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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集06『宵闇の先に佇む村』
あくる朝もあたりは変わらぬ有様であった。やはり、太陽を直接見ることはできず、森全体が昼光の明るさに照らされている。どうやら少女たちがテントで眠りに就いている間も、時間が全く進まないかのように、その明るさに変化はなかったようであった。
ひとり早くに起き出したユンが、丘を下って川べりに赴くと、その一部は竹林になっており、地面には剥げ落ちた竹の皮がたくさん落ちている。
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ユンはそれらの中から、あまり土に汚れていないいくつかを拾い上げると、川辺ですすぎ洗ってからテントのある場所に戻っていった。
川面には視界を煙らせる霧が立ち込めており、密林のように茂る森の静寂を小鳥のさえずりが彩っている。キャンプに戻ると、シーファ、アイラ、ミリアムも起き出してきていた。
「おはよう、ユン。ずいぶん早いのね。どこに行ってたの?」
ミリアムがそう声をかける。
「おはよう。川辺まで行ってこれを取って来たんだよ。昨晩の『魚人族』の料理の残りを包もうと思ってね。」
先ほど拾い集めてきたものを台の上に広げながら、ユンが言った。
「これは竹の皮ね?」
ユンの手元を覗き込むようにしながら訊ねるシーファ。アイラは早速、昨晩の料理の残りを台の上に広げている。
「ああ、そうだよ。残りを棄ててしまうのは勿体ないからね。これに包めば、今日の昼食にできるさ。」
そう言うと、ユンは、アイラの切り分ける『魚人族』の焼き身を丁寧にそこに包んで行った。竹の皮には防腐効果があり、またある程度の防水性があるため、食べ物を包んで持ち運ぶにはうってつけである。朝食の分を除いて全部を包むと、それは3つを数えた。ばらけないように紐でくくって荷の形にしたものを、アイラが受け取って持ち物の中に加えた。目指す『魔界村』まで、ここからどのくらいの道程があるのか知れなかったが、少なくともこの日の昼食に事欠くことはなさそうだ。
ミリアムは焚火に火を起こすと、それで湯を沸かしはじめる。簡単に淹れることのできるコーヒーが用意されていた。魚の包みを仕舞ったあとで、アイラが『ハルトマンメイトG』を荷から取り出し、めいめいの皿に取り分けていく。そこに、朝食用に残しておいた『魚人族』の焼き身を添え、コーヒーを器に注げば、朝食は完成である。
4人は、焚火の傍に腰を掛けると食事を始めた。明るさに全く変化がないこともあって、どうにも朝という感じがしない。気温は幾分低いようにも思われるが、周囲の景色には時刻に応じた変化というものがまるでないのだ。時計を見やると、8:00に差し掛かっていることが見て取れた。
* * *
「とりあえず、今日のお昼までの食料は確保できましたね。」
かたい『ハルトマンメイトG』をコーヒーで喉に送りながら、アイラが言った。
「ええ、今日中に『魔界村』に入れれば御の字なんだけど…。」
『魚人族』の焼き身を頬張りながら応じるシーファ。
「あと、どれくらいでたどり着けそうなの?」
そう訊ねるミリアムに、
「そうだね。魔法の道標によると、私たちは今、だいたいこの辺にいるから、半日も歩けばたどり着けるはずだよ。迷わなければ、だけど。」
地図上に示される道標を指し示しながら、ユンが応える。
「それならば、食料の心配はしなくて済みそうです。まあ、『魔界村』でどの程度の補給が可能なのか、という問題は残るわけですが…。」
そう言うアイラに、
「大丈夫よ。人里なんだから、食べ物くらいはあるはずだわ。」
と、シーファは楽観的に応えて見せる。ミリアムとユンは、何度も地図と道標を確認していた。
食事を終え、コーヒーで一服した後、4人は食器をめいめいの荷にしまってからその場を後にした。もちろん火の後始末は入念に行って…。地図を手に東へと進路を取るユンの後に続いていった。
『ディケイド・バウム』を抜けた先のこの空間には、本当に時間の流れがないのかもしれない。そう思えるくらいに、同じような景色が延々と続いていくのだ。もしかしたら、同じ場所をぐるぐると回っているのかもしれない、そんな疑心に囚われるほどであったが、しかし、地図上に示される魔法の道標だけは、皆が東へ進んでいることを確かに示していた。ただ、いずれにしても、時間を知る手掛かりは、身に着ける懐中時計しかない。その針が正午を指した地点で一行は昼休憩を取り、『ハルトマンマギックスG』と『魚人族』の焼き身の包みを開いて、空になった胃の腑を満たすことにした。出発したときに比べると、僅かにあたりの明るさが翳(かげ)ってきたようにも思えるが、天上に陽を直接確認することはできないままである。
「道を間違ってさえいなければ、あと3、4時間でつくはずだよ。」
軽食を終え、薬瓶に汲んだ水を飲みながら、地図を見てユンが言った。
「ずっと同じような景色ばかりで、前進している実感がないけどね。」
そう言うミリアムに、シーファとアイラも頷いて同意する。頭上では、繁茂した広葉樹の葉が風に吹かれてさわさわと揺れている。陽射しはないのでコントラストは鮮明でないが、それでもぼんやりとした影が大地を撫でていた。
「さてと、じゃあ行こう!」
ユンの号令に促されてそれぞれに荷を担ぐと、4人は再び東へと歩みを進め始めた。これまで微動だにしなかった景色の明度が、緩やかに暗くなり始めたのは、そこから1時間ほど歩いた頃であったろうか。先に広がる森に吸い込まれるように次第に光が失われていき、足元を見るのが困難になってきた。また、頭上で鳴くのが、小鳥ではなくフクロウの声に変わっている。月も星も見えないが、夜の気配が近づいていることだけは確かで、先頭を行くユンとすぐ後に続くミリアムは、魔法の灯火を焚いて、行く先を照らさねばならなくなっていた。気温も心なしか下がってきているようで、深い森の中で俄かに不安が鎌首をもたげてくるような、そんな心細さを少女たちは感じている。
* * *
更に、しばらく先に進むと、切り立った崖に古いつり橋がかかっている場所に出た。崖の下には川があるのか、靄(もや)が濃厚に立ち込めており、橋の先がどのようになっているのか、見通すことができない。まるで、橋の行く先が白い靄の中に溶け込むように伸びていた。橋のたもとにはもうほとんど朽ちてしまっている木製の道標があり、そこに古代語で何かが記されている。アカデミーで学ぶ古典語よりも遥かに古い言語のようで、4人はその意味をとらえることができなかったが、ただその中に「集落」を表すのであろう単語が含まれていることだけはわかった。こんな辺鄙(へんぴ)な場所に集落があるとすれば、それは『魔界村』に違いない。地図で確認すると、確かにその渓谷の先に、目指す地はあるようだ。
つり橋を形作る綱と木板は古びて苔むしており、その耐久性はなんとも心もとないものであった。4人は、万一に備えて飛行機能をもつ虚空のローブを羽織ってから、慎重にその古橋の上に一歩を繰り出した。体重を乗せる度にみしみしと軋(きし)む危うさに不安を掻き立てられながらもなお慎重に進んで行く少女たち。やがて視界の全てが靄(もや)に包まれて、手元の綱の他は、足元の木板さえ見るのが困難になってきた。次に繰り出す一歩の下にもちゃんと支えてくれる木板のあることを確かめながら、慎重に歩みを進めていく4人。つり橋の立てる古めかしい音がなんとも心臓に悪い。アイラは、怯えるシーファの手をさりげなく引きながら、先を行くユンとミリアムの後を追っていく。いつでも虚空のローブの力を使えるように意識を集中しながら、懸命に模索と前進を続けていくと、しばらく後に、少女たちの足はようやくにして対岸の大地を踏みしめることができた。
靄(もや)を抜け出てから気が付くと、周囲はすでに真っ暗な宵闇の中にあり、揺れる枝葉の立てる音がなんとも薄気味悪くて仕方がない。依然としてそこが森の中であることは確かであったが、魔法の灯火の力を借りなければ、寸分先も見えぬというほどに延々と暗黒が広がっている。
ユンとミリアムは、足元を照らしながらなお前進していく。シーファとアイラはおずおずとその後に続いていった。深い森のただ中であることに違いはないが、道らしきものが刻まれてはいるようで、少女たちはそれを慎重にたどっていったのである。
やがて、あたりの景色は、夜とも夕ともつかない薄明かりに照らし出されるようになってきた。先ほどまでの真っ暗闇とは違う、なんとも不穏な微光の中に、遂にそれが姿を現す。少女たちはその時初めて、空に重たい鉛色の雲が広がっていることを確認できた。森の中の道は苔むした古い石畳の広場に繋がっており、その周辺には木造の家屋が立ち並んでいて、奥には時計塔のような建物がある。どうやらここが探し求めてきた『魔界村』で間違いないだろう。家々の門扉の前には、真っ赤な篝火(かがりび)が焚かれており、薄暗い中で、その火の赤さが不気味に際立っていた。村の入り口を抜けた先の広場には、怪しい魔法光を全面にたたえる魔法陣が敷かれている。
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4人は、村の入り口にほど近い場所にある一軒の民家の戸をたたいた。この村を治めるという騎士、『朝陽丸』の居場所を訊ねるためである。
* * *
しばらく待つと戸が開き、そこからしわがれた顔がにゅっと現れた。それは老婆のもので間違いなかったが、しかし、この薄暗い中、玄関先の真っ赤な篝火(かがりび)に照らされたその相貌はどうにも人間離れしていて、不意にそれと邂逅(かいこう)した少女たちは、声にこそ出さなかったものの、心臓が口から飛び出そうな驚きを内心では感じていた。
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「おやおや、ここに客人とは珍しいこともあるものだ…。なんですかね?」
老婆がゆっくりと口を開く。早鐘のように鳴る鼓動を懸命になだめながら、先頭に立つユンが訊いた。
「突然にお邪魔してすみません。私たちは魔法社会から来たものです。ここに『朝陽丸』という騎士殿がおいでだと聞きまして。お会いしたいのですが、どちらにお住まいか教えていただけますか?」
老婆は、嘗め回すようにして4人の姿を見てから、ゆっくりとした口調で語り始める。どうやら言葉は通じるようだ。
「魔法社会からねぇ…。それはまた遠路はるばるごくろうなことじゃて。騎士殿であれば、奥の、時計塔のある建物においでじゃ。何をお求めかは知らないが、この村はもうずいぶん長い時間閉ざされておるからの。ご希望に沿うものはなかろうて…。いや、一概にそうとも言えぬかもしれぬな。」
老婆は目的地の場所に加えて、気になることを口走った。
「お前さん方で客人は2組目じゃ。今、この村には魔法社会から来たという魔法使いがもう一人逗留しておる。こんな辺境に続けて客人があるとはどうにも解せぬことよのう。」
そう言うと、老婆は不気味な笑みでその顔のしわを歪めて見せる。
「私たちの他に魔法使いが来ているのですか?」
ミリアムが訊ねると、
「だからそう言うておろうが。そやつは毎日広場で屋台を開いておる。なんでも、わしらに魔法社会の珍味を振舞ってくれると言ってな…。今日はもうしまいのようじゃが、興味があるなら明日にでも覗いてみるとええ。」
老婆はそう言うなり、一方的にぴしゃりと戸を閉めてしまった。いったい何だというのであろうか?しかし、ともかくもこの村の長であるという『朝陽丸』の居場所については分かった。広場の奥から伸びる石段を登って行けば、その時計塔にたどり着くのは造作もなさそうだ。少女たちは、老婆の家を後にすると、広場を横切って村の奥に続く小径に踏み入って行った。
村全体が微光に照らされているが、その正体がさっぱりわからない。空は厚い雲に覆われるばかりで、その裏にあるはずの太陽の所在はようとして知れなかった。道中の暗さに比べればましではあるものの、全体として不気味な異様さに包まれていることには違いない。襲い来る不安を懸命に噛み殺しながら、4人はその時計塔のある場所まで石段を上って行った。
* * *
時計塔は、遠くから見るよりも大きく高く、村を治める騎士の居所らしい風格を備えている。石造りの建物の1階には大きな木戸があり、2階部分は住居と思われる構造になっていて、やはり真っ赤な灯火が焚かれていることが、窓越しに確認できた。
ユンが入り口の木戸に据え付けられた鉄輪でノックすると、入り口がゆっくりと開いていく。おそるおそる中に足を踏み入れると、階上から野太い男の声が聞こえてきた。
「魔法使い殿かな?遠慮せずに上がって来られよ。」
魔法使い殿というのが、先ほどの老婆の言っていた先客の魔法使いを指すのは間違いないだろう。4人はしばし逡巡したが、せっかく扉が開いたというのに引き返す手もない、そう思い定めて奥に進んで行った。1階の奥には階段が設(しつら)えられており、少女たちはそれを上って行った。途中で折り返す階段を上り切ると、暖炉の火で温められた客間のような広い部屋にの前に出る。その奥には全身を重鎧で固めた騎士が背を向けて立っていた。踊り場から直に続く扉のないその部屋に入って、ミリアムが騎士に声をかける。
「突然の訪問申し訳ありません、騎士様。」
それを聞いてこちらに振り返った騎士は、思っていたのと違う声に驚いたというような表情を浮かべながら、話し始めた。
「おや、魔法使い殿ではなかったか…。こうもお客人が続くとは、珍しいこともあるものだ。なにはともあれ、遠慮はいりませぬ。さあ、こちらへ。」
その促しに従って、騎士の方へ歩みを進める少女たち。その部屋はきれいに整頓されていて、奥の壁には大きな絵画が飾られている。何が描かれているのかすぐには分からないその絵画の前に、騎士は立っていた。
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「これはまた小さなお客人であるな。このわしに何の御用かな?」
静かな声でそう訊ねる騎士に応じたのはミリアムだ。
「騎士様。騎士様はこの村を統べる『朝陽丸』様でいらっしゃいますか?」
「いかにも、わしが『朝陽丸』じゃ。しかし、お客人がこのわしの名を知っているとはおかしなこともあるものじゃな。この村はもう何百年も外界とは隔絶されておるのだから…。」
騎士はそう返事をした。
「突然、不躾にお邪魔して申し訳ありません。実は、この村には煉獄に通じる『煉獄門』があると伺いまして。私たちは煉獄に至る道を探しているのです。」
ミリアムが事情を説明すると、少し顔をしかめるようにして騎士は続ける。
「ほう、煉獄への道とな。」
「はい、事情がありまして。そこから煉獄に赴かねばならないのです。」
「それはなんとも大儀なことよのう。」
後ろの壁面に掛けられた絵画の方に視線を送りながら、『朝陽丸』は言葉を続けた。
「確かに、この村には煉獄へ至る道しるべが隠されております。しかし、それは遥かに昔のことでしてな。今では、ここにはその秘密について知る者はおりませぬ。…いや、一人を除いてというべきかもしれませんがな…。」
「そうですか…。しかし、村人の中にはお一人、それをご存知の方がいらっしゃるということですか?」
ミリアムが問うと、
「そうじゃな…。太古の時代の秘密について伝承を継承する者ならおる、というのが正確かもしれん…。」
『朝陽丸』はそう応えた。
「その方にお会いすることはできないものでしょうか?」
「もちろんそれは可能である。しかし、君達の探すものをそやつが探し当てられる保証はないぞ。しかし、まあよかろう。せっかくここまで来られたのだ。村人にその人物を呼んでこさせるから、しばし待っていなさい。」
そう言うと、『朝陽丸』は部屋の奥で待機していた執事らしき者を呼び寄せて何事かを耳打ちした。執事は2、3度頷くと、『朝陽丸』と少女たちに一礼してから階段を足早に駆け下りていく。どうやらその人物を呼びに出向いてくれたようだ。
昨日キャンプを張った場所の周辺は絶え間ない昼間だったが、この『魔界村』の周辺は明けぬ夜のようである。出窓には室内を照らすために、不自然に赤い炎をあげる蝋燭が灯されているが、その窓越しには薄暗い景色しか見ることができなかった。時折吹き抜ける風が、古い窓枠とガラスを頻りに揺らす。幸いにして、騎士や村人とは言葉が通じた。その一方で、探し求める煉獄門については不透明な部分が多い。また、この村を先に訪れているという魔法使いの存在も気にかかるところだ。果たして、無事に煉獄に至る道を探し出すことはできるだろうか?
『朝陽丸』に促され、部屋に置かれた椅子に腰かけながら、少女たちは大いなる不安をわずかな希望の光で照らしている。外から漏れ聞こえるフクロウの声が、静寂に静かなリズムを与えていた。
to be continued.
続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集06『宵闇の先に佇む村』完