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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第6集その1『移り変わる季節』

 深夜の地下墓地で窃盗犯を追い詰め、その主犯を暴いたシーファ、カステル、セラの三人は報告のため、事件の調査を命じたレイ・ライホゥ警視監を訪ねている。

「諸君、ご苦労だった。トマス・ブルックリンを取り押さえられなかったのは残念だったが、しかし、犯人を特定できたことは大きな前進であると言えるだろう。君たちの報告では、『マジカル・エンジェルス・ギーク』副部長のキース・アーセンは窃盗には無関係であったということだが、間違いないか?」

「はい。彼はむしろトマスを止めるために我々に協力してくれました。また今後とも真相解明のために助力してくれるとのことです。完全に信頼するのは時期尚早ですが、捜査の継続のためにも、連絡を取り続けるのは有意義だと考えます。」
 そう答えるカステル。

「そうか、わかった。それで、諸君らが現場から押収してきたこの『パンツェ・ロッティの閻魔帳』だがな。やはりどうしても開くことができない。これの鍵を、逃げたトマスがもっているということなのだな?」

「はい、その通りですわ。我々も様々に開錠術を試しては見ましたが、一向に効果がございませんの。せめてどのようなことが書かれているのかだけでも確認できればと思い、透視も試みましたが、ずいぶんと念の入ったプロテクトが何重にも施されていまして、それも奏功いたしませんでしたわ。」
 セラが応じた。

「やはり、そうか。これはこちらで預かり、今後魔法捜査研究所での調査に回すことにする。」

「それで、警視監殿。逃走を図ったトマス・ブルックリンの足取りは現在どのようになっているのですか?」
 訊ねるシーファ。

「あの夜以降、トマスがアカデミーに戻った形跡はない。今、手配書の準備を行っている。まもなく、魔法社会中に指名手配されることになるだろう。彼の犯罪それ自体は軽犯罪だが、君たちの報告を受ける限り、その背後に何かしらの大きな計画が準備されれていることは間違いないようだ。なんとしてもトマスの身柄を確保する必要がある。」
 レイ警視監が答えた。

レイ警視監が見せた手配書の見本。

「かしこまりました。それでは、我々は今後とも捜査を継続いたします。」
 三人を代表して言うカステル。
「頼んだぞ。君たちの手腕には大いに期待している。それで、今後の捜査についてカステルとセラには調べてほしいことがある。関連資料を君たちが捜査本部として使っていた部屋に用意しているから、さっそくで済まないが目を通してもらえるか?」

「了解しました、警視監。」
「では、行きたまえ。」
「はい。」
 カステルとセラは、敬礼をして警視監の部屋を後にした。

「私も二人のお手伝いをしてよろしいでしょうか?」
 一人残される格好となったシーファが、レイ警視監に訊ねた。

「いや、君に残ってもらったのには理由がある。別の任務を引き受けてもらいたいのだ。」
「そうおっしゃいますと?」
「実はな、『三医人の反乱』のあと行方不明となっておられてた魔法学部長代行殿と純血魔導士科の研究員の先生、それから君の友人のカレン君の居場所が明らかとなった。」
「そうなのですか!?それは幸いです。」
「ああ、本当にな。それでだ、彼女たちは今『タマン地区』の臨海地域にある療養施設に収容されているのだが、君には彼女らを迎えに行ってもらいたい。必要な手続きはすでに済ませてある。まあ、体のいい護衛だと思ってくれたまえ。」
「かしこまりました、警視監。シーファ、謹んで拝命し、先生方をお迎えに上がります。」
「そうしてくれ。これが指令書だ。」
「謹んで受領いたします。」
 そう言って、シーファは指令書を受け取った。
「護衛任務である以上、君一人ではいろいろと不便だろう。二人ほど同行者を連れていくといい。『治安維持部隊』から選らんでもよいが、人選は君に一任するよ。気心の知れた者を同行させたまえ。」
 レイ警視監は、優しい瞳でシーファにそう言った。

「お心遣い、ありがとうございます。では、友人を二人同行させてもよろしいでしょうか?」
「それは、リアン君とアイラ君だね?」
「はい。」
「構わんよ。彼女たちの実力は折り紙付きだ。きっと君の力になってくれるだろう。」
「感謝いたします。」
「それでは、シーファ巡査長代行。明後日までに『タマン地区』に入り、指令書に記載のある臨海地区の療養所に出向いて、魔法学部長代行殿その他二名を護衛して、5日後までにアカデミーに戻りたまえ。私からの指令は以上だ。」
「かしこまりました。」
「では、行きたまえ。」
「はい。失礼いたします。」
 敬礼のあと、シーファは静かに警視監の部屋を後にした。

 秋の日が斜めに窓から差し込んでいる。その柔らかい光がレイ警視監の黄金色の瞳を一層美しく輝かせていた。窓の外では、木々の葉がゆっくりと色づき始めている。風がそれを揺らすと、ときどき枝から離れた影が中空を舞うようになった。秋が少しずつ深まっていく。

* * *

 中等部の寮棟の一室をノックする音がする。シーファがリアンの部屋を訪ねているようだ。
「ねえ、リアン。私よ。いる?」
 ドアの内側に向けて声をかけるシーファ。足音がして、ドアが静かに開いた。
「どうしたですか?」
 リアンが顔をのぞかせる。
「あなたにお願いがあるのよ、お姫様。」
「むぅ。シーファまで私をそう呼ぶのですよ。そう呼んでいいのはカレンだけなのです。」
「あら、ごめんなさい。すっかり仲良くなっちゃって。ちょっぴり妬けるわね。」
「そんなんじゃないのです。」
 少しうつむいてみせるリアン。伏せた目を覆う長いまつげが美しい。

「入っていい?」
「もちろん、どうぞなのですよ。」
「ありがとう。」
 二人は部屋の奥へと入っていった。テーブルを囲む二人。

「アイラも呼んでいい?」
 シーファがそう訊いた。
「構わないですけれど、またどこかに行くですか?」
 不思議そうにするリアン。
「まあ、そんなところね。あなたにとっても悪い話じゃないわよ。」
 そう言うと、シーファは携帯式光学魔術記録装置を取り出して、アイラと連絡をとった。話はすぐにまとまったようで、通話が終わってから数分のうちに、部屋の呼び鈴がなった。戸口にいるのであろうアイラを迎えに行くリアン。改めて、三人でテーブルを囲んだ。

「どうしました、シーファ?」
 そう訊ねるアイラに、
「どうやら、何かのお誘いみたいですよ。」
 リアンが応じる。
「ええ、二人に折り入ってお願いがあるのよ。実はね。先生方が正式に帰ってこられることになったようなの。」
「『アーカム』からですか?」
 アイラは少し驚いている。
「いえ、そういうわけではないわ。どうやら先生方の方で、いろいろとやりくりされたみたいで、今『タマン地区』臨海部の療養施設に収容されているという格好になっているみたい。きっと誰かの協力を得たのね。それで、道中の護衛を兼ねて先生方を迎えに行ってほしいという命令が出たのよ。」
 そう言うと、シーファは先ほどの指令書をテーブルの上に広げた。それを覗き込むリアンとアイラ。
「でも、これは『アカデミー治安維持部隊』の仕事なのですよね?」
 リアンが言った。
「あら、そんなことを言っていいのかしら?」
 ちょっといたずらっぽい感じでいうシーファ。その言葉を聞いてリアンは美しい白銀の眉をひそめる。
「あなたにもいいことがあるって言ったでしょ?」
「じゃあ!?」
 リアンにも、シーファの意図が分かったようだ。
「カレンも、帰ってくるですか!?」
 急に声色が転がる鈴の音のようになるリアン。
「ええ、その通り。もうあんなかび臭い場所でこっそり逢引きしなくても済むようになるってわけね。」
「むぅ。だからそんなんじゃないのですよ。」
 その言葉とは裏腹に、喜びと興奮を抑えきれないでいるリアン。その様子を4つの瞳がやさしく見守っている。

 秋の陽がゆっくりと西に傾いていく。赤い光が窓の桟から黒い十字の影を床に落としていた。三人の少女たちの話はどうやらついたようだ。その様子を見て頷くように、太陽はゆっくりと地平線の裏へとこうべを垂れていく。

* * *

「そういえば、この時期のタマンには御馳走がありますよ。」
 そう言ったのはアイラだった。
「まあ、それはいいわね。何なの?」
 シーファの瞳が輝く。
「この時期のタマンでは、鹿が供されるんですよ。それ自体は『ミレーネ地区』からの輸入なのですが、一緒に仕入れられる赤ワインとあわせてそれはそれは御馳走なんです。」
 さすがは魔法社会で1、2を争う魔法具店『ハルトマン・マギックス』の養女であるアイラ。物流の妙に精通しているようだ。
「でも、私たちはまだお酒は飲めないですよ。」
 リアンが訝しそうに言った。
「お姫様はまじめでいけませんね。ちゃんと抜け道はありますよ。」
「アイラまで!」
 そんなほほえましい会話が繰り広げられる。
「でも、実際のところ飲酒はだめよ。もしズルしようものなら、『治安維持部隊』のエージェントとしてしょっ引くからね!」
「大丈夫ですよ。シーファのお縄になるのはごめんです。実は、ミレーネ名産の『ミレーネ・ノワール』にノン・アルコールの『ミレーネ・ローフ』ができたんです。試してみたいと思いませんか?鹿肉とも合うようですよ。」
 アイラがふたりの様子を探るようにして言うと、シーファとリアンの顔が上気するのがわかった。
「本当を言うと、ノン・アルコールでも16歳未満はお酒を口にしてはいけないのだけれど…。」
 シーファが言いかけると、
「私は、心の広いお姫様ですから、細かいことは言わないのです。」
 その言葉を遮るようにして、リアンが言った。
「じゃあ、決まりですね!」
 アイラが、手を打つ。
「実は、この時期だけ、『ヌン・ディア』という特別の鹿肉が入荷するんです。雌にも角が生える特別の鹿で、その小鹿の肉は格別美味なんです。事前に手配しておきますから、行きがけに堪能しましょう。」
「でも、せっかくだから、先生方を迎えに行った帰りにみんなで、というのではだめなの?」
 シーファが、アイラに訊ねた。
「本当はそうしたいところですが…。」
 少し苦い笑みを浮かべるアイラ。
「『ヌン・ディア』は少々高価でして。6人分を経費で賄ったら私がクビになってしまいます。」
 彼女はそう続けた。
「まあ、それは一大事だわ。それじゃあ、その御馳走は私たちだけの秘密ね。」
「ええ、秘密の晩餐としゃれこみましょう。」
 二人のやり取りを聞いて、リアンも頷いている。どうやら悪だくみの準備はちゃくちゃくと整っているようだ。三人は、さっそく明朝タマンに向けて出発する約束を交わし、シーファとアイラはすっかり日の落ちた石畳に沿って自室のへと戻って行った。

 秋の夜空の高いところで、三日月が静かに白い光を放っている。

* * *

 翌朝、三人はアカデミーのゲート前に集合した。タマンへの旅路には皆すっかり慣れたようで、リアンの荷物も合理的な量に調整されていた。すがすがしい秋の陽が、東からゆっくりと天頂を目掛けて昇っていく。
「この季節になると、風が心地いいわね。」
 美しいブロンドの髪を風にそよがせながらシーファが言った。
「そうですね。少しずつですが秋の気配に包まれていきます。」
 アイラが応じた。
「今回は、就労斡旋所には寄らなくてもいいのですか?」
 ふと、リアンが訊ねる。そう、アカデミーの学徒が講義を休んで公式の仕事に出るためには、出発前に通常は就労斡旋所に寄って必要な事項を届け出る必要があった。リアンはそのことを言っているのである。
「今回は、『アカデミー治安維持部隊』の公式の命令による公休だから、その必要はないわ。必要な手続きは事前に済んでいるから安心してね。」
 シーファがそう答えた。頷くリアン。
「さあ、秋になったとはいえ、日中はまだまだ暑くなりますから、体調管理を怠りなく出発しましょう!」
 アイラのその言葉を受けて、三人はタマンに向け、南大通りを軟化し始めた。朝の比較的早いこの時間、吹き抜ける風はまだ十分に涼しさを保っていたが、アイラの言った通り、陽が高くなるにしたがって汗ばむ陽気となっていった。ローブの袖口で額から首筋へと伝う汗をぬぐいながら、三人は
南大通りからタマンストリートへとずんずん南下していった。

 太陽は三人の顔を南から覗き込むようにして東から西へとゆっくり傾いていく。日中には夏の名残が存分に感じられたが、それでもやはり真夏とは違い、この季節の陽が駆ける速度は遥かにはやく、瞬く間に西の空を赤く染め始めた。デイ・コンパリソン通りを臨海地区へと進み始めたころには、陽はすっかり地平の向こうに隠れ、空はすでに濃紺に染まりつつある。ただ地平の境界だけが、茜色に彩られているばかりであった。しかしその赤の逆襲も時間とともに勢いが削がれていく。宿についたころにはすっかり陽は落ちてしまっていた。

 タマンの臨海部は賑やかである。『三医人の反乱』において市街戦の舞台となったときの傷跡がまだ多分に残ってはいたが、それでも復興の芽は力強く、再び大樹をなしつつあった。海を染めるきらびやかな魔法光が、湾岸を幻想的に彩っている。

 この時期だけの旨い鹿肉を味わうことのできるという宿は、やはり『ハルトマン・マギックス』社の御用達のようで、馴染みなのであろうアイラは、あとの二人を導くようにして先を急いでいった。

「もう少しですよ。今日のお店は、かの『ハッカーの密造所』の近くにあります。御馳走が待っていますよ。急ぎましょう。」
 そういうアイラの声と足取りは実に軽いものだった。三人ともすっかり空腹だったが、もうすぐ自分たちを迎えてくれるであろう美食に思いをはせると、それは苦痛をもたらす感覚とはまた違うものであるように感じられた。小さな橋を渡り、小高い丘へと登っていく。確かにそれは、今は大きな広葉樹が生えるばかりとなった『ハッカーの密造所』に通じる道でもあった。
 しばらく歩くと、その瀟洒(しょうしゃ)な店構えが三人の少女たちを迎えてくれた。

「ここです。」
 その宿は、1階に大規模なレストランを構え、その上に客室が積み重なる大きなところで、それを見上げるシーファの深橙色の瞳は大きく丸くなっている。石畳が美しく整備され、入り口を含めて一階のレストラン部分は、海を一望できるようにぐるりと大きなガラス張りになっていた。

アイラが案内してくれた宿。

「ねぇ、ここすごく高そうよ。大丈夫なの?」
 小声でアイラにささやくシーファ。
「大丈夫ですよ。私も『ハルトマン・マギックス』で働いていますから、少しばかりの予算なら自分の意思で動かすことができるんです。まかせていてください。」
 アイラがそれに応じた。
「本当にまかせたわよ。頼りにしてるわ。」
「ええ、ご心配なく。」
 そんな二人をよそに、貴族令嬢のリアンだけは平気な顔をしていた。

* * *

 三人が入り口をくぐると、アイラの到着を待っていたのであろう高級女給が声をかけてきた。
「アイラ様、いらっしゃいませ。今宵は当宿をご利用いただき誠にありがとうございます。」
「いえ、こちらこそお世話になります。今日は、私の名前で『ハルトマン・マギックス』社につけてください。」
 アイラは女給にそう告げた。
「カリーナCEOのお名前でなくてよろしいのですか?」
 内容を確認する女給。
「ええ、今日は私のプライベートですから。友人を案内しました。」
 そう言って、シーファとリアンを紹介するようにアイラは片手を広げた。
「これは、これは。ようこそおいでくださいました。今日はとびきりの料理をご用意しておりますので、ぜひお楽しみくださいませ。」
 女給の言葉を受けて、シーファとリアンは会釈する。
「アイラ様、お食事はレストランでなさいますか?それともお部屋にお持ちしましょうか?」
「部屋でお願いできますか?一日中歩き詰めで、ゆっくりしたいので。」
「かしこまりました。それではご案内します。しばらくおくつろぎください。すぐに用意をさせますから。」
「ありがとうございます。」
 話がまとまったのであろう、女給は三人を導くように先を歩き始めた。シーファだけは、どうにも居心地が悪そうにきょろきょろしながらその後についていった。

 通された部屋は小ぶりの三人部屋だったが、海を望む大窓があり、それは少し開かれていて、そこから心地よい潮風が部屋の中に流れ込んでいた。潮騒が聞こえ、窓越しに青白い月が光をこぼしている。

「もうタマンまではなんども足を運んでいますが、毎度疲れますね。」
 荷を下ろし、ローブを脱ぎながらアイラが言った。
「そうね。でもそんなことより、私はあなたの顔の広さにびっくりよ。」
 シーファが本当に驚いたという風にして言う。その横で、リアンはせっせと荷をほどいていた。
「ひとまず、シャワーなのですよ。」
 そういうが早いか、リアンは浴室に消えていった。その後には乱雑に脱ぎ散らかされたローブが横たわっている。
「まったく、あの子ったら。」
 そのローブを拾い上げて、ハンガーにかけてやりながらシーファが言った。
「お二人とも仲がいいのですね。」
 アイラが言う。
「あら、あなたとも仲良しよ。」
「そうでしたね。ありがとう、シーファ。」
 そう言うと、シーファとアイラは朗らかな笑みを浮かべ、互いにベッドに腰を掛けて大窓から外を見やった。

 暮れ行く沿岸地域を、色とりどりの魔法光がにぎやかに彩っている。下の通りには屋台が出ているようで、人々の賑やかなざわめきが丘上の上階まで駆け上ってきていた。吹き込んでくる風が、ふたりの美しい頬をやさしくなでていく。

「ふう。」
 大きな息をついて浴室から姿を現したのはリアンだ。その小さな体にバスタオルを巻きつけている。
「まあ、あなた、タオルのまま出てきたの?」
「着替えを持っていくのを忘れたですよ。」
「ずいぶん、あわてんぼうのお姫様もいたものですね。」
 アイラも笑っている。
「まったくはしたないわね。のぞかれでもしたらどうするのよ?」
 そうたしなめるシーファに、
「女同士ですから心配ないのです。それともシーファはのぞきたいのですか?」
 リアンが切り返した。
「もぅ、馬鹿言ってないで早く着替えなさいな。料理が来るわよ。」
 シーファがそう言うと、リアンはしゃがみこんで荷物から着替えを取り出し、いそいそと着替え始めた。
「じゃあ、次に私がいただきますね。」
 そう言って、アイラが浴室に入って行った。そうこうしているうちにすっかり寝間着姿となるリアン。
「ローブ、ありがとうなのですよ。」
 壁に駆けられているそれを見て、恥ずかしそうにシーファに言った。
「どういたしまして。よっぽど湯あみをしたかったのね。」
 小さく頷いて、リアンはそれに応えた。

 浴室からは湯の音が聞こえる。アイラも温かい湯の中に疲れを流しているようだ。ハーブを含んだ清潔なシャボンの香りがこぼれ出てくる。

「きれいな景色ね。」
「はい、なのですよ。」
 二人の間に穏やかな時間が流れた。アイラのあと、シーファも湯あみをして着替えを済ませ、いよいよ食事を待つばかりとなった。時刻は19時半を回ろうとしている。軽食だけで一日歩き詰めだった少女たちの空腹はいよいよ極致に達しようとしていた。じっと視線が入り口に釘付けになる。そのとき、その戸をたたく音が聞こえた。

* * *

「お客様、お待たせしております。お夕飯をお持ちいたしました。入ってよろしいですか?」
 ドアの外から声がする。
「ええ、お願いします。」
 アイラがそれに応じた。ドアがゆっくりと開くと、数名の女給がカートに食器と料理と、なにやら調理具を持って入室してくる。どうやらこの部屋でなにかしら調理をしてくれるようだ。いやがおうにも三人の期待は高まって行く。

「まずは、新作のノン・アルコールワイン『ミレーネ・ローフ』でご乾杯ください。」
 そう言うと、一人の女給が洗練された所作で栓を抜き、グラスにワインを継ぎ入れて三人に振舞ってくれた。アルコールは含まれていないものだが、しかし芳醇なブドウの香りが、ぱっと部屋を華やかに彩ってくれた。胃の腑がきゅっとすく感じがする。

『ミレーネ・ローフ』のボトルとグラス。

「旅の成功を祈って。」
「カンパーイ!」
 杯を合わせる三人。グラスを傾けると口の中にブドウの酸味と渋みがぱっと広がり、その後で舌の上にすっきりとした甘みが躍る。最近のノン・アルコール製品はよくできていて、その独特の風味を感じることができる仕上がりになっていた。もちろん、いまだかつてアルコールを口にしたことのない少女たちはそのことに気付かないわけであるが、なぜかアイラだけは得心の言ったような表情を浮かべていた。

「おいしいわね。」
「絶品なのですよ。アイラに感謝ですね!」
 シーファとリアンの声を聞いて、アイラも満足の表情を浮かべている。
「二人とも、楽しみはこれからですよ。まずは前菜を楽しみましょう。」

前菜として供されたサラダ。タマン地区の名物でもある。

 アイラのその言葉に呼応するかのようにして、三人に前菜のサラダが振舞われる。タマン地区名産の野菜をあしらった皿には、角切りのチーズが添えられており、あらびきの胡椒とオリーブオイルで飾られていた。
 フォークでそれを口に運ぶ三人。さくさくという音がここちよくこぼれてくる。オリーブオイルの香りと野菜の若く青い味わいが口いっぱいに広がり、そのさわやかさをチーズの濃厚さが後押ししてくれる。トマトの酸味と『ミレーネ・ローフ』の酸味が絶妙なハーモニーを奏で、三人の舌はその美味にすっかり酔いしれていた。
 そうこうしているうちに、三人が囲むテーブルの横で、何事か準備が進んでいく。鉄板が用意され、その横には立派な鹿肉が鎮座していた。三人は思わず手を止めて視線をそれに釘付けにした。

三人の目の前に姿を現したヌン・ディアの肉のかたまり。

 シェフらしき女給は刃の長いナイフを手に取ると、その大きな肉の塊をステーキ大に切り分け始めた。まな板の上で、その肉塊は実にうまそうな切り身へと姿を変えていく。女給はそれを柄の長いフォークでつまみ上げると、加熱して油を引いた鉄板の上にさっとおく。
 じゅうじゅうという音が、胃の腑にまだ十分な空きがあるのだということを三人に思い出させていた。肉の焼ける心地よい香りがあたりの空気を染めていく。やがて、それは料理の形をえて少女たちの前に並べられた。ミレーネ特産『ヌン・ディア』のステーキ『タイガーチルディッシュ・ソースあえ』である。

ヌン・ディアステーキのタイガーチルディッシュ・ソースあえ。

 『ヌン・ディア』はミレーネ地区の名産で、この時期には脂がのってたいそうな美味であると評判であった。特に小鹿の肉はまことに柔らかく、ステーキで食べるのにもってこいであるとの評判だ。これに合わせるのは、『虎の子の血』ともいわれる赤ワインベースで作りこまれた濃いソースで、『タイガーチルディッシュ』と呼ばれていた。今彼女たちの前に居並ぶのは、まさにその名品である。
 おそるおそるナイフを入れると、それはまるで東洋の豆腐と呼ばれる食材に刃物を入れるかのように、さっくりと刃が進み、その切れ目からは温かい肉汁がたっぷりとあふれ出てくるではないか!鹿肉と言えばどちからかというと脂身の少ない健康的なイメージであるが、そんな常識的感覚を払拭するような、濃厚で豊かな味わいを連想させた。それは単なる精神的な想像を喚起するだけでなく、まぎれもない事実として三人の舌を大いに満足させた。
 その身はなんとも柔らかく、繊維ばったところはなくてとろけるようでありながらも、ステーキ特有の歯ごたえはなおしっかりと残っていて、ソースの甘みと溶け合うように、少女たちにこの上ない口福(こうふく)をもたらしてくれた。
 右手をフォークとグラスの間にせわしなく行き来させながら、三人の胃の腑は実に満足を得たのであった。空っぽの皿に残ったソースをパンの切り身でさらいながら、少女たちは互いを見やって穏やかな笑みを浮かべている。

「それでは、私どもはこれにて失礼を致します。」
 女給たちはそう言うと、食器を下げて、部屋から出ていった。開いたドアの間から、新鮮な空気が流れ込んでくるが、それでも部屋中を包んでいたその美食の香りが俄かに絶えるということはなかった。存分に食事を楽しんだ三人は、めいめいベッドに体を横たえて天井を仰ぐ。
 一日の疲れが、どっとその身に襲い掛かった。誰からという事もなく、その精神は静かに夜の闇にとらわれていった。潮騒のリズムが、ゆりかごのようにその安らぎを深くしていく。窓からさす月の光が、三人の寝姿を白く美しく描き出していた。

 秋の夜がゆっくりと更けていく。明日はいよいよ療養施設に先生方を迎えに行くことになる。『三医人の反乱』からはや数か月。戦火に傷んだ魔法社会はようやく日常を取り戻そうとしていた。

 穏やかな風か、微かに窓ガラスを鳴らしている。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第6集その1『移り変わる季節』完


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