザードは『チルズ・アイズルズ』から『タマン地区』を経由で、『オッテン・ドット地区』に駐留する部隊を増援として中央市街区に入れることができないか画策していたが、『北方騎士団』の南下に備える必要があるとして、同地区の首長は兵力の移動に難色を示し、調整は難航していた。
また、最大の懸念である『北方騎士団』との戦いは熾烈を極めていた。シーファ率いる『常設魔導士隊』は『ポンド・ザック』で、騎士団の副長アンドレア・アイアンフィスト卿と衝突、市街戦を展開していた。もはや後はなく、そこを抜かれれば、アンアンフィスト卿率いる『黒騎士団』が中央市街区になだれ込むことになる絶体絶命の状況を、若き英雄たちが必死に支えていた。中央市街区には裏切り者の率いる一団がいるため、増援の繰り出しも難しく、シーファたちは出陣時の兵力と兵站だけで戦線を維持するという極めて厳しい状況に置かれていた。
対する『黒騎士団』側は既に手中した『ケトル・セラー』経由で、いくらでも増援を送って来る。これを牽制・抑止するために、『シーネイ村』経由で一定規模の戦力を北上させ、総長と副長が不在の『北方騎士団』の防衛線に揺さぶりをかけてはどうかとの提案もされたが、もはやそこに振り向けることができるだけの十分な戦力が残っていないこと、『北方騎士団』の守りの要であり、騎士団のトライ・フォースの一角とも評される、アルマ・バーンズ卿率いる『白銀騎士団』が『ノーデン平原』に陣取って強力な防衛線を展開していることから、実践は困難を極めた。
一方、総長ローザ・ノーザンバリア卿率いる最精鋭の『英騎士団』はその名にたがわぬ強力な部隊編成で、黄龍の加護を受けるアイラとその旗下の『ルビーの騎士団』を圧倒していた。はじめは『スカッチェ通り南北市街地』での都市防衛線が展開されていたが、手練れのノーザンバリア卿はアイラを『サンフレッチェ大橋』と『インディゴ通り』の交差点まで後退させている。後方の『インディゴ・モース』を防衛拠点とできる分、補給の点では孤立の色を強めるシーファら南西戦線より幾分ましであったが、しかし敵の練度が桁違いに高いことから、戦いは苦戦に次ぐ苦戦で、状況を改善できる見込みを見出すことはなかなかできないでいた。満身創痍のアイラを強い焦燥と不安が襲っていた。
ネクロマンサーらの活躍によって、アカデミーの看護と診療の機能は著しい改善を見せていたが、しかし再建されたばかりの急造施設は、疫病患者、地震被害者に加え、北西、南西戦線からひっきりなしに後送されてくる重傷者によって瞬く間に飽和し、人手も物資も常時限界という逼迫状況に陥っていた。東の隣国からの輸入は順調で、その品目は医薬・医療品から一部兵站にまで拡大こそしていたが、事態悪化の速度に状況がまったく追いついていない、そんな状況にあった。果たしてあと何日持ちこたえることができるのか?
最初の約束であった7日間の防衛を成しえてもなお、一向に状況が改善しないどころが悪化の一方をたたどっていく事態に、人々の猜疑心は大きくなり、憎しみの情を経た末に、愛の枯渇、すなわち生きることへの無関心へと押し流されていく。魔法社会全体に、諦観と厭世(えんせい)が支配的に広がる中で、最期の希望を託された『超時空の箱舟』は、遂に時空の果てへと到達しつつあった。
* * *
「いよいよですね。この『箱舟』で『世界の果て』をで越えれば、我々は創造主の隠れ家である『至福の園』に到達することができます。」
エバンデス婦人が言った。
「そこに、ルイーザが待っているのですね?」
そう訊ねるフィナ。
「ええ。魔王の目的は、『セト』と融合して力の極致に到達した後、創造主をして、愛の世界を力の世界に書きかえさせることです。魔王によって魂の座を囚われたルイーザは、飢え乾いた人が水を求めるように、その力の極致への到達を渇望しています。愛の火を消して、かわりに力の火を灯す、その実現だけが今の彼女の原動力となっています。果たしてその先に何を得ようと言うのか…。」
婦人がそれに応えた。
「力の極致を得たその先に、ルイーザが欲するものとは…。」
フィナの声が震える。
「そうですね…。ルイーザさんを支配する魔王の目的が、『神』を退け、それにとって代わることに間違いありません。愛に代わる力の支配の実現ですね。ただ…。」
「ただ?」
「なぜ魔王が今なおあなたに執着するのか、それがよくわかりません。力の極致に至るためだけなら、半身の『セト』があればよいはずです。しかし、彼女は『セト』復活の折にも、彼女はあなたをその贄にしようとしたと言いましたね?つまり魔王は、後に己と融合する半身の中に、他でもないあなたを保存しようとしたわけです。あなたを通して彼女が何を得ようとしているのか、それは今の時点では私たちにも見通すことができません。ただ、彼女が、ルイーザさんが、今なお、あなたを求めている、それだけは間違いのないことです。その強い縁(よすが)が、ルイーザさんを救い出す最後の希望を成すことになるでしょう。とにかく、彼女のもとへ急がなければなりません。」
そう言うと、婦人はフィナの手を取ってその瞳をまっすぐに見つめた。フィナもそれに応じ、視線を外すことをしない。
「きっと私たちがあなたを守ります。ルイーザさんに、もう一度会いましょう。」
婦人のその言葉に、フィナは大きく頷いて応えた。
「さぁ、みなさん。そろそろ一大スペクタクルのときですよ、っと。」
そう言ったのはアッキーナだ。
「時空の尽きるところ、『世界の果て』を越えるのですね?」
「ええ、『小さな神』であるあなたでさえ見たことのない、世界の外側に向けて時空を超越します。」
「この世界を創り出した創造主の隠れ家、『至福の園』…。世界を創造し、造り替え、そして壊す力を持つ唯一絶対の存在たる創造主。しかし、その存在は呪われているとも聞きます。果たして、それは我々の希望なのか、それとも絶望なのか、すべての運命ははこの先で明らかになるでしょう。それでは、行きますよ、っと!」
アッキーナがそう言うと、『箱舟』の管制がそれに応えた。
「命令ヲ受諾。命令ノ正統性ヲ確認。コレヨリ本船ハ時空ノ境界ヲ超越スル。
各補機、主機二接続開始。…、…、接続完了、状態、オール・グリーン。
全動力連動準備完了、連動ヲ開始。…、…、連動状態ヘノ移行完了。主機、最終臨界ヘ。…、…、主機、最終臨界突破。魔法エネルギーノ縮退ヲ開始。主機内出力正常ニ上昇中。…、…、システム、オール・グリーン。超時空航法開始、5秒前。4、3、2、1、…、『超時空の箱舟』、『ゼロ・ドライブ』!!!」
管制からその声がこだましたその瞬間だった。みな確かに『箱舟』の船内にいたはずで、その事実に変わりはないはずなのに、視界は真っ黒になったかと思うと真っ白になり、なにも見えなくなった。ただ、人の認知は空間を越えられないのであろうか、『世界の果て』の境界を超越しているのであろう束の間、4人の目の前にはただただ無限に広がる空間の広がりだけを全身で感じていた。
やがて、その白い光は物理的な輪郭を取り戻し、彼女たちの視界に少しずつ現実の景色を取り戻していった。気が付けば、見慣れた『箱舟』の内部空間が広がっている。
「『世界の果て』を越えたのですか…?」
「そのようですね。」
ウォーロックとエバンデス婦人が言葉を交わす。アッキーナとフィナはあまりの超自然的な出来事に唖然とするばかりであった。
やがて、『箱舟』の管理コンソールに備わる空間投影型の魔術映像表示装置に、目的地たる『至福の園』が視覚的に表示されるに至った。
* * *
「あれが、『至福の園』…。あそこにルイーザが…。」
その、神秘を超越した情景を見てフィナが言った。
「まもなくあそこに『箱舟』が接岸します。ルイーザさんたちがいつ姿を現すかわかりませんが、ひとまず私たちは創造主が隠れ住むという『その地』を目指すことにしましょう。」
不安と期待の入り混じった複雑な感情に震えるフィナの肩を婦人がそっと支えてやる。
見えていることが全てなのかどうかは全く不明であったが、『至福の園』について述べるならば、それはさほど大きくはない円形の浮島状の場所で、十字状の魔法光を称えるいくつかの柱が同心円状に立ち並んでおり、その中央にいかにも隠れ家といった趣の『その地』が鎮座していた。浮島の外周は波止場になっているようで、『箱舟』をそこに接岸すると、その神秘に足を踏み入れることができた。波止場から『その地』までは、現世の魔法社会と同じような、石や土、草、木といったような自然物らしき要素で構成された一本道が続いており、そのはるか先、浮島の中央に当たる部分に神殿のような姿で『その地』は佇んでいる。その頭上には、巨大な光の十字架が立っており、それを中心として周囲に複雑な神秘的魔法陣が展開していた。
ほどなくして『箱舟』はその未知の波止場に接岸した。万象を支配する自然法則が、これまで慣れ親しんできたものとは違うためか、接岸時にこれといった衝撃を体に感じなかったが、重力らしきものは今なおきちんと作用しているようで、地上にいる時と同様、大地に足を置いて立つことができた。
「とにかく、魔王がどこから現れるかわかりません。慎重に進みましょう。あなたはアッキーナとともにフィナさんを守って。」
そう言って先導するエバンデス婦人の後について行った。
体感することのできる世界という意味では、空気はあるし、大地を踏みしめることもできたが、しかしその全体的な雰囲気は、よく見知った魔法社会における「世界」とは明らかに違っていたし、『時空の檻』のような、星天の世界の存在ではあるものの、時空としては現世と地続きの場所ともまた様相を異にしている。神秘的であると言えば神秘的であったが、妙に現実じみていると言えばまたそうで、とにかく不思議とした評しようのない未知の世界を、4人とパンツェ・ロッティの残滓は進んで行った。『その地』はすぐ目の前に見えるが、やはり、遠近や空間の法則の根本が違うのであろう、なかなか近づいていかない奇妙な感覚に支配される。
その時だった。あたりが俄かに暗くなり、漆黒の空間に閉じ込められるようにして取り囲まれたのだ。そこには黒い光を放つ蝶が群れをなし、その中から、見知った者の変わり果てた姿をゆっくりと姿を現してくる。
* * *
それは、数多の柱が取り囲む『その地』に至る一本道を塞ぐようにして一行の前に現れた。美しい白金髪、透き通るサファイアの瞳、それはフィナの記憶に確かに刻まれていたが、そのほかの何もかもが違うルイーザだった。
背には、2枚3対計6枚の紅い光を放つ翼を携え、全身を黒い装束に包んでいて、手にはかつて『フォールン・モア』であったのだと思しき光り輝く剣を携えている。頭上には燃え盛る天使の輪を浮かべているが、それが神聖な存在でないことは、すぐ下に見える黒く穢れた角が物語っていた。
「フィナ、あなたも来たのね。『神』を伴なって…。」
それが口を開いた。じっと身構える4人。
「力なき神が希望なき愛をなお紡ごうとするか…。詮無きことよ。我は、ルシファー、魔王なり。まもなくこの世界は、愛などという虚ろで不安定な虚構による支配を離れ、絶対的で確定的な力の下に再編される。そこでは常に力が正義をなし、永劫の安定と秩序が約束されるだろう。フィナ、もう一度機会を与える。我とともに来い。新しい世界の担い手となれ。」
目の前の存在は、力と傲慢に堕落した恐ろしくも美しい輝きを放ちながら、そうフィナを誘う。
「ルイーザ、お願い!目を覚まして。あなたこそが私たちのところに戻って来るべきよ!あの天真爛漫で純真な、真心を愛するあなたに、私は帰ってきて欲しい!」
フィナは毅然としてそう訴えるが、目の前の存在は表情一つ変えなかった。
「愚かなるか人の子よ。絶対の力を前にしてなお愛を説くとは…。虚しい愛の時代はもうすぐ終わるのだ。この先には、世界の創造主が待っている。彼の手によって、この世界はまもなく、力が正義を断行し、整然たる秩序により支配される完全な時代が到来するだろう。それを妨げると言うのであれば、埒もない。古き神にはここで潰えるのがその宿命(さだめ)。」
そう言うと、目の前の存在は、驚くことに黒い光を放つ魔法陣を展開し、そのただ中に飲まれていった。やがて夥しい黒い影はゆっくりと翳り、そこに魔王の真の姿が描き出される。
それは、血塗られた翼を背に広げ、燃え盛る天使の輪を頭上に戴きながらも、全体的には禍々しく、力と傲慢の権化であるような底知れぬ邪悪さの中に、しかしなぜか不思議な神々しさを放っており、『神』に代わる者としての威厳を存分にたたえていた。
「フィナさんを守って!」
そう言うと、婦人、いや『小さな神』こと熾天使メタトロンは、自分と同じ力を持つたウォーロックを伴なって、魔王と対峙する。
その後ろでは、共に熾天使化したアッキーナとフィナが身構えている。ついに天使と悪魔、善と悪の象徴が真正面から相対する時が来たのだ!!
* * *
魔王の後ろには、おそらく『その地』に繋がるのであろう『至福の門』が見える。それをくぐるためには、どうしても彼女と、そして『セト』との雌雄を決する必要があるようだ。4人は、覚悟を新たにしてそれと対峙した。
やがて、ウォーロックと魔王の二人の間に、光と影の、力をめぐる壮絶な戦いが繰り広げられる。ルイーザは『アシウト』の遺跡で覚醒したばかりの時にくらべると圧倒的な力を身に着けていた。かつて『為神』パンツェ・ロッティを退けたウォーロックの力も、決してそれに劣るわけではないが、守るべき存在がいる彼女に対し、魔王はそのすべてをただ純粋に力に託すことができる。その差は思いのほか大きかった。
『我は魔の王、力を統べる君主なり。今、我が敵を蹂躙せん。惑星破壊:Meteor Strike!』
魔王は、領域殲滅性の圧倒的な破壊力の禁忌術式を繰り出す。魔王を除くその場に存する全ての者に破壊の魔の手が襲い掛かった。ウォーロックは他の三人を守るべく奮闘するが、瞬く間にその殲滅力に組み伏せられてしまった。
「『神』といえども所詮その程度か…。やはり力の前では愛など無力。…、ではそろそろ、最後の儀式を始めることにしよう。フィナ、もう一度だけ言う。我とともに来い。さすればその瞳に力による陶酔をしかと見せてやろう。」
なおもフィナを誘う魔王。しかし、彼女は厳然と首を横に振って拒絶した。
「そうか。ならば、抗いえぬように力を行使するまでだ!」
『我が使徒よ、命を果たせ。反使徒召喚:Summon of Anti-Apostle!』
呪わしい声で術式を詠唱すると、魔王は頭上にその邪悪なる使徒を呼び出した。魔の君主である魔王は、詠唱や儀式などといった術式誘因のための所作をほとんど必要せずに、自己の内から力を直接、無限に取り出すことができる。神格との契約に基づいて、都度力の授与を受けなければならない天使の力を、それはまさに圧倒していた。
「フィナをさらえ!『セト』に喰わせよ。我が命を果たすのだ!」
魔王がそう言うが早いか、反使徒は、一番後ろに控えていたフィナをさらい、瞬く間に虚空に消えてていく。どうやら、魔王はフィナの熾天使の力を邪神『セト』に捧げるつもりのようだ。
「メタトロン、このままではいけません。後を追わなくては!」
サンダルフォンたるアッキーナが言う。
「しかし、我ら姉妹がここを離れれば彼女は一人になります。」
既に傷つき組み伏せられたウォーロックをこの場に残すことに逡巡(しゅんじゅん)を見せるメタトロン。
「フィナを『セト』に喰われたら、そこで終わりです。あらゆる目的を果たした魔王は、すぐにでも『セト』と融合するでしょう。『大魔王』を復活させてしまっては、すべてがお終いになります。お早く!」
アッキーナが焦りとともに、反使徒の追跡を促す。
「わかりました。ここはあなたに任せるしかありません。私たち姉妹は『セト』を止めます。あなたは何としても魔王を止めてください!」
ウォーロックは剣を支えにして上体を起こし、頷いて応えた。
「大丈夫です。魔王は必ず私が止めます。お二人は、『セト』を退け、フィナをその魔の手から救出してください。急いで!」
彼女の言葉を背に受けて、メタトロンとサンダルフォンの姉妹は、フィナを連れた反使徒の後を追った。反使徒は魔王から無限の力の供給を受けているのであろう、熾天使として覚醒した彼女の力をもってしても、フィナひとりで抗うことはできないでいた。
* * *
「ひとり残されるとは哀れなことよ。しかし、お前が残ったのは僥倖である。神格泣き『神』の形骸よ。『魂の座』が空のままで、なお我に歯向かいうると思うのか?神殺しは、愛の終わりの始まりよ。今こそ、それを我が手でなそうではないか!力なき神よ、我が前に斃(たお)れよ。」
そう言って、魔王がウォーロックにとどめを刺そうとしたその刹那であった。彼女の胸元の『愛の欠片』がまばゆい光を放って声を発する。
「なにをしておる!今こそ、我が神格を汝の『魂の座』に宿せ。我が力を君に与えん。唱えよ。授権神化:Authorized Divinization!」
パンツェ・ロッティの呼びかけにウォーロックが応えて、最後は二人の声が荘厳に重畳した。幾層にも同心円状の光がひろがって、様々な方向に回転する、かの天国門のような魔法光にその身をつつんでいく。そして、ウォーロックの身体は一度消えるようにして小さな光の凝縮に化したあと、そこから一気に拡散・拡張する光の輪を群れだって、神化した姿をその場に現した。
それは、2枚6対12枚の光の翼を広げ、頭上には巨大に輝く天環をそなえている。麗しい衣に包まれたその手には、直視に堪えないほどの眩い光を放つ剣を携えられており、その場で相対する両者の姿は、まさに、完全なる善と完全なる悪の対比を象徴していた。
いよいよ1対1で対峙することになった神格と魔王。その遥か彼方を、2柱の熾天使の姉妹が、さらわれたフィナを取り戻すべく、その後を追っていく。『セト』の到来も近い。
『世界の果て』を越えた先は、今、激しく動揺していた。
to be continued.
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚最終集その13『時空の果てのその先で』完