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続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集02『いざ、煉獄へ』
「シーファ!」
「先生!」
ウィザードは戸を開け、部屋に入るとすぐにシーファのもとに駆け寄って、その身体をローブの上から強く抱きしめた。
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「ばかやろう。あたしより先に逝くやつがあるか。」
「ごめんなさい、先生。でもこうして帰ってきました。」
もしかしたら、その場にいたのは自分だったかもしれないという理不尽をかみしめながら、抱擁を交わし生を喜び合う子弟の背をアイラは眺めていた。
「もう、アイラには会ったんだろう?今日は二人きりで過ごさないとだな。」
「???」
「どうした、変な顔をして?もう会ったんだろう。」
「はい、でも…。先生もアイラさんのことをご存知なのですね?」
シーファはどうにも様子が分からないというふうにしてウィザードの顔を見る。
「何を言っているんだ。当たり前じゃないか。」
「それが…、私はアイラさんのことを憶えていないんです…。」
「なんだって!おいおい、冗談はよせ、シーファ。」
そう言って、上体を少し離すと、シーファの戯(たわむ)れをどうにかしてくれという様子で、ウィザードはこちらを見回した。しかし、どうしようもないという表情で、みなそれに応える。
「おいおい。悪ふざけはよせ。お前がアイラを忘れる訳がないだろう。」
「でも、先生。本当に分からないんです…。」
そう言って、視線を落とすシーファ。どうやらウィザードにも状況が伝わったようだ。
「本当なのか…?いったいまた、どうして…。」
その問いに、アッキーナが応える。
「どうやら、アイラさんへの恋慕が強すぎて、その執着を煉獄に囚われたようなんです。その他の意識は無事にこの世に戻って来れましたが、アイラさんを強く想うその想念だけはどうやら煉獄門を越えられませんでした。」
「なんてことだ…。じゃあ、このままだと…。」
「はい、シーファさんの恋慕はその青白い火で洗い清められて、遠からずアイラさんのことを忘れてしまうでしょうね。」
やるかたないといった響きを載せて、アッキーナはそう言った。
「なんてことだ…。でも、なんでまた…。」
そうこぼしてから唇をかみしめるウィザード。シーファはみなのその神妙な面持ちの意味がいまいち理解しきれずにどぎまぎしている。
「そのことについてはこれから思案するとして、とにかく、よく戻ってきてくれた。またお前に会えて嬉しいぞ。」
そう言うと、再度シーファを抱きしめてからウィザードは子弟の抱擁を解くと、少し乱れたシーファのローブの前をそっと直してやった。
「はい、先生。これからまた、ご指導よろしくお願いします。」
そのまぶしい笑顔を、ウィザードはやさしく受け止めている。
神秘の空間は、一抹の不穏を漂わせながらも、しかし、その全体は安堵と転生の喜びに満たされていた。鼻腔をくすぐる耽美な香りが心地よい。
* * *
「さて、問題はこれからどうするかだな…。」
儀式の部屋からいつものカウンターに場所を移しつつ、ウィザードが言った。みな、考えていることは同じである。
「シーファさんの恋慕の情を取り戻すためには、煉獄へ赴かねばいけませんわ。」
カウンター上の照明に魔法の火を灯しながら、そう言ったのは貴婦人だ。カウンターの周囲はその明かりで俄(にわ)かに明るくなったが、みなの心は晴れ切らないままである。
「煉獄ですか…。死霊の召喚でその扉を開けることができる以上、存在するのは間違いないところですが、冥府のどこかにあるというその所在をどう突き止めるかが問題ですね…。」
顎に手を当てて、考え込んでこぼすように言うネクロマンサー。生と死に精通する彼女をしても、煉獄の所在地は明らかではなかったのだ。
「煉獄は、冥府にあります。ですが、生きたまま冥府に至ることは容易ではありません。また、煉獄には、許しがたい未練を抱いた死者の霊以外の何人も赴くことはできないとされています。そんな場所にどうやって足を踏み込むか、実に難題ですね、っと。」
事の難しさをありありとアッキーナが吐露した。リアンとカレンの二人は、ガブリエルの魔法書を開いて懸命に手がかりを探すが、えてして、教科書にそのような神秘が記載されていることを期待することはできないのである。
アイラだけは、何かただ事ではない決意を秘めた確たる瞳をして、静かにその列に加わっている。きっと、いかな困難が待ち受けていようと、たった一人ででも煉獄に出向くという覚悟を既に固めているのであろう。
天井から吊り下げられた魔法光の照明がぼんやりと揺れている。一度奥に引っ込んだアッキーナが持ってきてくれたお茶を傾けながら、みな、次にすべきことを考えていた。
「冥府を通らなくても煉獄へ至る方法が、あるにはあります。」
突如、貴婦人がそんなことを口にした。みな、お茶を口元に送る手を止めて、彼女のその美しいサファイア・ブルーの瞳を覗き込む。
「創造の折、この世界が天と地に分かたれて間もない頃、まだ死という概念が確立していなかった時のことです。命の灯を消した魂をどうするかということが、創造に関わった者達の間で議論の対象になりました。」
貴婦人の美しい唇は、創世年紀になぞらえて、煉獄の謎を解き明かしていく。
「ある者は、灯を失った命は再び生命の水に帰せられるべきと主張しました。事実、生命の水から作られた者の魂についてはそうするように取り計らわれたのです。死と再生の輪廻の理として…。なお問題となったのは、生命の水から直接作られたのではない生命をどうするかでした。」
お茶を傾けながら、息を継ぐようにしてその声は物語を紡いでいく。
「多くの者は、生命の営みによって間接的に系譜を広げた生命については、輪廻には加えずに、都度土に還すべきだと主張しました。それに反対する者が当初なかったのも事実です。しかし、魔王と邪神の存在がそれを難しくしました。なぜなら、悪や邪(よこしま)といったこの世界の不条理を知った魂をそのまま大地に還したのでは、今度は大地が穢れてしまうからです。そこで、穢れた魂を洗い清めるための場を新たに設けたのです。」
「それって…?」
そのウィザードの問いに、貴婦人が応える。
「そう、その魂の洗浄の場こそが煉獄です。憤怒(ふんぬ)、嫉妬、怨嗟(えんさ)、執念、恋慕…、そうした強い拘りに支配された穢れた魂を輪廻や最後の審判に備えるべくきれいに洗浄する場所としてそこは創られました。今では、冥府の一部に取り込まれていますが、元来は、冥府とは別の目的をもっていたのです。」
「ということは、冥府を経ずとも煉獄に至る方法があるということですか?」
今度はネクロマンサーが問いを発した。貴婦人はなおそれに応えていく。
「その通りです。この世界のどこかには、創造の初めの段階で用意された煉獄へと至る入り口、『煉獄門』があります。おそらく、今では固く戒められ、人目を憚(はばか)っているでしょうが、それでもこの世界のどこかに隠されていることは間違いありません。『煉獄門』からであれば、肉体を帯びた生者のままの姿で煉獄に至ることができるでしょう。そこに囚われているシーファさんの、アイラさんを求める強い恋慕の情を解き放つことができれば、記憶はきっと戻るはずです。」
そう言い終わると、貴婦人は静かにカップをソーサーに戻した。
あたりを照らす魔法光が、僅かに強くなった気がする。香のかおりも同様であった。
* * *
「それならば、私が行きます!」
アイラが意を決してそう言った。
「私も、思い出すべきことがあるのなら、そこに行って取り戻したいと思います。」
思いがけず、シーファも名乗りを上げる。
「なら、私たちもいくのですよ!」
「はい。小さいころから、私たちはずっと一緒でしたから。」
リアンとカレンも運命を共にする覚悟のようだ。
香とお茶の芳醇な香りが入り混じって、その場を豊かに彩っている。
「まあ、待て。」
そう言ったのはウィザードだ。
「シーファとアイラは自分のことだから、行く以上は一緒にいるべきだろう。しかし、まず、その『煉獄門』の場所が明らかにならないことにはどうしようもない。」
その言葉はもっともであった。
「それについては、心当たりがありますよ、っと。」
そう言ったのはアッキーナだ。貴婦人も頷いている。
「この店には、創世年紀三部作の原本が残されています。写本ではないその原本の最後の一揃いです。それを紐解けばきっと、『煉獄門』の隠し場所は明らかにできると思いますよ。それについては、任せてくださいな、っと。」
笑顔と共に自信をのぞかせるアッキーナの顔を皆が覗き込んだ。
「この子の言う通りです。創世年紀にはきっとこの世に置かれた『煉獄門』に関する記述があるはずです。その所在はきっと突き止めて見せましょう。」
貴婦人がその自信に太鼓判を押している。
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「それなら、早速、旅の支度にかかるのです!!」
そう息巻くリアンをたしなめるように、ウィザードが言った。
「お前たちの気持ちは分かるが、それは駄目だ。」
「どうしてですか!?『煉獄』に至る方法はもうすぐわかるのですよ!」
「それとは別の問題だ。今が何の時期だか自覚はあるか?」
そのウィザードの言葉にふと思いを巡らせるリアンとカレン。
「そういえば、ちょうど連休明けの中間考査の時期ですよね?」
カレンがそう応えた。
「その通りだ。『ハロウ・ヒル』での一件以来、いろいろありすぎてすっかり忘れていただろうが、今は夏学期の中間考査の真っ最中だ。そして、何を置いても、諸君らはアカデミーの学徒なのである。で、あるからして、リアンとカレンには、アカデミーに戻ってその試験を受けてもらわなければならない。」
ウィザードは毅然とそう言ってのけたのである。
「それどころではないのですよ!試験はいつだってできるのです。」
リアンはそう訴えるが、ウィザードに聞く耳はないようだ。
「だ・め・だ。お前たち二人には学徒の本分を果たしてもらう。今年度末には高等部への進級試験が待っているしな。今、試験をすっぽかすことが如何に不味いことになるかは分かっている筈だ。お前たちにそんな危険を冒させることはできない。シーファとアイラは自分のことだから、この際、特例を認める。だから、二人の手伝いは、ミリアムとユンにしてもらうことにした。」
「そんなのおかしいのですよ!ミリアムとユンだって、試験については同じ条件のはずなのです!」
そう譲らないリアンに、ユンが事情を伝えた。
「ところがね、私たちはちょいと特別なんだよ。」
「どういうことですか?」
「実は、私とミリアムは、今回の試験の単位について、みんなの手伝いをやり遂げることが認定条件に設定されてるんだ。」
「ええ、だからユンと私は、みんな、つまりシーファとアイラの旅を無事にサポートし終えれば、試験合格と同じ扱いを受けられるってわけなの。」
ユンに続き、ミリアムが状況を説明した。
「そういうことだ。二人には無理を言ってお前たちの支援を頼んだからな。任務成功と引き換えに単位認定を約束してあるんだ。シーファとアイラも、特別にそれと同じ扱いにする。」
「それなら、私たちも同じ条件にして下されば済む話なのですよ。」
リアンはなおも食い下がるが、ウィザードはたしなめるようにして言った。
「勘弁してくれよ。そんなに大勢に特例を奮発したら、いくら魔法学部長といってもあたしの首が飛んでしまう。ミリアムとユンについては最初からの約束、シーファとアイラは不可抗力で説明がつくが、お前とカレンについては特例を認めるだけの理由がないだろう。で、あるからして、すぐにアカデミーに戻って、明日から試験を受けてもらうからな。当然これまでに終わった分の追試もな。」
「準備もなしにですか?」
「ああ、そうだ。かわいそうだとは思うが、そのままの実力を測れるかっこうの実力考査だとでも思えばいい。とにかく、未受験で点数が入らないよりははるかにましだろう?」
そう言うと、ウィザードはいつもの両目が動くウィンクらしい仕草をした。
「うう…、それは…。」
臍(ほぞ)をかむリアンの肩にそっと手を置くカレン。
「仕方ないですよ、リアン。『煉獄門』の探索はエバンデス婦人とアッキーナに、シーファのことは、アイラと、ミリアム、ユンに任せて、私たちは試験に邁進しましょう。ね?」
「ぬぅ、わかったのですよ…。」
どうやら、リアンもようよう観念したようだ。空いたティーカップに、アッキーナがおかわりを注いでくれている。湯気がその場の熱量を少しだけ高めていた。
* * *
「それじゃあ、決まりだな。婦人とアッキーナには申し訳ないが、『煉獄門』の探索に力を貸して欲しい。シーファ、アイラ、ミリアム、ユンは二人を手伝いながら、ここに残って旅の準備をするように。リアンとカレンは、これから私と一緒にアカデミーに帰るぞ。いいな?」
その言葉に、しぶしぶ頷くリアン。
「なんて仏頂面をしているんだ、リアン。純血魔導士のお前は、科目数でいけばずいぶんましだろう。カレンなんてどうするんだ?傍にいて、お前が支えてやらないとな?」
ウィザードがそっと耳打ちする。それを聞いてリアンはなにやら思い定めたように強く頷いている。
「では、行こう。今回の試験の後には弁論大会もある。ライオットが熱弁を振るうようだぞ。しばし、日常に戻るのも悪くない。」
そう言って促すウィザードの後に、ローブを羽織り帰り支度をしながらリアンとカレンが続いていく。
「シーファ、しばらくお別れですが、ご武運を。」
「そのときまでには、アイラのことをちゃんと思い出しておくですよ。」
カレンとリアンはそんな声をかけながら、表の世界に通じる扉に向かって歩みを進めていく。
「それでは、私も一度アカデミーに戻りますね。仕事が溜まっていると思いますので…。」
その後をネクロマンサーが続いていった。
4つの影が扉をくぐり終え、その戸が閉まると『アーカム』の中に再び静寂がもたらされる。日常の世界において、試験という現実と格闘するリアンとカレン。シーファと共に失われたその記憶を取り戻すべくたびに出掛ける、アイラ、ミリアム、そしてユン。みな、それぞれにおかれた場所で最善を尽くそうと、準備にとりかかっていた。
ライオットが登壇するというその弁論大会なるものも気がかりだ。今、日常と神秘の二つの空間において、新しい時間が慌ただしく刻まれ始めようとしている。サファイアとエメラルドの瞳は、奥の禁書コーナーに潜って、今はもうその店に残されるばかりとなった、この世の始まりの記録である創世年紀三部作を引っ張り出そうともがいていた。
少女たちの新しい日々がもうすぐ幕を開ける。
to be continued.
続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第3集02『いざ、煉獄へ』完