見出し画像

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集01『困惑と混迷の先に』

 近時、ここ魔法社会は深刻な食糧不足、とりわけタンパク源の安定供給に問題を抱えていた。というのも、20年ばかり前から始まった都市部の繁栄によって人口が急拡大していたところに、ここ数年は『奇死団』事件、『天使の卵』事件、『三医人の反乱』、『魔王事変』と様々な厄災に立て続けに見舞われたことで農村部が極度に疲弊し、穀物・酪農品・食肉その他の農産品の生産量が大きく減少して、需要に供給がまったく追いつかない状況を呈していたからである。特に、『三医人の反乱』と『魔王事変』においては、兵站として供与するために食料需要量が急増したが、増産がそれに全く追いついていかなかない事態に陥っており、そのため事件解決後にも、人口密集地への食料提供量の回復は滞るばかりとなっていたのだ。中でも、生産量の回復に年単位で時間を要する酪農品と食肉製品の状況は酷く、良質なタンパク源の供給不足が、魔法社会全体に深刻な影を落としていたのである。

 政府厚生労働省およびアカデミーの保健部門は、この問題に対処すべく、5年ほど前から、魔術、錬金術、および生命分野の科学技術を応用・駆使した人工タンパク源の開発を推し進めてきていた。その取り組みは『魔術的捕食動物の人工的開発』という形で結実しつつあり、その成果物の代表たる存在が、良質な高タンパクの提供源となる『ポルガノ族』、食物繊維と各種ミネラルを豊富に提供する人工キノコ型生命体の『ムシュラム族』、そして魚介類を補うための『魚人族』だったのである。それぞれは、魔術的に畜産・栽培・養殖されることで、普通に捕食動物を生育するよりも遥かに短時間に成熟を終えた後で、食料として市場に出荷される仕組みに収められていた。しかし、この新たな社会的事実は、たとえそれらが魔術的な人工生命体であるにしても、その命を人間の都合で消費することが果たして許されるのかという生命倫理上の鋭い問題を惹起して、魔法社会全体に大きな議論を呼び醒ますこととなっていく。やがて、彼らの生命と生存の権利を主張する活動家が姿を現して、彼らの保護と解放が一部で図られるようになった結果、今度は、野生における各種族の生息が確認される事態へと進んで行った。そして遂には、人間の生活領域とそれらの生存地域との境界に干渉や軋轢を生じる事態を招き、食と生命の尊重を巡る新たな社会問題が形成されるに至ったのである。特に、『ポルガノ族』や『ムシュラム族』による人間生活領域への浸潤は頭の痛い問題となっていた。

良質なタンパク源として開発された『ポルガノ族』
食物繊維とミネラルの供給源となる『ムシュラム族』
天然海産資源を代替する『魚人族』。

 今、こうした人工捕食動物との偶発的衝突によって引き起こされたとある事件においてその若い命を散らすこととなったひとりの少女の亡骸(なきがら)を前に、彼女を救う手立てを模索すべく集った者達の間で、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が繰り広げられていた。

* * *

「なあ、二人とも、さっきから一体何の話をしてるんだ。あたしたちにもわかるように説明してくれよ?シーファを救う手立てが他にあるって言うのか?」
 痺(しび)れを切らして、アッキーナと貴婦人に問うウィザード。それを受けて、アッキーナが応える。
「ごめんなさい、そうですよね。実は、『Resurrection:死者復活』よりももっと確実にシーファさんを救う方法が一つだけあるんです。でもそれは…。」
 言い淀むアッキーナの言葉を、貴婦人が補った。
「それは、今はもう失われた、呪われた方法によってのみ実現可能なのです。亡骸(なきがら)に魂を呼び戻すだけの『Resurrection:死者復活』では、損傷した身体の細胞を健康な状態に戻すために要する時間の分だけ年齢を増し加えなければなりませんが、もう一つの方法では、アンデッドを人間に転生させるという文字通りの禁忌によって、加齢を経ずに生命を取り戻すことができるのです。」
「そんな方法があるんなら、すぐにでも!」
 ウィザードは逸(はや)るが、アッキーナがそれを諫めた。
「お気持ちはわかりますが、その術式の行使には『魔導書』がいるんですよ…。」
 それを聞いた一同の表情が、一気に曇る。
「『魔導書』って、そんな…。」
 共に話に加わっていたネクロマンサーもすっかり言葉を失ってしまった。

「そうです。この秘術には『リンカネーションの魔導書』が要ります。しかし、みなさんも知っての通り…。」
 またも二の句を貴婦人が継ぐ。
「『魔導書』は、その術式を行使できる魔法使いの魂を直接ページに封じ込めた文字通りの呪いの品です。そして、『転生:Reincarnation』の術式を使えるのは古代魔法使いだけ…。つまり、今ではすでに失われつつある存在を更に犠牲にしなければいけないのです。そんな訳ですから、先ほどからこの子は私に思い留まるようにとずっと忠告しているのですよ…。」
「ってことは、シーファを救うには、その術式を使える古代魔法使いを見つけ出して『魔導書』に封じ込めなければいけないと、そういうことなんだな?しかし、それはどう考えても無茶な相談てやつだぜ…。」
 憔悴(しょうすい)して唇を噛むウィザードの背に、ネクロマンサーはそそっと手を当ててやっている。

魔法使いの魂をページに閉じ込めるという非道によって作成される『魔導書』。その使用は文字通り魂の消費を意味する呪われた品物である。

「いえ、必ずしもそういうわけではないんです。」
 何やら意味深に言葉を濁らせるアッキーナ。ウィザードたちはそれに耳を傾けた。
「シーファさんを救うのに、誰かを犠牲にして新たに『リンカネーションの魔導書』を作る必要は必ずしもないんですよ。」
「どういうことだ?」
 訝しがって訊くウィザード。
「『リンカネーションの魔導書』は、もうこの店の魔導書コーナーにはありませんが、全く存在しないという訳ではないんです。」
「じゃあ、それを手に入れることができれば…。」
「はい。マダムはそれをおっしゃっているんです。しかし…。」
「今、それを手にしているのは人間にあだなす存在、『三魔帝』をはじめとする冥府や煉獄の住人だけなのです。」
 貴婦人が静かにそう言葉を加えた。

「ただ、タマンの中央山地には、時に忘れられたまま眠る『アルカディア城』という古城がありまして、そこにアザゼルという名の『三魔帝』の1柱が住み着いているんです。それとうまく交渉することができれば、それが持つ『リンカネーションの書』を手に入れることもできない相談ではないだろうと、それがマダムのご提案なんです。」
 今度は、アッキーナが貴婦人の言葉を補って言う。
「なんてことだ!よりにもよって、悪魔と交渉しろってのかよ!でも、考えようによっては、その『魔導書』さえ手に入れば、シーファを救える可能性が出てくるってことだな、アッキーナ?」
 微かな希望の色をその声に乗せて訊くウィザードに、アッキーナは静かに頷いて応えた。貴婦人もそれに同調している。

 目の前のカウンターには、数多の矢傷を負う痛々しいシーファの亡骸(なきがら)が静かに横たえられており、その傍ではリアン、カレン、そしてなによりアイラが寄り添って、ずっと涙に暮れていた。アイラの耳にも、その危険薫る希望の可能性は届いていたはずであるが、その心はなお、引き裂かれるような喪失感に囚われて塞がれている。

* * *

「悪魔との交渉ですか…。マダムのご提案は希望を紡ぐものですが、しかし、やるならやるで、慎重に慎重を期さないといけませんね。」
「ああ、しかもそいつは悪魔の中でも特に厄介な『三魔帝』の1柱ときていやがる。そんな存在が、おいそれと人間の頼みを聞くはずがない。アッキーナの言う通り、とんでもない代償を求められる危険が大いにあるわけだ…。」
 互いに顔を見合わせて、事の難しさを確認するウィザードとネクロマンサー。そのとき、リアンが立ち上がった。
「可能性が少しでもあるなら、やってみるのですよ!思い悩んでいても、シーファを救える可能性がどんどん潰えるだけなのです。」
「その通りです。先生、私たちをその悪魔の城に行かせてください。」
 カレンもその後に続く。ただアイラだけはその足元にうずくまって、冷たくなったシーファの手をずっと握っていた。

「お前ら…。そうだな、ここでじっとしても状況が良くなるわけじゃない。だが、危険の度合いはこれまでの比じゃあないぞ。相当の覚悟をして臨む必要がある。」
 そう言いきかせるウィザードに、リアンとカレンは力強く頷いて応えた。
「でも、肝心なのは実現可能性です。これ以上の犠牲を伴うようではいけませんから。」
 事ここに至ってもネクロマンサーはやはり慎重な姿勢を崩さない。
「アッキーナさん、実際問題としてどれくらいの危険が考えられますか?」
 その言葉に、アッキーナが応えた。
「幸いにして、アザゼルは悪魔の中でも契約には忠実な存在です。交わした約束はきっと守るでしょう。ですから、交渉さえ慎重に行えば、想定外の犠牲を払う危険はきっと避けられるはずです…。」
「つまり、悪魔と知恵比べしろってことだな?」
 ウィザードの言葉に、アッキーナは頷いた。

「じゃあ、あたしらとこいつらで、すぐそのアザゼルのもとに向かおう!」
 ウィザードは気が急くが、それを貴婦人が止める。
「そうしたいのはやまやまですが、先生方にはここに残っていただかないといけません。今、魔法学部長先生にはアカデミーで引き続き『ハロウ・ヒル』の『ポルガノ族』への対応を指揮していただかねばいけませんし、看護学部長先生にはアンデッド化したシーファさんのお身体がこれ以上傷まないように、ここで管理をしてもらう必要があります。」
「ってことは、こいつらだけで悪魔と交渉させろってことか?」
「ええ、難しいのは間違いありませんが、そうせざるを得ないでしょうね。」
 ウィザードをなだめるようにして貴婦人が言った。それを聞いて、
「大丈夫です、先生。シーファの為に、きっと務めを果たしてきます。」
「はい、なのです。任せてくださいなのですよ。」
 カレンとリアンの二人が決意を示して見せる。その声を聴いて、ようやアイラがこちらに潤んだ瞳を差し向けた。どうやら彼女もシーファのために同行をしようということらしい。しかし、貴婦人がそれをやんわと遮った。

「アイラさん、あなたはいけません。アザゼルは実に狡猾な悪魔で、傷つき動揺する人の心に取り入って支配するのを得意とします。ですから、今のあなたを行かせることはできません。あなたは、シーファさんの傍についていておあげなさい。」
 アイラの潤んだ瞳は、そこでどう返事をすべきなのか思い定まらないという様子のまま、再びシーファの方に注がれた。その痛々しい様子を皆が優しく見守っている。

* * *

「しかし、アザゼルのもとに二人だけで行かせるのは危険すぎます。そこをなんとかできませんか?」
 そう言ったのはアッキーナだ。たしかに、たった二人の15歳の少女を悪魔に挑ませるというのは明らかに無謀極まることだった。
「それについては、あたしに考えがある。…。そうだな、リアンとカレンは明後日の午後にあたしの執務室を訪ねてくれ。それまでに応援を手配しておくから。」
 どうやらウィザードには何か手があるようだ。それを聞いて、他害の手を取り合い、大きく頷くリアンとカレン。少しずつではあるが、漠然とした希望が、輪郭を成しつつあった。

「それでは、シーファさんをアンデッド化しましょう。」
 貴婦人の促しを受けて、ネクロマンサーとカレンが儀式の準備にかかる。二人のせわしない動きに合わせて、神秘の空間を漂う黴の匂いが俄(にわ)かにその鋭さを増していった。

 どうやら二人はアンデッド化専用のメダリオンを使って、屍術式でシーファをアンデッド化するようだ。カウンターの周りには呪術用の蝋燭が灯され、水や様々の水薬に満たされた器が複数並べられている。シーファの胸の上に置かれたメダリオンの表面は、そこに刻まれた魔法文字から怪しい魔法光を浮かび上がらせていた。

 ネクロマンサーが司式を主宰し、カレンがそれを手伝って儀式が進んで行く。遺体の管理者を務めるネクロマンサーの名が刻まれたメダリオンが静かにシーファの体内に沈んで行くと、やがて、彼女の美しく白い肌はくすんだ灰色に変わり、髪の毛はつやを失って、その身体全体が不死の存在へと様相を変じていった。しかしその間も、アイラが彼女の手を離すことは一度としてなかった。

「これでいいでしょう。先生はこの子の傍について、これ以上の身体の損傷を防いでください。学部長先生には、出発と応援の準備をお願いします。」
 儀式の終わりを確認してからそう告げる貴婦人。その言葉を受けて、それぞれなすべきことにとりかかった。ウィザードはリアンとカレンを連れて一度アカデミーに戻り、ネクロマンサーは、アイラを励ましながらシーファの傍で必要な措置を続けている。それらの一連を、アッキーナと貴婦人が見守っていた。

 重くきしんでいた時の歯車が、ようやくいくばくかの慣性を経て、再び巡り始めたように感じられる、そんなひとときであった。神秘の空間は今なお薄暗く、奥の部屋に移された、変わり果てたシーファの身体は、保存用の香の匂いに満たされて静かに安置されている。

 果たして、狡猾極まる悪魔との交渉は成功するのか?シーファは、再びその溌溂とした美しさを取り戻すことができるのか?アイラの心痛は癒されるのか?さまざまな疑問を織り込むようにして、時の歯車は複雑な運動を黙々と続けていた。

 まもなく、夜が明ける。

to be continued.

続・愛で紡ぐ現代架空魔術目録 第2集01『困惑と混迷の先に』完


いいなと思ったら応援しよう!