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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集02『転換』

 あの日から数えて二日目の午後、リアンとカレンは約束通りに教員棟のウィザードの執務室を訪ねた。初夏の風はさわやかで、新緑の隙間を澄んだ陽がまばゆくこぼれていたが、二人の心は緊張に囚われていた。生命を落としたシーファの転生のために、これから『三魔帝』と呼ばれる名うての悪魔のもとを訪れなければならないからだ。それを思うと自ずから身体は固くなった。

 カレンが執務室の戸をノックする。
「入れ!」
 ウィザードの声だ。その促しに従って、静かに扉を開く。
 入室すると、ウィザードが迎えてくれた。応接スペースの長椅子には二人の少女が腰かけている。応援の段取りは無事についたようだ。

「よく来てくれたな。これからお前たちと旅をする仲間を紹介しよう。と言っても、お前たちの同級生だから既に顔なじみだがな。」
 微笑むウィザードの後ろから、長椅子にかけていた少女たちが立ち上がってこちらに近づいて来た。

「ミリアム!ユン!」
 見知った同級生の顔を認めて、声を上げるリアンとカレン。

「魔術師科のミリアムと術士科のユンだ。といっても初等部からの知り合いだから、今更言うまでもないな。」
 そう言ってウィザードは、二人をリアンとカレンに引き合わせた。

 ミリアムは、かつての『天使の卵』事件のとき、『天使の卵』を内包したことで悪鬼マークスの毒牙にかかりかけていたところを、シーファたち3人に救出されたあの少女である。その後、その体内に育まれた卵は摘出されることなくそのまま安全に定着させられて、彼女は天使の力を内包することになったそうだ。

「あのときは、助けてくれて本当にありがとう。先生から話は聞いたよ。シーファを助けるためなら喜んで力になる!よろしくね。」
 リアンとカレンの前に手を差し出すミリアム。3人は互いに手を取り合って大きく頷いた。それをウィザードともう一人の少女が見守っている。

「ありがとう、ミリアム。先生から聞いているとは思うけれど、これから禁忌の魔導書を持つ悪魔の居城まで、交渉のために出向きます。だから、とても大変な旅になるわ。そんな危険に、ユンまで巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。」
 そう言って、視線を移すカレンに、ユンと呼ばれた少女が応えた。

「いいんだよ、カレン。同級生のよしみじゃないか。それに、私とミリアムは、まあ、ニーアも含めて実の兄弟みたいなものだからね。一心同体なんだよ。ミリアムが行くなら私も行く、それだけのことさ。」
 そう言って、ユンも手を差し出し、3人の握手の上にその手を添えた。めいめい、残りの手も差し出して固くその手を握り合い、これから紡ぐことになる絆をしっかりと確認した。

* * *

「二人はどちらも中天使で、ミリアムは力天使ヴァーチャーの、ユンは能天使パワーの力を内包している。これからお前たちが出向くことになる厳しい旅を、よく助けてくれるだろう。力を合わせて、ぜひやり遂げて欲しい。シーファを助けてやってくれ。」
 固く手を結ぶ4人の肩を大きくそっと抱き留めるようにしてウィザードは言った。それを受け、瞳を輝かせながら大きく頷いて見せる4人の少女たち。実に朧気(おぼろげ)であった希望の輪郭は、少しずつその確かさを増しているように感じられた。

 ミリアムとユンは、旅支度を既に整えており、アカデミーの制服ではないそれぞれに固有の衣装を身にまとっている。ミリアムは砂漠地帯の踊り子が身に着けるような格好で、身軽で軽やかな上半身に対し、下半身はボリュームのある柔らかな生地のパンツに、ローブの代わりを成すのであろう大ぶりの腰布を巻きつけていた。彼女の得物は、丈の短い一揃いの曲刀から成る双剣のようだ。一つ結びにした赤い髪に、同じく緋色に輝く瞳が美しい。

シーファ救出に手を貸してくれることになった少女ミリアム。ミリアム・ノードがフルネーム。

 対するユンは、東方の中原に位置する大国の衣装を身に着けており、それは、上半身こそ身体にぴったりと沿うデザインであるものの、下半身は腰まで切れ上がった大胆なスリットを形成する前垂れ式の腰布になっていて、艶やかな様相を呈していた。髪は、しっとりと濡れたような見事な黒髪で、それをお団子状に頭上にまとめ、そこから流れる前髪の間に黒翡翠のような美しい漆黒の瞳を輝かせている。術士の彼女は、剣戟がとりわけ得意のようで、非常の大ぶりの片刃の大剣を携えていた。

ミリアムと姉妹のようにして育った少女、ユン。黒い髪と瞳が実に美しい。

 年齢にやや不相応なその胸元を見て、自らの胸に手を当て羨望の音を響かせながら、リアンがひとこと、
「大きい…。」
 と、こぼしたのをカレンは聞き逃さなかったが、その場ではあえて気づかないふりを保っていた。

 火と光の魔術師であるミリアム、火属性の魔術と剣戟に長ける術師ユン、水と氷の純潔魔導士で移動や補助の術式を得手とするリアン、雷の攻撃術式に加えて死霊術と回復治癒を得意とする黒衣僧侶のカレン、旅の戦力という意味では上々である。この構成であれば、抜けたシーファとアイラの穴を十分に補って余りあるであろう。悪魔との交渉という非情な困難が予想される旅路ではあったが、その実現に可能性の輝きを載せる光が窓から静かに差し込んでいた。床に刻まれる4人の影が実に力強い。その周りを、繁茂する新緑の枝が、おだやかに陰影を揺すっている。

* * *

「見ての通り、二人はすでに旅支度を整えている。お前たちの方はどうだ?」
 そう問うウィザードにカレンが応えた。
「私たちもすぐに出発することができます。でも、先生、あの日、私たちは『苦みが原平原』から『アーカム』へと直行しましたから、拠点として使っていた『週限賃貸物件』をそのままにしてしまっています。また『苦みが原』平原のその後も気がかりです。それをどうすべきかと思いまして…。」
 顔色を曇らせるカレンの不安を解くようにしてウィザードが言葉をかけた。

「大丈夫だ。今は、お前たちが使っていた部屋にライオットをやって、あいつに『苦みが原平原』の監視を続けさせている。それに『タマン地区』市街にはすでに『連合術士隊』が入っているので心配はいらない。後のことは気に掛けずに、お前たちはシーファの為に、目の前のことに全力を注いでくれればそれでいい。」
 そう言って、いつものように両目が動くウィンクをして見せるウィザード。その言葉を聞いて、リアンとカレンの二人はいくぶんか安堵したようで、その頬からはこわばりが取り除かれた。

「でも先生、ライオットさんおひとりで大丈夫なのですか?」
 リアンがそう念を押してみるも、
「ああ、心配ないさ。さすがはライオット、あいつはちょっとした数のアンデッド・オートマタを繰り出して、万全に任務をこなしているよ。オートマタの製造は本当は学則違反だけどな。でもまあ、今回は大いに役に立っているので目をつぶることにするさ。」
 ウィザードは少し意地悪そうな笑みを浮かべてその懸念をすっかりと払拭してやった。

ライオットが繰り出したアンデッド・オートマタの一団。ライオットとは、彼女たちと親交のある高等部の上級生の名である。

 これですっかり銃後の不安はなくなった。あとは、旅に向かうばかりである。すでに出発の準備を終えているミリアムとユンはしばしここで待機し、その間にリアンとカレンは寮に戻って身支度を整え、1時間後にゲート前で待ち合わせる手はずとなった。大急ぎで寮に戻る二人。その背を見送るようにして初夏の陽はゆっくりと西に傾いていた。

* * *

 約束の時を迎えて、4人の少女たちはゲート前で一堂に会した。いよいよ出発である。皆、それぞれに荷物をしょって、アカデミー大通りから南大通りへと移って、一路『タマン地区』へと南下を始めた。時刻は17時に至ろうかとしている頃、陽は大きく地平に近づいていたが、この調子でいけばそう遅い時間にはならずにタマンの市街地に入れるだろう。影を長く伸ばしながら、少女たちは南にその姿を消して行った。

 道中、実にさまざまな話に花を咲かせた。脅威に満ちた、かの『天使の卵』事件の記憶、ミリアムとユンが天使の力を内包するに至ったいきさつ、それに今夜の夕食への期待などなど、まるで言葉の歯車が時を動かすようにして、4人の足は前へ前へと繰り出されていった。

 それから数時間を経て、4人がタマン市街区の宿に到着したのは、20時に迫る頃合いであった。時間が時間だけに、夕食を供してもらえるか不安であったが、受付に問い合わせたところ、まだ食事の提供は可能であるとの返答を得られ、安堵する。
 リアンとカレンにとってはもうすっかりおなじみの『タマン地区』であるが、ミリアムとユンにはそれほど馴染みがあるわけではないらしく、二人ともその風土や食材などに興味津々で、頻りにそんな内容を話題に盛り込んでいた。部屋に入り、荷を下ろすと身体がすっと軽くなる。少女たちは順に湯浴みをしてから着替えを済ませてテーブルを取り囲んだ。
 宿の夕食提供時間は21とのこと、ぎりぎりの時間帯ではあったが、宿は快く引き受けてくれた。今宵は『魚人族』を用いた魚介料理に『ムシュラム族』のソテーを付け合わせたものである。人工的に開発・運用される魔術的捕食動物を食材とした料理は、近時の魔法社会ではもはや食卓の定番となって久しく、特に、新鮮な天然の魚介が尽きた頃に延着する旅人には、そうした人工食材が供されるのが、もはや常となっていた。

『魚人族』の焼き料理に『ムシュラム族』のソテー添え。人口捕食動物のメニューである。

「新鮮な魚介が食べたかったけど、このご時世、まあしょうがないのかもね。」
「この時間だし、仕方なしかな。」
 手元に並べられた料理を見て、ミリアムとユンがそう言葉を交わしている。
 魔術的捕食動物は決して不味い訳でなく、物によっては天然物よりむしろ旨いこともしばしばであったが、食料を人間が自ら作り出して消費するというその所業そのものに、魔法社会の誰もが、なんとはなしに後ろめたさを感じていたのは事実であった。二人の会話はそんな複雑な倫理観を滲ませる。

「それにしても、魔術的捕食動物はすっかり日常に溶け込みましたね。研究が始まったのはほんの数年前だったと記憶していますが、今ではもう食卓の新しい主役にさえなりつつあります。時の移り変わりを感じますね。」
 『ムシュラム族』のソテーを口に運びながらカレンが言った。リアンもそれに同調しながら、『魚人族』の焼き身を食んでいる。
「本当にその通り!最近では『東の隣国』や『中原の国』への輸出も始まったんだとさ。すっかり新時代だよ。」
 水のグラスを傾けながらユンがそう付け加えた。
「へぇ、東への輸出ね~。でも、国境をまたいだ旅先でまでコレっていうのはあんまり嬉しい話でもないわよね。」
 そう言いながら、ミリアムが食事を進めている。

「生き物が生き物を喰らう、か…。それはやむを得ないことだけど、自分で作り出して自分で食うってのも、不思議な気分なのは確かだよな。」
 ふと、皿の上の『魚人族』の、炭になりかけた瞳と目が合ったユンが言った。それを聞いて、それぞれに食と命に思いを馳せる少女たち。

 人間は、否、この世界に生を受ける者は皆、それが動物であれ植物であれ、他の生命を戴かなければ生活を続けることはできない。環境保護団体を標榜する人々は魔術的捕食動物の生きる権利を主張して、それらを食することを頑なに拒むが、しかしそうした彼らもまた、何かの生命に与(あずか)らなければ、生きていられないのは確かな摂理であった。
 彼らは、人間が食べてよい生命と食べてはいけない生命があると説き、それを厳格に実践する。しかし、果たして生命に、軽重の差や諾否の違いはあるのだろうか?
 窓から覗く、星々の瞬きに視線を送りながら、生命と死の尊厳を矜持とする死霊術の使い手カレンは、複雑な想念がその胸中に湧き上がるのを感じていた。

 呪われた方式により、犠牲にした古代魔法使いの魂を直接ページに閉じ込めることで編み上げるという禁忌の品、『魔導書』。命尽きた親友の為に、今、それを手に入れんと悪魔に挑もうとしている。しかし、『魔導書』の使用は、そこに封じ込められた者の魂の「消費」に他ならないのだ。親友のために、見ず知らずの魂を犠牲にする、これから手を染めようとしていることの本質に心が触れた時、カレンはその背がゾクゾクと震える嫌な悪寒を禁じ得ないでいた。

 ただ、その背から繋がる手の営みによって、目の前の『魚人族』は次第に骨だけとなり、付けあわされた『ムシュラム族』のソテーは、空っぽの胃の腑をゆっくりと満たしていく。

 中央山地に巣食う狼の遠吠えが、22時に迫ろうかという宿の窓を揺らす。夜の闇が、ゆっくりと少女たちの今日の営みを閉ざしていった。あたらしい夜明けを待ちながら…。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集02『転換』完了


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